第87話 少女2
「ふむ……これは魔法によるものではないな」
ディークはアイをまじまじと見ながら口を開いた。
ここは魔王城、何とかアイを連れて帰りやっとディークに診てもらうことができた。
すでに日は落ち暗闇と静けさだけが魔王城を包みこんでいる。
心配だったモグローンやキマイラは何故か一切怖がることはなかった。
どうやらアイの変な度胸の良さは生まれ持ってのものらしい。
「もしかして、レリックですか?」
魔法ではないのであればこれ程不可解な現象を起こす者と言えばレリック以外に思いつかなかった。
「うむ、それもいい考えだ。しかし恐らくこれは違うものだろう」
「まさか……魔術!?」
そう言えば、少し先生から聞いたことがあった。
レリックはその物自身に力を宿しているアイテムである。
レリックらしき物をアイが持っているならともかくアイテムも無い状態で離れた相手に効果を持続させることは不可能だろう。
それにしても魔術となれば全く想像がつかない。
エルドナでは魔術を進化させたのが魔法と言った考えである為、魔術を覚える事がないからだ。
「その通り。身体や精神にまで効果をもたらす程の強力な術、これ程の呪いは魔術でないと不可能だろう」
呪い――魔術はその特性上から別名、呪術とも呼ばれている。
ディークが下した結論に間違いはない。何より自らを魔王と名乗るディークに分からない魔法など無いと思えた。
それだけにスコールはがっくりと肩を落とす。
魔法であればディークが簡単に何とかしてくれたであろう。
しかし魔術となれば話は別だ。ディークは魔術に関しての知識は少ない。
となればアイはこのまま――
ディークはスコールの不安を感じ取ったのか少し笑いながら口を開く。
「心配するな術式を刻まれでもしない限り永遠に効果が続く術など存在しない。そのうち元に戻るさ」
「ならいいのですが……」
スコールの心配をよそにアイはスコールの袖をぐいぐいひっぱり楽しそうだ。
「お兄ちゃん、早くお城の中探検したいよー!」
「ちょっと待ってろ」
全く誰のせいでこんなことに――
しかしそんなアイの姿を見てディークは意地悪そうな笑みを浮かべ、
「まぁそう言うな、これもチームワークを鍛える修行だと思ってアイが元に戻るまでスコールがアイの面倒見るんだな」
「ええっ! う…… わ、分かりました」
そんな事できるわけない! と口から飛び出しそうになったが、アイとは同じチームである。
さらに言えばこれは自分達がやらかしたヘマであり、その後始末は自分達でつけなければならないだろう。
話は終わったと判断したのかアイはまるで小動物の様にスコールの背中を駆け上り肩車の体制になった。
スコールの髪を掴みながらアイは、
「探検に出発ー!」
一体俺は何をやっているのだろうと言った疑問に自問自答しながらスコールは深いため息をついた。
「探検は明日にしろ。今日はもう遅い一度部屋に戻るぞ」
「ええー!」
今更住んでいる場所を散策したって全く面白くはない。
そんな事に一々付き合わされるのはゴメンだ。
ぶーぶー文句を言うアイを無視してスコールはルータスの部屋を目指す。
アイはルータスと同じ部屋を使っているからだ。
そしてルータスの部屋の前まで来るとスコールはアイを掴み地面に下ろした。
「もっと肩車――」
アイは又してもスコールによじ登り始めるもすぐに降ろされ。
「ここは覚えてないかもしれないがお前の部屋だ。今日はもう風呂に入ってゆっくり休め」
スコールの言葉にアイは不安をあらわにしながら、
「お兄ちゃんはどうするの?」
「ん? 俺か? 俺は自分の部屋が―― あれ?」
スコール言葉を聞いたアイの瞳は見る見る涙が溢れそして遂にこぼれ落ちた。
アイはスコールにしがみつき、
「いやー! 一緒にいるの! 一緒に寝るの!」
体を震わせながら大声で泣きだした。
「分かった! 分かったから泣くな!」
「本当に? お兄ちゃんと一緒の部屋?」
スコールは頭を押さえながら無言で頷いた。
こうなったらしょうがない。元に戻るまではアイは自分の部屋で預かるしかない。
今のアイは記憶も無く本当にただの小さな子供でしかないのだと無理矢理自分を納得させる。
そして廊下の先にある温泉の入り口を指で指しながら、
「なら先にそこにある風呂に入ってこい。ここで待っててやるからよ」
「お兄ちゃんは一緒に入らないの?」
は?
