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伯爵令嬢はなぜリディ・ド・ザンヌを殺さなかったのか

作者: たっこ
掲載日:2026/01/24

「マーサ・ド・ヒーコック。

 そなたとの婚約を、ここに破棄する」


 王子は、謁見の間で、淡々と告げた。


「あわせて、そなた個人の貴族籍を剥奪し、王都より追放する。

 『聖女』への不当な振る舞い、看過できぬ。

 申し開きがあれば述べよ」


 あらゆる貴族が、固唾を呑んで見守っていた。

 この国で最も古く、最も誇り高き貴族の娘であるマーサが、いったいどう出るのかを。


 果たして。


「……仰せのままに」


 マーサ・ド・ヒーコックは、抗わなかった。

 婚約者であった王子に一礼し、広間を去った。

 涙のひとすじも見せず。


 その場に残った貴族たちは、沈黙した。

 一瞬ののち、弾かれたようにどよめいた。


 動乱に包まれた謁見の間で、最後まで口を引き結んでいたのは、二人。

 判決を言い渡した王子。

 そして、此度の事件を引き起こした張本人。

 『聖女』、リディ・ド・ザンヌであった。


 これが世に言う、「伯爵令嬢断罪事件」である。





 事件を皮切りに、王国貴族たちの力関係もまた、変化の時を迎えた。

 古来より王家を支えたヒーコック家の衰退は、『伝統的な封建貴族』と、『新時代の成金貴族』との勢力図を大きく書き換えた。


 しかし、事件から一年が経った頃。

 人々は、このように噂し始めた。


「本当に、伯爵令嬢が悪だったのか?」


「聖女が、裏で糸を引いたのでは?」


 口さがない噂の中でも、特に熱を持って語られたのは、次のような言説だ。


「謁見の間で、断罪を受けたとき。

 伯爵令嬢マーサは、帯剣していたはずだ。

 武器を帯びたまま謁見することが、貴族特権の一つだからだ」


「追放された令嬢は、武門の名家ヒーコックの娘。

 ひとたび剣を抜けば、誰も彼女に勝てなかった。

 マーサは、史上最強の女剣士だった」


「貴族は、裁きを不服とした時、剣での決闘によって決着をつける権利がある」


「謁見の間には、聖女リディもいたはずだ」


「なぜ、伯爵令嬢マーサ・ド・ヒーコックは、聖女リディ・ド・ザンヌを殺さなかったのか?」


 真実を語り得るマーサは、もう王都にはいない。

 あの場の真実を知るためには、過去を確かめなければならない。


 彼女の。

 いや。

 彼女()()の、過去を。





「……王子に擦り寄る女?」


 マーサは、侍女に訊き返した。

 侍女は、真っ赤に怒ってまくし立てた。


「ええ、そうなのです!

 平民の『聖女』が!

 毎日のように、お城に入り浸っているとか!

