貧乏令嬢は逃亡先を提案する
「これは・・・白粉?」
「はい。空前の美白ブームで女性の必需品となっております。白粉です。今朝のゴードンの袖口にも付いていました。きっと殿下の身支度をゴードンが手伝う時に、殿下の手がゴードンの袖口についた白粉に触ってしまったんだと思います」
「しかし、伯爵家の夜会で会った時のあなたもお化粧はしていたでしょう」
不可解だとばかりにケトスがそう言うが、リリアは心を無にして答えた。
「私のあれは小麦粉です」
「は?」
「だから!貧乏貴族の私は白粉なんて持っていなかったので、あの時は小麦粉を肌につけていたんですよ!」
恥ずかしいから何度も言わせないでほしい!
顔を赤らめながら答えるリリアに、ケトスは驚愕しようか呆れようか決めかねているようだが、とりあえず黙ってリリアの話を聞いている。
ただ、可哀想な子を見る目を向けてくるのは、止めてもらいたい。
「そして、私はこちらに勤めるようになってからも普段は化粧をしていません。でも、一回だけ例外がありました。それが、あの夜会の模擬練習の日です。あの日は、顔にも体にも満遍なく白粉をしていました」
ずいっ、とリリアは改めて百合の装飾がされた白粉の容器を2人の前に差し出す。
「殿下、この白粉をほんの少し手につけてみてください」
ケトスが差し出された白粉を受け取り、ライナスに目で問いかけた。
ライナスがしっかりと頷くのを確認すると、ケトスは容器の蓋を開けて、白粉を自らの指に少量つける。そのまま、緊張の面持ちをしたライナスの手の甲を白粉を付けた指でそっと触った。
「・・・あ、かぶれた・・・」
ケトスが指を離すと、ケトスが触れていた部分がみるみる赤くなっていく。
その様子を不思議そうに見つめていたライナスは、今度はケトスから白粉の容器を受け取り、鼻の近くでくんくんと嗅いでみる。
「あ、頭痛くなってきた・・・・ふふふ、頭痛くなってきたよ・・・!」
興奮のあまり、また白粉を触って確認しようとするライナスから、ケトスが慌てて白粉を取り上げる。
「そうか、女性は一般的にデビュタントを迎えると、髪を上げて化粧をするようになる。だから、デビュタント前の少女にはアレルギー症状が出なかったのか。
しかし、原因がわかっても、貴族階級の女性が白粉を使っている限り問題は解決しません」
ケトスの言うことはもっともだ。
今のままではライナスに社交ができないことに変わりはないのだ。
「でも、このアレルギーって殿下以外にも被害者がいるんじゃないですか?それに、殿下のアレルギーの発症時期って、ちょうどこの百合模様の白粉が流行り出した頃だと思うんです。だから、白粉が原因というより、この百合模様の白粉に含まれるなんらかの材料が原因じゃないでしょうか」
リリアは、年嵩の侍女や叔母が「昔はこんな白粉なかったわ。5〜6年前ぐらいからとっても白くなる白粉ができたのよ」と言っていたのを思い出した。
「僕、父上に話してみようと思う」
ぽつり、とそう言ったライナスの意図がわからず、リリアとケトスは言葉の続きを待つ。
「これで苦しんでいる人が僕だけじゃないのなら、その人たちにも原因を知ってほしい。その人たちにも普通に生活できるようになってほしい。
僕は今まで、ただ隠れて生きていくことしかできなかったけど、こんな僕で誰かの役に立てるのだとしたら、僕は、自分のアレルギーを、公表しようと思う」
女体アレルギーではなかったとは言え、貴族女性に近づけないアレルギーがあると言うことは不利な要素でしかない。それを公表するというのはリスクが大きい。
ケトスは賛同しかねているようだった。例え失敗しようがケトスにそんなに不利益はないのだから、賛同すれば良さそうなものの、結局ケトスはライナスが大事なのだ。
やっぱり、養父の期待に応えたいだけなんて嘘ばっかり。
「殿下、やりましょう!」
「リリア!無責任なことを・・・」
気軽な調子で賛同するリリアにケトスが慌てて待ったをかけるが、リリアはその言葉を遮って話を続けた。
「ダメだったらダメだった時です。その時は、殿下と私とケトスの3人でうちの領地にでも引っ込みましょう。うちの領地の女性陣は白粉なんて使いませんし、贅沢はできませんけど生きていくぐらいはなんとかなりますよ」
