10人目のコノハナ
そのとき私は、ベッドの置き場所を調整していた。この宇宙船に乗って十数年、自室のベッドは至高の存在に近づきつつあった。お金をしっかりとかけたマットレスと枕、少しざらっとした生成りのシーツ。そして毛布は幾度かの失敗を経て、厚手のものとタオルケットの二枚掛けに辿りついた。そこからも追及を止めておらず、次はドアからの角度を完全なものにしようと、よっこらよっこらと動かしていた。通信機の着信音が鳴ったのは、そんなときだったのだ。部屋に備えつけのその回線を使うのは、同乗者で同僚のミツルだけで、だからこそ私はそちらを見もせずに、はいはーいと通信を開始した。
「ごきげんよう、コノハナ」
穏やかで、優雅で、誰もその広さを知れぬ森のような声。一声だけで、おそらく本能のようなもので、理解する。オリジナルのコノハナだ、と。
私が彼女のクローンだからなのだろうか。彼女の声だという、頭のてっぺんからつま先まで突き抜けるような確信があった。しかし私は理性もちゃんと持っているわけなので、疑念も同時に湧きあがってくる。コノハナからのプライベート回線?そんな、まさか。教えたことのない自室の回線に繋げられたことには驚かないが、彼女が私と話す労力を割いたことが、どうにも信じられない。
幻聴を疑ってスマートウォッチの画面を見ても、メンタルもフィジカルもすこぶる健康であると示されている。つまり、現実に、通信機はコノハナと私の会話を成立させているらしい。粉々になりそうなほど混乱している脳内とは裏腹に、徹底的にしつけられた私の口は、スムーズに挨拶を返していた。
「ごきげんよう、コノハナ」
そこから、はたと、会話に困ってしまう。この船に乗ってから、私は彼女と会話をしていない。今より近くで生活しているときだって、そうそう話したりはしなかった。
とりあえず適当に縛っていた髪を解いて撫でつけ、ベッドサイドに散らばったゲーム機や雑誌を片し、スウェットとシーツの皺を直してみる。音声だけの通信だから、そんなことしても見えやしないのだけれど、コノハナの前で無防備なのは、どうにもいけない。できる範囲で身なりを整えひとつ咳払いをすれば、少しだけ落ち着いた。
「お変わりないですか」
「はい」
「他のみんなも元気でしょうか」
「ええ、みな元気なようですよ、ありがとう」
間が持たずにとりあえず尋ねた近況は決まり文句もいいところで、ひどくとってつけたものになる。そんなことを彼女から知りたいとは、全く思っていなかったから当たり前だ。彼女もそれを分かっているのだろうけれど、ないがしろにもしない。簡潔で、でも口調はゆったりと優しげな答え。女王らしい気高い虚ろさ。人類の宇宙進出の果てに現れた、全宇宙の統治者、支配者、初代にして末代、今後宇宙が終わるまでの女王。ただ一人の、完全なる女王。宇宙で一番尊い存在。それが彼女だ。
沈黙が落ちる。
彼女からこちらに呼びかけてきたのに、彼女は口を開かない。仕方なしにもう一度、私から問いかけることにした。
「なにかご用でしたでしょうか?」
またたきふたつ分、彼女はまた沈黙した。この通信機は非常にシンプルだ。どこからの通信かを真四角の画面に表示し、その横のスピーカーとマイクで、音声だけを何光年だかの間を飛び越えて、タイムラグをほとんど感じさせずに、なるべくクリアに、伝えあうだけ。壁に作りつけられた、小さな四角い通話口の向こう、遠くとおくで、彼女のまつげがそっと動くのを想像する。
「知りたいことがあって、連絡をしたのですが」
珍しいことに、少しだけ、ためらうような響きがあった。そこでやっと、私は思い出した。そういえば、彼女がコンタクトをとってきそうなことがひとつあった、と。
「もしかして、なぜ私の殺害計画の件でしょうか?」
「そう、その件です。ご存じだったのね」