 まったく、浅ましいったら!」


「落ち着け、落ち着け。

 しかし、平民か……。

 よし、では一度会ってみよう」


「えっ? お嬢様?」


 マーサは、侍女を置き去りにして、さっさと城へ向かった。


「『聖女』に会いに来た。どこにいる?」


「す、すぐにお呼びいたします!」


 現れたのは、小柄で素朴な少女だった。

 ふわふわの金髪が愛らしい。

 マーサは、城の小部屋を借り、彼女に告げた。


「やあ。私は、マーサ・ド・ヒーコック。

 君が『聖女』か。名前は?」


「り、リディです。リディ・ド・ザンヌ。

 初めまして、マーサ様」


「『ド・ザンヌ』? 平民と聞いたが?」


「あの、養女なんです。

 『聖女』になって、お目に留まって」


「なるほど。

 さて、リディ。君は王子が好きなのかな?」


 リディは、目を白黒させた。

 真っ赤になって、手をばたばたさせた。


「えっ。どうして、あの、えっと」


「人づてに聞いた。

 ところで、私は王子と婚約しているんだ。

 政治的に面倒なことになる。

 率直に言うが、距離をおいてほしい」


「あわわ。は、はい、すぐにでもっ」


 リディは、あまりにも素直にうなずいた。

 マーサは、ちょっと首を傾げた。


「ずいぶん、諦めが良いのだな。

 王子に恋しているのでは?」


「ええと、あのう。

 これを話すのは、恥ずかしいのですが……」


「聞こう」


「私、恋物語が好きで。

 優しい王子様よりも、陰のある魔王様や、妖しい魅力の吸血鬼が好きで……。

 あの、ほ、本当にすみませんっ。

 私、全然、『聖女』じゃないですよね……」


 リディは、真っ赤になって、もじもじした。


 マーサは、ぽかんと口を開けた。

 それから、こらえきれずに笑った。


 その日、二人は親友になった。





 マーサとリディは、よく会うようになった。

 この日も、一緒に街を散策した。


 すると、穏やかならぬ場面に出くわした。

 貴族の私兵同士が、街中で抜剣して争っていた。


 リディは、「ひゃっ」と身をすくめた。

 マーサは、迷い無く割って入った。


「やめないか! 何を争っている!」


「やつらが先に剣を抜いた!」


「向こうが挑発したからだ!」


 互いに譲らず、ケリがつかない。

 マーサは、すごみをきかせて告げた。


「守るべき民の前で、みっともない真似をするな!

