暇でも燃えてなくなったわけじゃない
つい先日、知り合いのお店がなくなった。隣りのラーメン屋が営業中に火事を起こし、もらい火で半壊したのだ。幸いけが人も出ず、 店主も無事だったが、お店は営業できなくなった。
「あっという間だったのよ、ほんと」と彼女は笑いながら言った。「隣りから火事だから早く逃げてって言われて、それで着の身着のままじゃないけど、レジからあるだけのお金とパソコンだけ抱えて外に出たの」
「パソコン?」とぼくは言った。
「ちょうど確定申告中だったから」と彼女は恥ずかしそうに言った。「今でこそそのままなかったことにしておけばと思うけど、あのときはまだ途中だからって咄嗟に思っちゃったわけ。おかしいわよね、 他にだって大事なものはお店にあったのに」
「さすが十五年やってるだけある」
「悲しいかな、そういうことなんでしょうね」
「ぼくだったらいっそ燃えてくれたらいいのにって思っちゃうだろうな」
「あたしだってどこかではそう思ってたはずよ? 前年より売り上げ良かったから、これで税金が少しでも安くなるって。でもね、いざってなるとそうはいかないのよ」
そう言って彼女はグラスを口に運んだ。すでに氷しか入っていなかったけど、そこにまだウィスキーハイボールが入っているみたいに。
「お店を続けていくには確定申告をしなきゃならないし、払いたくなくても税金は払わなきゃならない。お店が燃えてもそう思っちゃうんだから嫌になっちゃう」
「でも払ってでも残す価値があると思うからそうするんじゃないのかな」とぼくは言った。「自分にとってなくしてはならないと思うからさ」
「そりゃ十五年もやってるからね」と彼女は言った。「自分のお店がなくなるなんて信じられないし、いざなくなっても本当になくなったとは未だに思えないから。始めたばかりのころはこんな暇なお店で大丈夫かって毎日ヤキモキしてたけど、今はそんな過去の自分に言ってあげたいもん。暇であろうと燃えてなくなったわけじゃないから大丈夫だって・・
・・まぁ、それができないから今もヤキモキしてるんだけどね」
彼女は一時間ほど滞在し、ハイボールを三杯呑んで帰っていった。「目ぼしい物件はある」と言い残して。会計はいいと言いたいところだったが、それじゃ相手の意に背くだろうし、なによりこっちもお店をやっている以上それをやってしまったら元も子もない。 暇でも燃えてなくなるよりはマシだけど、燃えてなくなる前になくなってしまうわけにもいかないのだ。
今は午前一時。相変わらず暇な店だった。




