第五話:予算の耳、三十分
朝の政務室は紙の匂いが濃い。窓辺に書類の山、机に封筒が三つ。
(レイ)「大変なことになりましたね」
(魔王)「大変なことになったね」
白手袋の拳がこつんと陛下の頭に軽く触れた。
(レイ)「陛下が実務を私に任せきりにするから、財務局での発言力が無いんですよ」
(魔王)「ごめんよー。ぼく、説明が苦手で……おやつの交渉なら得意なんだけど」
(私)「(オフモード)な、何かあったんですか? ……もしかして私のメタルでなにか……問題でも?」
(レイ)「いつもなら考えすぎなのですが……実は」
私はぱたんと仰向けに倒れた。天井の木目がまっすぐ刺さる。
(私)「……優しく殺してください」
こめかみからつーっと涙がこぼれた。
(魔王)「いやぁー! ルカちゃん死んじゃいやよ! 楽しくなってきたばっかじゃない!」
(カリナ)「死んだら私と同じだね」
(レイ)「死にません。説明します」
(レイ)「要点です。――新規二名加入で交付申請が閾値を超えました。財務局の効果査察、通称『耳』が来ます」
(レイ)「見るのは王国の利益になるかどうか。直収益だけでなく、周辺売上・人の流れ・治安・士気まで含めた広義の利益です」
(レイ)「条件は三つ――三十分の査察窓、音量規定内、過度な演出禁止。曲は必須ではありません。ただし利益の兆しを“数字で見せる”必要があります」
(魔王)「ぼくの発言力が弱いのは、レイに任せきりだったから……ごめん」
(レイ)「今は合格を取りに行きましょう」
(私)「(起き上がる)了解。なんだ…ライブしろってことか。三十分、A→B→Cだけで心を揃える。」
◆
石畳の輪。私は二人の前に立ち、本番用の練習メニューを短く切って渡した。
(私)「A=Eだけ。置くだけで勝てる。
B=E–D–C–Bの4コード往復。
C=止め→無音//→置く。迷ったらCでゼロに戻す。
5分×6ブロックで回す。BPMは130→140。視線は私固定」
(カリナ)「(小声)A了解。E、E、E……」
(ヴェルベット)「(小声)B了解。E–D–C–B、落ち着いて」
(私)「始めよう」
◆
中庭。屋台の白札(売上板)が吊られ、灰色の外套が三つ並ぶ。
(査察官)「開始」
(私)「無言の準備――今」
0–3分、呼吸をそろえる。旗の揺れは外へ流れる。
(私)「A いく。置く」
チャッ、チャッ、チャッ、チャッ。Eのペダルが石畳に落ちる。
(カリナ)「(小声)1、2、3、4……次、音を変えて……」
(ヴェルベット)「(小声)ずれないか怖い……手が震える」
顔は下、目はフレットと足。二人とも必死だ。楽しんでる顔ではない。
私は言葉を足さない。ただ、呼吸を見せる。止めを落とせる準備だけ、しておく。
10分。屋台の白札が「×7」「×11」と増え、査察官の筆記具が満足そうに止まる。
(私)「B いく。4コード」
E–D–C–B……戻る。外は見ない。
(私)「C」
無音//。観客の息が揃う。
(私)「私だけ置く(短い旋律)」
売上板が「×15」に跳ねた。
――そこで、胸の奥で何かが冷えた。
視界の端で、(カリナ)の口元が硬い。カウントを噛む音。
(ヴェルベット)の微笑は外向けに保てているけれど、内側の肩が上がったまま下りない。
必死だ。楽しくなるために必死――だけど、いまは楽しくなっていない。
(私)「(胸の声)……ちがう。これ、メタルじゃない」
私は静かに前へ出た。器を抱え直し、石畳に低く叩きつける。甲高い破壊音ではない。鈍い、終止符。
ネックが折れた。
(周囲)「えっ」「わっ」「きゃっ」
(カリナ)「る、ルカちゃん!? どうしちゃったの?」
(ヴェルベット)「ご、ごめんね!? 私がずれちゃったから――」
(私)「……違う。いまの私は、楽しくない。こういうやり方は、私のメタルじゃない。ごめん」
声は小さい。私は輪から歩いて離れた。
(カリナ)「る、ルカちゃん、待って……」
(魔王)「大丈夫だよ! ここは大人に任せて。君たちも頑張ったね、少し休憩してて」
◆
自室。私は床に大の字になった。
(私)「(胸の声)また、やってしまった……。昔も。デビューがかかったオーディション。幼馴染の四人。みんな評価ばかり見て、楽しくなかった。私は売れたいからじゃない。好きだから、メタルをやる。楽しいから――それだけなのに」
(私)「また……ひとりぼっちか……」
ノック。
(魔王)「ルカちゃーん! クッキー焼けたよ。一緒に食べない?」
私は無言で扉を開けた。
(私)「ごめんなさい……むちゃくちゃにしちゃって」
(魔王)「んー? いいライブだったよ! ルカちゃんのギターがギュイーンってしてさ、ずんずんリズムに合わせて骨に響いてさー、なんだろー生きてるって感じがしたんだよね。ははは」
