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庭の下には

作者: 夏瀬

 昨今のメイドと言えば、喫茶とつくものを想像する人が多いだろう。

 私もそうだった。一度だけ友人の付き添いで行ったことがあるけれど、お帰りなさいませお嬢様、なんて言われた時は気恥ずかしさと少しのドキドキ感が病みつきに、はならなかったが楽しかった。

 呼び出しのベル音をならせば、お呼びでしょうか、とにこやかに対応してくれたのだが、所謂、正統派のメイド喫茶だったのか、他の友人に聞いていたのと全く違う対応と、媚びることのないメイドさんたちの態度に、大変満足した覚えがある。


「お帰りなさいませ」

 だからといって、自分が本当のメイドになるとは思わなかったが。

 無言で投げられるように渡されたカバンを持って、青年の後ろをついていく。言葉をかけることはしない。そんなことをしてはならない。何故ならメイド如きが主人たちに言葉を発する時は、送り迎えか肯定か承諾だけだからだ。

 メイドに人権はあってないようなものだ。この世界、いや、このゲームの設定ではそうだった。

 メイドが好きな友人から半ば押し付けられるように借りた乙女ゲーム。一人のメイドが貴族様でもある一族の子供たち、三十路未満一五歳以上の六人と恋をする。十五歳未満の子供たちもいるが、年齢的に彼らが対象ではなかった。


 三人の母と一人の父。無論、父親はお貴族様でお金持ちであり、正妻を筆頭に、二番妻と三番妻を外に持っているが、子供たちは父親と正妻の住む豪邸で育てられていた。ありきたりだが国の名前にイとスやニとホがついていることでお察し案件。

 メイドや使用人にほぼ人権がなかった時代を土台に置いた世界で、メイドに過ぎない主人公が兄弟たちに気に入られて、最後は身分も越えてくっつくという、これもまた有り触れたものだが、この主人公が鬼門だった。

 私はどうしてもこの主人公や攻略キャラを好きになれず、ほぼ初っ端から諦めてしまったゲームだった。攻略サイトを見て、大団円エンドがなかったり、隠し攻略キャラがいたりすることは知っていたが、それでもどうしても主人公が受け入れられなくてプレイする気が全くなく、一人も攻略することなく友人に返した覚えがある。


「失礼します」

 部屋までカバンを持って行って、頭を下げながら部屋を出る。その際にも、青年は一切こちらを見ることはない。三男でもある青年は、メイドを人ととして扱わないのが当たり前だ。

 次男と四男は何だかんだとメイドと話すこともあるが、次男に至ってはメイドと性的な意味で遊んでいるのだから考え物でもある。次男のせいで泣かされて辞めたメイドの数は数え切れず、中には妊娠してしまったメイドもいるのだが。


「はぁ」

「おやおや、今日も大きなため息をつきますねぇ」

 豪邸では季節の花々が咲き乱れ、そのために専属の庭師が何人か配属されている。その内の一人でもある青年は、私を見つけては何だかんだと声をかけてくるのだが、正直、逃げたい。

 隠し攻略キャラ。メイドとの間に生まれた、所謂、妾の子。家の子供の数には入っていないが、この隠し攻略キャラが最高に恐ろしい。何せこの家の不祥事や不始末は彼が全て請け負っている。

 次男が孕ませたメイドを解雇と同時に裏で始末しているのは彼でもあり、老若男女問わず殺してきた数が二桁以上を超えていても可笑しくはない。母親はメイドだが、その母親もそういった仕事をしていた。つまり、二世代だか何世代かは分からないが、ずっと続いている恐ろしい仕事だ。


「ため息の一つでもつきたくなりますよ」

「いくらでもどうぞ。ここは誰も来ませんからねぇ」

 のんびりとした声とにこにこと笑ったままの彼は、剪定用の大きな鋏を持って、木々を整えていく。それを横目で捉えながら、逃げ場所を作ってくれている彼に感謝すべきなのか、それとも警戒すべきなのか判断に困った。

 何せあのゲームをほぼプレイしていない。木々や花々で囲まれ、人の目から見つけにくいこの場所で何かイベントが起こっても可笑しくない場所ではあるけれど。というよりも、そのための場所だろう。それが分かるぐらいは、乙女ゲームをしている。全部借り物だったけど。


「いつ来ても素敵ですね」

「それはそうでしょう。土壌が素晴らしいので」

 にこにこにこにこ。人当たりのいい笑顔だが滅茶苦茶怖い。土壌が良い。つまりは桜の木の下には方式のアレである。始末するのにも木花にも丁度良かっただけで、ここら辺一体、彼が管理している場所を掘れば“何か”が出て来るのは明白だ。

