死罪寸前の私、冷酷処刑人を籠絡して生き延びます!
無実の罪で投獄された。
石壁の牢獄は冷たくて、心が挫けそうになる。けれど私には嘆いている暇なんてない。
だって三日後には斬首刑が決まっているのだから。
首が繋がっているうちにどうにかここから逃げ出さなければ。
「アルメリア伯爵家長女リセルで間違いないな」
鉄格子の向こうから声がした。
ランプを持った看守がこちらに話しかけているのだ。
そしてその後ろにいるのが――。
(処刑人ヴェクター・ノクス……!)
国で唯一、罪人への刑を執行する権利を持つ階級「処刑人」。
彼が私の担当。つまりこのヴェクターが三日後に私の首を切り落とす男だ。
薄暗い中でも目立つ銀の髪と、紫水晶を思わせる硬質で怜悧な瞳。腹が立つほど美しい男の顔にはなんの表情も浮かんでいない。
ヴェクターは、代々処刑人を務めるノクス家の中でも、もっとも残忍だと評される人物だ。
隙をついて逃げようにも、その隙がまるで見つからない。
「返事をしろ、リセル・アルメリア!」
「……はい」
看守が私を急き立てる。その怒声よりも、なにを考えているのかわからないヴェクターの様子が数倍怖かった。
「リセル・アルメリア。本人確認ができなければ、偽物と見做して即刻首をはねる。次回からはすぐ返事をするように」
「は、はい」
私は慌てて何度も頷いた。
これ以上寿命が縮んでは困る。
無実の罪を晴らすのはもう諦めた。誰一人、私の訴えをまともに聞いてくれなかったからだ。
けれど命まで諦めたつもりはない。
「最期の言葉を言う気になったか」
ヴェクターが抑揚のない声で問うてくる。
罪人の最期の言葉を聞き届けるのも、処刑人の仕事の一つだ。だから彼は数日前から、こうして牢の前に訪れては私の言葉を記録しにやってくる。
それをのらりくらりかわして、今に至るというわけだ。
「……こんなところで最期の言葉だなんて、無粋ですわ。どこまで堕ちても伯爵令嬢としての矜持がございます。もっと綺麗な……素敵な景色の見える場所で言葉を残したいわ」
「貴様っ、罪人がぬけぬけと……!」
額に青筋を浮かべる看守をヴェクターが手で制する。
これは賭けだ。
処刑までに罪人の言葉を記録し損ねたとなれば、処刑人としての恥。一つのミスも許さないと噂されるヴェクターがそんな事態を許すはずがない。
だから少しくらいは私の言うことを聞き入れるんじゃ――。
「わかった」
抑揚のない声でヴェクターが言う。
そして驚くほどあっさりと、牢の扉は開けられた。
◇
屋敷の三階の部屋では、北向きの窓が開け放たれて気持ちのいい風が吹き込んでくる。
なびく髪を押さえながら私はおずおずと振り返った。
「あの……これは一体?」
「綺麗な景色とやらだ」
すぐ後ろに立っていたヴェクターが淡々と言う。
困惑したまま、私は景色へと向き直った。
牢を出られたのはいい。
しかし連れてこられたのはここ、小高い丘の上にあるヴェクターの邸宅だった。
ひらけた野原にでも連れて行ってくれると期待していたのに、とんだ計算違いだ。まさか敵の本拠地に来るなんて。
(たしかに景色は綺麗かもしれないけれど……)
窓からは町の景色が一望できる。
もちろん、ギロチン台が鎮座する中央広場も。
私が三日後に首をはねられる予定の場所だ。ヴェクターの仕事場でもある。
