第二十九話 ある日の姉妹と幼なじみ
昼休み。俺は教室を出て保健室に向かっていた。朝のホームルームが始まってから、美優を一度も見ていない。図書室で森さんに負けたのが響いたのだろう。別に勝負していたわけではないが……。
保健室に着き、ドアをゆっくり開けた。ちょうど目の前にいた養護教諭の秋山先生が、俺を見てニコリと微笑む。
「サボりは受け付けてないわよ」
「違います」
この学校、どんだけサボりに来る奴多いんだ。ちゃんと授業受けとけ。
「サボりじゃなくて人探しです。竹内美優来ませんでした?」
「竹内さん? ええ来たわよ。何があったかは知らないけど、すごく悔しそうにしてたわ」
やはり図書室の件を根に持っていたのか。森さんに危害が及ばないか心配になる。
「まだいます?」
「いるけど、今はそっとしておいた方がいいんじゃないかしら」
「はあ」
俺はその言葉に従うことにした。美優の状態は分からんが、かなり落ち込んでいるらしい。秋山先生に礼をして保健室を出た。
廊下を歩いていると横から声がした。顔を向けると、なぜか萌絵が弁当箱を持って立っている。
「お前、こんなところで何してんだ」
「お兄ちゃんとご飯食べようと思ってたんだけど、教室にいなかったから探してた」
ああなるほど。しかし、このシチュエーション。少し前にもあった気がする。美優が風邪を引いたときだっただろうか。
「つーか、俺の弁当箱勝手に出すなよ」
「本能的に手が出たの」
そんなところで本能出すな。
「やっていい事と悪い事の区別くらいつくだろ」
「お兄ちゃんが相手だと区別がつかなくなる」
こいつ、マジで言ってんのか? 姉貴よりタチが悪い……。
俺は萌絵から弁当箱を奪い返して階段を上がった。後ろから萌絵がついてくる。
教室に戻ると、姉貴が俺の席で弁当を食べていた。萌絵と姉貴が教室に来るのは常のことだ。
「雄輝、やっと戻ってきたのね」
「俺の席に勝手に座るな」
「本能的に座っちゃったのよ」
あんたもか。
「なんなら私の上に座る?」
「誰が座るか」
「小さい頃はよく私の太ももに顔うずめてたじゃない」
「したことねぇよ!」
本当に面倒だなこの姉妹。相手しても疲れるだけだ。別のところで食べよう。
俺が踵を返そうとしたところで、姉貴は素早く箸を止め、席を立った。ほかの空いている席に座り食事を再開する。食べ終わるまで教室を出ないつもりか。
椅子に座り弁当箱のフタを開けると、中身の具が崩れていた。
俺は向かい側に座る萌絵を軽く睨む。萌絵はあさっての方向を向いて下手な口笛を吹いた。まったく世話が焼ける。
「そういえば、今日は美優ちゃんいないのね」
姉貴がふいに言った。今更だな。
「言われてみれば。どこいるんだろ」
「美優は保健室にいる。体調が良くないんだと」
俺の返答に姉貴は首を傾げた。
「朝に通学路で見かけたけど元気にしてたわよ。学校で何かあったんじゃない?」
なかなか鋭いな。萌絵が「そうなの?」と俺に訊いてきた。どう答えるべきか悩む。二人は森さん知らないだろうし、言ったら言ったで姉貴が森さんに何か仕掛けてくるかもしれん。まあ、さすがの姉貴も下級生に手を出すことはないと思うけど。
昼食を食べ終え、俺は残り時間を勉強に充てることにした。萌絵がチラチラと俺の顔を覗いてくる。
「萌絵、気が散るから見るな」
「私にも勉強教えて」
勉強とひとくちに言っても教科は結構あるからな。俺は少し考えて言った。
「国語と数学どっちがいい」
「なんで二教科限定なの?」
俺が教えられるのがその二教科だけなんだよ。
そのことを言うと、萌絵は「そんなことない! お兄ちゃんなら何でも教えられる!」と返された。俺を買い被りすぎだ。
「そんなに勉強したいなら姉貴に教えてもらえよ」
「お姉ちゃんはちゃんと教えてくれないからやだ。まともなこと言わないもん」
お前も人のこと言えねぇだろ。
「だったら自分で勉強するこった。人に頼ってばっかりは良くない」
俺の言葉に萌絵は頬を膨らませ、そのまま教室を後にした。
放課後。俺は再び保健室に向かった。昼休みに行ってからもう二時間以上経っている。まだ寝ているというのはないだろう。
保健室が見えたところで、ドアから美優が出ていくのが見えた。
「あれ、雄輝じゃん。どうしたの?」
「お前の様子を見に来たんだよ。体調は大丈夫なのか」
「大丈夫。朝はちょっと不覚だったけど」
美優はそう言った後、「あっ」と大きく口を開いた。
「まだご飯食べてなかった。雄輝、私の鞄持ってきてくれない?」
「別にいいけど、どこで飯食う気だ」
「保健室でこっそり……」
「保健室での飲食は禁止ですよ」
秋山先生が後ろから美優の肩に手を置き、柔和な笑みを浮かべて言う。
美優は彼女に顔を向け「そこをどうにか」と、手を合わせて懇願した。