「はあ、貴女のお名前でそういう依頼がなされた、というのは、一応は知っております。ただ、なにか行きちがいか間違いがあったのかと思っていました」
「いいえ、私が指示を出しました。貴女を殺すように、と。なぜ間違いと思われたのかしら?貴女が私のクローンだから?」
彼女の声音は、はきはきとしたものに戻っていた。あのためらいは、殺害対象者に対するひけめではなく、どこから説明をしようか迷っていただけだったのかもしれない。私のほうが、もだもだとした答えをしてしまう。
「いいえ。ええと、貴女が私に対してそういう感情を持たれたり、労力を支払われたりするだろうか、という部分で得心が行かなかったのです。殺害計画というのは、それなりに、関心を持ったり持たれたりする仲で起こるものだと思うのですが、私たちの関係性は、もっと希薄ですよね。遠い」
「なるほど。そうでしたか」
「あの、そういう訳ですので、こちらの状況をお話する前に、何故私を殺そうとお考えになったのかお伺いしても?」
「そうですね」
ふふ、と彼女は小さく笑った。
「それも、いいかもしれません。少し秘密の話をしましょう」
「秘密の話?」
「そう。私と貴女だけの、秘密の話」
それは楽しそうですね。私の口がやっぱり勝手に紡ぐ。本当にそう思っているのかどうかは、私にもよくわからない。
「私は当初、貴女たちに一切の関心がありませんでした」
淡々とした口調。感情のない声で言われると、彼女の感情は一切推測しようもない。それでも彼女がそれを悔やんでいたり悲しんでいたりするようには思えなかったので、私は許しや慰めや労りや励ましのようななにかを口に出さずに済んだ。
貴女たち。
私を含めた、コノハナの10人のクローン。
「寿命」が死語になったのがいつなのか、私は知らない。とりあえず今現在、死は9割以上の人にとって、望まねば得られないものとなった。自分からか、他者からか、そこは違うけれど。まぁそれはとにかく、人間は死にたいときに死ぬことになっている。
それでもなお、人は不安だ。「コノハナがいなくなったらどうしよう」。この広がり続ける宇宙と、それを追いかけ続ける人類と。それを統治できるのは、稀有な、いや唯一の存在であろうコノハナだけに違いない。彼女がいなくなったらどうなってしまうのだろう。
コノハナが死を望んだら?もしくは、他者に死を望まれて、それが果たされてしまったら?
そうした誰かの不安から、子どもたちが生まれる。どのように画策したのか、コノハナのクローンが、10人。唯一無二のクローンとは、言葉が破綻している。しかし言葉は破綻していようと、その計画はコノハナの預かり知らぬところで画策され遂行され無事に子どもが生まれてしまったのだという。
それが、私たちだ。
「当初、と言いますと、私たちが貴女のもとに引き取られたころでしょうか」
記憶がない。私たちの存在がコノハナの知るところになり、彼女に引き取られたのは、1歳になる前だから当たり前か。私たちはそのころ、オリジナルのコノハナの育成環境にあわせ、中流家庭を模した家庭を一人一人与えられて育てられていた、らしい。そしてその「家族」ごと、私たちは彼女のもとに引き取られた。そういう記録が残っていたと思う。
「いいえ、貴女たちの出生が計画されたころです」
あっさりと、彼女は公式発表された情報を覆す。
「計画段階から、ご存じだったのですね」
「はい。特段、世界にも、私の統治にも、私にも、影響がなさそうでしたので、関与も介入も中止もしなかったのです。ですが生まれてしまうと、他の者が貴女たちに気付きました。10人は、秘密裡に育てるには少し多かったですね。
私に無断でつくられた私のクローンでしたので、私が女王であることを抜きにしても、犯罪に当たります。暴かれてしまったからには処罰と処理をしなければいけません。処罰は法に則って行えば良く、貴女たちは私が引き取るのが一番穏当と考えました。