自分が罪人の命を奪う場所。一体この男は毎日どんな気持ちでこの景色を眺めているのだろう。
「気は済んだか」
返事をするより先に手を取られる。そして手首にガシャンと重い手錠がはめられた。
そして反対側は、鉄柵状になっている寝台のヘッドボードに繋がれる。がちゃがちゃやると金属が触れ合う硬質な音がした。とてもじゃないが外れそうにない。
「ど、どうして」
「休みたければその寝台を使え。横になっても景色は見える」
「い、いやよ!」
「立っていたいなら窓枠にでも繋いでおいてやるが」
返答を間違えると棒立ちのまま過ごすことになりそうなので、私は一度口をつぐんだ。
(落ち着くのよ。まだ状況は最悪と決まったわけじゃないわ)
ここはヴェクターの私室だ。
プライベートな空間なら、気も緩むことがあるだろう。
力尽くで手錠を外すのは無理そうだが、隙をついて逃げることは可能なはず。
(牢よりはいくらかマシね。ここでヴェクターを丸め込んできっと逃げ延びるわ。血も涙もない処刑人だって、惚れた女になら弱いはずだし)
幸いなことに、私の容姿は男を手玉に取るのに向いている。
艶やかな長い金髪も、大きな青い瞳も、舞踏会ではよく褒められた。
女性に興味を示さないことで有名な王太子だって、わざわざ私の元へやってくるくらいだ。だから客観的に見てそれなりに美しいのだろう。
私は寝台に腰掛け、頬に手を添えるとうっとりとした眼差してヴェクターを見つめた。
「ヴェクター様ってとても綺麗なお顔をしていらっしゃるのね。素敵だわ。こちらへ来て。もっとよく見せて?」
媚びるように小首を傾げる。
普段の自分ならこんな見え透いたぶりっこ仕草、恥ずかしいから絶対にやらない。
けれど今は命がかかっているのだ。なりふりかまっていられない。
(イザベリーナを頭に思い描くのよ……!)
私は自分の従姉妹を必死に思い出していた。
男性の視線を独り占めしないと気が済まないイザベリーナ。自分をかわいく見せる技術は数え切れないほど持ち合わせていた。
それだけにしておけばいいのに彼女は他人を蹴落とすことにも余念がなかった。
狙っている男性といい雰囲気になった女がいれば、自分の友人であろうが、私物を隠したり怪我をさせたり。そのたび私に「生意気な女を蹴落とした」と自慢してくるのだ。
外面のいい彼女がそんなことをしているなんて誰も信じなかったから、被害に遭った女性たちは泣き寝入りだった。
私も再三注意したけれど聞き入れられることはなかった。
そんなイザベリーナの真似だなんて不本意だけれど今はしかたない。
「こんな素敵な方みたことがないわ。うっとりしちゃう……」
「……それが最期の言葉か?」
「え?」
「今のが最期の言葉なら記録する。首をはねる前に公表することになるが」
「い、いやですわ! 今のは二人だけの秘密よ! ヴェクター様への愛の言葉をみんなの前で公表なんて無粋ですわ!」
危ない……!
記録を取られたら、ヴェクターが私をここに連れてきた理由がなくなる。そしたらまた牢に逆戻りで、処刑まで外界との接点が消滅してしまう。それだけは避けなければ。
「さっさと最期の言葉を言え。難しくはないはずだ」
「そ、そうかしら。ヴェクター様を前にしたら思い浮かぶのは愛の言葉だけだわ。あなたが好きなんだもの」
ヴェクターの眉がぴくりと動く。
(お、怒らせた? やりすぎ……?)
