貧乏令嬢は思いがけない求婚をされる
翌日、リリアは悩んだ末、いつも通りライナス殿下の部屋に行く事にした。
昨日あれから、侍女たちにドレスを脱がしてもらい贅沢にも湯を使わせてもらった後、気になることがあり過ぎて眠れない心情とは裏腹に、リリアは泥のように眠った。
侍女たちには、ケトスが何か言っておいてくれたのかもしれない。準備の時とは打って変わって、彼女たちは静かで余計な事は何一つ言わなかった。「ドレスも慣れないと大変よね。おつかれさま」と労われただけで、最低限の手伝いだけ済ませた彼女たちはさっさとドレスを持って下がっていき、リリアを1人にしてくれた。
おかげで、あんなに張り切って準備してもらったのに感想聞かれたらどうしよう?と悩んでいたリリアは、拍子抜けした気持ちでゆっくりと湯に浸かり、ベッドに入ってぼんやりしているつもりが、気づいたら朝になっていた。
そして今朝。お茶を用意してライナスの部屋に入ったリリアは、いつもと変わらない挨拶をした。
「おはようございます。殿下」
「っおはよう、リリア」
椅子に腰かけていたライナスが飛び上がるように立ち上がった。その横にはケトスが控えている。
ライナスは数秒、躊躇うように視線をさ迷わせると、駆け出したい気持ちを抑えているかのような、もどかしそうな足取りでリリアにじわじわと近づいてきた。
本来なら、リリアはさっさと部屋に入ってお茶の準備を始めるところだが、今日は無闇にライナスに近づくわけにはいかない。部屋に一歩入ったところで立ち止まり、じっとライナスを待っている。
まずは、昨日の事をたしかめないといけない。ライナスの女人アレルギーは、リリアにも反応するようになってしまったのか。
リリアに恐る恐る近づくにつれ、辛そうだったライナスの表情が徐々に解けていき、あれ?という顔に変わる。
ライナスは、そのままリリアの目の前までやって来ると、ぺたりとリリアの手を触った。
そのまま、リリアの手を両手できゅっと握ってしばらくすると、自分の手をじっと見つめてからグーパーした。
「あれ・・・大丈夫みたい・・・・?」
ライナスの言葉に、リリアとケトスは顔を見合わせる。
「リリアっ、やっぱりリリアにはアレルギーが出ないよ」
泣きそうになりながら笑うライナスが愛しくて、リリアはぎゅっとライナスを抱きしめた。
リリアの胸元で、ライナスがぐしぐし鼻をすするのが聞こえるが、きっとライナスは自分が涙を流すのをよしとしないだろう。だから、リリアはライナスが落ち着くまで、こうやってライナスの顔を隠し続けることにした。
なんかもう、不敬罪でもなんでもどんと来いな気持ちで、ライナスの柔らかな金髪をわしわしと撫でながら、ライナスの気が済むまでいつまでもこうしていようと思った。
ライナスのぐしぐし言う声だけが聞こえる中、リリアとケトスも泣きそうな顔で笑いあった。
しかし、なんで昨日だけリリアにもアレルギーが発症したのかは謎のままだった。
夜会の服装が原因かと思ったが、そもそも初対面の時だって夜会で会っているのだから、それはおかしい。
喉に骨が引っかかっているような気持ち悪い思いを解消したいといくら悩んでも、結局わからずじまいだった。
あれ以来、ライナスはリリアにべったりになってしまった。
常にリリアを傍に置き、手を握ってアレルギーが発症しないことを確認しないと心配なようだ。勉強や読書をしていても、ふとした瞬間に不安になるらしく、慌ててリリアの手を握りにくることが頻繁にあった。
ようやく自分のアレルギーが反応しない女性を見つけて希望ができたと思ったら、それが潰えそうになったのがショックだった事は想像に難くないし、ケトスの言う通りリリアと離れなければいけなくなるかもしれないという恐怖もあったのかもしれない。
ただ、あまりにライナスがリリアばかりを望むので、ケトスから睨まれているのを度々感じるのは勘弁してほしい。長年大切にしてきた殿下が私ばかりに構うのが面白くないのはわかるが、ヤキモチを焼かれてもリリアも困る。
「リリア!リリアどこ!?」
少しでもリリアが仕事で離れると、ライナスが飛んでくる。
「殿下!ここですよ。掃き掃除をしていました」