 今、踏みしめている地面の下にでも埋まっていても可笑しくはないが、ゲームの中ではそこまで説明されていたんだろうか。そうなると結構どころか心底恐ろしい隠しキャラで、恋とかしたくもない。


「せんぱーい! どこにいるんですかー!」

「げっ」

 遠く聞こえる後輩、このゲームの主人公の大きな声。本来ならメイドにあるまじき大声に叱られる声が飛ぶはずなのだが、この世界がゲーム通りでありイベントをばったりと何度も見てしまっているので、ここまで来ると主人公が怒られることは滅多にない。というよりも、本来なら怒る役割が私だ。

 口煩く厳しいけれど主人公のことを第一に考えてくれる、本当は優しい先輩という体のサブキャラ。そんな物にはなりたくないので、世間話もしないただの仕事だけの関係でいたかったのに、この後輩はゲーム通りだと事ある毎に先輩に助けを求め、それに仕方ない、と先輩メイドはだんだんと絆される。恐怖である。恐怖しかない。めっちゃ怖い。

 攻略対象に睨まれるし、いじめられるし、良いことが全くない。訳でもないが、極力、関わりたくないと思うのが現状だ。

 このゲームに大団円エンドや逆ハーレムエンドなるものはないというのに、この主人公と来たら六人の兄弟と専属イベントを何個も発動させている。本来なら一人だけを追いかけて落とすというのに、ゲームではないからこその展開に戸惑いが強かった。

 もしかしたら、もしかすると? そんなことを考えるぐらいには。


 ゲームの世界ではない。何処か見知らぬ、そして、微妙に知っている世界。

 小さくため息が漏れる。有り得ないことは有り得ないのよ、と友人が言っていたが、全く持ってその通りだ。多分だが、乙女ゲームでもあった設定の異世界へ飛ばされたとかいうやつなのだろう。まぁ、私はバイクで吹っ飛んで、お空綺麗、なんて思いながら死んでしまったので、転生と言ったところか。

 記憶を持ったまま乙女ゲームに似た世界に転生して、家族に仕送りをするためにお給料の良いこの豪邸でメイドとして働いているが、聞いたことのあるようなないような兄弟たちの名前に疑問を抱きながらも、入ってきた後輩に仕事を辞めたくなったが、お給金の良さに折れるしかなかった。

 病気の父のお薬代はバカにならなければ、言語学者でもあった父のお陰で三か国語話せる私には、幼い子たちの家庭教師という特別手当も出ている。他の職場に移るにも、招待状を書いてもらうにはその幼い子たちに何故か気に入られているために書いてもらえる筈もなく。

 だからこそ、主人公と関わらないように地味に、じみーに細々と目立たないよう仕事をしていたというのに、運命の歯車からは逃れられなかった。


「呼ばれてますよ」

「はぁ」

 ため息しか出ない。さて逃げよう。逃げようというか、仕事をしよう。休憩時間は終わりだ。場所がばれないように声がした逆方向に足を向ける。

「頑張ってください」

「えぇ、そちらも」

 にこにことした良い笑顔に見送られて秘密の花園を後にする。隠しキャラ設定を知っているだけに、深くは関わらないようにしているが、この男とは幼い子たちを通してそれなりに接点があるため、どうしても切っても切れない縁がある。

 地雷を踏まないよう気を付けるしかないが、そもそも地雷があるのかさえ分からない。彼と関わることで殺されることはないと思いたいが、主人公可愛さに兄弟たちが何かしてくる可能性もある。


「殺されたくはないなぁ…」

 病気の父や家族を置いて死にたくはない。例え、痛みのない一瞬のことだとしても、今の私には大切な家族がいる。

「先輩!」

 元気な声に振り返って、顔を顰める。ここで怒らなければならないが、先輩なだけであって面倒を見ろとは言われていないので、迷惑そうな顔をするだけに止めているというのに、何故かは分からないが懐かれて久しい。

 メイド長を筆頭に他のメイドや使用人たちも兄弟の報復が怖いのか、初めは注意していたが今は誰もしていない。旦那様も奥様も不在がちなため、兄弟に気に入られている主人公を注意するものは一人もいない。無法地帯だ。

 この豪邸はいつかこの主人公にぶっ壊される運命にあるんだろうなぁ、と他人事のように感じる。思えば招待状がなくとも、家が潰れれば次の職場を斡旋場から紹介して貰える。その時を静かに待っているのだが、その前に死んだら元も子もないので戦々恐々とする日々だ。


