伯爵令嬢はなぜリディ・ド・ザンヌを殺さなかったのか
「マーサ・ド・ヒーコック。
そなたとの婚約を、ここに破棄する」
王子は、謁見の間で、淡々と告げた。
「あわせて、そなた個人の貴族籍を剥奪し、王都より追放する。
『聖女』への不当な振る舞い、看過できぬ。
申し開きがあれば述べよ」
あらゆる貴族が、固唾を呑んで見守っていた。
この国で最も古く、最も誇り高き貴族の娘であるマーサが、いったいどう出るのかを。
果たして。
「……仰せのままに」
マーサ・ド・ヒーコックは、抗わなかった。
婚約者であった王子に一礼し、広間を去った。
涙のひとすじも見せず。
その場に残った貴族たちは、沈黙した。
一瞬ののち、弾かれたようにどよめいた。
動乱に包まれた謁見の間で、最後まで口を引き結んでいたのは、二人。
判決を言い渡した王子。
そして、此度の事件を引き起こした張本人。
『聖女』、リディ・ド・ザンヌであった。
これが世に言う、「伯爵令嬢断罪事件」である。
事件を皮切りに、王国貴族たちの力関係もまた、変化の時を迎えた。
古来より王家を支えたヒーコック家の衰退は、『伝統的な封建貴族』と、『新時代の成金貴族』との勢力図を大きく書き換えた。
しかし、事件から一年が経った頃。
人々は、このように噂し始めた。
「本当に、伯爵令嬢が悪だったのか?」
「聖女が、裏で糸を引いたのでは?」
口さがない噂の中でも、特に熱を持って語られたのは、次のような言説だ。
「謁見の間で、断罪を受けたとき。
伯爵令嬢マーサは、帯剣していたはずだ。
武器を帯びたまま謁見することが、貴族特権の一つだからだ」
「追放された令嬢は、武門の名家ヒーコックの娘。
ひとたび剣を抜けば、誰も彼女に勝てなかった。
マーサは、史上最強の女剣士だった」
「貴族は、裁きを不服とした時、剣での決闘によって決着をつける権利がある」
「謁見の間には、聖女リディもいたはずだ」
「なぜ、伯爵令嬢マーサ・ド・ヒーコックは、聖女リディ・ド・ザンヌを殺さなかったのか?」
真実を語り得るマーサは、もう王都にはいない。
あの場の真実を知るためには、過去を確かめなければならない。
彼女の。
いや。
彼女たちの、過去を。
「……王子に擦り寄る女?」
マーサは、侍女に訊き返した。
侍女は、真っ赤に怒ってまくし立てた。
「ええ、そうなのです!
平民の『聖女』が!
毎日のように、お城に入り浸っているとか!
まったく、浅ましいったら!」
「落ち着け、落ち着け。
しかし、平民か……。
よし、では一度会ってみよう」
「えっ? お嬢様?」
マーサは、侍女を置き去りにして、さっさと城へ向かった。
「『聖女』に会いに来た。どこにいる?」
「す、すぐにお呼びいたします!」
現れたのは、小柄で素朴な少女だった。
ふわふわの金髪が愛らしい。
マーサは、城の小部屋を借り、彼女に告げた。
「やあ。私は、マーサ・ド・ヒーコック。
君が『聖女』か。名前は?」
「り、リディです。リディ・ド・ザンヌ。
初めまして、マーサ様」
「『ド・ザンヌ』? 平民と聞いたが?」
「あの、養女なんです。
『聖女』になって、お目に留まって」
「なるほど。
さて、リディ。君は王子が好きなのかな?」
リディは、目を白黒させた。
真っ赤になって、手をばたばたさせた。
「えっ。どうして、あの、えっと」
「人づてに聞いた。
ところで、私は王子と婚約しているんだ。
政治的に面倒なことになる。
率直に言うが、距離をおいてほしい」
「あわわ。は、はい、すぐにでもっ」
リディは、あまりにも素直にうなずいた。
マーサは、ちょっと首を傾げた。
「ずいぶん、諦めが良いのだな。
王子に恋しているのでは?」
「ええと、あのう。
これを話すのは、恥ずかしいのですが……」
「聞こう」
「私、恋物語が好きで。
優しい王子様よりも、陰のある魔王様や、妖しい魅力の吸血鬼が好きで……。
あの、ほ、本当にすみませんっ。
私、全然、『聖女』じゃないですよね……」
リディは、真っ赤になって、もじもじした。
マーサは、ぽかんと口を開けた。
それから、こらえきれずに笑った。
その日、二人は親友になった。
マーサとリディは、よく会うようになった。
この日も、一緒に街を散策した。
すると、穏やかならぬ場面に出くわした。
貴族の私兵同士が、街中で抜剣して争っていた。
リディは、「ひゃっ」と身をすくめた。
マーサは、迷い無く割って入った。
「やめないか! 何を争っている!」
「やつらが先に剣を抜いた!」
「向こうが挑発したからだ!」
互いに譲らず、ケリがつかない。
マーサは、すごみをきかせて告げた。
「守るべき民の前で、みっともない真似をするな!
