セーラー服青史
「大ばあば、聞いて! せっかく西校に受かったのに、マスク登校なんだよ。制服、可愛いのに! もー! お姉ちゃんの時代が羨ましい」
真新しいセーラー服に身を包んだひ孫が、介護ベッドに横たわる曽祖母の前で、くるんと一周した。
伝統の大きな三角襟に、きれいな2本の白線。真紅のスカーフが、胸元で柔らかく踊る。
大ばあば、こと、磯貝昭子は、皺だらけの目尻をさらにしわしわにして笑った。
「ゆかりちゃん、いいねえ。よーく、にあってる」
「えー。あたし、あかりだよー?」
あかりとゆかりを間違えるのはいつものことなので、あかりは頓着せず、あっけらかんと訂正している。こんなとき、姉のゆかりは労るような、気まずいような、なんとも言えない顔をする。
「そうかね。あかりちゃんかね。綺麗な娘さんになったねえ。よう似合ってるわ。あかりちゃんは美人だった妹に似てるわ」
「ほんと? 嬉しいな! ありがとう!」
あかりは向日葵みたいに笑って、もう一度くるんとした。
「おもて(外)は、まだ『ころな』かね?」
「そうなの! だから毎日マスクしてるじゃん? ニキビが治らなくて、やんなっちゃう」
「若い娘さんがお洒落できんのは、つらいねえ」
「わかるう?! 大ばあば、わかってくれる?!」
そりゃあ、もう。にぱっと笑うつややかな唇を、マスクで隠してしまうのはなんとも勿体ない話だ。
やがて、あかりは真新しいスカートをひるがえして去っていった。なにやら韓国の歌手の歌を口ずさみながら。思えば、幼稚園に上がる前から喋るか歌うか走るかしているような、元気な子だった。
それが、ちょっと前に小学生になったと思ったら、もう高校生なんて。子どもの成長は、早い。
あかりが去って、時計の秒針をいく回聞いただろう。
足の骨を折ってから寝たきりの昭子は、近頃、人の認知や時間の感覚が曖昧になりつつある。
「よう分かるよ。あたしも、女学校の卒業生だからね」
あかりが入学する県立西高校は、120年の歴史を持つ伝統高だ。
戦前は高等女学校で、昭子の姉妹をはじめ、娘、孫、ひ孫と、代々お世話になってきた。
孫が入学した平成の御世に男女共学になったが、制服のデザインは、戦前からほとんど変わっていない。
昭和4年。
昭子は、生まれて初めて『制服』を目にした。
1番上の淑子姉さんが、高等女学校に入学する朝だった。
女中さんに連れられて、庭先の桜の下まで見送りに出た昭子は、淑子の晴れ姿に息を呑んだ。
見たこともない三角の襟に、鮮やかな白い2本のライン。
ふわっとした、大きなスカーフ。
まっすぐなひだが何本も入った膝下のスカート。
きっちりとおさげに編んだ黒髪に、桜の花びらが幾重にも落ちていた。
「よしこねいちゃん、きれい」
昭子は目を輝かせた。
特に、胸元を飾る絹のスカーフが素敵。絵本で見た、南国の鳥みたい。
「ショウちゃんも、女学生になったらね」
ふふ、と笑う。
「そのスカーフ、そんとき、あたちにちょうだい!」
「あら、ショウちゃんが女学生になったら、もっと良いのを買っていただけてよ?」
「それがほちいの!」
「そう? 考えておくわ」
しなやかな指先で撫でられ、昭子はコクンと頷いた。
優雅で所作の美しい姉は、昭子の憧れだった。
昭子の家は金物を売る大きな商店で、家族のほかに住み込みのお手伝いさんや、番頭さんの家族が住んでいた。
江戸時代から続く、いわゆる豪商だ。
しかし、長引く戦争は、豊かだった生活にジワジワと、確実に影を落とした。
昭子が女学校に上がる頃から、目に見えて物資が不足しはじめた。
昭子の学年はまだ絹や混綿の制服を新調する生徒が多かったが、後輩たちはシワになりやすい化繊か、古着を購入するしかなかった。
そんな12歳の春に袖を通した制服は新品ではあったが、姉が着ていたそれとは何かが違った。
なんとなく、全体がゴワゴワしている。生地にしなやかさや光沢が足りない。
襟の白いラインも、一本しかない。
極め付けは、スカーフが化繊になったこと!
