38. 犯人
アイリスが怪我をしてから五日目。
傷がまだ治っていないので侍女としては働いていないが、レナードが前回眠ってからもう五日が経っていたので、もうそろそろ危険な気がして用心のためにアイリスは彼の執務室のソファーに座って待機していた。
目の前ではレナードとルカスが山の様な書類黙々と片付けている。
(……ルカス様がどっかに行けば、殿下とお茶を飲めるのに……。ルカス様どっか行かないかしら。)
そんな不謹慎な事を考えながら、アイリスはレナードを見つめていた。
初めの頃こそ、畏れ多くてその姿をまともに見る事も出来なかったが、こうしてお側に居られるのはあと少しなのだ。アイリスは彼の姿を脳裏に焼き付けたくて、目を逸らさずに執務に励む彼を見つめた。
そんな風に部屋での時間が静かに流れていると、不意に執務室のドアがノックされて、こちらの返事も待たずにドアを開けてある人物が部屋に入って来たのだった。
「やぁ、相変わらず忙しそうだね。」
「……何の用だ?」
そのような失礼な真似を出来るのは一人しかいなかった。執務中に現れたアーネストに、レナードはチラリとドアの方を見ると、直ぐに視線を手元に戻して素っ気なく要件を伺った。
何の要件か知らないが、見ての通り仕事は山積みで、アーネストは構ってる時間など無かったのだ。
けれども、アーネストから発せられた次の言葉で、レナードは直ぐにまた顔を上げて、彼を注視する事になるのだった。
「つれないねぇ。折角呪いを掛けた犯人の手がかりを見つけて来てあげたのに。」
「それは本当か?!」
「……さぁ、どうだろうね?」
今迄どれだけ調べても見つけることが出来なかった呪いの手がかりを、アーネストは見つけたと言うのだ。
レナードは俄かに信じられなくて、確認の為に聞き返したが、アーネストはレナードからの確認を意地悪そうにはぐらかしたのだった。
彼の性格上、すんなりと全ては話してくれる訳がなかった。
アイリスはそんなアーネストの表情に何だか違和感を覚えていた。彼の性格ならば、こういった場面ではもっと生き生きとした悪戯を仕掛ける子供のような顔をする筈なのに、今の彼は、なんだか不機嫌そうで、まるで何かに失望しているようだったのだ。
「アーネスト殿下、なんだかつまらなそうなお顔をされてますね。もしかして、レナード殿下に呪いを掛けた人物は、アーネスト殿下の期待する様な意外性のある人物ではなく、ありきたりな人物だったのでは無いでしょうか?」
アイリスは思い当たる事を聞いてみたのだが、この指摘はそのものズバリ当たっていたのだ。
アーネストは一瞬驚き、そして直ぐにパァっと顔を明るくすると、嬉しそうにアイリスに詰め寄ったのだった。
「……本当に君は聡いねぇ。レナードの侍女にしておくのが勿体無いよ。ねぇ、本気で僕の侍女にならないかい?」
「アーネスト!!」
不真面目に振る舞うアーネストにレナードは腹を立てたようで、大きな声を出して彼を睨んだ。
「そんなに怒らないでよ、冗談なんだから。おぉ、怖いなぁ。」
口ではそうは言っているものの、全然怖がってる様子を見せずに、むしろ面白がっているようにアーネストは肩をすくめてみせたのだった。
「そうだよ。アイリス嬢の推察通りさ。レナードに呪いを掛けた犯人は、数多くいるレナードに恋する御令嬢の一人だよ。僕としては、もっと想像も出来ないような深い話を期待してたんだけどねぇ。御令嬢の暴走は、まぁ、想像の範囲内だよね。」
「それで、一体誰なのですか……?」
ルカスも仕事の手を止めて、アーネストに注目した。この部屋にいる人物は、みんな固唾を飲んでアーネストの口から出て来る次の言葉を待っていた。
「バートラント侯爵の娘の、デリンダ嬢だよ。侯爵家に潜入していたカリーナが、デリンダ嬢が黒魔術に傾倒していたと教えてくれてね、で、ちょっと調べさせたらこんな本を見つけてくれてね。」
そう言って、アーネストは黒い背表紙の古い本をルカスに手渡した。
その本には、古の魔女の禁術が書かれており、その中の一つに、念を込めた針で刺すと相手を絶対に起きない眠りにつけさせることが出来る呪いと言うのがあったのだった。
「これは……殿下に現れている効果とは少し異なるようですけど、でも恐らくこの呪いを殿下はかけられたんでしょうね。」
「そう言えば……一ヶ月くらい前に、届けられた封筒を開けた時に、針が仕込まれていて指に刺したことがあったな。あの時は、私に対する良くある嫌がらせだと思って毒も塗って無かったし怪我の手当てだけして気にも留めなかったが、その話を聞くと、きっと、その時なんだな。呪いがかけられたのは。」
