5.姫君と王太子
傍にいてほしい。
私を離さないで。
ティファナは、自室にいた。
数日前、父親にディヴィディアとの結婚に関して良い返事がもらえなかったのが不満だった。
ブスッとした顔で、ソファーに座り、体を小さく丸めている。
侍女がそんなティファナの態度を注意するが、自室だけは許してほしいものだと思う。
外ではちゃんと愛想を振り撒いて、王女としての役割をこなしている。
はぁっ、と大きな溜息をついて、ティファナは目の前のテーブルの上に置かれた古い本に目をやる。
それは、カラフルだが擦り切れた表紙に、掠れて薄くなったインクで題名が書かれていた。
大して厚さのないその本は大きさから、児童向けのお伽話だと知れる。
「失礼します。ティファナ様、王太子殿下がお出でです。ティファナ様にお会いしたいと仰っておられますが、どうなさいますか?」
客間と繋がった扉が開き、部屋に待機していた侍女とは別の侍女が現れて、ティファナに告げた。
「お兄様が?」
ティファナはしばし思案した後、こちらへ通すように、またお茶の準備をするよう指示して、自分の居住まいを正した。
「やぁ、ティファ。元気かい?」
扉の向こうから現れたティファナと同じ金髪碧眼の青年が開口一番にそう言った。
にこにこと穏やかな笑みを浮かべた彼は、この国の王太子。
父王の片腕として立派に働いている為、中々ティファナと会う時間は少ないが、基本的に妹に甘い彼は、ティファナにいつも優しく接してくれる。
「ごきげんよう、お兄様。お父様の差し金ですね」
そんな兄に向かって、一応淑女の礼を取りつつも、ティファナは慇懃無礼な態度で兄に対した。
優しい兄は好きだが、今このタイミングで現れる目的は明らかだった。
だから、ティファナは不満を隠すことはしない。
「まぁその通りだね。父上からティファの様子を見てくるよう頼まれたんだ」
「様子を見てくる……説得してこいの間違いでは?」からからと笑いながら弁明する兄に、ティファナは疑いの眼差しを消さない。
「そんなようなことは匂わされたけどね。はっきり言われた訳じゃないし、僕は別にティファがシーブス近衛隊長と結婚することに反対じゃない……おや?」
ティファナの側に寄り、向かいのソファーに座ろうとした王太子は、二人の間にあるテーブルの上に置かれた本に気付いた。
「これはまた随分古いものだね。お伽話かい?」
王太子はそっとその本を手に取り、慎重に取り扱う。
本は少しでも荒く扱えば、今にも壊れそうだったからだ。
「『呪われたお姫様と光の騎士』ですわ。2年前たまたま城の図書館で見つけたんです。司書が新しい本があるから、処分するというのをもらってきたんです」
「わざわざ古いものをもらわなくても」
妹の行動を苦笑する王太子に、ティファナはムッとする。
「それは昔お母様に読んでいただいたとーってもお気に入りのお話なんです!そんな本が目の前で捨てられるなんて堪えられませんでしたから」
ティファナの答えに今度は柔らかく笑み、王太子は本の表紙を優しく撫でた。
彼は妹のこういう情の深い性格がとても気に入っている。
それだからこそ可愛がっているといっても過言ではないくらいだ。
「どういうお話だったかな?」
妹と一緒に母に読んでもらった覚えのある王太子は内容を覚えていたが、妹の不機嫌を直すにはちょうど良いかもしれない、とティファナに話を振った。
「お兄様覚えていらっしゃらないの?」
「そうだねぇ。読んでもらった記憶はある気がするんだが」
曖昧に答える王太子に、ティファナは仕方ない、と本のお伽話を始めた。
――――――
「そう言えばそういう話だったね」
ティファナがそう長くもない話を終えると、王太子は、相槌を打った。
そして、少し困惑した顔で妹を見遣った。
「ティファ、まさかとは思うけど、これに憧れて、シーブスとの結婚を望んだりなんて……」
「違います!確かにそのお話は好きですが、そんな理由でディヴィを選ぶとお思いですか!?」
「ごめん、ごめん。あまりにも状況がよく似ていたからね」
「私は魔族に求婚されてません!」
「そうだけどさ。シーブスの状況はよく似ているだろう?素性のわからない姫の騎士」
「そうですね!それて、私はそのうち魔族に求婚されて、ディヴィが魔族をネタにお父様を脅して、私と結婚すると!?
お伽話の騎士は、私たちの先祖で主神ラオストアの息子でしたでしょう!主神の直息だから言葉で魔族を切り伏せることもできたかもしれませんが、ディヴィはただの人間ですよ!?そんな真似できると思いまして?」
父へ覚えていた怒りも再燃し、ティファナは兄に噛み付くように畳み掛けた。
その勢いを落ち着けようと、王太子はティファナの空になったカップに紅茶を注いでやる。
「そんなことは言っていないよ。大体しゃべる魔族なんて聞いたことがないし、魔族は人を食料とするから、花嫁に求めるなんてありえない。
それにさっきも言っただろう?僕はティファの結婚に反対していないよ。シーブスは身分も地位もティファと釣り合っている。問題はその素性だけど、それはどうしようもない。ティファがどう父上を説得するか楽しみにしているよ」
飄々と言ってのける兄に、ティファナはぐっと眉を寄せて、真正面から見つめる。王太子はにこにことした笑みを崩さないまま、紅茶を口に含んだ。
「……楽しみに、ってお兄様。反対してないというのは、味方になってくれるということではありませんの?」
首を傾げたティファナに、一旦カップから口を話すと、王太子はさらに口角を上げて話し出した。
「いいように解釈してはいけないよ。賛成してるとは一言も言っていない。僕はティファの幸せを祈っているから、結婚を反対してはいない。けれど彼の素性が怪しく、多くの貴族から反対されているのも事実だ。僕がそれをどうにかしてまで、君の結婚に利益を見出だせないから、賛成もしない」
兄の言葉にティファナは考え込む。
為政者の兄が、妹の結婚を政治的な利益として考えていることに不満はない。
むしろティファナもディヴィに恋するまでは、それを当然と考えていた。
だが今はそれでは困る。
だからティファナの悩みは、いかに家族を説得するかだ。
とりあえず、父と兄の様子からごり押しでは無理だとわかった。
何かみんなが納得する理由を考えなければ。
話が長くなってしまったので、本文中に出てくるお伽話を別に切り離しました。
次の『呪われた姫君と光の騎士』が、それになります。
これを合わせてお読み頂けると、本文中の兄妹の会話が理解しやすくなると思います。
わかりにくくて申し訳ありません。




