プロローグ 俺の日常に平穏の文字はない
俺、関雄輝の朝は早い。まだ時間は六時を回ったところだが、俺はベッドから起き上がり制服に着替えた。こんなに早く起きて何をするかというと勉強だ。学生にとって勉強は必要不可欠。寝てる時間がもったいない。
七時になり、部屋のドアがコンコンとノックされた。ドアを開けるとそこにいたのは妹の萌絵。
黒のセミロングで顔は丸型、頬はふっくらしている。俗に言う童顔だ。背は低く高校生になった今も小学生に間違われることがある。
「お兄ちゃん、おはよう。相変わらず着替えるの早いね~。何してたの?」
「勉強してた」
「さすがお兄ちゃん! 私なんかちーっとも勉強してないよ! すごいでしょ!」
何が? 反応に困るんだが……。
「よーし! じゃあ私がご褒美のチューをしてあげよう!」
来る! その攻撃は何度も受けてきた。もう受けんぞ!
俺は半歩下がり攻撃に備える。萌絵はニヤリと笑みを浮かべてこちらを見ている。二人の距離はおよそ五十センチ、反応が少しでも遅れたらジ・エンドだ。
共に動きを見せずその場に異様な緊迫感が漂う。朝っぱらから俺は何やってんだ。
と、その時、萌絵がエリマキトカゲのように素早い動きで飛びついてきた。
俺は間一髪でそれを避け、萌絵は部屋の中に思いきりダイブした。ゴン! という鈍い音が聞こえた。
後ろを向くと萌絵がうつ伏せの状態で部屋の床に倒れている。
「だ、大丈夫か?」
萌絵はムクリと起きあがり、顔を歪めて俺の方を向いて言った。
「な、なんで避けたのぉ?」
「あ、いや、つい反射的に」
「反射ぁ? お兄ちゃん超能力者だったっけ?」
その反射じゃない。俺、ベクトル変換できないから。
「……痛い」
「悪い悪い。血は出てないな」
「鼻水は出た」
「おい!」
俺は萌絵にティッシュを渡し、萌絵は鼻水を拭き自分の部屋に戻っていった。まったく朝から慌ただしい……。
萌絵も着替えを終え、一緒にリビングに行くとテーブルには白ご飯、味噌汁、玉子焼きが置かれていた。
「お姉ちゃん、最近ずっと同じじゃん。もう飽きてきた」
「だったら萌絵が作ればいいじゃない。私だって大変なのよ」
両親は共働きで家を離れることが多く、朝食は姉の由奈が毎日作っている。姉貴は茶髪のロングヘアでパッチリ二重、唇はふくよかな感じで背も高い。そんな姉貴の料理は上手いとは言えないが味は不味くない。今日はご飯が少し硬いな。
「そういえばさっき上が騒がしかったけど何があったの?」
「お兄ちゃんにキスしようとしたら避けられた」
萌絵の一言に姉貴は目を丸くし、手に持っていた茶碗とお箸を床に落とした。茶碗割れちゃったよ。
「き、キスですって!? なんて如何わしい……」
「如何わしくないよ。ちゃんとした愛情表現だもん。ね?」
それを毎回やられるのは勘弁してほしい。唇同士が当たりそうになった時はかなり焦った。
朝食を食べ終えると萌絵は一旦部屋に戻った。リビングには俺と姉貴だけ……これはマズい。
「ふふ……。今、二人きりね」
「お、俺も部屋に戻るよ。まだ時間あるから勉強を……」
「ダメよ」
逃げようとしたが時すでに遅し、俺は思いきり腕を掴まれてしまった。命の危険を感じる。
「姉貴、何をする気だ」
「決まってるじゃない。私のことしか考えられないように洗脳するのよ」
怖っ。この女オブラートに包まず普通に『洗脳』って言いやがった。マジで危険人物だ。俺は咄嗟に萌絵の名を叫ぼうとしたが口を塞がれた。
「助けを呼ぼうとしても無駄よ。大丈夫。痛いことはしないから」
これは冗談抜きでヤバい。マジでヤバい。萌絵、ヘルプ! ヘルプ!
俺の思いが通じたのか、萌絵は俺を見つけると急いでこっちに向かって走って来た。
「お姉ちゃん何やってんの!? お兄ちゃんを離して!」
「絶対に離さない。今日こそは私の目的を果たす」
「させない! お兄ちゃんを洗脳するのは私だ!」
てめぇもかよ! 姉妹揃って恐ろしい事言うんじゃねぇ!
俺は萌絵との連係プレーで危機を脱したが、まだ安心はできない。まさかどっちも俺を洗脳しようとしているとは……父さんと母さんが知ったらどう思うんだろうな。
家ではこんなことがしょっちゅうある。だがこれはまだ序の口、危険は学校にも潜んでいる。
俺の通う学校は家から歩いて二十分ほど先のところにあり、姉貴と萌絵も一緒に通っている。
学校に着いて教室に入ると……いたよ。最後の強敵が。
「あ、雄輝おはよう」
俺に声をかけたのは幼なじみでクラスメイトの竹内美優。茶髪のボブカットで大きな灰色の瞳を持っている。背は姉貴と萌絵の中間ぐらい。平均的と言った方が早いか。
「なんかぐったりしてるけど大丈夫?」
「まあ、ちょっと疲れてるかな」
「そう……。じゃあ私が癒してあげるね」
やべ、余計な事言っちまった。美優は席を立ち、俺に焦点を当てる。そしてゆっくりと近づいていき、俺が逃げ出すよりも早くギュッと抱き着いてきた。
「は、離れろ。苦しい……」
「『愛してる』って言ったら離してあげる」
高校生に愛は重すぎないか? もう少し別の言葉をチョイスしてくれ。
萌絵は俊敏性、姉貴は力に長けているが、美優は両方優れている。三人の中で一番警戒しなければいけない相手だ。
俺は美優の耳元で「あ!」と大きな声を出し、ビクついて力が抜けた瞬間に美優から離れた。美優は耳を手で押さえ、俺を見て言った。
「や、やるね……」
「何度も同じ手を食らうかよ」
教室ではこんなことがしょっちゅうある。いつになったら俺はこの日常から解放されるんだ……。