貧乏令嬢は横暴な誓約書を提示される
できれば卒倒したいと思ったところで、体もメンタルも丈夫なリリアが卒倒できるはずもなく、真正面から対峙することとなった結果、翌日リリアは王宮にいた。
あの後、現れた第三者 改め 従者の方に宥められ、少年はリリアの両手を握っていた手をしぶしぶ引いた。しかし
「明日の午後、迎えに参りますのでよろしくお願いいたします。逃げたら不敬罪ですからね。お名前と滞在先を簡潔にどうぞ」
と眼鏡で表情の読めない従者に「不敬罪」を強調して言われれば、リリアは素直に従うより他なかった。この夜会で問題を起こしたとなれば、夜会の主催者の伯爵夫人や王都でお世話になっている大叔母にまで迷惑がかかってしまう。
「わ、ワタシはこのお屋敷に宿泊させてイタダク予定デスケド・・・」
言いたくない。言いたくないけど、言わないと不敬罪・・・!
「そうですか。承知しました。ではまた明日。本日はこれで失礼いたします」
リリアが強張った顔でぎこちなく口を動かして答えると、従者の男は眼鏡を軽く直しながら淡々と挨拶し、名残惜しそうな少年を連れて帰っていった。
翌日、夢でありますようにというリリアの願いも虚しく、夜会後の気だるさが残るような伯爵邸の前に、地味な装飾だがしっかりとした造りの馬車が止まっていた。
ちなみに、なぜリリアが伯爵邸に泊まっているかと言うと、節約の為である。
パートナーもいなければ、辻馬車に乗るお金も出したくないリリアは、夜会当日のまだ明るいうちに徒歩で伯爵邸にドレス持参でお邪魔し、お借りした一室で身支度を済ますと、受付を通らずに直接夜会に参加。その後、一泊して翌日にまた徒歩で大叔母宅に帰る予定だったのだ。
幸い、伯爵夫人はおおらかな方なので、夜会で出会った仕事を紹介してくれそうな人が王宮の方だったんです。と言ったら「あら、良かったじゃな〜い」と深く詮索もされなかった。
行きたくない。行きたくないけど、王宮からの使者を待たせるわけにもいかない。
リリアは、虚ろな表情ながらもテキパキと準備を整えると、馬車に乗り込んだ。
こんな時でなければ、王宮クオリティーの馬車の乗り心地を堪能したいところだが、馬車の乗り心地どころか、今日は起きてからまだ一回も地に足が着いてない気がする。
王宮に着き、座り慣れない柔らかさのソファーにまごまごしているうちに、例の少年と従者がやってきた。
リリアは慌てて立ち上がって、とりあえず深く頭を下げる。
「どうぞ、頭を上げてください。僕がお願いして来ていただいているんですから。後、あの、レディに大変不躾なのは承知なのですが、あなたに触れてもよろしいでしょうか」
少年の言葉に、リリアはお辞儀の姿勢のまま思わず頭だけ上げて少年の顔を見た。
リリアのすぐ前まで来ていた少年はリリアの怪訝な顔を正面から受け、慌てて言葉を続けた。
「いえっ、あの、変な意味ではなくて!ちょっとお手を取らせていただいてもよろしいでしょうか。僕のこの手の上にあなたの手を置いてもらえませんか?」
捨てられた子犬のような顔をした美少年に懇願されるとか、どういう状態なのだろうか。
はちみつ色の金髪に空色の瞳が可憐すぎる。ゴールデンレトリバーの子犬かな。
リリアは、色々と混乱しながら少年の右手にそっと自分の手を重ねた。
少年は乗せられたリリアの手を、握ると言うより軽く挟むぐらいの力で手に取ると、じーっと見つめた。しばらくすると、反対の手に持ち替え、今度は先ほどまでリリアの手に触れていた自分の右手を色んな角度から観察し出した。
やがて、何かが確信に変わったようで、ぱあっとそれはそれは愛らしい顔で笑った。
「やっぱり!あなたなら大丈夫なんだ!!あなたみたいな人がいるなんて!!」
興奮気味の少年に対して、リリアは頭に浮かぶハテナマークが増えるばかりである。可視化できるならもう50個ぐらいは付いていると思う。
「殿下。お気持ちはわかりますが、落ち着いてください。彼女もだいぶ混乱して面白い事になっています。まずはお互い席に着いて話しましょう」
少年の後ろで静かに控えていた従者がそう言うと、少年は恥ずかしそうな表情でリリアの手を離し、着席を促した。
そこでやっと、リリアは自分がお辞儀の姿勢で頭だけ上げたまぬけな格好のままだったことに気づき、慌てて体勢を整えた。ついでに、不敬極まりない怪訝な表情で固まっていた顔も即座に取り繕う。
「突然のお呼びたて申し訳ございません。こちらにいらっしゃいますのは、第一王子であらせられるライナス殿下です。私は殿下の従者をしておりますケトスと申します」
やっぱり王子様か!!!