私のような、か弱い婦女子が、もしも巻き込まれて怪我でもしたら、どうするつもりだ!」
「いや、お嬢様は、か弱くは……」
兵士は、睨まれて黙った。
野次馬の市民が、感心して言った。
「さすがは、ヒーコック家のお嬢様だ」
そこへ、物陰にいたリディがやって来て、争っていた兵たちに申し出た。
「あのう。治療をしてもいいですか?」
「ややっ、これはどうも、すみません」
リディの手から光がこぼれ、敵味方なく癒やしていく。
若い市民は、息を呑んだ。
「あれが噂の『聖女』様か……!」
騒ぎを収め、二人はその場を去った。
浮かない顔のリディに、マーサは言った。
「これが、この国の現実だ。
古い貴族と新しい貴族で、真っ二つに割れている。
おかげで、民はひと苦労だ」
「……仲良くは、できないのでしょうか。
私に何か、できることがあれば……」
「奇遇だな。私も同じことを思っていた」
リディとマーサは、顔を見合わせた。
マーサは、にこりとして言った。
「古い貴族の娘の、私と。
新しい貴族で、平民の出の、君と。
こうして仲良くなれたのも、何かの縁だと思わないか?」
「お、思いますっ!」
「決まりだな。
世のため、人のため、友情のため。
リディ。私たちは、協力しよう」
「はいっ、マーサさん!」
武門の威光と、『聖女』の慈愛。
二人の相性は、抜群だった。
治安改善から貧民救済まで、マーサとリディは奔走した。
人々は、二人が手を組む姿を見て、希望を抱いた。
しかし、それを目障りに思う勢力もあった。
ある時、マーサの侍女が駆け込んできた。
「お嬢様! 『聖女』めに、侮辱されたとか!」
「なにっ? いったい何の話だ!」
同じ頃、リディの養父も言った。
「リディや。伯爵家の娘に、小間使い扱いされているそうだな。無理はするでない」
「えっ? そんなこと、私、全然……」
マーサとリディは、あわてて相談した。
どうやら、二人が険悪であるという、根も葉もない噂が、どこからともなく流されているようだ。
噂に影響されている人々の数は、あまりに多い。
「……しばらく、距離を置くしかないようだ」
「寂しいです、マーサさん……。
こんな噂、早く消えてほしい……」
ところが、事態はさらに悪化した。
リディを擁するザンヌ家が、次のようにマーサを訴えたのだ。
「ヒーコック伯爵家の娘マーサが『聖女』を害した。
リディの持つロザリオを盗んで破壊した。
それを防ごうとしたリディの侍女を傷つけた。
そして、『聖女』の人望を妬み、リディが主催する炊き出しに、腐った食材を混ぜこんだ」
マーサは、愕然とした。
「そのようなことは、していない!」
しかし、糾弾は止まらない。
貴族会議では、旧貴族と新貴族とが、連日、激しく罵りあった。
国の政治は、停滞した。
それを見かねて、教会が調停役を買って出た。
「『聖女』に関する事柄ですから、我々がことの真偽を確かめましょう」
マーサもリディも、胸をなでおろした。
「教会ならば、安心だ」
ところが、教会はこのように宣告した。
「破壊されたロザリオは、確かに我々が『聖女』に与えたもの。
傷つけられた侍女も、確かに我々が『聖女』のためにつけた付き人。
伯爵令嬢マーサに、罪あり」
信じられない思いであった。
マーサは、衛士に捕らえられた。
そして、城の一室に幽閉された。
彼女の運命は、さだまった。
明日、マーサは謁見の間に引き出される。
貴族らの面前で、王族による裁きを受けるのだ。
断罪前夜のマーサの部屋に、忍んで来る者がいた。
リディだった。
「リディ。どうしてこんな危険な真似を」
「マーサさん、あなたに会うためです。
ごめんなさい。
私、確かめました。
すべて、ザンヌ家が仕組んだことだったのです。
