貧乏令嬢は漆黒の鬼眼鏡に呪いをかける
私が、ライナス殿下に近づけた初めての女性ってどういうこと!?
リリアがぽかんとした顔で続ける言葉に迷っていると、横からライナスが口を挟んだ。
「それについては、僕から説明させてください。その、これは王家の機密にあたるので、あなたには詳しい説明をしないまま誓約書を書いていただくような事になり、すみません。
ケトスの言う通り、僕は女性に近づけないのです。近づくと、頭痛や吐き気に襲われてしまい・・・また、女性の肌を触ると、僕の手はかぶれてしまうんです。女人アレルギーだと言われています」
女人アレルギー??なんだそのアレルギー?そんなの聞いたことないけど!
眉唾物の話にリリアがケトスの方を向くと、ケトスは神妙な顔で頷いて肯定した。
どうやら、揶揄われているわけではないらしい。
「僕は王族です。その僕が女人アレルギーとなると、子孫を残すことができません。それは王族として致命的なんです・・・欠陥品と・・言えます・・・」
「それゆえに機密なのです。ただ、アレルギーは成長とともに無くなることもあると聞きます。しかし、ライナス殿下も14歳。そろそろ社交に慣れる必要があるため、小規模な夜会にお忍びで参加したところで、あなたと出会ったのです」
言葉に詰まったライナスの後を継いで、ケトスがそう続けた。
ライナスは痛みに耐えるような表情で唇を噛んでいる。
そうか、あの夜会の時に具合が悪そうだったのはアレルギーのせいだったのかと、リリアは思い至る。
たしかに、ライナス殿下には悪いが王族として最も重要な役割は血筋を残すことであり、それができないと言うことは、大問題だ。それどころか、女性に近づけないとなると外交や式典への出席にも差し障りがある。事が公になれば廃嫡されてもおかしくない。
「その・・・事情は承知しましたけど、なんで私は大丈夫なんでしょうか」
「わかりません。ところで、あなたの性別は女性で間違いありませんよね」
「だから!一応女性だってさっきも言いました!!」
そうでしたね。と相変わらずの無表情で応じるケトスを、リリアはじとりと睨みつける。
メガネのレンズ越しの黒い瞳からは全く感情が読み取れず、きっちりと後ろに撫でつけられた黒髪もどこか嫌味たらしい。なんだか自分ばかり緊張して取りすましているのも馬鹿らしくなり、リリアは大きく息を吐いた。
「それで、何故かライナス殿下が近づいても大丈夫な私は、いったい何をすればいいんですか」
「侍女として私の補助と、ライナス殿下の社交の練習相手です。
まず、ライナス殿下が女人アレルギーであることを隠すため、ライナス殿下はこの『トパーズ宮』に引き篭もっています。対外的には、非常に神経質でこだわりが強いため、トパーズ宮外の場所を好まず、また、限られた人間しかトパーズ宮に入ることもできない事になっています」
まさかの殿下変人設定に、リリアは思わずライナスを見やる。
こんなに素直で愛らしい様子の殿下が、対外的にはそんな扱いにくい嫌な人間になっているとは!
先程のライナスの耐えるような表情を思い出し、リリアは心が痛んだ。
「その、僕にはケトス以外にも部屋付きの侍従がいるので、身支度などは問題ありません。ただ、トパーズ宮にも女性の使用人はいるので、女性に近づけないのを誤魔化すのと、トラブル対応のために、僕はお気に入りのケトスを常に連れ歩いて、他の人の世話になるのを嫌がるという事になっています。
僕の女人アレルギーはケトスを含む限られた人間しか知りません。このトパーズ宮の人間もほとんど知りません。
なので、ケトスには常に側にいてもらうために、今は僕の従者になってもらっていますが、本来はとても優秀な文官なんです。だから、あなたがいてくれれば、ケトスをもう少し自由にしてあげられます」
リリアの視線に言葉を求められていると思ったのか、ライナスはリリアにそう訴えた。
なお訴えを続けたそうにしているライナスを、ケトスが軽く手を上げて抑えると、無表情を微妙に和らげて説明を続けた。
「殿下、私の事はいいのですよ。ただ、私1人では対応が難しいことがあるのは事実ですので、あなたにはその補助をしてもらいたいと思います。
そして、あなたにしかできない事が、殿下の社交の練習相手です。
殿下は、その体質故に女性とのダンスやエスコートの経験がありません。こればかりは、私では練習相手が務まりませんので、是非あなたにお願いしたいのです」
「えっと、精一杯努めさせていただく所存ではございますが、こちとら田舎の貧乏子爵の娘でございまして・・・」
