貧乏令嬢は王子の謝罪を受け取れない
「痛い痛い痛い痛い!!!あばらが折れるって〜〜〜!!」
リリアは死の危険を感じていた。
鍬で足を切るとか、皮が剥ける火傷をするとか、豚の下敷きになるとか、世の令嬢たちと比べるとけっこう危険な事は経験してきたつもりだったけど、今までで一番苦しい!
「無理無理、これ以上は無理ですーーーっ!!覚えてろよぉ!!漆黒の鬼眼鏡ぇ!!!」
リリアがこんな状態になっているのは、今朝のケトスの一言が始まりだった。
「さて、もう殿下のダンスやエスコートの練習は十分なようですね。なので、今日は実践を行いましょう」
「実践とは言っても、夜会に行けば女性がいて、殿下のアレルギー反応がでますよね。どうやって参加するおつもりですか」
リリアが、ライナスにお茶を出しながら素直に質問した。
「ええ、実際の夜会は難しいでしょうから、このトパーズ宮で模擬練習を行います。殿下とリリアは盛装して玄関に集合。そこからお二人で入場から退場までを、実際の夜会に参加しているつもりで、品よく優雅に行っていただきます」
あ〜なるほど、自宅でごっこ遊びするみたいな感じね。とリリアは暢気にうんうんと頷いていたが、このケトスの提案によって我が身に振りかかる災難には、ちっとも気づいていなかった。
「では、リリアの準備は彼女たちにお願いしてありますので。しっかり夜会に相応しい貴婦人に仕立ててもらってくださいね」
ケトスはにっこり笑いながらリリアの腕をとると、そのままリリアを部屋の外にポンと押し出すと、それではまた。と扉を閉めてしまった。
「さあ、リリア行きましょうね」
急に部屋から閉め出されたリリアは事態を理解する間もなく、待ち構えていた侍女たちに捕まった。そして、混乱しているうちにあれよあれよと連れていかれ、気づいたら丸裸にされていた。
「え?えーーーー?」
「さあリリア、覚悟してね。あなたを殿下が目を見張るような貴婦人に仕立て上げなきゃいけないんだから!さ、まずは湯浴みするわよ〜。余計なことしないでじっとしていてね」
じっとしていてと言われても、恥ずかしいしくすぐったいし、だいたい他人に自分の肌を洗われているというのは、すごいゾワゾワして落ち着かない!!
だが、リリアがどんな抵抗をしようが、侍女たちは「はいはい、あとちょっとですよ〜」とまったく取り合ってくれず、リリアは涙目になりながら耐えた。
やっと、羞恥に耐える罰ゲームのような時間が終わったと思ったら、シンプルだが上等な部屋着を着せられ、リリアはドレッサーの前に座らされた。
丁寧に化粧水やら何やらで肌を整えられると、鏡には見慣れた平凡な顔が映っている。トパーズ宮の食生活が良いせいで、余計血色が良くなった気がする。嬉しくない。
「さぁ〜て、ここからが腕の見せ所ね!リリアったら、トパーズ宮は来客がないのをいいことに、仕事中もすっぴんだなんて信じられないわ!高貴な方の侍女として、本来なら注意されるところなんだからね。
でも、リリアは肌が綺麗だし、癖のない顔立ちだから化粧映えするわよ〜うふふふふ」
化粧筆を持ちながら笑う侍女の顔がなんか怖い。
リリアはもう、未知の領域すぎて反抗する気にもなれず、呆然と侍女たちのされるがままだ。
「白粉は控えめにして薔薇色の頬を活かしましょうね。私の時代には、あんなに真っ白けになんかしなかったものよ。こんなに白くなる白粉もなかったしね。リリアにはきっと、その方が似合うわ」
年嵩のベテラン侍女が、そう言いながら慣れた手つきで濃淡を付けながら白粉をはたいていく。はたく度に舞う粉にリリアがケホケホしている脇では、別の侍女たちが化粧や髪型の相談をしている。
「口紅に青みがかったピンクはなしね。浮いちゃうわ。リリアはオレンジ系が似合うから、サーモンピンクがいいかしら。ねえ、アイメイクはどうする?ドレスは何色だっけ?」
