貧乏令嬢は違和感の正体に気づく
「誰か!殿下が!殿下が大変です!!」
ある朝、お茶のワゴンを押しながらライナスの部屋に向かっていたリリアの耳に、ただ事ではない声が飛び込んできた。
「どうしたんですか?」
声の主は、ライナスの部屋付き侍従だった。ゴードンという20歳の青年で、去年からライナスの部屋付き侍従をしていると聞いている。
ゴードンにはアレルギーのことは話していないらしいので、前に一度、身支度も私がしましょうか?とリリアは提案したことがあるのだが、ライナスにすごい勢いで断られた。思春期は難しい。
ゴードンは動揺のあまり無意味な手の動きをしきりに繰り返しながら、ライナスの部屋の前をおろおろと行ったり来たりしていた。リリアを見つけると、こちらへ飛び付くようにやって来る。
「リリア!殿下が急に苦しみ出したんだ」
「殿下が!?ケトスはまだ来ていないのですか?」
いつもなら、リリアが来るよりも早くケトスが来ているはずだ。
そして、殿下の身支度が終わる頃にやって来るリリアがお茶を淹れ、3人で飲むのが朝の日課なのだ。
ちなみに、リリアがライナスから求婚をされた日にお面顔で突っ立っていたケトスだが、次に会った時には通常の無表情に戻っていた。ただ何となく、あれ以来ちょっと表情が固い気がする。まあ、お面顔も固い顔も通常も全部無表情だから、リリアもあんまり自信はないのだが。
「先ほどまでいらっしゃったのですが、忘れ物を取りに行かれていて・・・」
リリアは考える。
殿下にアレルギーの秘密がある以上、無闇に医者を呼ぶのは躊躇われる。
それに、ゴードンは明らかに動揺している。このままゴードンが下手に動き回って他の人間に知られるような事は避けたい。
「では、私が殿下の様子を見に伺いますので、あなたはケトスが戻って来るのをここで待っていてください」
リリアはお茶のワゴンをひとまず廊下の脇に寄せると、ゴードンにそう指示を出した。
自分より年上でキャリアもある男性に新参者の自分が指示するのは気が引けたが、ライナスに関わる事柄については何人たりともリリアに従うように!とトパーズ宮の使用人たちにはお達しが出ているので、ここはそれを使わせてもらおう。
「殿下、大丈夫ですか?」
緊急事態のため、リリアはノックもなしにドアを開けると、中のライナスに声をかけた。リリアに気づいて、頭を押さえて椅子に腰掛けていたライナスがのろのろと顔を上げる。
具合が悪いというより、何か大きなショックを受けたような顔をしている。
一時の不安定さがようやく治まり、このところ落ち着きを取り戻していたと言うのにどうしたのだろうか。
リリアは静かにドアを閉めると、椅子の脇にしゃがみ込みライナスの目を覗き込んだ。
不安そうに瞳を揺らしながら、ライナスはぽつりとこぼした。
「ゴードンにアレルギー症状が出たんだ・・・」
「え!?」
リリアに差し出されたライナスの右手を見ると、たしかに手首のあたりがかぶれている。
僅かに頭痛も感じているようだ。
でも、ゴードンは間違いなく男性だし、今まで毎日ライナスのお世話をしていてこんなことは一度もなかった。さっき見かけた姿も普段と違うところはないように思えたけど。
ライナスの瞳に見える絶望をなんとか拭い去りたくて、リリアは必死に考える。
おかしい。何か絶対に原因があるはずなのに。
「殿下、いかがされましたか!?」
らしからぬ大きな音でドアを開けながら、ケトスが部屋に入ってきた。
「ケトス!殿下のことをお願いします。私はちょっとゴードンから話を聞いてきます」
まだ状況を把握しきれていないケトスにライナスを託し、リリアはケトスと入れ替わるようにして部屋から出た。
詳しい話をせずとも、ケトスとアイコンタクトをしただけで「殿下をよろしく」「わかった」の意思疎通ができるまでになったのだから、驚きだ。漆黒の鬼眼鏡と呼んでた時から考えられない。今でもたまにムカついた時にこっそり呼んでるけど。