「普通なら、家族への懺悔や……無実の訴えが多い。お前はそういう言葉を残さなくていいのか」
私はぐっ、と唇を噛みしめた。
(だって、無実の訴えなんて誰も信じてくれなかったじゃない……)
私が処刑されるに至ったのは、数ヶ月前の女王誕生祭での事件がきっかけだ。
女王の父親――つまり、先代の国王は、長年領地争いを繰り広げていた隣国との争いに巻き込まれて、何年も前に命を落としている。
隣国の国旗が目もくらむような鮮やかな赤色だったことから、女王は今でも赤色が大嫌いで、決して赤いものをを身につけることはない。
それは国民の誰もが知っていた。
誕生祭の日も、女王は純白のドレスに身を包んでおり、もちろん赤色はアクセサリーを含めてどこにも入っていない。
私の用意したプレゼントは、サファイヤの首飾りだ。
今日のファッションにもきっと似合うと安堵した。これなら喜んでもらえるだろう。
来賓が次々にプレゼントを渡していく。女王はそれをにこやかに受け取っていた。
そして私の番が来た。
つつがなく挨拶を終え贈り物を渡すと、女王が包みを開ける。
笑顔で受け取ってくれるはずと思ったのに、女王の反応は予想とは違っていた。
顔から一気に血の気が引き、表情が不快そうに歪んだのだ。
「一体どういうつもりです」
震える声は怒りを押し殺しているのが明らかで。
私をはじめ、周囲の人がプレゼントの箱を覗き込む。
そこには首飾りが入っていた。けれど、私が選んだ品とは違う。
サファイヤではなく、毒々しいほど真っ赤な宝玉がふんだんにあしらわれた、下品なデザインの首飾りだ。
「これはシンシャだ……!」
箱を見ていた誰かが叫ぶ。
シンシャは強い毒性のある鉱物だ。
女王が忌み嫌う赤い石。しかも毒を持っている。
そんなものを贈るだなんて、思想はただ一つ。
「捕らえよ!」
私は国家反逆罪に触れたとして拘束された。
何度も違うと言った。けれど誰も信じてくれなかった。だって私がプレゼントを渡したのをたくさんの人が見ていたから。
もちろん身に覚えがない。けれど真実は私の身を救ってはくれなかった。
だったら、嘘で逃げ延びるしかないでしょう?
(私がやるべきことは一つなのよ)
私は胸を強調するようにぐっと上半身を乗りだした。
「今はヴェクター様の事しか考えたくないわ。あなたにならめちゃくちゃにされたって構わない」
じっと私を見下ろしていたヴェクターは、ふいと視線を逸らすと、そのまま部屋を出て行った。
なにを考えているのかまるでわからない男だ。
けれど今はこの馬鹿な色仕掛けに懸けるしかない。
夕刻になってヴェクターは部屋に戻ってきた。
自分の食事を済ませてきたらしい。
意外なことに私の分の食事が載ったトレイを持ってきた。
パンとスープだけの簡単な食事だったけれど、逃亡するにも体が資本。体力をつけるに越したことはないのですべてたいらげた。
湯浴みがしたいという要望は却下された。
要求が通れば手錠を外してもらえる千載一遇のチャンスだったのに。残念だったけれど、これは明日以降また挑戦してみよう。
「最期の言葉を言う気になったら起こせ」
日が沈むと、ヴェクターはそう言って長椅子に横になった。
当たり前のように寝台を私に譲る気らしい。少し驚いた。
「こんな夜に一人寝だなんて寂しいですわ。どうか隣に」
猫なで声は無視される。
隣にいたほうが色仕掛けもしやすいのだがしかたない。
こうなったら次の作戦だ。
「では、おやすみなさいヴェクター様」
ごろりと横になり、しばらくしてから規則的な寝息を立てる。もちろん狸寝入りだ。
「うぅん……」
鼻に掛かった声でうめくと大げさに寝返りを打った。
ばさり、と衣擦れの音がしてドレスの裾が膝の上までまくれ上がる。
(さあ見なさい。乙女の生足よ! 好きにしていいなんて言っている美女がなまめかしい格好で無防備なのよ!?)
冷酷な処刑人だとしても若い男だ。日中はなんとか理性を保っていたとしても、女に興味を示す本能はあるに違いない。
しばらくして、人の動く気配がした。
微かな足音がこちらに近づいてくる。
(来た!!)
緊張で心臓がばくばくとうるさい。
その気になったヴェクターをもっと引きつけて「イイコトしたいのに手錠が邪魔だわ」とかなんとか言って、拘束を解く。そういう作戦だ。
足音が止まった。寝台のすぐ側に彼の気配を感じる。
どうやら私をじっと見下ろしているらしい。
瞬間、わずかな気配がして、ドレスの裾が持ち上げられる。
ここで誘い文句。――のはずが、体が動かない。
私は嫁入り前の貞淑な娘なのだ。男性に触れられたことなんてない。
やる気とは裏腹に体は恐怖し、ただぎゅっと目をつぶって声を押し殺すことしかできなかった。
ドレスをめくり上げられる――。そう覚悟したのに、意外にも裾はそのまま足首までするするとおろされた。
(あ、あら?)
どうやらめくれたドレスを整えてくれたらしい。
混乱していると、ヴェクターのため息が聞こえた。
「目がおかしくなる……」
(なっ、失礼ね!)
