20. 記念式典
アイリスがレナードに月の加護の魔法をかけた翌日、彼は、ルカスとアイリスを同乗させて馬車で王都の中心にある大聖堂へと向かっていた。
呪いを受けてからは、いつ眠ってしまうかも分からぬ危険ゆえに、人前に出る職務は極力避けてきたのだが、今回のこの記念式典で祝辞を述べる役目だけは、どうしても避けられなかったのだ。
「前回呪いで眠ってから五日は経っている。無事に終わってくれるといいんだが……」
窓の外を眺めながら、レナードは不安そうにそう呟いた。
「眠る周期ってあるのですか?」
「いや、不規則だった。だけれども早い時だと前の眠りから目を覚まして二日後に再び眠った事もあったから、今連続して五日間も何もないのは大分長い方だね。コレはもしかしたら君の魔力のお陰なのかもしれないな。」
「そう……なんでしょうか……?」
「うん。私はそうじゃ無いかと思っているよ。アイリス嬢の魔法は凄いね。本当に感謝しているよ。」
「そんな、私は自分に出来ることをしてるだけですわ。」
余りにもレナードがキラキラした笑顔で見つめるので、アイリスは慌てて謙遜し、謙虚に振る舞った。
月の魔力にそこまでの万能性は無いので、レナードの寄せる期待に少し困ったのだ。
けれども、彼が物凄く月の魔法を信じているようだったので、それについては口に出さずにアイリスは微笑みながら話題を変えて誤魔化した。
「しかし……大勢の人の前で挨拶をしないといけないというのは厄介ですね……」
「仕方がないさ。これも務めだからね。それに、第二皇子派が出席してるのに、私が欠席する訳にはいかないんだ。」
後ろ盾が少ないレナードは、第二王子派に遅れをとる事が許されなかった。なので、呪いによっていつ眠ってしまうか分からない危険な状態であっても、この式典を欠席することは出来なかったのだ。
「まぁ、こうして無理して出席して、祝典の最中に倒れてしまったら、元も子もないんだけどね。……そうならない事を祈っていてくれないか。」
そう言って笑ってはみせるけども、レナードはどこか不安そうだった。
「分かりました。殿下が無事に祝辞を述べられる事を魔力を込めてお祈りさせて下さい。……これも気休めですが。」
「それは、昨夜のような魔法の類?」
「えぇ。昼間にかけられるおまじないです。」
「そうか。では、お願いするよ。」
レナードから同意を取るとアイリスはルカスの方をチラリと見た。昨夜と同じように先ずは彼に魔法をかけないといけないかと思い、彼の様子を伺ったのだが、
ルカスはアイリスと目が合うと、黙ったまま縦に頷いたのだった。
ルカスは、昨夜のアイリスの魔法を見て彼女の魔法を信用したので、アイリスのやろうとしていることに、何も口を出さずに承認したのだ。
「それでは殿下、私の隣に来られますか?」
ルカスから容認されるとアイリスはレナードを自分の横へ座るようにと誘導した。
そしてアイリスは隣に来たレナードの手を握りしめると、彼の胸の前まで持ち上げて、瞳を閉じて祈ったのだった。
(波風立たず、どうか穏やかな一日となりますように。)
発声自体は古語だった為、昨日と同様にアイリスの言葉の意味をレナードは理解出来なかったし、その効果も実感していないが、それでも、自分の事を彼女が本当に心配してくれているということだけは確かに感じとれた。
アイリスから握られた手は温かくて、その温かさにレナードは、勇気を貰い安心感を覚えたのだ。
だからレナードは息をすぅーっと吸い込んで気持ちを整えると、真っ直ぐにアイリスの目を見てお礼と決意の言葉を口にしたのだった。
「有難うアイリス嬢。これで何とか乗り切れそうだ。」
目に見えぬ脅威に怯えず、何物にも負けず、自分は自分の職務を全うしようと、アイリスからの気遣いによって、レナードは強い気持ちを取り戻したのであった。
***
大聖堂の式典はアイリスたちの危惧していたような事は起こらずに、レナードは眠る事なく来賓として壇上に着席していて、滞りなく順調に進行していた。
「良かった。今のところ特に変化は無いみたいですね。」
舞台袖で様子を伺っていたアイリスはホッと胸を撫で下ろした。式典が終わるまで気は抜けないが、それでも半分は折り返した時間なので、残り時間も無事に終わるようにと祈りながらレナードを見守った。
「そうですね、このまま何事もなければ良いんですが……」
ルカスもアイリスの横に立って、難しい顔で壇上のレナードを見つめていた。不安に思っているのは彼も同じなのだ。
(本当に、このまま無事に終わりますように……)
レナードを見つめながら、アイリスもルカスも心の中で切実にそう願っていた。
けれども、残念なことに二人の願いは叶わなかったのだ。
最悪なことに、異変はレナードが祝辞を述べる番の時に突然やってきてしまった。
レナードは自分の番になり立ち上がって大聖堂改修の祝辞を述べようとしたが、正にその時、急激に強い眠気に襲われて少しよろめいてしまったのだ。
彼は、またあの呪いがやって来たのだと直ぐに悟った。
(あぁ……駄目だ……ここで眠る訳には……)
このままでは人前で眠ってしまう。それだけは絶対に避けたかった。けれども抗えない程強力な眠気に打ち勝つ術はなく、レナードはそのまま意識を手放しそうになった。
その時だった。
リィィィィィン!!!