まさかの苦手分野が飛び出して、リリアは妙な敬語になりながら目を泳がせる。が、
「もちろん。あなたに貴族の立ち振る舞いやマナーの教養が不足していることは予測しておりますので、殿下の練習相手に足りるように、みっちり教育させていただきます」
と、眼鏡を押し上げながら、綺麗な笑顔でケトスはリリアにそう言い切った。
初めてケトスの笑顔を見たが、リリアは嬉しいどころか寒気に身震いした。
かくして、それから10日間。リリアは上流貴族の教育をスパルタ式で叩き込まれた。
ちなみに、必要なものは全てこちらで用意するから、荷物を取りに帰る必要はなし。と強めに断言され、流れるように淑女教育に引き継がれた。
リリアに悩んだり怖気付くような暇を一切与えない見事な手際だった。
なお、大叔母には王宮で住み込みの仕事が見つかったと手紙を送ったところ、大叔母から「さすがリリアね!根性が勝ったのね」と暢気な返事が来た。我が家の親類縁者はぽやぽやした人しかいないんだろうか。
「どうやら、ぱっと見は様になってきたようですね」
10日ぶりにリリアに会ったケトスは、リリアの立ち姿を検分し満足そうに頷いた。
「おかげ様でね!先生と缶詰めマンツーマンレッスンを10日もやればね!24時間、寝起きの時やトイレに行く時でさえ所作を注意される私の気持ちがおわかりになって!?ストレスで禿げるかと思いましてよ!」
強制的に上品な言葉が出てくるようになった自分が怖い。
リリアはもういないはずの講師の叱責を恐れてびくびくしながらも、精一杯の嫌味を言った。
「ふむ、言葉遣いもマシになったようですね。知性ばかりは付け焼き刃ではどうにもなりませんでしたが、問題ないでしょう。
やっと下地ができましたので、次の教育に移りましょうか」
まさか・・・と、リリアの嫌な予感は当然的中した。
その日から缶詰めマンツーマンレッスン社交ダンス編5日間が途切れなく始まり、その後ハイヒールで痛めた足を休める間もなく、更に侍女の仕事編5日間コースに引き継がれたのである。
トパーズ宮では、夜な夜な女性の悲鳴が聞こえたとか聞こえないとか。
リリアがライナス殿下と再会できたのは、実に20日後の事だった。
リリアに久しぶりに会えると、わくわくして部屋に入ったライナスは、そこにいたリリアの姿に空色の目を見開いた。
侍女のお仕着せに身を包みテーブルの横に静かに立つ彼女は、指先まで神経が行き届いた一分の隙もない完璧な佇まいだった。
顔形や姿は何も変わらないのに、まるで別人のようだ。
ライナスの着席を確認したリリアは、淀みのない動作でライナスにお茶を用意し、またスッと元の姿勢に戻った。
「殿下、大変お待たせしました。いかがでしょう」
ケトスの言葉に、ライナスは頷いて満足の意を表した。
そして、ここに至るまでのケトスの容赦ない指導に感心するとともに、リリアにはちょっと申し訳なさとなんだか寂しさを感じる。
「よくがんばってくれたねリリア。本当にありがとう。君の勉強の成果はよくわかったよ。
今日は君を労いたいと思って来たんだ。さあ、まずは席について」
ライナスにそう促され、リリアは相変わらずの落ち着いた侍女の仮面を付けたまま優雅な動作で席についた。が、席についた途端に仮面をかなぐり捨てた。
「殿下!!あの人、鬼でございますね!もう私は鬱憤が溜まりすぎて、心の中で『漆黒の鬼眼鏡』というダサいあだ名で呼ぶことにしております」
ブハッ、とライナスは思わず吹き出した。
しまった。とケトスの方を見ると、いつもの無表情だが口元が少しひく付いている気がする。
「でも、それでも私の鬱憤は到底晴らせるものではございませんので、毎晩寝る前に『漆黒の鬼眼鏡、禿げろ!』と心の底から呪いをかけております。あんなに素敵なオールバックを毎日されてるんですもの、額の方からくるに違いありませんわ!!殿下ご存知ですか。後頭部と額では、最初は後頭部の方が悲劇です。でも鬘で誤魔化す段階までくるとあら不思議、額の方が絶望なのですよ!!」
「リリア・・・その辺で・・・いや、ふふ、ひぃ・・ひぃ・・・とても、お茶が飲めないよ」
ライナスは、ついにお腹を押さえてうずくまりながら笑い出した。
ケトスの顔は、もう間違いなく引きつっているし目が座っている。
どうやら、ケトスの鬼特訓コースを以てしても、リリアの豊かな感受性は御し切れなかったらしい。ライナスはその事に安堵したのもあって、顔の引きつりが増していくケトスを横目に、久しぶりに涙が出るまで笑った。