(私)「……お世辞なんていらないですよ」
(魔王)「お世辞!? とんでもない。本当に心の底から楽しめたよ。神に誓う――あ、ぼく魔王なんだけどね。はは……いつもだとレイちゃんに拳骨されるから身構えちゃうね」
(私)「……ふふ。私は全然楽しめなかった」
魔王はあたたかい。普段なら喉で詰まる言葉が、自然に出た。
(私)「私……いやなんです。みんなで楽しめないと。売れ行きなんて正直どうでもよかった。ただ、みんなとの初合わせで舞い上がっちゃって……バカですよね。みんな初心者で緊張してるのに」
涙がこぼれた。魔王は背をさすってくれた。
(魔王)「うんうん。ルカちゃんは本当にいい子。みんないい子。……安心して。耳をすましてみて」
遠くから――
(観客たち)「うおおおおお!!」
じゃりーん、べんべんべん。
(観客B)「あ、あら?」
(観客C)「わははは! ミスってもかわいい!!」
(ヴェルベットの声)「可愛いはありがと! でも、ミスってないわよ?」
つたない音出し。それでも、歓声がかぶさっている。
(魔王)「ほらね? みんな待ってる。ルカちゃんの“みんなが楽しい”に、お客さんは入ってないのかな。みんな、君を待ってるよ」
◆
私は走った。ステージ裏の影に、カリナの背が見える。
(カリナ)「え、えーと……ハーモニクスやります」
ピー。雑音まじりの高音。でも――
(観客たち)「ウォーーッ!!」
(観客A)「あの器なんなんだ! かっこいい音!」
(観客D)「俺も欲しい!」
歓声に包まれて、二人の肩が下りた。
いま、二人は必死に“楽しもうとしている”。
求められたことを、ただ返す。ライブの魔力に、身をささげていく。
(魔王)「ほら。行ってらっしゃい」
背中をそっと押される。
(私)「で、でも、ギターも壊しちゃったし……」
(ドルン)「何をしとるんじゃおまえは。最高傑作を壊しおって」
ドワーフ――ドルンが、無言で黒いケースを差し出した。
(ドルン)「ほれ。お前さんが前の世界から持ってきた器だ。首とジョイントを補強しておいた。角度も前より“置きやすく”しとる**」
(私)「……ありがとう」
涙がまた来る。飲み込んで、ただ頷いた。
(私)「行ってきます」
(魔王)「行ってらっしゃい! 楽しんでね!」
◆
ライトの先に二人。
(カリナ)「ルカちゃん! 戻ってきてくれると思ってた! ライブって楽しいね! メタルさいこー!」
(ヴェルベット)「ルカー! 次は、次は何をしたらいいの!? 私もう今だったら何でもしちゃいそう! ……脱ぐ?♡」
(私)「脱がない。A→B→Cで行く。止めて、置く。……湧かすよ、オーディエンス」
(観客たち)「おおおおおおお!!!」
熱が上がる。私は二人を見て、数えず手を上げた。
(私)「カウントなし――今」
同時に置けた。AのEが太い線で揃う。Bで4コードが回り、Cで無音が落ちる。
無音が、歓声より大きい音になる。
(私)「ソロ入る。8小節だけ」
新しい器は、置いた分だけ返す。青い線が空にかかる。
私は走らない。止める→置くの繰り返しで、観客の呼吸を連れていく。
(カリナ)「合わせる――E、E、E……!」
(ヴェルベット)「(外へ微笑)ナイス。中は静かに」
ボルテージが上がる。前列で気絶しかけた誰かを近衛が支える。
でも秩序は崩れない。止めがあるから。
(私)「最後――止めて、置く」
無音。
(私)「メタル最高!!!」
(二人)「メタル最高!!!」
(観客たち)「メタル最高ーーー!!!」
カウントなしで、もう一度同時に置けた。
それは三人のゼロが同じ場所にある証拠だった。
◆
終わって、私は笑っていた。心の底から。
今日、続いたもの――止め、置く、みんなの楽しさ。
今日、壊したもの――古い怖さと、ひとりで背負う癖。
明日はまた、ゼロから置くだけだ。
◆
ライブ会場近くの露店。香ばしい焼き串の匂いの中、ひときわ艶やかな笑い声が混じった。
「んー♡ なんか面白そうな音ねぇ……ふふっ、近くで聴きたかったわ」
色気をまとった女魔族が、指先でリズムを刻みながら立ち止まる。
「モルヴェラ様、ただいま視察が完了いたしました。観客たちは大盛り上がり、露店の売り上げも爆増。彼女たちの演奏が十分に集客につながっていると証明できま…」
「だーめ♡」
「……はい?」
「だ・め。書類だけで終わらせるなんてつまらないじゃない。――この耳で、私が直接“監査”しないとね♡」
赤い瞳が楽しげに細められる。
魔王領の財務局トップ、モルヴェラ。彼女のわがままは、この日を境に正式な命令となった。