「髪型はふんわりした感じがいいわよね。で、この辺りは編み込みを入れたらいいんじゃないかしら。そう、項はすっきりとね」
なお、もちろん誰もリリアの希望や意見を聞こうとはしない。
リリアだって聞かれても困るのだが。
よくわからない複雑な編み込みやらピン留めやらでふんわり髪をまとめられ、顔には筆やらスポンジやらが当てられる。
クリームや粉砂糖で飾り付けされるケーキの気分だわ。すっごい上等なやつ。とリリアが身を任せて油断していたところで、危機は訪れた。
「じゃあ、コルセットいくわよ。リリア、息吐いてね」
そうして、リリアは生涯最大の苦痛を味わうことになるのだった。
さて、そろそろかな。と、ケトスは胸元から懐中時計を取り出して時間を確認した。
女性に比べれば、男性の準備など簡単なものだ。ライナスとケトスはいつも通り授業を行い、その後、身支度を整えてリリアを待っていた。
リリア、怒っているかなあ。
容易に想像できるリリアの身支度の様子を思って、ライナスは眉を下げた。
きれいに後ろに撫でつけられた髪のおかげで、いつもより表情がくっきりしており、なんとも凛々しい貴公子ぶりだ。
ライナスがふと階段の上に目をやると、青とアイボリーを基調とした上品なドレスの端が、曲がり角から覗いているのが目に入った。
やがて、そのドレスの端から優雅に膨らんだスカートが現れ、美しい曲線を描く上半身から露出が眩しい肩が見えると、栗色の瞳とぶつかった。
思わず、「リリアとっても綺麗だよ!」と大声を出しそうになって、ライナスは慌てて口元を閉めた。これは模擬練習なのだから、ちゃんと夜会に相応しい振る舞いをしなければケトスに叱られてしまう。
だが、こっそりケトスの方を見ると、ケトスは見たこともない唖然とした顔をしていた。僕の様子なんてちっとも目に入っていないんじゃないだろうか。ライナスは思わず目をぱちくりしながら、ケトスを二度見した。
しずしずとリリアが階段を上品に降りてくる間、ケトスの視線はずっとリリアに釘付けだ。
「ごきげんよう殿下」
リリアが階下に到着し、ライナスに優雅なカーテシーをして見せたところで、やっとケトスは我に返ったようだ。さっきまでの顔が幻だったかのようにいつも通りの無表情に戻っている。
ライナスは笑い出したいのを必死に我慢して、リリアのために腕を差し出そうとした。
・・・が、できなかった。
ライナスは、馴染みのある感覚に戸惑い、前に進みかけた姿勢のまま固まった。
リリアとケトスが心配そうに見てるのはわかったが、ライナスはこの感覚を認めたくなくて、動くことができなかった。しかし、いくら気の所為だと思おうとしても酷くなるばかりだ。
それでも諦めたくなくて、ライナスは思いきってそのまま進んでリリアの前に立ったが、そこで限界だった。
ライナスは後退してリリアから離れると、頭を押さえながら絞り出すような声で告げた。
「・・・・駄目だ。アレルギー症状だ」
リリアとケトスが、はっとお互いの顔を見合わる。
信じられない。いや信じたくない。2人ともその気持ちだった。
が、現実は変わらない。逸早くケトスが気持ちを切り替えて、行動した。
苦渋の面持ちで俯くライナスの背中に、ケトスが手をかけ私室に戻るように促す。
背中に触られたライナスが悔しそうにケトスを見上げるのを、ケトスは無言で頷いた。
「リリア、ごめん・・・」
ライナスは、リリアの方を向くことなく背中越しにそう言うと、ケトスに連れられて私室へと戻っていった。
謝罪を受け入れることも、こちらから謝罪することも。
残されたリリアには、どうすることもできなかった。
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