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21. 自覚

「アイリス・サーフェス!アイリス・サーフェスじゃないか!!」


記念式典も無事に終わり、レナードとルカスが主催と挨拶を交わしている間アイリスは少し離れた所で二人を待っていたのだが、急に誰かにフルネームで呼び掛けられたのだった。


怪訝に思いながらも、呼ばれた方を向いて声の主の姿を確認すると、アイリスはたちまち固まってしまった。

何故、こんな所でこんな人と会わなければならないのか。


目の前には婚約を断った相手、オーレーン男爵家の嫡男、セブールが立っていたのだ。


「これは、セブール様。ご機嫌よう。」

アイリスはこの男が苦手だった。いや、苦手というより不快に思っていた。

それでも、そんな気持ちは態度に出さずに作り笑顔を浮かべると、淑女の礼で挨拶をした。社交辞令は必要だから。


「こんな所で奇遇だね。王太子殿下の侍女になったという噂は本当だったんだな。」

「えぇ。私もこんな所でセブール様からお声が掛かるなんて、思っても見なかったですわ。」

いや、それはもう本当に、そんな事は考えたくも無かったのだが、何故これが現実で起こってしまっているのか、悪夢も良いところだった。


「父がこの大聖堂の改修には出資しているからね。父親の代理だよ。」

一見すると爽やかで、その甘いマスクは人当たりの良さそうな印象を与えるが、アイリスはこの男の本性を知っていた。

気性が激しく、気に入らない事があると従者に当たり散らすのだ。以前にその場面を目撃してから、彼には本当に最悪な印象しか抱いていなかったのだ。


「そうだったんですね。お父上の代理を務めるなんてご立派ですわ。」

セブールを刺激しないように、アイリスは当たり障りのない言葉を選んで、慎重に会話を続けた。表面的には笑顔をたやさずにしとやかに振る舞ったが、その張り付いた笑顔の下で顔は引き攣って、早くこの場から離れたい一心でいっぱいだった。


そもそも、何故彼に話しかけられたのか不思議だったのだ。

面識はあったものの、二人で会話をした事は今までになかったからだ。


やはり婚約を断った件で何か嫌味を言われるのだろうかと身構えていると、彼の口から出た話題は、全くの予想外の話だった。


「所で、俺は先程偶々舞台袖に居たのだけれども、アレは一体どういう事だったのかな?」

「アレ……というのは……?」

アイリスは表情にこそ出さなかったが、内心真っ青になっていた。まさか、舞台袖でのあの騒動を見られていたとは思わなかったのだ。


「王太子が君に抱きついていたじゃないか。君は王太子とそう言った仲なのか?」

「誤解ですわ!アレは、殿下が少しフラつかれたから支えただけですわ!!」

「そうかな?側近が邪魔でハッキリと見れなかったが、殿下が君に抱きついてるように見えたんだけどな。」

「それは本当に誤解ですわ。」

セブールの発言から、ルカスが壁になったお陰で口付けをしている所までは見られていないという事が分かって、一先ずはホッとした。

しかし、このままでは殿下が侍女に抱きついたなどと言う不名誉な噂が立ってしまいかねないので、どうやってセブールを納得させられるか頭を捻っていると、アイリスの話に耳を貸しそうもないセブールは、一人で何かを納得してアイリスを舐め回すように見ると、頼まれてもいないのに自身の見解を披露してくれたのだった。


「成程ね。君の家は資金難で困っているから父がわざわざ手を差し伸べてあげたというのに、俺との婚約を断ってまで資金援助を求めなかったのは、他にパトロンを見つけたからって事か。」

彼のこの指摘は、全くの的外れとも言えなかったので、アイリスは否定も肯定も出来ずに口籠もってしまった。すると、アイリスのそんな態度を肯定と捉えたセブールは、更に追い討ちをかけるように失礼な言葉を積み重ねたのだった。


「それにしても凄いねぇ。よく王太子なんて大物を引っ掛けられたねぇ。君は清純そうに見えて、実は中々の手練れだったってことだね。」

「……」

何を言ってもまともに聞いてくれそうにないので、アイリスは否定するのを止めてしまった。好き勝手話をさせれば、気が済んでくれるだろうと自身に向けられた酷い言葉は我慢して、ただ笑ってやり過ごした方が賢いと思ったのだ。


(この男の殿下に対する失礼な思い込みは後でルカス様に何とかしてもらおう。殿下に絶対的な忠誠を誓っている彼ならば、このような不届き者きっと権力でねじ伏せるだろうから……)


きっとこう言った輩の対処に慣れているであろうルカスが後で何とかしてくれるだろうと思い、アイリスは自分の事は何を言われても微笑みで受け流そうとしたのだが、次にセブールの口から出た言葉だけは聞き捨てならなくて、アイリスは思わず言い返してしまったのだった。