乙女の肌を見ておいて――まあ、わざと見せつけたのは私だけれど――そんな言い草ないだろう。自慢じゃないが、結構綺麗な足をしていると思う。
私が内心憤慨していると、どさり、となにかが倒れるような音がした。
薄く目を開けるとヴェクターが床にのたうち回っているではないか。
(な、なにごと? 具合でも悪いんじゃ――)
「あああああ! こんな美しい肌、目の毒すぎる!! 僕なんかが見ていいものじゃない!!」
(……は?)
ヴェクターは床にごろんごろんと転がりながら髪をかき乱している。
「どうしよう、近づいたらいい匂いがする!! 胸いっぱいに吸い込みたい……さすがに犯罪か!?」
(な、なにを言ってるの)
「リセル、かわいい……! かわいすぎる! リセルが僕の部屋にいるなんて、まるで夢みたいだ。ああ夢なら醒めないで!」
信じられないくらい大音量だが全部独り言らしい。
(ええと、とりあえず……ヴェクターはどうやら私に惚れてるみたい?)
籠絡するまでもなく、ヴェクターは私が好きらしい。それもちょっと過剰なくらいに。
牢で会ったとき、一目惚れでもしたのだろうか。自分の容姿に感謝だ。
口元には自然と笑みが浮かぶ。
これはもう、作戦が成功したに等しい。
「嬉しいわ」
小さくつぶやいて目を開けるとヴェクターの動きがぴたりと止まる。そして私と目が合うと跳ね起きた。
「……ふん、ようやく最期の言葉を言う気になったか」
取り繕っても無駄だ。もう威厳もなにもあったものではない。
「ヴェクター様の情熱的な言葉、聞いてしまいましたわ」
途端にヴェクターの顔から血の気が引く。
「あ……うぁ……」
「私たち、同じ気持ちだったみたいですね。すごく嬉しい……。ねえ、今だけ立場を忘れて素敵な夜を過ごしたいわ」
「嘘だ……」
「え?」
「リセルが僕なんかを好きになるはずがない! きっと手錠を外して逃げるために取り入ろうとしてるんだ!」
(なんでそこは鋭いのよ……!)
訳のわからない言動をしていたわりに意外と冴えている。
「う、嘘じゃありません。悲しいわ……私の気持ちをそんなふうに決めつけられるなんて……」
芝居がかった口調で目元を押さえると、ヴェクターはおろおろしはじめる。
「あっ、いやっ、そういうつもりじゃないんだ。きみを悲しませたいわけじゃ……ただ僕なんかを、リセルみたいな美しい人が好きになるはずがないって」
「なぜ? ヴェクター様だってとっても美しいわ」
「はは……だって処刑人だよ? 国中から畏れられ避けられる存在だよ?」
ヴェクターは乾いた笑い声を漏らす。
たしかに、死と隣合わせのこの仕事は、周囲から忌避される傾向にある。
代々処刑人を務めるノクス家は気軽に近づいてはいけない存在だ。
「この手で何人もの人間を地獄に送ってきた。リセルがわざわざ僕みたいな薄汚れた人間を好きになるはずがない。あ、どうしよう、当たり前の事実に絶望してしまった。リセルごめん、君が部屋にいることを喜んで。気持ち悪かったよね。薄汚れた人間の薄汚れたベッドに寝せるなんて、僕はなんて罪深い人間なんだ。死のう」
しっかりとした足取りでライティングテーブルのほうへ歩いて行ったヴェクターは引き出しからペーパーナイフを取り出すと、淀みない動作でそれを首筋に当てた。
「きゃーっ!!」
私は条件反射で枕を投げつける。
幸いにも枕はヴェクターの手元に当たり、ナイフは床に転がった。
「ななな、なにをなさるんですか!? そ、そんな物騒な物持ち出しちゃ、い、いやよ」
平静を装おうとしても声が震える。
死が日常茶飯事の職業とはいえ、自分の死にまでこうも頓着しないとは。
(血も涙もない処刑人がこれほど自分に自信がないなんて驚きだわ……)
意外にも周囲からの評判を気にしているらしい。
今のおどおどとした態度は日中とはまるで別人だ。
(こっちのほうがよほど人間らしくはあるけれど……)
落ちたナイフをぼんやりと見ていたヴェクターが、ふらふらとそれに近づいて行く。
まずい。またカジュアルに死のうとしている……!