その時点でも、私は貴女たちに、処理する事案として以上の興味はありませんでした」
「はぁ、なるほど」
なんの意味もない相槌をうつ。それ以外にどうしたらよいのかわからなかった。当事者としては怒るべきなのかとも思うが、あまりにも感覚として遠すぎる。こちらの微妙な困惑は気にせずに、コノハナは話を続けていく。
「貴女たちにだんだん個性というものが出てきて、それぞれ目指すものの形がつくられてきたとき、私は初めて面白く思いました。あれはいったい何歳のときでしたでしょう。貴女は覚えているかしら。初めて全員で食事をしたときです」
それは、私も覚えていた。
誰かの当初の思惑からは外れ、10人のクローンはコノハナになることを強要されず、また、コノハナにならないことも強要されず、とりあえずと言いたいくらいの適当さで、恵まれた、でも一般的な家庭環境を与えられ続けていた。オリジナルのコノハナのことも、他のコノハナたちのことも、教えられていたし、子どもなりに理解していたけれど、少なくとも私は、あまり自分に関わりのあるものだと感じていなかった。それまでほとんど交流はなかったし。
「むっつのときです。学校にあがる前のお祝いだった」
「ああ、そうね、そうでした」
「あれは、なんの気まぐれだったのでしょう?」
「私の気まぐれではないのよ。引き取った子たちとあまりにも没交渉なのはどうか、と気を揉む人がいたので、交流のために食事会をしましょうとなったの」
コノハナ女王のお召しによって、宮殿に集められたと聞いたような気がするが、まあ真実はこんなものだ。さっきから自分の聞かされていた情報がひらひらと動いていく。
「パレスの中庭での、昼食会でしたね」
女王の住まう、みかけはシンプルなパレス。そこにあるたくさんの客間のひとつで、10人のコノハナは、初めて他の自分たちを見た。無駄なおしゃべりをしないように、と集合前にきつく言い渡されていたので、本当にいたのだなあ、私というのはたくさんいるのだなあ、という思いで、水を打ったような静けさのなかで同じ顔を見つめあうだけだったけれど。
しばらくしてから案内されたパレスの中庭は、温室になっていた。なかは暑いというほどではなく、穏やかで少しだけ蒸していた。入り口から緑にあふれていたが、花は少ない。みんなが揃いの紺色のワンピースに白に金の刺繍のあるボレロを着て、髪の毛を黒いゴムでふたつに結び、お行儀よく席についた。そう命令されていたからだ。それはオリジナルのコノハナがむかし入学式で着た服だった。
長いテーブルの両脇に、5人ずつ腰掛ける。目の前に運ばれたのは、難しいマナーのいらない、子どもが好きそうと思われるメニューを詰め込まれたワンプレートのランチ。けれどすべてのメニューはきちんとあるべき品格を保っており、古典にのっとってデザートに刺されたピックの旗が、誇らしげに見えた。
コノハナの庇護下で、育成されないままに成長したコノハナたちは、感動的なお子様ランチとオレンジジュースを目の前に、両手を膝の上に重ねてじっとしていた。オリジナルでなくても、幼くても、コノハナであれば、そのくらいはできた。
しばらくして、周りの空気が揺れた。前触れの鈴が鳴らされる。女王のお越しだった。 女王が中庭にいらしたら、椅子から立ち上がってお辞儀をすること。事前にそう指示されていた私たちは、ゆっくりと入ってきた彼女に、揃ってスカートの裾を持ち上げて、頭を下げた。その瞬間に、一緒にやってきた人々がいっせいに記録媒体のレンズを向けてきたのを覚えている。
こんにちは、いらっしゃい。今日は本当に嬉しい日だこと。こうしてみなさんとお話ができるだなんて。完璧な笑顔と完璧な言葉とともに、彼女はもちろん中央の席に座った。
