一冬と旋律
私は世界を作った悠久の時を生きる悪魔だ。人間の生きる時など私にとっては些細なものだ。とてもつまらない。つまらない時間を私は人間の世界へ費やそうかと思った。だから人間の住む世界へ私という一人の悪魔が舞い降りた。長い長い暇つぶしのために。
人間のしているボードゲームは暇つぶしと言える。そしてそれは私も同じだ。人間を使ったボードゲームを観戦しているような感覚だ。
これも暇つぶしの一環だった。
「私の娘の病気を治せ。金はいくらでもやる。」
茜色の落ち葉がはらはらと舞う季節、随分とふてぶてしい男が私に声をかけてきた。この世の創生に携わる悪魔に対しこんな態度をとるとは、よほど偉い者なのだろうか。しかし私は人間界に降りてから怯えられるばかりで何も変わらなかった。なので折角だから少し興味のある感情を見るためどん底へ突き落すようなことをしてやろうと思った。つくづく私は悪魔なのである。
この男はこの辺で有名な貴族だということを耳にした。男が言う娘は、正反対な性格に見え、まるで血のつながりを感じさせなかった。男は娘を見向きもせず、娘も同じように男のほうを見ずにいた。ベットから半身を起こし、窓の外を見つめずっと同じ旋律を繰り返し歌っていた。
「喜べ、小娘。お前の病気は治るぞ。」
そう、この娘は喜ぶはずだ。不治の病のはずだからだ。なのに、
「そう。」
と答えただけだった。
「嬉しくはないのか?」
人間はよくわからない。こいつは死にたがっているのか?
「私は望まれない人間だから。」
娘は笑った。人はうれしいと笑う。だがこれはなんだ?
「よくわからんな。だが面白い、せいぜい楽しませてくれよ。」
この娘の感情がわかれば人間もわかり暇つぶしももっと面白くなりそうだ。娘は一瞬目を丸くした後おかしそうに笑うと、
「それじゃあ、よろしくね。私はエヴァン。」
「リリスだ。よろしく。」
この娘改めエヴァンはいつも私に楽しそうにいろいろなことを話す。
「このリンゴすごくおいしいのよ。一緒に食べない?」
とか、
「もうすぐ雪が降りそうね。」
とか、そんな他愛のないことばかりだ。私の目の前にいる少女は一枚一枚、木から葉が落ちるように、ゆっくりと、ゆっくりと衰弱していく。
それでも強かに、歌をうたい続けた。
そんな哀れで可哀想な少女は、私の目にひどく美しく映り、そして愛おしく思った。今の私は、もしかしたら人間らしいのかもしれない、とさえ思った。
「ねえ、リリス。」
雪の降る日、窓の外で米粒ほどの大きさの子供たちが遊んでいた。エヴァンは私を見て言った。
「私のお父様は違う人なのよ。だからきっとお嫌いなの。」
「そうか。」
かける言葉などなかった。
「でも、私はリリスのおかげで救われた。だからあなたに大切なものをあげる。」
そう言うと、窓際に置かれる小箱をそっと差し出した。
「前のお父様からのオルゴール。素敵でしょう?」
「そうだな。」
まだ、鳴らしちゃだめだよ?と言われたので仕方なく鳴らさずに置いた。会話が終わるとまたエヴァンは歌い始めた。すると、ふと思い出したかのように、
「リリス、お願い、いい?」
「ああ。」
今更何を言うのだろう。もう、長くは…
「ずっと一緒にいて。お願い。」
「努めよう。それだけか?」
もっと我儘でもいいのに。悠久の時を共に生きたいとさえ思ってしまうほど私は少女を愛していた。
「私は冬を越せない。でも、これで最後なんて言わないでね。天国で会おうかな。」
「最後、時を経てまたこの形で会えるのではないか?」
ふふ、とエヴァンは笑った。
「そうだね。リリスらしいや。」
穏やかに時は流れ、雪は溶け暖かな日差しが窓から降り注いでいた。冬は終わった。
でもあの少女は言った通り冬は越せなかった。
葬式には、私しかいなかった。誰も、エヴァンの死を悲しまなかった。棺を見ていると、目が熱くなってきた。視界が霞んで喉がカラカラで声がかすれる。頬を温かいものが伝った。
いつの間に私は、暇つぶしじゃなくなっていたのだ…
その日、悪魔が棺の前で泣くのを見た者が何人もいたという。
私はエヴァンの死後、人間の住む世界へもう少し滞在することにした。また会える日まで待つためだ。雪の日にもらったオルゴールはいつも歌っていたあの曲だった。そして裏側には手紙が張り付けてあり、『待っててね』
とだけ書いてあった。だからいつまでも待つつもりだ。
…
……
………
…………
……………
あれからどのくらいたったのだろう。奇跡というのを知っているだろうか。無論私は知っている。
夏。向日葵畑の中で、風にのってあの旋律が聞こえてきた。