「何かしら」

 冷たいようにも取れる平坦な声で返した所で、しっぽを振らんばかりに嬉しそうに笑っている主人公は、ポケットの中からハンカチに包んだ何かを取り出すと、私に差し出してくる。

 チョコか何かだろう。兄弟の誰から貰ったかは分からないが、これもなぜか分からないがお裾分けしてくるのだ。あんたじゃあるまいし、お菓子で釣れるわけではないんだけども。

 解かれたハンカチの上には思った通り、有名店のチョコの包装があった。貰ったばかりなのか、溶けてもいなければよれてもいない。貰ってすぐに来たのだろう。ほんと毎度のことながら何でなの。

「先輩、このチョコ好きでしたよね?」

 お察しの通り大好きですけれども、出所を思うと味わうことができないのが問題なのですが。そんなことを言えるわけがないので、受け取らなければ延々とついて回る子犬のような主人公の手からチョコを摘まみ上げる。


「私も大好きなんです、そのチョコ!」

「では、一人で堪能すれば良いのでは?」

「だって先輩にも食べて欲しいんですもん!」


 言葉遣いが崩壊しているが、これが常なので、注意したところで直る見込みもない。それがまた良いらしいが、私にはそれがもやもやとする。語尾に、もん、て。

「要件はそれだけかしら」

「はい! また貰ったら持ってきますね!」

 ありがとう、さえも言っていないのに、廊下を嬉しそうに駆けていく子犬、もとい主人公にため息がまたもや漏れる。

 毎度の如く持って来られるのも、廊下を走るのも、どっちも注意しなければいけないことだ。今に始まったことではないが、メイドとして働いている限り、何てはしたない、と思い続けなければならない。


 ゲームをプレイしていたらまた何か変わっていただろうか。ここまで先輩キャラに懐くというのは、もしかしたら先輩キャラにも好感度なるものがあるかも知れない。それを上げることで、お助けキャラ化の度合いも変わってくるとか、どうなんだろうか。

 当たってるような外れているような。そもそも、そんなシステムの乙女ゲームを知らないので、見当違いなことだと思いたい。

 では何故。堂々巡りになりそうな思考を中断して、チョコをハンカチで包んでポケットに入れる。溶ける前に自室へと戻って、直ぐに仕事場へと向かわなければ。







 桜の木の下には以下云々。ここに来た回数はもう数え切れない。

 固定ルートだけだった筈なのに、主人公は兄弟たちのイベントを恐らくほぼやり通して、ハーレムを築き始めている。ただ恐ろしいのが、兄弟たちが私もメイドとして扱わなくなってきたことだ。

 私をメイドとして使うのは変わらないが、言葉遣いが気に掛けるものになったり、普通に会話をするようになったり、挨拶をするようになったり、ほんのちょっと前までは当たり前ではなかったことが、当たり前のようになっている。

 怖い。最高に怖い。死亡フラグなるものが立っているような気がしない。いや、逆だろう。生存ルート、或いは一緒に没落エンドだ。そっちの方がなお悪い。

 旦那様も奥様も何をお考えなのかと言いたいところだが、何と、事故に合われて亡くなった。それならば第二妻、第三妻がどうにかこうにか、と思うところだが、旦那様が亡くなったことで自動的に当主が長男へと変わったのだから、やりたい放題だ。


 主人公はメイドの仕事を続けたいらしいが、兄弟たちがそれを許さない。蝶よ花よと愛でられる主人公を遠目に眺めつつ、何か起きても直ぐに逃げれるよう準備は整えているものの、その兆しは今のところはなかった。

「何だか可笑しなことになりましたねぇ」

 のほほんとした声でそんなことを言われても、全くもって可笑しく聞こえない。攻略サイトを検索しなければ、困ったような顔をして同調できたのだろうか。

「だとしても、私たちはいつも通り仕事をこなすだけです」

 破滅するまでは。

「そうですねぇ。けれど、私は旦那様に雇われた身ですから、どうすればいいのかとも思うのですよ」

「継続ではないのですか?」

「今のところ何も言われていないのでそのまま働いていますが、身の置き所をどうすべきかと」

 そういえば私の雇用主も継続扱いになっているのか。今更ながら思い当たった現実は、頭を悩ませるのに十分だった。


 お給金は今まで通り出ている。だから、問題はないと言えばない。しかし、庭師の彼にとっては問題がありすぎる。現当主、長男は裏の顔を知らないようだ。

 だからこそ、どうすればいいのか計り兼ねている。

 そういった仕事が今はないのだろうか。聞くわけにも行かないが、先ほどの言葉からしてないのだろう。頭の緩くなった当主に、前当主と同じような対応をする訳にも行かず、また、そういった仕事が入って来ないとも限らない。