「しかし清廉潔白な王太子殿下が、まさか、金で情婦を侍らせていただなんて知られたら、さぞや騒ぎになるだろうね。」

自分の事なら我慢できた。しかしレナードを悪く言うのは我慢できなかったのだ。


「誤解ですわ!!殿下はそのようなお人ではありません!()()()()()()!!!」


余計な一言を言ってしまった自覚はあった。

しかし、言ってしまった言葉は今更取り消せないので、アイリスは弁明もせずにセブールの反応を恐る恐る伺った。


するとセブールはアイリスのその一言にみるみるうちに顔を真っ赤にし、その目には怒りの炎がゆらゆらと揺れたのだった。


「何だと……?君の目には俺はそのように見えているのか?!」

「あっ……、いえ、その……」

アイリスは、睨みつけるセブールにたじろいでしまった。自分で撒いた種ではあるが、あまりのも恐ろしい剣幕だったのだ。


「ふん、良いだろう。そっちがそう思っているのならば、その通りに振る舞ってやろうじゃ無いか。」

セブールは怯えるアイリスの手を取ると、自身の方へ引き寄せて、下衆な笑いを浮かべながら、高圧的に告げたのだった。


「今は王太子に気に入って貰えているのかも知れないが、どうせすぐに飽きられるんだ。田舎の貧乏伯爵をいつまでも侍らせておく訳が無いからね。そうしたら今度は俺が君を買ってあげるよ。」

「離してくださいっ!!」

「俺はね、色白の女性が好みなんだ。君は中身は気に喰わないけど、外見だけならば申し分無いからね。」

そんな風に褒められても、ちっとも嬉しくなかった。アイリスはセブールの手から逃れたくて必死に抵抗した。


「貴方との婚約は正式にお断りしたはずです!!」

「伯爵のくせに年々貧乏になっているサーフェス領にそんな事を言う余裕はあるのかな?」


レナードとの援助の契約は向こう十年間なので、そんな事を言う余裕は十分にあるのだが、そんな事を知らないセブールは、傲慢にサーフェス領を見下した。爵位的には伯爵の方が身分が高いと言うのに。


「それとも何か?君は本気で王太子殿下に輿入れ出来るとでも思っているのか?君はただの田舎の貧乏伯爵令嬢なんだよ。そんな事を夢見るだけでも不敬すぎるし愚かだよ。」

「そんな事、考えておりませんわ!」

けれど、アイリスはセブールからの指摘に、一瞬ドキリとしてしまった。


レナードとの関係は呪いの解呪が終わるまでのビジネスパートナーで特別な関係などでは無い。仕事が終われば領地に戻ってアイリスは元の穏やかな暮らしに戻る。だから自分が輿入れするなどとあり得ないと分かっているし考えたこともなかったが、役目が終わったらレナードと会えなくなる事を寂しく思った自分に気づいてしまったのだ。




「一体何を揉めているんだい?」

セブールとの押し問答の落とし所が見えずに困っていると、急に横から声がかかった。

アイリスの異変に気づいたレナードが、主催者との挨拶を切り上げて、こちらに来てくれたのだ。


「彼女は今は私の侍女なんだ。手を離しなさい。」

レナードは、アイリスの手を掴んでいるセブールに眉を顰めると、その手を離すように命令した。

すると、今まで固執していたのが嘘のようにセブールはあっさりとアイリスの手を離したのだった。


「それで、何の話をしていたのかな?」

レナードはニッコリと笑いながらセブールに話しかけた。顔は笑っているのに、その威圧感は凄まじかった。


「いえ、知り合いに挨拶をしていただけです。殿下のお耳に入れるような事は何もございません。」

レナードに気圧されたセブールはそう言って頭を下げると、そそくさとこの場を後にしたのだった。

彼は、自分より目下の者への態度は最悪だが、立場が上の人間に対しては、とことん弱腰になり一目散に逃げ出すのだ。彼の人間性の卑しさは、こういう所にも現れていた。



「ルカス、あいつの事調べておいて。」

「はい、承知いたしました。直ぐに調べます。」

「あの、彼はあらぬ誤解をしていたようなので、早急に釘を刺した方が良いかと思います。殿下の不名誉な噂を流しかねません。」

「成程……そちらについても了解しました。直ぐに手を打ちましょう。」

ルカスの眼鏡の奥がキラリと光ったようだった。普段のアイリスとのやり取りがだいぶポンコツなので忘れていたが、本来のルカスはレナードの片腕をやる程の切れ者なのだ。彼に任せておけば、きっとこと件は大丈夫だろう。



「様子がおかしかったから割って入ったけど、アイリス嬢大丈夫だったかい?」

「はい。正直言って困ってましたので、助けて下さって有り難うございました。」

「そうか。直ぐに気付けなくてごめんね。」

「いいえ!十分ですから!殿下に助けていただけて嬉しかったですし!」

アイリスは自分を気遣ってくれるレナードに、なんだか心がソワソワしていた。


少し前から感じていたが、レナードが自分の事を気に掛けてくれると、嬉しいのは確かにそうなのだが、それとは別の何か感情が動いているようだったのだ。

それは決して、嫌な気持ちでは無いのだが、何という感情なのか、今まで名前をつけることも出来なかった。


「貴女は私に自分を犠牲にしてまでして尽くしてくれているんだ。だから私も、私に出来る範囲で貴女を報いたいと思っているんだ。何かあったら貴女を全力で守るし、私を頼ってくれないか。」


そう言ってレナードはアイリスの手を取って、優しく微笑みかけるので、アイリスは心臓がバクバクと大きな音を立てて早鐘を打っているのを自覚してしまった。


先程セブールに手を取られた時は嫌悪感しか無かったのに、レナードに同じことをされても、全く別の感情が湧いてくるのだ。


彼が側にいるだけで、嬉しいし安心する。けれどもそれと同時になんだかそわそわして落ち着かない。でも決して嫌じゃない。むしろもっと近くにいて欲しいと願ってしまう。


アイリスは、自分の中に芽生えたそんな感情を持て余して、酷く戸惑っていた。


名前をつけられなかったこの気持ちに、名前が付いてしまったのだ。

これが、恋慕の情だと言うのだろうか……

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