貧乏令嬢は従者からお守りをもらう
それからは、あっという間だった。
すぐさま、百合模様の白粉は使用禁止のお触れが出された。
どうやら、その白粉を取り扱っていた商会は利益を出すために際どい材料を使用したり、経営面でも後ろ暗いところがあったりしたらしく、叩けば叩くだけボロボロと色々出てきたらしい。
これを機に一掃してやる。と担当文官が息巻いていたとか。
ついでに美白ブームも終わってくれればいいんだけどな。と思いながら、リリアは荷造りをしていた。
ライナスのことも、王家から正式に発表がされた。
ライナス殿下は謎の健康被害により長らく療養していたが、この度、原因が判明し回復したため王族としての公務を開始する。と。
ライナスの今までの悪評を回復するには、まずは足元を固めなくてはならない。
ライナスは真っ先にトパーズ宮の使用人たちに、今までの事情を説明した上で謝罪した。ケトスからも、本来の殿下はそんなに神経質でも気難しくもないとフォローがなされたが、それに対して使用人たちはというと。
「何言っているんですか。殿下がそんな人間じゃないってこと、みんな気づいていましたよ。ただ、何か理由があるとは思っていましたから、私たちもそれに従っただけですよ」
と、みんなしてからから笑っていた。
その言葉にライナスが涙ぐみ、ケトスも涙ぐみ、リリアまで涙ぐむに至って、その様子を見ていた他の使用人たちまで涙ぐみ、辛気臭いのが苦手なシェフが「祝いだ祝いだ!!みんなでお祝いするぞ!!」と言い出すと、使用人総出でご馳走を作ったりテーブルの用意やら何やらが始まってしまい、その晩はトパーズ宮の人間全員での宴会になった。
ライナスは使用人1人1人にお礼を言って回り、ケトスは使用人たちによくやった!ともみくちゃにされ、リリアは殿下の愛らしいエピソードを披露して大人気だった。
ああ、なんか私の役目は終わったな。とリリアは安心した。
きっとライナス殿下はこれからも苦労するだろう。今までの弊害や困難も多いだろう。
でも、もうライナス殿下が頼れるのはケトスとリリアだけではないのだ。捨てられた子犬のような目をしたあの少年は、もういないのだ。寂しいけど。寂しいけど、本当に良かった。
リリアがトパーズ宮を出て領地へと帰る当日、ケトスが玄関まで見送りに来てくれた。
ライナスも見送りをしたがっていたのだが、どうしても都合がつかず昨晩に涙の別れを済ませている。
「あなたは、変なところで頑固ですね。ライナス殿下もトパーズ宮の人間も、あなたには残ってほしいと言っているのに」
不可解だと言わんばかりのケトスに、リリアは歯をめいっぱい見せて笑ってみせる。
「だから、言ったじゃないですか。もう殿下は私がいなくても大丈夫ですし、私も曲がりなりにも未婚の貴族令嬢ですからね。しかもど田舎の貧乏貴族の娘が殿下の側に仕えてるなんて知られたら、底意地の悪い貴族たちのスキャンダルにされかねませんよ。せっかく殿下の憂いがなくなったのに、自分が新たな火種になるなんてまっぴらごめんです。おかげさまで、たんまりお金もいただきましたしね」
「帰ったらどうするつもりなんですか?」
「結婚相手を探したいところですけど、この見た目と持参金の少なさでは難しいので、しばらくは農作業に勤しみますよ」
冗談めかすリリアにケトスは眉を上げると、いつにも増して真摯にこう返した。
「リリア、あなたはなぜか外見に対する自己評価が低いですけど、あなたは綺麗ですよ。世間の流行なんて、そんな移ろいやすいものなんか、当てになりません。世間がどんな流行に支配されようが、あなたが美しいことに変わりはありません」
今まで散々嫌味を言われてきたケトスから突然褒められて、リリアはびっくりしてしまった。漆黒の鬼眼鏡のくせにどうしたんだと、眼鏡の奥の瞳を3度見ぐらいしたが、ケトスの瞳は照れてもなければ揶揄ってもおらず、どういうつもりなのかがわからない。
「あ、あは!ありがとうございます。そう思ってくれる人が結婚相手になってくれるといいんですけど」
リリアはとにかく何か言わなければと早口でそう返したものの、思わず本音が混ざってしまっている。
「・・・では、私もあなたの結婚相手になってくれそうな人を当たっておきましょう。年齢や見た目、性格等に希望はありますか?」
「は?え・・・いや、そんな贅沢言える身の上ではないので・・・」