誰がいつ、どのようにレナードに呪いを掛けたのか。今まで分からなかった事が、一気に明らかになっていく。
「誰からの手紙だったのか覚えてないんですか?」
「もう実物も残ってないし、書いてある事も出鱈目だったからね、残念ながら分からないな。」
「しかし、状況的には彼女が犯人できっと間違いないですね……」
「まっ、でも、決定的な証拠が無いよね。彼女がやったって。この本だけじゃ物証にはならないよね。」
レナード、ルカス、アーネストの三人は、デリンダが呪いを掛けた犯人で間違いないとみなして話を進めていた。
だから、何だか口を挟むのが憚られたのだが、アイリスはおずおずと手を上げて、発言の許可を求めた。彼女が犯人ならば、どうしても分からない事があるのだ。
「あの……発言よろしいでしょうか……?」
「アイリス嬢?なんだい?」
「あの、私分からないのですけど……お話から察するに、きっとデリンダ様が殿下に呪いを掛けたのだとは思うのですが、彼女は殿下の事をお慕いしてるんでしょう?ならば何故、レナード殿下を呪うだなんて、そんな真似をしたのでしょうか?」
普通なら好きな人に呪いをかけるなんて考えられないのだ。ましてや、永遠に眠ってしまうなんていう恐ろしい呪いだ。レナードを慕っているデリンダがそんな事を本当にするとは思えなかったのだ。
「それは、この呪いの正しい姿を知れば、きっと君も分かると思うよ。」
アーネストは本を手にしているルカスに、本の内容を正確に読み上げるように言った。
そこには、このように記載されていたのだった。
「この呪いを受けた者はずっと眠り続けることになる。目覚めさせるには、術者が口付を送る事でのみ、呪いから目覚めることができる。」
それはまるで、アイリスの解呪の方法と同じだったのだ。
「わ……私は知りませんわ!いくら私が解呪出来るからって、私は殿下に呪いなどかけたりしませんからね!!」
「そんなの分かってますよ。そもそも、素人がやったから呪いが不完全だったんですよ。本来なら一度眠ってしまうと永遠に起きないものだったみたいだけれども、殿下は数日眠れば自力でも起きるんです。魔力がある貴女だから解除出たんでしょう。」
アイリスは慌てて否定をしたが、そんな事は皆分かっていたので、ルカスがキッパリと否定したように、誰も彼女の事を疑う者はいなかった。
「つまり、デリンダ様は、自分で掛けた呪いを解く事で、殿下に取り入ろうと考えていたのですね。」
「おそらくそうでしょうね。」
恋に身を焦がした思い詰めた令嬢とは、こうも暴走するものなのかと、アイリスは戸惑った。
それは、自分には無い感情だったから。
「大体、王族を呪うだなんで不敬も良いところです。立証できれば処刑間違いないんですがね。」
「呪いに使った道具は既に処分されてしまっているだろうし、彼女を正式に問い詰めるのは難しいだろうな……」
レナードとルカスは大きな溜息を吐いて、頭を抱えた。危険人物は分かっても、彼女を処罰する事は、出来そうに無いのだ。
「……まぁ、バートラント家は取崩しになるので今後彼女が殿下には近づくことは不可能でしょうから、釈然としませんが、後は月の花で殿下の呪いを完全に解呪したら、この件は幕引きですかね。」
「……そうだな……。なぁ、アーネストは、デリンダ嬢が今どうしているのか、そこまでは把握していないのか?」
今後の対処について頭を悩ませている横で、我関せずと優雅にお茶を飲んでいるアーネストにレナードは問いかけた。腹の中が読めないこの異母弟は、絶対まだ何か情報を持っている筈なのだ。
しかし、このレナードの読みは、半分当たりで、半分外れだった。
「うん。それが、現在彼女行方不明なんだよね。」
アーネスト自身は本当にデリンダの所在を知らなかったが、彼女が行方不明という事実は、レナード達にとっては脅威となる情報だったのだ。
そうして、アーネストはそんな爆弾をさらりと落とすだけ落として紅茶を飲み終わると、後は知らないと言わんばかりに、すました顔で執務室から出て行ったのだった。
部屋に残された三人はお互いの顔を見合わせた。
大丈夫だろうか……
気性の激しい彼女の事を思い出し、何かとんでもない事をしでかしそうでアイリスは胸騒ぎがした。
そして、繰り返しになるが、魔力のある者のこういった予感は残念な事に大抵当たってしまうのだった。