テーブルのまわりに、たくさんの人々。たくさんのメディア。テーブルを囲む、10人のコノハナ。そして、中央にたったひとりのコノハナ。食事は滑らかにスタートし、つつがなく進行した。
「あのとき、貴女たちは将来なにになるのかしらって、伺いましたね」
彼女は昼食会での話を続ける。かたちで上品に見せている美味しそうなピンク色のスーツをまとい、一部の隙もないしぐさでパンをちぎりながら、彼女は確かに私たちにそう問いかけた。
はい、と自分以外のコノハナがみんな手を上げたので驚いたのを覚えている。発言が挙手制であったらしいことにも、発言したいような答えを持っていることにも驚いた。音を立てないように静かに、私はスプーンを皿に戻した。子どもなりに、せめて傾聴の姿勢をとろうと思ったのだ。
彼女は、あらあらと微笑みながら、ひとりひとりから話を聞いていった。コノハナたちは行儀よく、それぞれに、将来の夢を口にした。最初の子は、私はこれから一所懸命に勉強をして、いい子でいて、大きくなったらコノハナ女王を支えられるようなお仕事をしたいです、というようなことを大人びた口調で言った。花丸をもらえる答えだ。コノハナ女王のようになりたいですと言った子もいた。それから、コノハナ女王のできなかったことをしたいです、と言う子も。
「女王になりたがる3人。女王の存在が必要であると考えそれを持続するべきと判断し貢献する3人。女王でありたくないと否定する3人、分けるならば、だいたいそうなっていました」
「そうです。貴女もよく覚えてらっしゃる」
覚えている。妙に安心したからだ。同じ顔で同じ髪型で同じ服で同じ声で、彼女たちはそれぞれに別のコノハナだった。私たちは別のものである、という感覚を、私は嫌いではなかった。そのときも、今も。
女王はそれぞれの展望に、良いも悪いも言わず、そうですか、と受けとめ続けた。そして最後に、手を挙げなかった私にまで、貴女は?と優しく問いかけたのだ。
「とくに、ありません」
今の私だったら、もう少し穏便な答えを選んだと思う。でもそのころは、嘘はいけません、という他愛のないお約束をきちんと守れる幼さだったので、それはもう生真面目に正直に、答えてしまった。若干困ったような空気が流れたような気がする。彼女だけが、変わらずに笑っていた。
「そして貴女は、全ての決断をせずにいましたね」
「手厳しいおっしゃり方ですね。むっつの子ですよ」
「ふふふ。ごめんなさいね」
女王になりたがる3人。女王の存在が必要であると考えそれを持続するべきと判断し貢献する3人。女王でありたくないと否定する3人。私が先ほどいった言葉をどこか歌うように繰り返して、彼女はゆっくりひとつ息を吐いて付けくわえた。それから、なにもしないひとり。
「それは、私が女王になろうとしたときの私の内面にそっくりでした」
今まで聞いたことのない、声の色だった。女王のコノハナではない誰かのような。少し、秘密の話をしましょうか。最初のその言葉を思い出す。
「女王を目指すべきだと決意したとき、私のなかにはたくさんの気持ちや思いが去来しました。貴女たちでそれが再現されたとき、ずっと忘れていたあのときのことが、まざまざと思いだされた」
心のなかのいろいろな気持ちの微妙な濃度のバランスで、私たちはふらふらとだらだらと、どこかへ進みつづける。唯一無二の女王ですら。
「だから、どうなるのかしらって、貴女たちに興味をもったのよ」
どうなるかしら?どうなったかって?そのときのままだ。
女王コノハナになることを選んだ3人。自分たちを生まれさせた誰かの目的、それを受け入れたとも言えるけれど。髪型、服装、言葉に仕草。過去のコノハナのとにかく全てを叩きこんで、コピーコピーコピー。トレーストレーストレース。3人はそっくりおんなじで、もうほとんど見分けがつかない。