目当ての人物は、探すまでもなくそこに居た。リリアは部屋の前で未だに無意味な手の動きを続けているゴードンを掴まえた。
「ゴードン、ちょっと軽く両手両足を開いて立ってもらっていいかしら」
自分が何かしてしまったんだろうか?と緊張と恐怖で青い顔をしているゴードンを、なるべく怯えさせないようにリリアはにっこりと笑った。
「殿下は大したことないから大丈夫よ。ただちょっと念のため確認をしたいだけなの」
ゴードンは敬礼するような勢いでビシッと両手両足を広げると、そのまま固まった。息まで止めてそうで心配だが大丈夫だろうか。
リリアはゴードンをまじまじと上から下まで見つめ、更にゴードンの周りを動き回って360°から観察する。
ふと、リリアはゴードンの黒い制服の袖口が白く汚れているのに気づいた。
「ゴードン、この白いのは何かしら?」
ゴードンはあっ、とバツが悪そうな顔をして逡巡したものの、少し顔を赤らめながら、もぞもぞと答えた。
「すいません。今朝、殿下のところに伺う前にあの、侍女の1人と、ちょっと会っていて、彼女が触った時に、その、ついたんだと思います。なので、決して変なものではありません」
ははーん。逢い引きですか。別に悪いことじゃないからいいんだけどね。
何?殿下の女人アレルギーが反応するほど、濃厚な接触でもしたってこと〜?
リリアは、ついモテない我が身を思って僻みそうになったが、ふと引っ掛かりを覚えた。
あれ?そう言えばあの時も・・・それに女性はみんな・・・だから、もしかしたら・・・。
ずっと喉に引っかかていた骨が後ちょっとで、するりと抜ける。そんな感覚にリリアは高揚した。
「ゴードン、ありがとう。悪いんだけど、このワゴンを戻しといてもらっていいかしら。後、お屋敷のみんなを不安がらせることはしたくないから、このことは他言無用でお願いしますね。殿下は本当に何ともないので、安心してね」
リリアは、口調だけはなんとか朗らかに保ちながらも早口でそれだけ言うと、廊下の脇に寄せてあったお茶のワゴンをゴードンに押し付けた。青い顔をいくらか明るくしたゴードンが返事をしたようだったが、リリアはそれを聞くことなく慌てて走り出した。
そして、自室に着いたリリアは一度も開けたことのなかったドレッサーの引き出しを開けて目当てのものを探す。
一番最初に部屋の案内をされた時に、支給された物がここに入っていると聞いた覚えがあるのだが・・・
「あったわ」
リリアは「それ」を手に取ると、今度はライナスの部屋へと急いだ。
「殿下、ケトス、試したいことがあります!」
リリアはライナスの部屋へ入るなり、開口一番そう言った。
項垂れていた2人が弾かれたようにリリアを見る。
「リリア?何かわかったのか?」
ライナスの隣に控えるケトスは眉間に深い皺が刻まれており、まるで苦虫を噛み潰したような顔をしている。
きっと、ライナス殿下をどうやって慰めたらいいかと悩んでいるうちにこんな顔になってしまったのだろう。
「殿下のアレルギーの原因は『女性』ではないんじゃないでしょうか」
「リリア?ゴードンにアレルギー症状が出たのは不可解ですが、女性が原因じゃないなら今までの説明がつきません」
藪から棒に何を言い出すんだとケトスは訝しげだ。ライナスもきょとんとした顔でリリアを見ている。
だが、頬を上気させ妙に高揚した様子のリリアは、まったく怯まずに右手を突き出した。
そこには、リリアが自室から探し出したある物が載っている。
「アレルギーの原因は、これだと私は思います」
物語も終盤です。読んでいただいてありがとうございます。
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