第57話 約束の行方
先の戦争でほとんど被害を受けなかったエルドナ王国は、街も修復に取り掛かり以前の賑わいを取り戻していた。
街の人々はフランクア王国の脅威から街を守ったエルドナ軍を褒め称えたのだ。
それどころか、完全な勝利に、王国全体がお祭り騒ぎのようになっていたのである。
しかし人々の中に真実を知るものは少なかった――
そのためもあってか、城の中は街とはうってかわって喜んでいる者などいなかった。
そしてテオバルト・アルフォードも歩く足取りは重い。
今日は戦後初めての状況報告会議が行われることになっておりテオバルトも参加するようにとの命がでたのだ。
国王はもちろん、エルドナ軍戦士長ベルフ・ドミニクを筆頭に将軍から部隊長までが顔をそろえる。
テオバルトは重い溜息を1つ吐く。
間違いなく今回の会議でディークについて追求されることになるだろう。
流石にあれほどの力を持っているとは思いもしなかった。
強大な力は人々に不安しかもたらさない。
重い気持ちのまま足を進めると立派な扉が目に飛び込んでくる。その先は王宮の中央に位置する部屋――
本来であれば一部の者しか入ることが許されないこの部屋に呼ばれることは、この上ない喜びと言えるだろう。
しかし今回の会議は少し違う。
戦争状況の報告会と聞いてはいるが、そんな訳はない。エルドナ軍は被害を受けていないのだから。
これは報告会という名ばかりの自分への尋問会といったところか。
ディークはテオバルトの紹介で戦争に参加したのだ。自分に厳しい追求が来ることは間違いないだろう。
王国も一枚岩ではない。貴族を中心に大きな派閥もあり、その中にはテオバルトの存在が気に入らないものも多くスキを見せれば叩かれる。
その為、今回はテオバルトを落とすための絶好のチャンスというわけなのだ。ディークとの約束は今後どうなることやら……
はっきり言って不安しかない。
扉の両側には警備の兵士がそれぞれに立っており、テオバルトに軽い会釈をしてきた。
そして扉は開かれテオバルトは中へと足を進めると、ざわついていた室内は一気に静まり返る。
テオバルトは誰とも視線を合わせないまま自分の席へ座ると静かに目を閉じて待った。
目を閉じていてもトゲのように飛んでくる視線を感じる。そして少しの沈黙の後に1人の男が入ってきた。
それはエルドナ王国の頂点にして絶対の王、コルネリウス・エルドーナであった。
コルネリウスは壁に描かれた大きな国旗の中心に位置する席に腰を下ろすと、
「うむ。役者は揃っているようだな。早速始めてくれ」
コルネリウスの言葉待っていたかのように1人の男が立ち上がった。
その男はリーガン・アヒム、南門での戦闘を仕切ることになっていた男である。
歳は37歳、茶色の短髪で将軍の中では小柄な方だ。
彼も昔から続く有所ある貴族の家系であり、小さな頃から剣の才を光らせ若くして将軍に上り詰めた実力派である。
「まずは、テオバルト様、魔王ディークについて詳しく話していただきたい。彼は何者なのですか? 私はあの者の力が人のなせるものとはとても思えません」
一気に全員の視線が集まるのが分かる。言葉にこそ出ないが皆同じ事を思っているのがよく分かった。
想像通りの質問に思わず笑ってしまいそうになる。しかしテオバルトは多少の負い目を感じてはいるものの自分の判断は決して間違っていないと言った自信はあった。
だからこそ嘘をつく必要もない。
「少し前、学園のワシの部屋を訪れてきた男でな、その時ワシにこう言った。近い内に自分は国を作ると、そしてその時にエルドナとは同盟関係を結びたいとな」
「国……ですか?」
「うむ、ワシはすぐにディークが只者ではないと分かった。だからこそ友好関係を築き、何あればお互い力になり助け合うと言った約束をしたんじゃ」
その言葉にリーガンは呆気にとられ、
「魔王軍とそのような! それはいくらテオバルト様であろうと御一人で判断される範囲を大きく越えておられるぞ! 貴方は魔王にこの国を売り渡すおつもりか!?」
大きな声を上げながら、リーガンの拳はテーブルに叩きつけられる。
普段であればいくら将軍であろうとテオバルトにこのような態度を示せば他の者に叱咤されるだろ。
しかし今はそんな声は上がらず全員はじっとその行末を見守っている。
声には出さないが皆不安なのだ。いきなり現れた魔王ディーク――その桁違いの力がいつか自分たちに降り注ぐことにならないのかを。
リーガンに続いてベルフも続く、
「やはりここは早急にランス・エミールを捕らえて、厳しく尋問するべきです」
2人の言葉に周りもざわめき立つ。
しかしテオバルトはそんな2人に対して冷ややかに言い放つ――
「……愚か者が」
その声にリーガンはビクリと体を震わせる。戦士長のベルフですら緊張した面持ちでゴクリと唾を飲み込んだ。
テオバルトの一声で今まで向けられていた皆からの強気の視線は皆無だ。
いくら引退したとはいえ今まで長い間エルドナを支えてきた英雄の一喝ともなれば迫力も重みも違う。
テオバルトは静かに立ち上がると皆を見渡した。
鋭い視線を飛ばすテオバルトに視線を合わせてくる者はいない。
テオバルトは再びリーガンに視線を戻すと、
「では何か? 敵対して魔王がフランクア軍と一緒に攻めてきたほうがよかったのじゃな? その時責任を持って魔王を倒してくれるのか?」
「そ、それは……」
テオバルトもそれ以上はリーガンを責めなかった。分かっているのだ。国家の危機とも思える状況に冷静でいられるはずもない。