女王コノハナの「なにか」になると決めた3人。コノハナを支える部下となった子、自分はコノハナの娘であると定義した子、コノハナの母になろうとしている子。正直、オリジナルの母親になりたいクローンとか意味不明だけど、とりあえず彼女は私にも優しい。それはなにより素敵なことだ。
コノハナになることを拒んだ3人。自分で自分の名前を付けて、コノハナを辞めて、肌の色や髪の色も替え、コノハナの庇護下を離れ、好き勝手に生きている。彼女たちは気まぐれに私に通信をくれる。日々の愚痴や、文句も多いけれど、彼女たちはコノハナでないことに満ち足りている。
最後のひとり、10人目のコノハナである私は、逃げた。
コノハナになることからも、ならないことからも、オリジナルのコノハナからも、9人のコノハナたちからも。
大学までのモラトリアムを淡々と安穏と無為に過ごし、さてここからどうするかと思った矢先、私は逃げこむ先を見つけ、ありがたく宇宙の片隅を船に乗ってふわふわと移動している。
「変わりませんでしたね」
「少し残念です」
「それは……他のコノハナには言わないであげて下さい」
「最初に言ったでしょう、これは私と貴女の秘密の話です」
彼女は楽しげに笑い、そうしてそっと、綿のようにふんわりと、付けくわえる。
「私は、貴女が一等、好きですよ。だって貴女は、私が殺してしまった私だもの」
「なるほど」
コノハナから逃げたかったコノハナを、殺してしまったコノハナ。コノハナの抱える1人分の空白。それは、はたして悲しむべきことなのだろうか。
「それで、一向に変わらない私のことも、殺した方が良いのではと思われたのですね」
「ふふ」
とても可愛らしく羽のように軽く、彼女は笑う。そうだとも、違うとも、ごめんとも言わない。代わりにコノハナは私に問う。
「生きたいの、コノハナ?」
「生まれた限りは、それなりに」
「それは、とても良いことですね。恵まれた、甘やかされた、傲慢な意志です。私はそれを全ての人が持ってくれたら良いななどと夢見ることがありますよ」
「反対するコノハナは、殺さないのに、ご好意をいただいてお褒めにまで預かっている私を殺そうとなさるなんて」
冗談めかして嘆いてみせると、彼女はさらに楽しそうに笑った。
「反対意見は常に必要ですよ。一方向からの視点しか持たないのは大変に危険です。そもそも私が女王にふさわしくない状況に陥ったならば、引かねばなりませんから。ですから、問題は、なにもなさないことを是とする心です」
「申し訳ありません」
「ちっとも心が籠っていないのね」
反射で口から出ただけの謝罪はさらりと流された。ひとつ咳ばらいをして、話題を変えることにする。
「貴女のなかに、私を殺したい理由がある。とりあえずそれは、了解しました。それで、コノハナ、貴女が知りたいのは、何故私がまだ生きているか、でしたね?」
「ええ。あまりに音沙汰がないものですから。今日は会議が早く終わったので連絡してみました」
本当に、彼女が私のために時間を割いているのだなあと、改めてぼんやりと感動した。
「お時間はまだありますか?」
「大丈夫ですよ」
「それでは、ご説明しましょう。とは言うものの、さて。どこから話したものか。ややこしい話ではないのですが、面倒なので、私がこの仕事についたところから簡単にお話しますね」
どうぞ。慈悲にあふれた裁可を得る。すでに彼女が知っていることも多いだろうが、まあいいだろう。
「私が学業を修了したあとに就いた仕事は、『宇宙遺産選定委員会』の名誉顧問でした」
宇宙遺産選定委員会は、さかのぼれば太古の昔、まだ人類の活動範囲がほぼ地球のみであったころから綿々と続く、由緒正しい公的な組織、らしい。