 私は円満に辞められれば良いが、彼の場合はそうも行かないのだ。

 主人公は彼も攻略してくれたら良かったのにねぇ。しみじみとそう思っていると、華やいだ声が近づいてくる。


 声が聞こえる位置にいるも、聞きたくもないので右から左に受け流す。メイドとして最低限の技術だ。一番初めに叩き込まれる処世術とも言う。下手に覚えて巻き込まれた挙句に死が待っているのはたまにあることだ。

「今日もお元気ですねぇ」

 花の剪定をすれば音が立つ。いることがバレないように仕事を辞めた庭師の彼は、一時的に仕事を中断して、私の隣に座った。彼が作ったという意味ありげに取ってしまう赤いベンチは、二人用だけれど少しだけ幅が広かった。そのため、端と端に座ると肩が触れることはない。

「幸せそうで何よりです」

 頭お花畑か、と罵るのは簡単だが、長男を筆頭に一歩外に出ればお貴族様として働いているのだから、問題があるのは豪邸の中だけだ。箱庭の世界の幸せ。それは、甘美な響きを持っている。そう言っていたのは長男だったか次男だったか。

 随分と緩い頭になって心配していたが、外では普段通りなので心配するのも馬鹿らしい。


「いっそのこと、一緒に何処かへ行きませんか?」

「……は?」

 にこにこと笑っていた筈の顔が引き締まって、真っすぐな瞳が私を見ている。待って欲しい。何処でフラグが立った?

 ここで何度もあったこと? 庭木の剪定をちょっと手伝ったこと? 子供たちと課外学習に行った警護のこと? チョコを何となく渡したこと? 仕事の愚痴を聞いたこと?

 ……これって全部フラグじゃないか?

 何てことだ。思い返して見れば、イベントにも取れるじゃないか。

 時折、裏の顔を見る場面だってあった。はぐらかしたけれど、あれは立派な個別ルートの進展じゃないか。


「あの娘を殺せば、この家は終わる。晴れて俺は自由だ」

 何処までも透き通った瞳が、恐ろしいことを気楽に話す。本当の個別ルートだったら、此処はどうなっていたんだろうか。そんな風に現実逃避をしつつも、震える両手をぎゅっと握り込む。

 灰色がかった青い瞳から目を反らせない。彼は本気だ。

「俺は普通に生きたい。そこにお前がいれば良いとそう思っている」

 呑まれそうになるのを何とか耐える。乙女ゲームにありがちな甘い言葉に揺れることはなかったが、選択次第で殺されそうな予感がした。

 バッドエンドがあるゲームだった。それをここまで来て思い出した。兄弟たちだと大体が悲恋で終わる。けれど、隠しキャラはそうでなかったはず。


「お前が家のことで大変なのは知っている。だからこそ、俺が支えたい」

 いらない、と答えられたらどれだけ良かったか。

 目の前に選択肢が現れてくれないか願ってみるも、何の意味もない。

 主人公なら正解を簡単に選べただろうか。もう聞こえない華やかな声たちを遠くに、唾を飲み込む。

 好きとか嫌いとか、そういう感情を庭師の彼に持ったことはなかった。ただ恐怖だけがいつも隣にあって、死にたくないから無難な態度や媚びるようなことをしていただけ。

 それが、こんなことになるなんて。


「可笑しいのは俺だな。こんな馬鹿げたことを……」

 苦笑しながらやっと目線が離される。そっと息を吸い込んでは吐き出して、同じように前を向いた。

 色鮮やかな花と綺麗に剪定された木々。季節が変わっても、いつだって目を楽しませてくれた。それを作ったのは、隣に座る彼で。

 好きだとか嫌いだとか、本当に考えたことはない。けれど、この鮮やかな世界を作り出した彼を庭師として好ましいとは思っていた。


「私は、何処に行ったとしても、貴方の作ったお庭を見ていたいと思います」

 全てを取っ払った純粋な気持ち。彼の返事に対して肯定も否定もしない。受け入れるとも受け入れないとも言えない曖昧な言葉たち。

「でも、今はまだここで見ていたい」

 そう言えば、虚を突かれたような顔をして、にこにことは違う、身の内から滲み出るかのような穏やかな顔をして、そっと私の手を握った。

「これから先、どうなるかは分からない。けれど、お前が望むのなら俺はいつだって」

 緩められた目元と細められた瞳を送るだけで、それ以上は何も言わなかった。ただ、握られた手がひんやりと冷たくて、私の知らないどこかで少しずつ惹かれていたのだと気づく。