スコールは固まった。
「ち、ちゃんと待っていてやるから早く言ってこい」
「1人で行くのは怖いー! お兄ちゃんも来てくれないとイヤー!」
そんな事できるか! と心の中で叫ぶスコール。
だがこればかりは折れる訳にはいかない。
何とか説得を試みるもアイは聞く耳を持たない。
又しても大きな声で泣きだし、スコールは更に頭を抱える。
そんな事スコールに救いの手とも言える声が響く、
「あら、本当に小さくなってるじゃない。ウフフ、可愛いわね」
その声の主はミシェルであった。
そしてスコールはすがるように、
「実はアイが――」
ミシェルはスコールの言葉を手で遮ると、アイの小さな頭を優しく撫でる。
「さっきの会話聞いてたから知ってるわ。アイ、このお兄ちゃんとお風呂入りたい?」
アイはグスグス鼻を鳴らしながら頷き、
「お化けとか出て来たら怖いもん」
「そうよねー 怖いわよね」
「うん」
ミシェルはスコールに視線を移すと笑いながら、
「そう言う訳よ。せっかくだから色々触りながらお風呂入れてあげなさい。今後のために」
「意味が分かりません」
「記憶はないんだし子供をお風呂に入れると思えばいいのよ。まぁ頑張りなさい。じゃあねー オーホホホ――」
ミシェルは手を小さく振りながら去って行った。
確かに今は記憶がないが、元に戻ったときに今の記憶は消えるのだろうか? もし消えなければ……
今は先の事は考えないようにしよう。
今一瞬に命を燃やすんだ。
そしてスコールは大きな一歩を踏み出し温泉へと入って行った。
アイは何の躊躇いもなく服を脱ぎ捨てると温泉の中へと駆け込んだ。
「まぁ、しょうがないか……」
スコールは意を決し服を脱ぐと中にはいる。
中では恐らく初めての温泉に歓喜の声をあげるアイの姿があった。
スコールは小さな椅子に座ると体を洗い出す。
しかしアイが急にスコールの膝の上に座り込むと、
「お兄ちゃん洗って――」
「はいはい」
もうここまできてしまったら後はなるようにしかならない。
スコールはタオルでアイの背中をゴシゴシ洗う。
――――
無心で洗ってはいたが今裸で自分の膝の上に座っているのが、あのアイだと考えると非常にまずい気がする――
そんなこんなでスコールの冒険(戦い)は続いた。
それから温泉からも上がり2人はスコールの部屋へ移動している。
風呂の中で遊びまわるアイを入れるのはかなり困難を極めた。
スコールは疲れ果てた体をベッドに寝かせると暖かい布団に溶けて行くような感覚におちいる。
すぐ横ではアイが小さな寝息を立てていた。
小さくなったアイの微笑ましい寝顔を眺めながら1日を振り返る。
霧との戦闘よりもアイの世話の方が大変だった気がする……
ルータスから昔のアイの話は聞いていたが想像と違っていた。
ここまでギャップがあると同一人物なのかすら疑わしい。
極度の寂しがりやと言うのか? いや、甘えん坊の近いかも知れない。
今でもルータスと同じ部屋でいるのは本質的な所は変っていないからだろうか。
それにしても……元に戻った時に今の記憶は……
だめだ……今は考えないでおこう……
この先の事を思うと頭が痛くなる。
一体いつまでその生活が続くのだろうか……
――あれから10日ほどがたった。
スコールはアイの世話に忙しい毎日を送っていた。
この10日はアイに振り回されっぱなしであった。
なぜならアイは極端に1人を嫌い何処に行くのもスコールが付いていないと泣き出すからである。
カルバナでの任務どころか剣の鍛錬すらまともに出来ていなかった。
見る限りアイは元に戻る様な気配すらなく小さい子供のままだ。
今もスコールの目の前で元気に遊びまわっている。
春の日差しが辺りを煌びやかに包み季節の変わりを思わせる。
ただ座っているだけで気持がちいい。
こうして楽しそうに遊ぶアイを見ているだけで世の中に辛い事なんかないような気さえする。
この10日で唯一進歩があった事といえば――
「お兄ちゃーん! これ見て、綺麗な石拾ったよー」
アイは無邪気な笑顔を光らせスコールに駆け寄ってきた。
嬉しそうに差し出した右手には丸い青色の石が二つある。
「おぉ、綺麗な石だ。よく見つけたな」
アイはスコールの膝の上に座ると、
「1個あげるね」
「ありがとう。大事にするよ」
スコールは優しく微笑むとアイの頭を撫でた。
するとアイはスコールの胸に顔を埋めるように抱きついてき、
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんより優しいから好き」
このお兄ちゃんは、ルータスの事だろう。
アイはスコールもルータスも両方お兄ちゃんと呼ぶためややこしい。
「そうか?」
「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになってあげるね!」
「それは嬉しいな」
「もっと探してくるー!」
――この様にちびっ子アイに凄く懐かれたくらいである。
魔法使いとしてのアイしか知らないスコールからすれば、ちびっ子アイはかなりの違和感があった。
しかし10日もすれば慣れたものである。
ルータスから聞いていたアイとは若干違っているが環境の違いもあるだろう。
身寄りさえあればアイも違った成長をしていたはずである。
今の泣き虫で甘えん坊なアイが本当の姿なのだろうか?