「リリア!!そんな事はいいから、僕の傍にいてよ!」
このところ、ライナスは少し不安定で感情的になりやすくなっていた。と言っても年相応な程度なのだが。
やれやれ。とリリアは掃除を切り上げて、ライナスの元へ急ぐ。
ライナスはリリアの姿を認めると、いつものようにリリアの手をぎゅっと握った。
そして、しばらくして自分がなんともないのを確認すると、やっと安堵したようにぴりぴりしていた雰囲気を緩めるのだ。
リリアは、親鳥に置いてかれまいとする雛のようだなと思っていたし、ライナスがつぶらな瞳を潤ませて見上げてくるのには滅法弱いので、ライナスの気が済むようにさせていた。
しかし、美少年から懇願の眼差しを受けるのは心臓によろしくない。リリアは己の鼻血が吹き出さないかだけが心配だった。
だが、ライナスは突然こんなことを言い出した。
「ねえリリア、リリアは僕と結婚するのは嫌かな?」
リリアは、一呼吸ゆっくりとその言葉の意味を考えた後、大声で叫びそうになったところをすんでのところで飲み込んだ。鼻血も耐えたが、許されるなら鼻に何か詰めたい。
リリアは表情をなんとかキープしながら、どうしたものかと考える。
縋るようにリリアに問うライナスを、迂闊な反応で傷つけたくもなければ下手に誤解させるようなこともしたくないのだ。
「このまま女人アレルギーが治らなかったら、僕は誰とも結婚どころか会うこともできない。でもリリアは違う。リリアとしか僕が結婚できない以上、父上も認めてくれると思うんだ」
冗談で流してすませるほど、ライナスは幼くも馬鹿でもない。
リリアは、腰をかがめてライナスと目線を同じにして、精一杯真摯に答えることにした。
「殿下、私は殿下のことが好きですよ。幸せになってほしいと思っています。私にできることだったら何でもして差し上げたいと思っています」
「本当に?僕もリリアをできる限り幸せにしたいと思っているよ。だから、僕のためにリリアに犠牲になって欲しいわけではないんだよ」
わかっています。とリリアは大きく頷いてから話を続けた。
「私だって、嫁の貰い手がない身の上ですからね。殿下の申し出はめちゃくちゃ嬉しくありがたくて、両親も泣いて喜ぶどころか卒倒するでしょう」
じゃあ、と顔を輝かせたライナスを遮って、リリアは瞳を真っ直ぐに合わせた。
「もし、私と結婚した後にアレルギーが治っちゃったらどうします?殿下は後悔しませんか?」
虚を衝かれたように、ライナスは一瞬押し黙ったが、すぐに反論した。
「まさか!アレルギーが治ったからって、リリアに不誠実なことはしないよ!」
「それはわかっています。殿下は誠実な方です。きっと変わらずに私を大事にしてくれるでしょう。浮気なんて絶対にしないでしょう。でも、心ばかりはどんなに頑張ってもどうにもなりませんよ。
・・・後悔しませんか?」
ライナスはリリアと合わせていた視線をゆらゆらと惑わすと、きつく唇を噛んで両手で顔を覆った。
リリアは顔を覆って俯いたままのライナスを、両手を広げて抱きしめた。
「リリア・・・ごめん。また、失ってしまうかと思ったんだ。本当にごめん」
ライナスがリリアの問いかけに誰を思い浮かべたのか、誰とリリアを重ねてしまったのか、リリアはいつかの揺れる碧い瞳を思い出しながら、ライナスの背を優しく撫でた。
やがて、落ち着いたライナスと笑い合えるのを確認して、リリアは部屋を出た。
部屋のライナスに向かってお辞儀をしてからゆっくりとドアを閉め、廊下の方へ体の向きを変えたところで、リリアは何かにぶつかった。
ふぎっと豚のような声を出た。リリアがぶつけた鼻をさすりながら壁の正体を見上げると、無表情を通り越してお面のようなケトスの顔にぶつかった。
すわお小言か!?とリリアは身構えたが、ケトスはリリアを数秒見つめただけで、何も言わずにどこかへ行ってしまった。
あれは何だったんだろうか。ライナス殿下とのやりとりをずっと聞いていたんだろうか。
ケトスのあのお面のような顔を思い出すと、妙に心が冷える思いがして寂しくなったが、リリアは頭を振って両手で頬を軽く叩くと、仕事を探しに厨房に行くことにした。