従者ケトスからなされた紹介に、せっかく取り繕った表情が早くも崩れそうになりながら、なんとか澄ました様子でリリアは答えた。
「まさか殿下でいらっしゃったとは。無礼な行いの数々どうかお許しください。
私はクーグリタ子爵が長女リリアでございます」
「リリア嬢、あなたにお願いしたい仕事があります。つきましては、まずはこちらの誓約書にサインしていただけないでしょうか」
いやいやいやいや、いきなり誓約書を出されても困る!!王族横暴すぎでしょう!
ケトスが、まるで決まりきった事務手続きかのように、書類をリリアの前に滑らせてくるが、リリアも、まさかここで流されるわけにはいかない。
「まあ。私としてもできる限りの事はしたいと思っておりますが、流石に内容もわからずに誓約書にサインをするわけには・・・」
「クーグリダ子爵といえば、今年は領地の作物の収穫が芳しくなかったそうですね。こちらとしても、できれば援助を差し上げたいと思っているのですが」
うぐっというリリアの呻きが聞こえたかどうか。
どうやら、リリアの痛いところもくすぐるべきところも、リリアの家名を聞いただけで承知しているらしい。やだ、本当に都会って怖い!
誓約書を持ち上げてペラペラと揺らしながら、無表情にケトスはダメ押しの言葉を続けた。
「あなたの身の安全と、ご家族になんら害がないことは保証いたします。ただ、こちらとしてもデリケートな事情を含みますので、誓約書にサインを頂けない限りは詳細についてお答え致しかねます。さあ、どうしますか」
「ち、ちなみに援助とはどれぐらい・・・・」
「ひとまずは5000シシア。その他にあなたへの給金も発生します」
5000シシア!!リリアの心は俄に浮き足立った。それだけあれば、マーキスの学費がなんとかなる!その上、給金が出れば仕送りもできる!!!
「非常にありがたいお申し出ありがとうございます。まずは、誓約書を拝見いたします」
大きなチャンスには違いない。リリアはとっておきのビジネススマイルで、表情を悟られないように気をつけた。こちらががっついた様子を見せれば、揚げ足を取られかねない。
「ええ。では、今5000シシアの援助金の項目も追記しますのでお待ちください」
なんと、ケトスはその場で誓約書にサラサラと追記をすると、ライナスからのサインも取り付けてリリアに手渡した。
ごくり、と生唾を飲み込んでから、リリアは入念に誓約書の内容を確認した。うまい話には絶対に裏がある!でも、5000シシアは喉から手が出るほど欲しいし、こんなチャンスは二度とない。
誓約書には、守秘義務についてや拘束される内容についてまで細かく示されていたが、変な項目はなかった。むしろ良心的だろう。自由な行動は制限されてしまうし、期限が定まっていないのが気になるが、どうせ嫁の貰い手も無さそうだし、一生王宮のお世話になるのもいいだろう。
リリアはそう考えると大きく深呼吸をし、えいやっとサインをした。
すかさず、誓約書はケトスに回収され、ケトスはサインを確認すると眼鏡を押し上げながら満足そうに頷いた。隣でライナスもほっとした表情を浮かべている。
「ありがとうございます。では、早速ですが詳細に移らせていただきます。あなたの仕事はライナス殿下のお世話その他諸々になります」
諸々ってなんだ!諸々って!!
リリアはつっこみたい気持ちをぐっと我慢してケトスが言葉を続けるのを待った。
「実は、ライナス殿下は女性に近づくことができません」
「・・・は?私、一応女性ですけど?」
今度ばかりは耐えられずにリリアはそう突っ込んだ。
が、ケトスは落ち着き払った様子のままこう続けた。
「あなたは、ライナス殿下が近づいても大丈夫だった初めての女性になります」
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