今死なれたら結局私は別の処刑人の手でギロチンにかけられるだけだ。
「あのっ、ヴェクター様!? 私、ヴェクター様のこと大好きなんだけどなあ! こんなにかっこいいのに謙虚だなんてさらに素敵……!」
ヴェクターの動きが止まる。
効いているらしい。だったらこのまま押すのみ!
「愛しています、ヴェクター様! だから……っ」
「リセルは処刑人という仕事のことをどう思いますか? 怖いですか?」
「え……」
思わず言葉に詰まった。
だってそりゃあ怖いに決まっている。
勢いを失った私を見て、ヴェクターは自嘲気味に笑った。
「ですよね。……死にます」
「ま、待ちなさいってば! 処刑人が怖くなくてどうするのよ!」
淀みない動作で白刃を首に当てていた彼が、意外そうにこちらを向いた。
「だってそうでしょう? 処刑って犯罪の抑止力にも繋がるもの。処刑人が舐められたらそれだけ犯罪が増えるわ。あなたが怖がられるってことは、そのぶん国の平和に貢献してるってことよ」
「本当にそう思いますか?」
「もちろんよ。だからあなたが怖がられていることこそが、これまで真面目に働いてきた証拠だと思う」
実際、私だってこんなことになる前は、処刑人は国にとって重要な仕事だと思っていた。
怖いと思うことと、不要と思うことは別だ。
「プライドを持っていいと思うの。自分をそんなに卑下する必要はないわ」
「……ありがとうございます」
ナイフを首に押し当てるのをやめると、ヴェクターは少し照れくさそうに微笑んだ。
その様子はまるで花が綻ぶようで、私は不覚にもどきりと心臓を高鳴らせてしまう。
(なによ、笑った顔はかわいいじゃない)
普段無表情を貫くのも、素を見せれば舐められるからだろうか。
自分を押し殺して働く彼に少し同情した。
「初恋の人と同じことを言ってくれるんですね」
「え?」
「どんな仕事でもプライドを持っていいのだと。その人の言葉があったからここまでがんばれた」
ヴェクターの瞳が、昔を懐かしむように優しく細められる。
「少し疲れていたのですが、リセルのおかげでもう少しがんばってみようかと思えました」
「そう、よかった――」
「さて、処刑実行日まではあと二日、ですか」
日付を超えた時計を見て、ヴェクターがつぶやいている。
しまった。一瞬ほっこりしかけたけれど、処刑人としてやる気を出されたら困るのだ。
とりあえず、頭を仕事モードから切り換えさせないと。
「は、初恋の人ってどんな人なの?」
「おや、気になりますか」
よし、雑談には乗ってくれるらしい。
「き、気になるわ! あなたのことならなんでも」
「すごく美しい人です。リセルもよく知る人だ」
「え……」
私の知り合いで、綺麗な人?
(もしかして従姉妹のイザベリーナかしら?)
