第二十二話 お弁当
「萌絵、痛くないか」
「大丈夫。んっ……あ、そこ気持ちいい」
萌絵が俺のベッドで横になり、小さな声で言う。
「もうちょっと奥行くか?」
「うん、お願い」
珍しく萌絵が大人しい。ただ、いちいち体をビクつかせるのはやめてほしい。感じすぎだろ。
ずっと同じ姿勢だったので体が凝って来た。俺は一旦立ち上がり大きく背伸びする。
「お兄ちゃん、いきなり抜かないでよ。気持ちよかったのに」
「誤解を生むような言い方やめろ」
まあ俺も人のことは言えんがな。
「誰もいないしいいじゃん。そうだ、私もやってあげよっか?」
こいつがやったら俺の耳が聞こえなくなりそうで怖い。しかし、朝から妹に耳かきする羽目になるとはな。まあ承諾したのは俺だが……。
「あとは右耳だけだな。終わったらさっさと自分の部屋戻れよ」
「はーい」
俺は再びしゃがみ込み萌絵の右耳に綿棒を入れて垢を取っていく。
「もうちょっと左、ごめんもうちょい上かな。あ、そこそこ! いいねいいね。さいっこう!」
……うるせぇ。
「萌絵、あんまり喋るな。取りにくいから」
「へいへい」
なんか腹立つな。思いきり綿棒を突っ込んでやりたいが、そこまで俺は鬼じゃない。物事の善悪は弁えている。
あんまりやりすぎると耳に傷がつくので、俺は適当なところでやめた。
「もういいぞ。聞こえも少しはよくなっただろ」
萌絵は起き上がって耳を軽く擦り、うん、と頷く。そして自分の部屋へと戻っていった。
見る限り部屋に耳垢は落ちていないようだが、一応掃除しとくか。
七時になってから俺はいつも通りリビングに下り、朝食を取って学校に向かう。
そして昼休み。鞄から弁当を取り出そうとしたら肝心の弁当がない。俺としたことがこんなしょうもないミスをするとは。……しゃあねぇ。購買部で昼飯買うか。
「雄輝、お弁当持ってきてないの?」
「持ってくるの忘れた。購買部でパン買ってくる」
「あそこすごく混むよ。よかったら私のお弁当半分あげるけど」
気持ちは嬉しいが、それはマズいだろ。ほかの生徒がいる中で女の子の弁当を男女二人で仲良く食べるとか、カップルじゃあるまいし。美優は弁当箱を開き「あ」と声を上げた。
「お箸一人分しかないや。……ま、いっか。二人で交互に使おう」
それ間接キスじゃん。ふと周りを見ると、男子だけでなく女子からも視線が向けられている。
「美優、俺に構わなくてもいいよ。一人でゆっくり食べてくれ」
「ホントにいいの? 購買部は最低でも十分は待たなきゃ買えないって、友達から聞いたことあるよ」
「大丈夫だ。待つのは慣れてる」
本音を言うと、貧乏性の俺は学食や購買部で余計な金を使いたくない。だが、今の状況下ではそうも言ってられん。俺は鞄から財布を取り出し購買部に向かった。
「……すげぇな」
美優の言う通り購買部の前では人が混んでいて、とてもじゃないが踏み込めない。例えるなら通勤ラッシュの満員電車並みだ。無理に突入したら間違いなく潰される。
結局、俺はパンを買うのを諦めて教室に戻ることにした。腹は減っているが昼飯食べないくらいで死にはしない。
「雄輝、パン買えた?」
「いいや。あの行列じゃ待ってる間に昼休みが終わる」
「だから言ったのに……量は少ないけど私のあげる。お箸はまだ使ってないから大丈夫だよ」
美優はそう言って弁当箱と箸を俺に差し出した。弁当箱には白ご飯、玉子焼き、ウインナー、プチトマトが入っている。
俺が箸を取ると再び俺に視線が向けられた。女子は『二人ラブラブだね~』と、この状況を楽しんでるようだが、男子は『関、爆発しろ』とアイコンタクトで送って来た。まあ口つけても洗えば大丈夫か。俺はウインナーを箸で掴んで口に運ぼうとした。その時、廊下から大きな足音が聞こえ、教室のドアが勢いよく開かれた。
「姉貴、どうした突然」
「こ、これ……」
姉貴の手には風呂敷に包まれた弁当箱。わざわざ持ってきてくれたのか。
俺は箸を置いて席を立ち、姉貴のもとに向かった。
「姉貴、息切れしてるけど大丈夫か?」
姉貴は無言で頷く。ならいいんだが。
「私のことは気にしないで。はい、お弁当……」
俺が弁当を受け取ると姉貴は重い足取りで教室を去っていった。つーか、俺の弁当箱姉貴が持ってたのかよ。席に戻ると美優が戸惑った表情で俺を見ている。
「えーと、美優……気持ちだけ受け取っとく」
「よ、良かったね。じゃあ、私の要らないね」
それからしばらく俺と美優は無言になった。これはこれで辛いな。何か話題を……。
「「あの」」
同時に声が上がった。俺が美優に先を促す。
「お弁当はいつも誰が作ってるの? 由奈先輩?」
「ああ。両親は専ら仕事だから。たまに俺も手伝うけど……」
「さすが先輩だなぁ。私も見習お」
姉貴はスキルは高いが性格に難ありだからな。見習うのはやめとけ。
そんなことを思いながら、俺はご飯を口に頬張った。