「いいから、希望を言ってください」
突然にやり手婆のごとき申し出をされ、リリアは面食って返事を濁すがケトスは引き下がらない。
「え〜。そうですね、年齢はあまりお爺さんよりは近い方がいいですけど、本当に許されるなら10歳差ぐらいまでがいいですね。見た目・・・は別に。性格は、私がこんなんなので、あの、しきたりや作法にうるさい人だと、ちょっと厳しいかもしれませんね。後は、私のこの性格を許容してくれる人なら、これが一番難しいですけど、言うことないですね」
こんなこと、ケトスには言いたくないのに何なんだろうか。
リリアははチクチクと胸に刺さる痛みを感じながら、しどろもどろと答えた。
ふむ。とケトスはおもむろに眼鏡を押し上げると、懐に手を差し入れて何かを取り出した。
「リリア、これは餞別です。お守りのようなものなので、肌身離さずつけておいてください」
リリアが動くより先に、ケトスはリリアの右手を掴んでそれを滑り込ませた。
それはネックレスだった。シンプルな銀のチェーンにサークル状のペンダントトップがついている。
「え・・え!?いやいや、こんなの悪いですよ。もらえませんよ!」
強引に手の平に渡されたそれを、貰えないけど落とせない!とリリアは手の持って行き場に困りながら、わなわなさせている。
「いいから。ただ見た目通り、そんなに価値があるものではありませんから、売り払ったりしないでくださいね」
「そんなことしませんって!」
どんだけ貧乏だと思われているんだ!いや間違いなく貧乏だけど、お世話になった人からの頂き物を、それもケトスからの頂き物を売り払うほど落ちぶれてないわ!
リリアはぷりぷりしながらも突っ返すのも失礼かと思い直し、素直にネックレスを自分の首にかけた。
「じゃあ、ありがたくいただきます」
そんなリリアを見ているケトスは、なんだかとっても満足そうだ。
「じゃあ、短い間でしたけど、本当にお世話になりました。殿下にもよろしく伝えてくださいね。後、ケトスも・・・あまり無理しないように、体に気をつけて」
「ええ、あなたも」
最後にもう一度だけトパーズ宮を見上げると、リリアはとっておきの淑女の礼をケトスにしてから、馬車へと乗り込んだ。
名残惜しさにきりはない。リリアはそのまま、一度も馬車の窓からトパーズ宮を振り返ることはなかった。
ケトスに貰ったペンダントを手で弄びながら、リリアはトパーズ宮での思い出に浸りつつ、ぼんやりと長い旅路を過ごした。
またしても王宮クオリティーの馬車の乗り心地は堪能し忘れたが、それはもうどうでもよかった。
帰宅したリリアは、両親とマーキスに大層喜ばれた。
ただ、家族からはこんな大金が手に入るなんてどんな仕事だったんだと非常に心配されたが、リリアは「王宮の侍女が急な人手不足になったところにうまく入れたのよ。そこで知り合った文官の方が援助金の話をつけてくれたおかげなの」と、詳しい話をするのは避けた。
家族のことは信用しているし、こんな僻地で何を話そうが王都には関係ないとは思うが、ライナス殿下とケトスのことを思うと、どんな些細な不安も取り除いておきたかった。
無事、マーキスの入学も決まり、作物の生育も順調で、リリアは忙しい日々を過ごしていた。
相変わらず毎日の農作業で日に焼けるし、そんじょそこらの男には負けない逞しさのリリアだが、もうそれを引け目に感じることはなかった。だってケトスがそんな私を美しいと言ってくれたのだ。なら、それでいいじゃない。
そのケトスからは、月に一度手紙が届く。
大抵は近況報告で、こちらはうまくいっているから心配するなという事務的な内容だ。手紙には大体ライナスからの手紙も同封されており、こちらはサーリアと会えて嬉しかったとか、王妃様が今まで関われなかった分を取り返すわよ!とばかりにライナスに構うようになって嬉しいけど恥ずかしいとか、初めての夜会で緊張したとか、そんな心洗われる内容だ。
トパーズ宮での時間は夢だったのではないかとリリアはたまに思うが、月に一回のこの手紙と、ケトスからもらったペンダントが現実だった証拠だ。
リリアは毎晩眠る前に、片手でペンダントを触りながら手紙を読むのが習慣になっていた。
そんな日々が1年ほど続いたある日、リリアにやけに優美な装丁がなされた立派な手紙が届いた。
それは、ライナス殿下とサーリア公爵令嬢との婚約式の招待状だった。