彼女なら物心ついたときから自分を磨くことに余念がなかった。
けれどヴェクターとイザベリーナに艶っぽい噂が流れたことなどない。というか二人が話しているところすら見たことがない。
「初恋はもしかして……実らなかった?」
「ええ。それはいいんです。元々僕にはもったいない人でしたから」
どうしよう。雑談が終わってしまう。
なんとか話を続けようと私は慌てて口を開く。
「あのっ、……私を初恋の人と思っていいわよ」
「え?」
ヴェクターの瞳が驚いたように見開かれる。
イザベリーナと私は血縁関係だ。目元なんかは多少似ている。
「今日だけ私をその人だと思って……ね?」
我ながら魅力的な提案だと思う。
叶わなかった恋を今だけやり直せるのだ。
潤んだ瞳で見つめると、ヴェクターはゆっくりと近づいてきた。
そのまま手錠を外してくれれば――。
「リセルが代わりになんて……無理な相談です」
困ったように微笑まれる。
そして近くにあった掛布をそっと肩にかけられた。
「どうして……っ」
「夜は冷えますから温かくしてください」
「ヴェクター様っ、あなたが好き。どうか私に触れて……っ」
「僕が近くにいたんじゃ落ち着かないでしょう。客間で休みますから」
ヴェクターが部屋を出て行こうとする。まずい、手錠がついたままじゃ一人になっても意味がない。
「わ、私やってないわ!」
ドアノブに手をかけていたヴェクターの手がぴたりと止まる。
もう打つ手がない。結局、愚直に無実を訴えるしか方法はなくて。
「私やってない。女王に楯突くようなプレゼントは選んでないわ。私が選んだのはサファイヤの首飾りよ。シンシャじゃない……」
ヴェクターはじっと私の話に耳を傾けている。
「誰かが私をはめようとしたとしか思えない。お願い、信じて……私を助けて……」
こんな言葉が意味をなさないことを知っている。
だって誰も信じてくれなかった。
今さら罪人の首を落とすのが仕事の彼に訴えたところでどうにもならない。
けれど縋らずにはいられなかった。
「……そうですか」
にこりと微笑んで、ヴェクターは部屋を出て行った。
彼はそのまま二日間、部屋に戻ってくることはなかった。
◇
彼が再び私の前に現れたのは、処刑執行日だった。
「お待たせしました」
足取り軽くやってきたヴェクターが私の手錠を外す。
うなだれる私を見て、彼は心配そうに眉をひそめた。
「顔色が悪い……少し痩せたようだ。食事はとらなかったんですか」
この二日間、使用人が食事を運んできたけれど、ほとんど手をつけなかった。
食欲がなくて喉を通らなかったし、今さら体力をつけたところで無意味だと悟ったから。
メイドを呼んで食事の用意を命じると、ヴェクターはふらつく私の背中をそっと支える。
「すぐになにか食べましょう」
「いらないわ……どうせこれから私は処刑されるんでしょう?」
力なく笑うと、ヴェクターが意外そうに瞬きした。
「なぜですか?」
「だって今日が処刑の日じゃない」
「処刑はもう関係ないでしょう。だってリセルが言ったんじゃないですか。自分はやってないって」
今度は私が意外に思う番だった。
「そんな……信じたっていうの?」
「あなたの言葉はすべて信じると決めていました」
ヴェクターのまっすぐな瞳は嘘を言っているようには思えない。
「遅くなってすみませんでした。実は、あなたを貶めた真犯人を挙げていたんです。確固たる証拠を掴むのに時間が掛かってしまいました」
「えっ!? し、真犯人って……」
「あなたの従姉妹、イザベリーナですよ。彼女がプレゼントのすり替えを企んだんです」
それを聞いて開いた口が塞がらなくなる。
「イ、イザベリーナが……? どうやって……」
「贈り物はアルメリア家御用達の宝石商から入手したものですね? 簡単な話です。イザベリーナがその宝石商を買収していたんですよ」
「そんな……あの子にそこまでの財力は……」
「彼女の財産は金銭ではないでしょう? あの美貌です」
つまり、宝石商に体を使って取り入ったということか。
「あとは同じ大きさの包みを用意して渡せばあなたは偽のプレゼントを手にすることになる」
「まさか……」
「不明な点でも? 理屈はそう難しくはない。宝石商の口を割るのに少々手こずりましたが」
微笑むヴェクターの目の奥が笑っていない。背筋がぞくりとした。
「大丈夫です。シンシャの首飾りのデザイン画が出てきました。紛れもない証拠ですよ」
一体どんな手段でその証拠を掴んだのかは、なんとなく聞くのが怖かった。
「でもどうしてイザベリーナがそんなことを……」
