呪いのシャーペン
模擬テストが終わり、試験会場をあとにする。来年の春には通いたいと考えている場所なので、ちょっと寄り道がしたくなった。駅へ向かう人の流れに逆らって、知らない通りを歩いてみる。
「雰囲気あるなぁ」
寂れた感のある商店街のなかに、ひときわ古い建物があった。薄暗い店内には、年代物の木製棚がいくつもある。色あせた本が所狭しと並び、積まれていた。奥にある小さなカウンターには、陰気そうな痩身のオジサンが座っている。
そっと店内に入り、目についた本を手にとってみた。題名は、なんと読むのか、難しくてわからない。なかの文章は意外と読める。状態はよいけれど、雑に扱えば、ほどけてバラバラになりそう。随筆らしい。最後のところを開いてみた。
「……昭和三十八年」
50年以上もまえに出版された本だった。月日を感じさせる書物だとは思っていたけれど、数字であらわれると衝撃が大きい。そんな古い本にふれたのは初めてのことで、そんなものが読める状態で残されていることや、その文章を読めることに、少なからず感動していた。
店の奥で人の動く気配がしたかとおもうと、
「それ、百円でいいよ」
「安っ!」
買うつもりは微塵もなかったのに、すごい勢いで反応してしまった。
「当時のベストセラー。それほど貴重なものじゃない」
文庫本で新しいものが出版されているしね、と陰気そうな痩身の店主はつづけた。価値のある体験によって生じた心の隙をつかれ、おもわず庶民感覚をさらけだしてしまったけれど、こちらの羞恥心など気にはしていない様子だった。
「ここまで古いと、逆に価値がありそうなんですけど」
「それはまあ、人それぞれの感覚だね」
心がゆれていた。商魂の欠片もなさそうな店主と言葉をかわしても、欲しがっている自分がいた。本棚に戻せないでいる自分がいた。これを読んだら頭が良くなるかもしれないという、根拠のない理論武装をはじめている自分がいて、部屋に余計なものを増やしたくないだけで百円を惜しんでいるわけじゃないと弁明する自分を容赦なく叩き潰していた。
「買います」
「君って、受験生?」
「そうですけど」
「それじゃあ、これもつけてあげるよ」
店主はカウンターの棚から箱をとりだした。細長い箱には、一本のシャープペンシルがおさまっていた。シルバー色。金属製らしい。見たことのない旧式だ。
「はい、呪いのシャーペン」
「怖っ!」
さりげなく渡され、受けとりそうになった手を引っこめる。
「まあ、聞きなさい。この旧い型のシャーペンが新製品だったころの話だ。とある中学校にある種の天才がいた。なんでもできたし、失敗というものをしたことがなかった。完璧超人にしてみれば、自分が失敗することなど想像もできなかった。
あるとき、そいつが新しいシャーペンを教室にもってきた。いつだって美しい字を書いてしまうのだから、新しいシャーペンで書いた短歌はさぞかし美しいだろうと、思春期のよくわからない理論でノートを開き、クラスメイトが見守るなか、百人一首のひとつを書きはじめた。上の句の途中でそれはおこった。
シャーペンの芯がポキンと折れて、そいつの手が止まった。しだいに細かく震えはじめた。血の気が薄れて白くなっていた。失敗したとおもったらしい。ありえないとつぶやきながらも、そいつは失敗を認めてしまった。ほんのささいな出来事でも、そいつにとっては一大事だった。自分は特別であるという自信がもろくも崩れ去っていた。それ以来、そいつはなにをやってもうまくいかなくなった。失敗におびえて生きるようになってしまった。
もうわかるだろう。ひとりの天才を惨めな敗残者に転落させてしまったシャープペンシル。それがこれだよ」
「いや、いまの話をきいて受けとるとでも?」
「古いものには物語がある」
「魅力がある、みたいな言い方をしたいなら、もっと明るいストーリーにしましょうよ」
「嘘はよくない」
「フィクションじゃなかったんですか!?」
「呪われているかどうかはわかんないけどね」
「なんでそんなものをもってるんですか?」
「まあ細かいことは気にしなくていい。ようするに、シャーペンの芯を折ったくらいで心を折るなって話だ。受験生にはぴったりだろう」
「そこまで繊細じゃないです」
「不合格でも自信をもて」
「落ちるのを前提に話するのやめてくれません?」
「折れても、折れても、折れても、あきらめてはいけない」
「格言にするような話じゃなかったですよね?」
最初のストーリーと高低差が激しすぎて伝わりにくかったけれど、どうやら自分を信じることの大切さを訴えていたらしい。
けっきょく店主に押しきられて、古本とシャーペンを手にいれた。
捨てるのもためらわれる。50年以上も昔に書かれた随筆に色あせないものを感じたこともあり、旧式のシャーペンを使ってみることにしたら、ふつうに使えたので学校や学習塾でも使っている。
偶然にちがいないとは思うのだけれど、たまにポキッと芯が折れると、机に頭を打ちつける音が聞こえたり、すすり泣く生徒があらわれたり、教師が感傷に浸りはじめたりと、教室内でなにかが起こってしまう気がする。
「入試本番、会場でこれを使ったとしたら……」
そんなことを考えてしまうあたり、ほんとうに呪われているのかもしれない。