突然のリリアの提案に、ケトスが目を見開いて口を半開きにしてリリアを凝視してくる。
これがあの無表情なケトスかと思うと、絵にでも残したいところだ。
「だって、どうせケトスは、その身が朽ちるまで殿下とご一緒する気でしょうが。なら、嫁の貰い手がない私もお供しますよ。我が家は弟がしっかりしているので、跡取りは問題ありませんし。大丈夫!農作業は私がマンツーマンの24時間鬼体制でお教えしますよ」
ニヤリ、と笑ったリリアにケトスは表情を弛緩させ長いため息を吐いた。
ケトスがライナスを見ると、ワクワクと希望に満ちた顔で「僕、農作業がんばるよ」と言っている。
やれやれ・・・とケトスは顔を手で覆いながら、もう一度長いため息をついた。
そして、気持ちを切り替えると、いつもの無表情で眼鏡を押し上げた。
「わかりました。殿下のお心のままに。私はどこまでもお供しますよ」
こうして、今まで表舞台から隠れるようにして生きてきたライナスとケトスは、精力的に働き出した。
まずは、同じようなアレルギーに悩まされている人間がいないかを調べたところ、案の定見つかった。
裕福な商家の妻が、貴族で人気の白粉を試してみたけどダメだったという話や、貴族の中でもかぶれてしまうので、流行りの百合模様は使えないという女性が結構出てきた。
ライナスのように、直接触れずに近くから少量吸い込んだだけで症状が出るような重度のケースは稀だったが、それでもこの白粉でかぶれてしまうという人の中から数人程、夜会のような場所に行くとなぜか具合が悪くなるという人も見つけた。もしかしたら、男性の中にも夜会で具合が悪くなるが、白粉のせいだと気づいていない人がいるかもしれない。
「ライナス殿下は王族ですから、侍女も面会する女性も皆ある程度の爵位を持つ貴族です。もれなく身だしなみとして化粧はしています。流行りの白粉も惜しみなく使っていた事でしょう。だから、女性全員にアレルギーが出るように錯覚してしまったんです。また、最初の頃に侍女によって殿下のアレルギー症状が出たり出なかったりしたのは、この白粉が出始めた頃でまだ全員が使ってるわけではなかったからでしょうね」
ケトスは調査内容を踏まえて、そのように分析した。
これだけ、健康被害の実例があれば十分だろう。ケトスとライナスはいよいよ話を王まで持っていくことにした。
話の聞き込みぐらいは手伝えたが、これ以上はリリアには手が届かない世界だ。
リリアは、おとなしく2人を待つことにした。
朝早くから出かけた2人は、夜遅くまで帰って来なかった。
リリアは、気もそぞろに仕事をしながら、今か今かと2人を待った。時間がいつもより倍以上遅く過ぎていくような気がした。
夜になってやることもなくなり、本当なら2人の帰りがすぐわかる玄関の近くで待っていたかったのだが、他の使用人の目もあるし、ケトスから大人しくライナスの部屋で待機しているようにと言われている。リリアはライナスの部屋でじりじりと2人を待った。
と、ドアが開きライナスが入ってきた。
「殿下!!」
待ちに待った帰宅にリリアが椅子から立ち上がると、ライナスが勢いよくリリアに抱きついてきた。
「リリア、うまくいきそうだよ!リリア、リリア、君のおかげだよ。ありがとう。リリア、本当にありがとう」
感極まった様子のライナスを優しく抱き止めると、リリアはライナスに続いて部屋に入ってきたケトスに目をやった。ケトスも穏やかに微笑んでいる。
「リリア、遅くなってすいません。王と王妃に引き止められてしまって。両陛下は、ずっとライナス殿下のことを気にかけてらしたようなのです。ただ、下手に手を出すと余計に殿下の立場が悪くなるために、手をこまねいていたと。だから、今回の話を大変お喜びで、早速あの白粉の原材料を調査し、原因の材料を除去するように指導すると仰っていただけました」
きっと明日には担当文官に指示が行くことでしょう。と締めくくったケトスの言葉に、リリアも胸が熱くなった。今まで日陰に身を潜めてひたすら我慢を重ねていたライナス殿下が日の目を見られるようになるのだ。
その日は3人で特に何をするでも話すでもなく、ただ余韻に浸ってにこにこと笑いながら夜を過ごした。ライナスが「あ、寝なくっちゃだね!」と思い出したように言い出すまで、3人はそうしていた。