姉が5年間着た古着の方が価値が高いと、娘ながらに悟ってしまった。あの美しい制服はとうに従姉妹に譲られていて、昭子の手を離れていたのだが。
2本線は諦めるから、スカーフだけは従姉妹に譲りたくなかったなあと、ペラペラの布を少しでも見栄えの良いように結んだ。
でも、妹の光子は、かつての昭子のように姉を称えた。
「お姉ちゃん、いいなあ! 綺麗ね!」と。
「みっちゃんの頃には、戦争に勝って、お国が豊かになって、制服だって淑子姉さんの頃みたいに良くなるわよ」
「私、淑子姉様のこと、あんまり覚えてないわ」
「そりゃ、あなたが小さい頃にお嫁にいったから」
「花嫁衣装だけは、ちゃんと覚えているわ。とても綺麗だった」
「そう。みっちゃんも年頃になったら良い服を着るのよ。まずは制服。その後、花嫁衣装ね!」
「うん!」
昭子の言葉を、光子も昭子も疑わなかった。
だけど、現実はーーー。
昭子が卒業した昭和16年、光子は、昭子のお下がりのセーラー服に、スカートをモンペになおした姿で入学した。
国の方針で、スカートが禁止になったのだ。
光子は「お姉ちゃんのお下がりをいただけて良かったわ。へちま襟の子たちに、羨ましがられてるのよ」と笑った。
物資はますます不足し、布地の多いセーラー襟は、ありえない贅沢品になっていたのだ。
世相は軍事一色だったが、光子は明るかった。
運動が得意で、冗談が好きで、満開の向日葵みたいに朗らかな娘だった。
回覧板をまわす度に「隣組」を、防空壕の中では「ほんとにほんとに御苦労ね」などを朗々と歌うものだから、「光子の前世は鳥かもねえ」と母が呆れていた。
親族の中では、あかりが最も似ている気がする。
当時のわずかな写真を見れば、長女の淑子は三白眼の一重であまり美人とは言えない。
だが、大店の第一子に生まれ、茶華道や和裁を習い、女学校卒業と同時に陸軍将校の妻となった彼女は、源氏絵巻みたいに優美だった印象が強い。
むしろ、真に目鼻立ちが整っていたのは、妹の光子だ。女学校の授業を受けたのはわずか1年で、2年生からはもっぱら軍需工場で働いていた光子。
花の盛りに着飾ることも許されず、服には重油のにおいがしみついていた妹。
淑子、武、豊、聡、昭子、光子。
6人いた兄弟で、令和の御世を生きているのは次女の自分だけだ。
上の4人は天寿を全うしたけれど、末っ子の光子だけが終戦を知らない。洗濯機も、冷蔵庫も、東京オリンピックも知らない。動員先の軍需工場が空襲にあって、帰らぬ人となっていた。
「みっちゃんは、プリーツのスカートを、はいたことがないのよね……」
ため息をついてカレンダーを見上げれば、暦は令和の春。
同居のひ孫が、高校生になった朝。
高等女学校は、県立西高等学校と名前を変え、長女が入学した頃には、姉の制服を思わせるデザインと品質に戻った。
伝統の三角襟に、2本の白いライン。
アイロンはまだまだ贅沢品だったから、毎日布団の下にしいて「寝押し」をしたものだ。
たまに失敗して「やだあ!」と叫ぶのが、磯貝家の三姉妹の伝統だった。
孫たちが学生の頃は、スカート丈がやたら短くなって、面妖に分厚いソックスをはいて、なんだかヒヤヒヤしたものだ。
制服にはおさげが1番と推奨すれば「ありえない」「昭和じゃないんだから」と笑われた。夏休みになると、明るい茶髪にして、これまた大胆な服で出かけていった。
娘たちは嘆いていたが、時代が変わったのだろう。
時代というものは、変わってゆくのだ。良くも悪くも、強制的に。
ひ孫たちの時代は、長く景気が低迷したせいか、はたまた流行か、スカート丈がまともになっていた。
が、そこから伸びる膝下が長い。
やたら長い。
外人さんみたいだ。