活動内容は、次世代に伝えるべき素晴らしい文化、自然を保護するため、対象を探し、審査し、認定すること。死のあいまいさと共に「次世代」も死語化しつつある昨今にあって、無限に広がる宇宙および人類を追いかけ続ける、健気な組織だ。その活動のなかで、私は宇宙遺産の進呈委員のひとりとして活動している。役目は認定に、つまり「ここは特別な場所です」という言葉に、花を添えること。具体的には、認定書を持って認定先に赴き、認定祝賀式典に笑顔で参加し、所有者やら担当者やら地域住民やらとご歓談いたしまして、認定証を重々しく授与すること。
宇宙遺産選定委員会という組織が生き残っていることでもわかる通り、人はまだまだかたちを欲した。
統治者、支配者、唯一無二の女王様。
の、クローン。
という肩書を持つ私が直接赴くと、それなりに喜ばれる。箔がつくとは言わないけれど、まあ、格好がつく。このご時世に、わざわざ紙の認定書を作って、式典までやるのだから、格好つけの上乗せはなんだって歓迎される。なんと素晴らしい。名誉職のお手本だ。こんなにも名誉職らしい名誉職が他にあるだろうか。辞書の例として引いてくれて構わない。
そういうわけで、私はなにになることも望まずに「コノハナのクローン」そのままの仕事を見つけたことになる。優雅なしぐさ、大安売りの笑顔、一呼吸ののち、オートで出ていく言葉たち。定型文はあらかたインプット済み。スピーチは一分単位で調整可能。今日はちょっと暑いから、少し早めに終わらせましょうか、などと。私は結構、健気で努力家で職人気質な名誉職なのだ。
「その職場でもあるこの船には、同僚、というか先輩がいました。ミツルです」
ミツルは、宇宙遺産の設立に尽力した、なんたらさんの子孫だという。私が授与係になる前には、ひとりで授与にまつわる全て作業をこなしていたそうだ。そして今も、式典で笑顔を張りつけてスピーチする以外の全ては、彼の担当だ。授与先との折衝、スケジューリング、航路の選定などなど、その仕事は多岐にわたる。そのうえ、無駄に広いこの宇宙船を正常に清潔に快適に保ち、いつも笑顔でおいしい食事をつくってくれるという有能ぶり。モラトリアムと向きあうことなく逃げこんできた女王のクローンの相手をさせるにはもったいない逸材だった。
「私の殺害を、ミツルに依頼されたそうですね」
「はい。あまり騒ぎにならないようなかたちで、とお願いしました」
「ふたりに」
「そうです。話したくないミツルと、話すためのミツル、両方に」
どうやって、ミツルがふたりいるという、公にはなっておらずとても些末なことを彼女は知るのだろう。名誉職ではない女王には、いろいろな力があるものだ。
「私が職務に就いたときに同僚として紹介されたのは、ひとりのミツルだけでした。委員会の人たちは誰も、彼らがふたりいることは知らなかったのだから当たり前ですが」
長年授与を担当されているミツルさんです、引きつづき事務面を担当してくださいます。それに応えて、彼は控えめな笑顔で丁寧に歓迎の言葉を述べてくれた。それはそれは、感じの良い青年だった。
「彼がてきぱきと船を進め、担当者とセッティングをし、私は式典に送り出される。3回ほどそうやって仕事をこなして、ミツルにも宇宙船にも役目にも慣れ、これはお互いうまくやっていけそうだと一安心したころに、私は初めてもうひとりのミツルに会いました」
いつもと変わらぬ次の星への移動中。いつものように起床の挨拶をして返ってきたのが、お手本のような無視だったときのあの驚き。無表情、無感情、無言。私の存在を感知していないように、こちらを見ているのに注意は一切払わず、悠々と立ち去るミツル。ただひたすらに、私に対する感情がないのだ。その背中を、私は茫然と見送ることしかできなかった。
あ、彼、出てきたんですね。そう後ろから声をかけられて、文字通り飛び上がった。笑顔のミツルだった。彼が本当のミツルですよ、と彼は言う。