 一人、部屋で悶々としていれば良かったのに、わざわざ外に出ていたのは。


 これだから隠しキャラは厄介だ。

 他の個別ルートをクリアしなければ見れないからこそ、彼の存在や魅力に気付けなかった。だからといって、恐怖は拭い去れない。

 それでも、好きに傾いている心を抱えたまま、いつの日かなんてことのない日々のように彼の隣に座っている私がいるような気がした。


 逆ハーレムが崩れ始めたのは、それから少し経ってからだった。彼は何かと甘い言葉を囁くようになって、個別ルートのなんやかんやというよりも、彼の言葉一つ一つに赤面してしまう自分自身に、少しずつ好きの気持ちが傾いていく。彼が、半分血の分けた兄弟を殺していると知っていながらも。

 長男の命令だと、彼は語った。感情の灯らない裏の仕事の顔をして、淡々と告げる内容は、ヤンデレというよりも病んでるの末路だ。

 主人公を愛して愛されるのは自分だけで良い。

 長男の独占欲は行き過ぎて、そして、当主が彼を使っていたことを知り、次男以下を事故に見せかけて殺すことにした。


 初めは四男だった。自動車関連に勤めていた四男は、暴走した新車に轢かれた。次は次男。趣味の乗馬で正しく馬に頭を蹴られた。三男は下の子たちと共に行った川遊びでそのまま溺れ、五男は移動で使った汽車が襲われて運悪く。

 攻略キャラで残ったのは長男と隠しキャラである庭師の彼だけになった。

 主人公は兄弟たちが死ぬ度に嘆き悲しみ、それを慰めるのが長男の役割で、等々それは依存へと変わった。長男が望んだ最高の形だ。

 バッドエンドはこんな形ではなかったはずなのに。

 それでも私は、仕事を終えて帰ってくる彼を、出迎える。

 恐怖が少しずつ薄れていることが恐ろしかったけれど、恋は人を馬鹿にするのだろう。どんな風にでも。


「奥様、今日のご体調は如何でしょうか?」

「大丈夫、です」

 主人公でもあり後輩でもあった女の子は、長男と結婚した。私は正妻の専属として指名され、日に日に儚くなっていく彼女の世話をする。

 身分差のある二人に第二妻にすべきだと声が上がっていたけれど、長男は主人公以外を娶るつもりがないらしく、親族は渋々と言った感じで了承した。日が経てば恐らく縁談を持ってくるのは火を見るよりも明らかだ。

 主人公はそれさえも受け入れて結婚したのだろうか。聞きたくても、もう聞ける立場にはいない。


「先輩」

「奥様。差し出がましいですが、もうそのように呼ぶのはお止め下さい」

 何度言っても変わらない呼び方に、怒られるのは私なのだが、何故だか怒られない。当主は主人公の依存の矛先を少しは私に向けているらしい。

 前々から私に懐いているのは知っていたからこその配慮なのだろう。同性ならば、何かが起こることもなければ、私にはもう好きになってしまった人がいる。

「……ずっとお聞きになりたかったのですが、どうして私にそこまで」

 カーテンを引いた大きな窓から差し込む明かりの中、目を細めて主人公は遠くを見つめている。


「先輩はお姉ちゃんにそっくりで」

 そんな理由で懐かれていたのか。腑に落ちたような落ちないような。何とも言えない。決して合うことのない目が、もういないことを知らせていたけれど、答える言葉は一つしかない。

「お聞きして申し訳ありません」

「良いんです。……先輩はいなくならないで下さいね」

 元から細かった指が、さらに細くなって心許なく私の手を握る。握り返すことを本当はしてはならないけれど、私はそっと握り返した。

 彼女が失った者は、あまりにも多すぎた。


 鮮やかな花を見るのではなく、空を仰ぐ。雲一つない晴天。洗濯物が良く乾きそうだ。

「奥様はどうだった?」

「いつもと同じよ」

 自然と肩に回された腕を受け入れ、胸に頭を預ける。

 怖かったこの世界が、悲しくて愛おしい世界に代わって、これからどう変わって行くのだろうか。

 そんなことを考えながら、いつも冷たい身体に寄り添って、目を瞑る。

 庭の下にこれからも“何か”が増えたところで、もうこの腕から逃れたいと、怖いと思うこともない。


桜の木の下には、有名ですよね。

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