 私のような、か弱い婦女子が、もしも巻き込まれて怪我でもしたら、どうするつもりだ!」


「いや、お嬢様は、か弱くは……」


 兵士は、睨まれて黙った。

 野次馬の市民が、感心して言った。


「さすがは、ヒーコック家のお嬢様だ」


 そこへ、物陰にいたリディがやって来て、争っていた兵たちに申し出た。


「あのう。治療をしてもいいですか?」


「ややっ、これはどうも、すみません」


 リディの手から光がこぼれ、敵味方なく癒やしていく。

 若い市民は、息を呑んだ。


「あれが噂の『聖女』様か……!」


 騒ぎを収め、二人はその場を去った。

 浮かない顔のリディに、マーサは言った。


「これが、この国の現実だ。

 古い貴族と新しい貴族で、真っ二つに割れている。

 おかげで、民はひと苦労だ」


「……仲良くは、できないのでしょうか。

 私に何か、できることがあれば……」


「奇遇だな。私も同じことを思っていた」


 リディとマーサは、顔を見合わせた。

 マーサは、にこりとして言った。


「古い貴族の娘の、私と。

 新しい貴族で、平民の出の、君と。

 こうして仲良くなれたのも、何かの縁だと思わないか?」


「お、思いますっ!」


「決まりだな。

 世のため、人のため、友情のため。

 リディ。私たちは、協力しよう」


「はいっ、マーサさん!」





 武門の威光と、『聖女』の慈愛。

 二人の相性は、抜群だった。

 治安改善から貧民救済まで、マーサとリディは奔走した。

 人々は、二人が手を組む姿を見て、希望を抱いた。


 しかし、それを目障りに思う勢力もあった。


 ある時、マーサの侍女が駆け込んできた。


「お嬢様! 『聖女』めに、侮辱されたとか!」


「なにっ? いったい何の話だ!」


 同じ頃、リディの養父も言った。


「リディや。伯爵家の娘に、小間使い扱いされているそうだな。無理はするでない」


「えっ? そんなこと、私、全然……」


 マーサとリディは、あわてて相談した。

 どうやら、二人が険悪であるという、根も葉もない噂が、どこからともなく流されているようだ。

 噂に影響されている人々の数は、あまりに多い。


「……しばらく、距離を置くしかないようだ」


「寂しいです、マーサさん……。

 こんな噂、早く消えてほしい……」





 ところが、事態はさらに悪化した。

 リディを擁するザンヌ家が、次のようにマーサを訴えたのだ。


「ヒーコック伯爵家の娘マーサが『聖女』を害した。

 リディの持つロザリオを盗んで破壊した。

 それを防ごうとしたリディの侍女を傷つけた。

 そして、『聖女』の人望を妬み、リディが主催する炊き出しに、腐った食材を混ぜこんだ」


 マーサは、愕然とした。


「そのようなことは、していない!」


 しかし、糾弾は止まらない。

 貴族会議では、旧貴族と新貴族とが、連日、激しく罵りあった。

 国の政治は、停滞した。


 それを見かねて、教会が調停役を買って出た。


「『聖女』に関する事柄ですから、我々がことの真偽を確かめましょう」


 マーサもリディも、胸をなでおろした。


「教会ならば、安心だ」


 ところが、教会はこのように宣告した。


「破壊されたロザリオは、確かに我々が『聖女』に与えたもの。

 傷つけられた侍女も、確かに我々が『聖女』のためにつけた付き人。

 伯爵令嬢マーサに、罪あり」


 信じられない思いであった。

 マーサは、衛士に捕らえられた。

 そして、城の一室に幽閉された。

 彼女の運命は、さだまった。





 明日、マーサは謁見の間に引き出される。

 貴族らの面前で、王族による裁きを受けるのだ。


 断罪前夜のマーサの部屋に、忍んで来る者がいた。

 リディだった。


「リディ。どうしてこんな危険な真似を」


「マーサさん、あなたに会うためです。

 ごめんなさい。

 私、確かめました。

 すべて、ザンヌ家が仕組んだことだったのです。

 お養父様は、私たちの協力に反対だったのです。

 古い貴族が邪魔だったのです」


「そうか。では、おそらく、教会も……。

 裏で繋がっていたのだな」


「ごめんなさい、マーサさん。

 あなたを助けたかったのに。

 今日までに、確かな証拠が用意できなかった……」


 泣きじゃくるリディの肩を抱き、マーサは落ち着いてなぐさめた。


「諦めてはいけない。

 この国は、まだ終わっていない。

 私たちの戦いも。

 リディ。私たちのやってきたことは、決して間違いではないよ。そうだろう?」





 その翌日。

 謁見の間にて。

 王子は、血の気のない顔で、宣告文を読み上げた。

 マーサは黙って聞いていた。

 そして、静かに一礼し、無実の罪を受け入れた。


 彼女はこの日、帯剣していた。

 それが貴族の特権だから。

 しかし、剣は抜かなかった。

 決闘裁判では、時代のうねりを断ち切れないから。


 伯爵令嬢、マーサ・ド・ヒーコック。

 彼女はなぜリディ・ド・ザンヌを殺さなかったのか。


 それは、生まれも性格も異なるこの二人が、初めから敵ではなかったからである。





 そして、現代。

 時代の勝者と目されているはずの『聖女』リディは、暗がりで息を潜めていた。

 時刻は深夜。

 場所は、大司教の邸宅の物陰。


(ようやく、ここまで来た……!

 ザンヌ家と教会の癒着を示す証拠がここにある!)


 リディは、胸に手を当てて祈った。


(マーサさん。私、一人でも戦います。

 二人で目指した未来のために……!)


「お嬢ちゃん。ここで何してるのかなあ?」


 はっと顔を上げたが、遅かった。

 何人もの男たちが、リディを囲んでいた。

 剣には、ザンヌ家の紋章があった。


「あんたは、もう用済みなんだとよ」


 刺客は、次々と剣を抜いた。

 リディは、青ざめてうずくまった。

 しかし、その時。


「ぎゃっ!」


「な、なんだこいつ! どこから!」


「くそ、強すぎる……ぐああ!」


 リディは、ぽかんとしてそれを見ていた。

 音もなく現れた一人の剣士が、刺客をばたばたとなぎ倒していくのを。

 ことが済んだ後、剣士はリディに手を差し伸べた。


「遅くなってすまない。苦労をかけたな」


「あなたは……まさか!」


 ローブのフードを目深に被った剣士は、ほほえんだ。

 懐かしい黒髪が、さらりとこぼれた。


「言っただろう。まだ終わっていないと」


 リディの頬を、熱い涙が流れた。

 そして、「……はいっ!」と、剣士に抱きついた。

 剣士もまた、リディの背中を優しくさすった。





 その後、リディ・ド・ザンヌは、表舞台から姿を消した。

 教会は「『聖女』は神の御許に召された」と、彼女の死を発表した。

 盛大な葬儀がおこなわれ、ザンヌ家の当主も涙を流した。


 しかし、間もなく、民の間に噂が広まった。


「聖女に似た女性を、辺境で見かけた」


「麗しい騎士と慈悲深い女性が、賊を退治した」


「名を伏せた二人組が、飢饉の村に食料を届けた」


「もしや、聖女は生きているのでは?」


 教会は「噂に過ぎない」と一蹴したが、否定すればするほど、疑惑は深まった。


 同じ噂を、王子も聞いていた。

 彼は、考えた。


 教会の発表は、やけに曖昧だった。

 ザンヌ家は、妙に沈黙している。

 民の噂には、具体性がある。


 そして、ほほえんだ。


(二人は、きっと生きている。

 今も、この国のために、戦っている)


 病床の父の代わりに、若いうちから重責に晒され、侮られてきた王子であった。

 婚約者と友人と、二人の女性を守れなかった。

 この一年、無力感にうつむいてきた。


 王子は、力強く顔を上げた。


(ならば私は、彼女たちの献身に値する国を作らねばならぬ)


 ちょうど、侍従が呼びに来た。

 これから、貴族会議が始まる。

 王子は、まっすぐ背を伸ばし、一歩ずつ確かな足取りで、戦いの場へと歩いていった。

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― 新着の感想 ―
若い聖女のバナナをいっちょ揉んだんですかね・・・
歌劇団で観てみたいです(^O^☆♪ 王子につい最後に触れているのも好きです。 ほろっと涙。
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