ミツルはそもそも、人間嫌いで話すのが億劫で、人間に対しては通常表情筋も心もまったく動かない、らしい。そんなミツルが、この職から逃げられず、必死に表情筋を稼働させて人間と話すなかで、限界を感じたがために「話すためのミツル」を作った。それが僕です、とミツルは朝食のメニューを説明するのと同じ軽やかさで話してくれた。そこから、話したくないミツルは人とのコミュニケーションが不要な部分を、話すためのミツルは文字通り人と話す部分を担って、職務をこなしていたらしい。
「同じクローン仲間かと聞けば、話すためのミツルは、アンドロイドだということでした」
「ええ。ですから、ひとりには私の殺害を、もうひとりには口止めを依頼しました」
アンドロイドには、古き良き原則が課される。第一項はシンプルに言ってしまえば「人に危害を加えてはならない」。秘密裡に作られたミツルにも、それは適用されている。
「どちらも最初は嫌がって、最後にため息を吐いて了承しました。貴女は、彼らととても円滑に過ごされていたのね」
「そうですね。嫌がった理由はそれぞれかとは思いますが」
話すためのミツルとはそれなりに交流がある。彼が私の死を望まないでいてくれるだろう、というのは、私の期待しすぎとは言えまい。しかし、話したくないミツルの方は違う。彼の場合ただ単に、自分が動くのが面倒だっただけだろう。
あのあまりにも素晴らしい無視をされたとき、彼の職務を奪ってしまったから怒っているわけではないのか念を押すと、まさか、と即座に否定された。むしろ、ミツルは貴女に大変感謝しています。式典のあいだ笑っているのは、彼にとって非常に辛いことでしたから。僕からもそれを切り離せて、安心しているのです。この世の悲しみを嘆くような憂い顔で、しんみり言うミツルを見れば、嘘とは思えなかった。本当に、人と会うのが苦痛なのだろう。秘密裡にこれほど精巧なアンドロイドを作るほどに、というと正直手がかかりすぎていて意味が分からないが。
その後に、引きこもるのを止めて姿を見せたのも貴女を信頼したからでしょうという言葉が続けられたが、これには大いに反論したものだ。初めて会ったうさぎよりも意思疎通できなさそうだったのに、信頼もなにもない。
ただまあ、私にばらしたところで、私はふたりのミツルのことを誰にも言わないであろうという彼らの確信は、当たっている。彼ほどでないにしろ、私だって面倒ごとはごめんだ。今誰も知らずに上手くいっていることがあるのならば、それはそのままにしておいた方が良い。
「さて、私が今生きているのは、貴女が依頼したミツルが、ふたりだけだったからです」
相槌はない。ここまで来たらもう特段隠しておくようなことではないので、私はすぐに教える。唯一無二の女王でも知りえなかったこと。
「この船の外に、3人目の……最初のミツルがいるようです」
あら、と驚いた声が小さく漏れる。この通話で、私はかなり多くの珍しいコノハナに触れた。言葉に詰まったり、内緒話をしたり、驚いたり。何億光年か先のマイク越しではなく、目の前にいたならば楽しかったかもしれない。
コノハナになりたい3人のコノハナも、同じ反応をするのだろうか。そんなどうでもいいことが一瞬頭をよぎった。
「それは知りませんでした、そう、それで」
「はい、それで。ミツルは、クローンではなくてアンドロイドですので」
ひとりはオリジナル、もうひとりはアンドロイド。そう思っていたのは、コノハナだけではない。私もそしてふたりのミツルも同じだ。今回私を殺害しようとして初めて、話したくないミツルは自分がアンドロイドであることに気付いた。
ある日の仕事中にすたすたと近づいてきた話したくないミツルは、ナイフを私の首筋に当てて、それを引けずに、やっぱダメかぁ、とぼやいた。初めて声を聞いた。彼は私のデスクの上にナイフを置くと、そのまま部屋に戻り、話すためのミツルがこうなったらどうしようもないですよね、と事情を教えてくれた。