大きな鈴の音が鳴り響いて、レナードの意識は呼び戻されたのだった。
リィィィィィン!!!
リィィィィィン!!!
会場内には鈴の音が止む事なく響き渡った。
「失礼。私の目覚ましの魔法が暴発したようだ。これをかけた人間が舞台袖に控えているからに直ぐ解除させてくる。」
レナードは自身から発せられているこの鈴の音について、誰かに何かを言われる前にそれらしい説明で出席者たちを納得させると、それから直ぐに舞台袖へと下がった。
そして待機していたアイリスの姿を見つけると、一直線に彼女に向かって行き、辿り着いたところで鈴の音が止むと、そのまま、アイリスに向かって倒れ込んでしまったのだった。
舞台袖にはアイリス達以外にも他の来賓の御付きの者達が控えていたので、急に鈴の音を鳴らしながら舞台袖にやってきてレナードは、そこに居た皆の注目を集めてしまっていた。
なので、急にやって来て侍女にもたれかかったレナードを遠巻きに皆が不思議そうに眺めているのは明白で、注目が集まっていたらこれでは解呪の為の口付けが出来ないと、アイリスは焦った。
すると、アイリスとレナードを他者の目線から遮るような位置にルカスは回り込むと、わざとらしく周囲に聞こえるように、大きな声でレナードに話しかけたのだった。
「殿下、殿下!!お疲れが大分溜まっているようですね。」
王太子であるレナードの近くには畏れ多いと他の従者達は近寄っていなかったので、遠巻きに眺める彼らからの視界は、ルカスが盾になることで上手く遮る事が出来たのだ。
そうやってルカスが人々からの視界を遮ってるうちに、アイリスはレナードの頬に手を添えると素早く彼に口付けをした。
流石にもう三回目ではあるし、事態が事態なだけに恥ずかしがってる余裕などはなかった。アイリスは人々に背を向けてこちらを向いているルカスの見ている前で、躊躇うことなく自分の責務を果たしたのだった。
「……すまないアイリス嬢……支えてくれて有難う……」
直ぐに意識を取り戻したレナードは、もたれかかっていたアイリスから身体を離して自立すると、頭を振って完全に眠気を打ち払った。
レナードは直ぐに体制を整えたので、ルカスの先程の機転の効いた発言と合わさって、舞台袖の者達はどうやら皆がこの一連の騒動は、王太子が疲労で少しフラついただけだと、こちらの思惑通りに思ってくれたようだった。皆既に、こちらへの注目を解いて自分の仕事に戻っていた。
「殿下、大丈夫ですか?戻れますか?後、なんとか取り繕えますか?」
ルカスはレナードの耳元に口を寄せると、小声で状況を確認した。場合によっては更なるフォローが必要だと考えているのだ。
「あぁ、大丈夫だ直ぐに戻る。今のは目覚まし魔法の暴発って事にして誤魔化すよ。」
ルカスと同じように、レナードはルカスの耳元に口を寄せて小声で答えて、それから直ぐに、まるで何事も無かったかのようにしっかりとした足取りで、再び舞台上へと戻って行ったのだった。
(ひ……ヒヤヒヤしたぁ……)
アイリスは、舞台上へと戻るレナードを見送った、一人ホッと胸を撫で下ろした。
彼が何とか舞台袖まで戻ってこれたから良かったものの、あのまま舞台上で眠ってしまったらどうなっていたことか……。考えただけでも恐ろしかった。
「良くやりました。お手柄です。」
横に立つルカスからボソリとそう告げられて、アイリスは目を丸くした。まさかルカスが自分を褒めるなどとは思っても見なかったからだ。
「ルカス様から褒められるとは……意外です。」
「なんですそれは?殿下の身を救ったのですから評価するのは当然でしょう?」
ルカスは怪訝そうな顔をしたので、アイリスはクスリと笑った。
彼の行動原理の中心は、王太子殿下の益になるか否かなので、そう考えると自分を褒めた事も、彼の主軸からブレない行動だったのだ。
それに気づいて、全く信念が揺るがないこの男の事が、少し可愛く思えて、今までの失礼な態度も、少しだけ許してあげる気にもなったのだった。
それから二人は壇上に戻ったレナードが、先程の中座を上手く取り繕って、そのまま無事に祝辞を述べたことを見届けた。
彼が壇上で何事もなく立ち振る舞う様子に、アイリスはもう一度心から胸を撫で下ろした。ここまで見届けられたら、きっともう今日はレナードは大丈夫だろうと、やっと安心できたのだ。
しかし、アイリスの安心は一瞬のものだった。
レナードが舞台上で眠ってしまわないかに対する心配が消えた事で、アイリスは今度は急に、別の事が心配になったのだ。
先程は舞台袖でレナードにした口付けを、誰かに見られていなかったか、それが気になって仕方がなかった。
舞台袖に居る人の数はそれ程多くなかったし、他の人とは距離があった。それにあの時はルカスがしっかりと盾になって他からは見えなかったと思うが、それでもアイリスは周囲を見渡して警戒した。
(……大丈夫……よね……?誰にも見られて無いよね……?)
事情を知らない人に見られたら、あらぬ誤解をされてしまう。そんな懸念を人知れず抱いたまま、式典は無事に終了したのだった。