スコールは又石を探し出したアイを目で追いながらディークの言葉を思い出した。
永遠に効果の続く術は存在しない。
ディークの話によれば術の効果は術者の能力に比例する。
体に術式も刻まずに一歩通行の術でこれほど長い効果をもたらすとは、かなりの使い手である事は間違いないだろう。
例えるなら一度放ったファイアーが10日も燃えている様なものである。
魔法という概念では通常考えられないのだ。
しかしそんな凄腕の魔術師にアイはなぜ呪いをかけられたのだろうか?
記憶の消失が見られる事から推測するに――
見られてはいけないものを見た?
それならこんな変な呪いをかけずとも殺してしまえばいい。
これほどの使い手の機密に触れたのであれば殺されるのが普通と言えるだろう。
それにこの様な複雑な効果の術をかけるのは一般的にはかなり難しいとされている。
わざわざ手をかけてまで、そうした理由は何なのか?
見られてはいけないものを見られてしまったが、殺すほど重要なことではなかった。
うーむ……
どうもパッとしない答えしか出てこない。
こんな都合のいいことがあるのだろうか。
だが、現状特に緊急を要することはなく、時間だけで解決できるのだ。
考えても結論が見えない事に時間を割くのはやめておこう。
――その日の夜、スコール達は就寝の準備に取り掛かっていた。
ベッドの上でシャツとパンツ一枚でポンポン跳ねて遊ぶアイにスコールは、
「アイ、遊んでないでベッドから降りろ。布団がめちゃくちゃじゃないか」
「はーい」
アイはコロコロ転がりながらベッドの端まで来るとスコール元に駆け寄ってきた。
よく見るとアイの髪の毛は濡れていて全く乾いてなかった。
「風呂上がりはちゃんと髪の毛を拭けっていってるだろ」
スコール、そう言いながらタオルを取り出すと、アイの頭を少し強引に吹き拭き始めた。
「う――もっとゆっくり拭いて!」
「自分で拭かないからだ」
そのままゴシゴシ拭いているとなぜか今日は大人しい。
いつもであればここから走り回り一悶着あるのが日課であった。
「――コー君……?」
「え?」
いきなりのアイの言葉にスコールの手が止まる。
次の瞬間、アイの体を明るい光が包み始めた。
これはただの光ではない。強力な魔法の光である。
そして全体を包み込んだと同時にアイの姿は光とともに大きくなった。
この場合元に戻ったと言う方が正しいだろう。
「コー君?」
何が何だかわからない様子のアイは頭にタオルを乗せたままの姿でスコールを眺める。
スコールも急に元に戻ったアイに戸惑うも、
「アイ、大丈夫なのか? 何か覚えているか? 何があった!?」
スコールの、言葉にアイは、
「分からない……気がついたら小さくなってて――」
やはり――何か不味いものでも見たのだろう。
肝心な部分の記憶は無いか……
ん?
「あ……てっことは……」
アイは色々思い出したのか見る見る顔が赤く染まっていく――
そして耳の先まで真っ赤に染まった。
スコールの願いは届かなかった様である。
ちびっ子アイの記憶はバッチリ残っている様だ。
アイは下着一枚の姿に気づくと慌ててシャツを引っ張りパンツを隠した。
恥ずかしそうにパンツを隠す姿は逆にエロい気がする。
「う――」
アイは変な唸り声をあげている。
何だか非常に気まずい。
目のやり場に困るスコールは鼻先をぽりぽりかきながら、
「なんか、すまんな…… てか、アイもそんな顔するんだな」
スコールの率直な感想である。
いたずらっぽい笑みが似合うアイのこんな顔は初めて見たからだ。
何時もより少し優位に立った気がする。
と言うか、こちらが謝る必要など全くないのだが……
アイは頭に乗せていたタオルをスコールに投げつけると。
「うー! コー君のバカー!」
大きくなってもうるさいアイの声が魔王城に元気に響き、アイのちびっ子騒動は幕を閉じたのだった。