お養父様は、私たちの協力に反対だったのです。
古い貴族が邪魔だったのです」
「そうか。では、おそらく、教会も……。
裏で繋がっていたのだな」
「ごめんなさい、マーサさん。
あなたを助けたかったのに。
今日までに、確かな証拠が用意できなかった……」
泣きじゃくるリディの肩を抱き、マーサは落ち着いてなぐさめた。
「諦めてはいけない。
この国は、まだ終わっていない。
私たちの戦いも。
リディ。私たちのやってきたことは、決して間違いではないよ。そうだろう?」
その翌日。
謁見の間にて。
王子は、血の気のない顔で、宣告文を読み上げた。
マーサは黙って聞いていた。
そして、静かに一礼し、無実の罪を受け入れた。
彼女はこの日、帯剣していた。
それが貴族の特権だから。
しかし、剣は抜かなかった。
決闘裁判では、時代のうねりを断ち切れないから。
伯爵令嬢、マーサ・ド・ヒーコック。
彼女はなぜリディ・ド・ザンヌを殺さなかったのか。
それは、生まれも性格も異なるこの二人が、初めから敵ではなかったからである。
そして、現代。
時代の勝者と目されているはずの『聖女』リディは、暗がりで息を潜めていた。
時刻は深夜。
場所は、大司教の邸宅の物陰。
(ようやく、ここまで来た……!
ザンヌ家と教会の癒着を示す証拠がここにある!)
リディは、胸に手を当てて祈った。
(マーサさん。私、一人でも戦います。
二人で目指した未来のために……!)
「お嬢ちゃん。ここで何してるのかなあ?」
はっと顔を上げたが、遅かった。
何人もの男たちが、リディを囲んでいた。
剣には、ザンヌ家の紋章があった。
「あんたは、もう用済みなんだとよ」
刺客は、次々と剣を抜いた。
リディは、青ざめてうずくまった。
しかし、その時。
「ぎゃっ!」
「な、なんだこいつ! どこから!」
「くそ、強すぎる……ぐああ!」
リディは、ぽかんとしてそれを見ていた。
音もなく現れた一人の剣士が、刺客をばたばたとなぎ倒していくのを。
ことが済んだ後、剣士はリディに手を差し伸べた。
「遅くなってすまない。苦労をかけたな」
「あなたは……まさか!」
ローブのフードを目深に被った剣士は、ほほえんだ。
懐かしい黒髪が、さらりとこぼれた。
「言っただろう。まだ終わっていないと」
リディの頬を、熱い涙が流れた。
そして、「……はいっ!」と、剣士に抱きついた。
剣士もまた、リディの背中を優しくさすった。
その後、リディ・ド・ザンヌは、表舞台から姿を消した。
教会は「『聖女』は神の御許に召された」と、彼女の死を発表した。
盛大な葬儀がおこなわれ、ザンヌ家の当主も涙を流した。
しかし、間もなく、民の間に噂が広まった。
「聖女に似た女性を、辺境で見かけた」
「麗しい騎士と慈悲深い女性が、賊を退治した」
「名を伏せた二人組が、飢饉の村に食料を届けた」
「もしや、聖女は生きているのでは?」
教会は「噂に過ぎない」と一蹴したが、否定すればするほど、疑惑は深まった。
同じ噂を、王子も聞いていた。
彼は、考えた。
教会の発表は、やけに曖昧だった。
ザンヌ家は、妙に沈黙している。
民の噂には、具体性がある。
そして、ほほえんだ。
(二人は、きっと生きている。
今も、この国のために、戦っている)
病床の父の代わりに、若いうちから重責に晒され、侮られてきた王子であった。
婚約者と友人と、二人の女性を守れなかった。
この一年、無力感にうつむいてきた。
王子は、力強く顔を上げた。
(ならば私は、彼女たちの献身に値する国を作らねばならぬ)
ちょうど、侍従が呼びに来た。
これから、貴族会議が始まる。
王子は、まっすぐ背を伸ばし、一歩ずつ確かな足取りで、戦いの場へと歩いていった。