コノハナから私を殺害するように命令されたこと。毒殺や事故に見せかけられそうなことから始めていくつかパターンを試し、どれも実行できなかったこと。不審に思ってふたりは調べ、そして、辿りつく。どうやら話したくないミツルは、そもそもの任務すら面倒だったオリジナルによって作られたものだったらしい。オリジナルが逃避するために、オリジナルとして作られたアンドロイド。面倒くさがりが極まると、面倒な手間暇をいくらでもかけてから、面倒を避けるようだ。女王を欺けるほどの手間をかけて、と思うとなんだか面白かった。
オリジナルはどこにいるの?と聞いたら、さぁと肩をすくめていた。今回のことがなければ、オリジナルがいることにすら、気付きませんでしたから、と。
「私たちは、これをどうするべきか話し合いましたが、どうしようもありませんでした。ミツルたちには貴女に報告や相談をするすべがなかったし、私はそもそも貴女が私にリソースを割いたことに半信半疑でしたし。それで、私は生きたまま、今に至っています」
つらつらとしてきた話も、これで終わりだ。コノハナは、あらあら、と呟いた。気の所為でなければ、なんだか面白がっているようだった。
「つまり、彼らは貴女のご依頼を意図的に放棄している訳ではありませんので、そこは寛大なご対応をいただけますと幸いです」
「わかりました。それで、半信半疑ではなくなった貴女はどうするの、コノハナ」
「私は、特に変わりません」
どうと言われても困る。そもそも、このままが一番安全だ。コノハナは、大事になることを望んでいない。自分のなかの逃げたいコノハナと同じように、そっと、誰にも知られぬように殺したいのだ。私はお飾りだろうと格好つけだろうと、公務で星々を巡っている。船でそっと殺せなければ、どこでどう死のうと大事になるだろう。それは彼女の望むことではなく、つまり私が宇宙遺産選定委員会の名誉顧問として存在し、その役目を果たしているうちは、私は安全になる。
「貴女はどうしますか、コノハナ」
「なにか別の手を考えます。次が必要だなんて全く想定していなかったのですぐには思いつきませんし、それどころかスケジュールが詰まっているので、しばらくは考える時間をとれませんが」
ごめんなさいね、と続くのではないかと一瞬思ってしまったけれど、さすがにそんなことはなかった。
「ちなみに貴女が私を殺す理由は、前もそうしたから以外には、ありませんか?」
「ありません」
彼女は否定し、私は苦笑する。「前もそうしたから次もそうしなくっちゃ」。良き前例は、踏襲されてしかるべきなのだ。
「知りたいことは知ることができました。それではそろそろ失礼しますね。長々と付き合ってくださってありがとう」
「こちらこそ」
「次はどこに行かれるの?」
「よく知りませんが、なんでも綺麗な氷河が対象だとかなんとか。ご存知ですか?」
「さぁ、それだけでは分かりません。氷河のある星はたくさんありますから」
私たちは、授与予定の遺産を十数件は溜め込んでいた。仕事はなくならない。認定は年一回だけれど、複数選ばれる。増えていく遺産、増殖する希少性。残念ながら、宇宙は広い。宇宙船の技術がどれだけ進歩しようと、瞬間移動はまだできない。
「それでは、また」
またが、あるのだろうか。お互いの現在時刻や生活リズムも知らないままに、おやすみなさいと言って、私たちは通話を終えた。
通話中を示すランプが消え、沈黙した通信機をしばらく眺める。今日のことを、どのように処理するべきか。今後なにかをすべきか。彼女にも先ほど問われたことを、もう一度ゆっくりと考える。
「とくに、ありません」
結論は同じだ。彼女の意志に沿うのも逆らうのも「私」ではない。私は10人目のコノハナだから、形式だけをお借りして、引きつづき宇宙を漂うだけである。しばしのち、私はベッドの角度調整をしていたことを思い出して、その作業に戻った。