一応は親族なのだ。気難しい彼女ともそれなりにうまく付き合ってきたと思う。恨まれるようなことはなにも――。
「王太子がリセルに執心していたのが気に食わなかったみたいですね」
「あ……」
動機を聞いてすとんと腑に落ちた。
私が王太子殿下から容姿を褒められて、そしてダンスに誘われた。あの現場をきっと見ていたのだ。
王太子の気まぐれだろうとしか思っていなかったけれど、イザベリーナにとっては我慢ならない出来事だったらしい。
それなら彼女はきっと手をくだす。
「イザベリーナは現在投獄されています。処遇はこれから。リセルはこれで釈放です」
「う、そ……」
胸にじわじわと喜びが広がっていく。
このまま処刑されるだけだと思っていたのに、まさか無実の人としてこの屋敷を出られるなんて。
「どうして信じてくれたんですか……だってあのときには証拠なんてなにもなかったのに」
「言ったでしょう、リセルの言葉は全部信じるって。だって、あなたの言葉は僕にとって神の啓示よりも尊いものだから」
「え……?」
「あなたの言葉に救われたんです。昔、処刑人になる未来に絶望していた僕を、あなたが叱咤してくれましたね」
薄らとした記憶が蘇ってくる。
十歳にもならない子供だった頃。
親に連れられていったお茶会で同じくらいの年の男の子と出会った。
男の子は人を殺すなんて恐ろしいとめそめそ泣いていて、私はその子に矜持を持てと偉そうなことを言ったっけ。
「そんな、あのくらいで……」
「僕にとっては充分な光だった。だから僕は、リセルの言葉を決して軽んじない。――初恋の人の言葉ですから」
「初恋って、わ、私……?」
「あなたが初恋の人の代わりだなんて無理な話です。本人なんですから」
ヴェクターが困ったように笑っている。
「リセルが投獄されたと知ってあなたを逃がそうと決めていました。でも真実を告げてくれて良かった。本当は犯人じゃないと信じたかったから」
「わ、私を逃がしたあとはどうするつもりだったんです。処刑人としてあなたもただでは済まないでしょう」
「私も自ら命を絶つつもりでしたよ」
なんでもないことのように言ってのける。
けれどきっと本気なのだ。ヴェクターは己の命を投げ捨てることにまるで躊躇がない。
「初恋の人を救う最期なんて素敵でしょう。けれど気が変わりました。あなたが僕に救いを求めたから」
ヴェクターはうっとりと目を細める。
「頼ってくれて嬉しかった。だから一緒に生きようと思いました。リセルがまた僕の道を照らしてくれたんです」
どうやら知らないうちに、私は彼の命も救っていたらしい。
「信じてくれる人がいるなんて思わなかった……」
ヴェクターに縋ったのは他に助かる道が思い浮かばなかったからだ。
誰も自分の言葉を聞き入れてくれない。そんな孤独から彼が解放してくれた。
安堵と嬉しさをやっと実感してじわりと涙がにじむ。
ヴェクターは私の目元にそっとハンカチを押し当てた。
「泣かないで……あなたが味方になれというなら僕はなんだってしますから」
「ありが――」
「お礼なんていらないです。恋人を救うなんて当たり前のことですよ」
「……ん?」
彼の言葉に涙が引っ込む。
「リセルは僕なんかにはもったいない。だから諦めるつもりでした。でも、リセルも僕を好きだと言ってくれた」
「ちょ、ちょっと……」
ヴェクターが頬を染めている。
どうしてそうなるの!?
「言ったでしょう、リセルの言うことはなんだって信じると。――僕を愛していると言ってくれましたね、リセル」
「なっ!?」
言った。言ったけれども!
(あれは逃げるための作戦で……!)
とはとても言える雰囲気ではなかった。
「僕の一生を掛けて愛します、リセル。安心して。もしもこれから敵が現れても絶対に排除しますから。リセルのためなら僕はなんだってできるんです」
どこか恍惚とした表情を浮かべるヴェクターに、私は口元を引きつらせる。
どうしよう、私はとんでもない人を騙そうとしてしまったのかも。
けれどヴェクターだけはこれから絶対の味方なのだ。そう思うとどこか少しだけ嬉しくもあった。
味方のいないあの孤独に私はもう置き去りにはされない。
この美しく、そして恐ろしく、少し変な男にだけは私の言葉が届くのだ。
(しかたないわね。まあ……ちょっとくらい側においてあげてもいいわ)
高鳴る鼓動に知らんぷりをして強がった。
ちょっとどころか、今後一生彼に執着されるのはまた別のお話。
終わり
最後までお読みいただきありがとうございました!
とても楽しく書いた作品です
よろしければブクマや評価などいただけると励みになります!