「お国は豊かになったけど、今度は『ころな』ねえ……。せっかくの制服なのに、マスクだなんて。あかりちゃんも、淑子姉さんや、娘たちや、孫たちや、ゆかりちゃんたちみたいに、おしゃれを楽しんでほしいのだけど……」
ひとりごちるだけで、瞼が下がってきた。
近頃、昼でも夜でもやたら眠い。
それに、なぜだろう。やたら昔を思い出す。
綺麗な三角の襟を。まっすぐなひだのスカートを。
ゆるく発光していたみたいに、艶やかだった絹のスカーフを。ピカピカの革靴を。
とても大人びて見えたけど、思えばたった12歳だった姉を。
三つ編みにした豊かな黒髪を。まっすぐな背筋を。指先まで凛としていた所作を。彼女に降り注ぐ桜の花びらを。
反して、線が一本しかなくて、なんだか垢抜けなかった我が制服を。スフ素材でぺたんこのスカーフを。
モンペに草履で軍需工場に通った光子の、朗らかな笑顔を。シラミが痒いと切り落とした、光沢のないおさげを。
とっくに薪になっていた、庭先の桜の切り株を。
運動が苦手なのに、赤紙を待たずに戦争に行った兄たちを。焼け跡で再会した家族を。
瓦礫だらけの焦土から、日本は復興した。
昭子自身は三女に恵まれ、それぞれの孫やひ孫の顔を見て、もうじき100歳になる。
卒入学、成人式、結婚式ーーーたくさんたくさん見てきた。
いつの世も、女たちは装いに胸を躍らせて生きてきたと思う。「贅沢は敵だ」と言われても、心ひそかに。
少なくとも、昭子はそうだった。
自分が袖を通さなくても、美しい装束に目を奪われずには、心躍らずにはいられない。寝たきりとなった今でも。
「ああ、でも、あの日の淑子姉さんが、やっぱり一等綺麗だったわ……!」
あー、お久しぶりです。英雄です。
やー、暑いですね。
祖母の13回忌に、倉を片付けてたらね、こんな箱が出てきたんですよ。
大正元年に建てた倉だから、まー、いろいろガラクタが、出るわ出るわ。
で、これね。手紙がついてたんですよ。
昭子さんへ
あなたが入学される日まで、隠しておくやうに。大切につかつて下さい。
淑子
昭和9年 3月
たしか、祖母は女学校を卒業した月に嫁いできて、すぐ満州に渡ったんです。
軍人だった祖父が満州配属に決まったもんだから、大急ぎで結婚したって聞いてます。
バタバタしてたから、渡せずにいて、そのまま忘れてたんでしょうかね。
中身は、なんか布です。四角い大判の、絹、かな?
虫も食わずによく残ってましたよ。倉の奥に入れっぱなしで。
「わ! アンティークのスカーフ? や! 悪くないねえ!」
ちょい待て、あかりちゃん。君のじゃないから。結ぶな! 制服に!
あれ? おやおや。不思議にしっくりくるねえ。
まあ、欲しかったら、昭子大叔母に許可をとりなさいな。
最近、たまに会話が通じない?
寝てばかりいる?
まあ、100歳近いんだから、普通でしょ。祖母もそんな感じだったし。
ああ、老人てのは、昔のことは案外と鮮明に覚えてるもんだよ? じゃ、聞きてくるまでは、おじさんが預かるからね。
あれ、もう居ないよ。
あかりちゃんは、素早いなあ。陸上部だっけ?
昭子大叔母の身内は運痴が多いって聞いてたけど、誰に似たんだろうねえ。
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「隣組」は「ドリフの大爆笑」でおなじみのメロディです。
隣組とは、5軒から10軒の世帯を一組とし、団結・地方自治の進行を促す目的で制度化されました(1947年に解体)。歌は、制度を広める目的で作られました。
「ほんとにほんとに御苦労ね」も戦時歌謡です。軍のあちこちで上官にぶん殴られるんじゃ?ってノリの替え歌が流行りました。
後に、加藤茶が「いやじゃありませんか花子さん〜」と歌って、下品に楽しくリバイバルされました。
光子のチョイスは割とドリフを先取りしてます。