「話を戻すが、ワシは只者ではないことは分かってはいたが具体的な証明が欲しかった。だからこそ今回の戦争で一体どれほどの力を持っているかを調べようと思った訳じゃ。確かに桁違いではあったが今のところエルドナには友好的じゃ最悪の状況にはなっておらん」
実質、魔王軍のおかげでエルドナの被害はほとんどないと言ってもいい。敵軍は壊滅に近く、かなり極端にエルドナ軍の理想の状態になっただけである。
だからこそ皆恐れていた。理屈では分かっていても恐怖がそれをかき消してしまうのだ。
すると次は戦士長のベルフが口を開く、
「何にせよ、魔王が現れた以上は今度の対策を立てねばならない。過去にいた最悪の1つ魔王アルガノフは暴虐不尽の限りを尽くしたとされているが、魔王ディークからはそんな凶暴さは感じなかった」
その通りである。魔王ディークといったものの彼は何もしていない。今回のことも実際はエルドナからの要望に答えただけである。言い換えればエルドナの命を受けただけなのだ。
「ワシもそう感じたぞ」
「しかし魔王の力は本物だ。私が見た限りでは北門に集まった5千以上の兵全部に強力な強化魔法をかけ、1万以上に上るゲノムと呼ばれる改造人間の軍勢第一波を魔法1つで消し去った。テオバルト様、あのような魔法は一体……」
今思い出すだけで鳥肌が立つ――
迫りくる1万もの軍勢を燃やし尽くしたあの魔法……あの漆黒の炎はまさに魔王の所業と言わるだろう。
「分からん……」
それ以外の言葉が見つからないと言ったほうが正しいだろう。
テオバルトの言葉に部屋全体が静まり返った。当たり前だ。テオバルトがわからない魔法を他の者がいくら考えたところで分かるはずもないからだ。
「そんな魔法を杖も使わずに放ったというのか……」
ベルフは力なく呟く。
「情けないことにワシにはアレが魔法かどうかすら分からなかったぞ」
どう見ても魔法の類ではあるが、あれはもはや魔法という域を越えている。
エルドナにある如何なる魔法を駆使してもアレほどの威力は出ないといい切れる。
魔法以外の特殊な方法を行ったと言われたほうがまだ納得できるというものだ。
テオバルトは椅子に座り直すとリーガンが口を開いた。
「南門の戦闘ではミクと呼ばれた女性の召喚師がフランクア軍2万人を一人で皆殺しにしました。ミクは一度も見たことのない凶悪極まりない魔物を召喚しフランクア軍を虐殺したんです」
リーガンは何かを思い出したのか青い顔をしながら小さく震えていた。
「その女自体の戦闘能力はどうだったのじゃ?」
テオバルトの質問にリーガンは半分笑いながら、
「ミク1人の戦闘能力も非常に高く、あの黒翼兵団の団員1名とリグン・バルダットを同時に相手できるほどであります。そしてリグン・バルダットもこの世の物とは思えない凶悪な魔法を放ち今回の唯一の被害である南門の大壁の破壊と街への攻撃をしました」
その言葉に対しベルフは付け足すように、
「その件については、リグンはグリモアと呼ばれるアイテムを使用し、ミクに殺された兵士の死体を吸い込んでいたとの報告が上がっています。テオバルト様、グリモアについて何か知っていますか?」
「うーむ、ワシも噂レベルでしか知らないのじゃが……対価を払えば如何なる望みも叶えるという悪魔との契約書――恐らく状況から察するに、その対価とは人の命や死体と行ったところか? そんな物が実在していたとはな……」
そして今までじっと会話を見守っていた国王、コルネリウスが大きく2回手を叩き、
「結局のところ最後に頼るのはテオバルト知識しかない。ここは1つ今以上に皆の力を合わせなくてはいけないことを十分肝に銘じておくのだ」
「はっ!」
国王の声に皆が大きな声で返事をする。そしてコルネリウスは更に続け、
「現状、我軍は魔王軍に対してもフランクア軍に対しても有効な力を持ち合わせていない。これは早急に何か対策を立てる必要があるだろう。これに対して皆の意見を聞きたい」
「国王陛下、まずはオーガの国、カルバナ帝国へ使者を送り同盟を組むというのはどうでしょうか?」
コルネリウスにベルフはそう提案すると、
「うむ、今までのような関係ではない真の同盟かということだな」
「はい、すぐに使者を送り同盟だけではなく、エルドナとカルバナ帝国を繋ぐ安全な道の確保やゲートの設置を行うべきです」
「魔王軍はエルドナと同盟を結びたがっているようですが、流石に情報が足らなさすぎます。魔王軍の情報収集も並行して行っていくのがよいかと」
「そうだな。一応今のところは敵ではない。魔王軍との同盟の件については情報が集まった後でも遅くはなかろう」
ベルフの提案に反対するものはいない。
現状でエルドナ王国が大きく力をつける術はない。ならば今まで多少付き合いがあったカルバナ帝国が一番信用できるというものだ。
今回の戦争にカルバナ帝国の兵は参加し惨状を目撃している。今頃その情報を持ち帰り対策を練っているところであろう。そういった点も含めカルバナ帝国との同盟が一番都合がいいのだ。
「しかし、魔王軍との同盟を無視し、カルバナ帝国と同盟を組んだことが魔王軍に知れればマズくはないでしょうか?」
リーガンが不安げに口を開いた。
いつもの自信に満ちた態度からは想像できないよほど弱々しく将軍の面影はなかった。それは南門で目にした魔王軍の圧倒的暴力が彼を恐怖に陥れていたのだ。
テオバルトはそんなリーガンを察し、
「それは大丈夫じゃ。その話はワシと魔王ディークとの間で交わされただけのものじゃからの」
「それならいいのですが……」
リーガンは不安を拭いきれない様子だ。
テオバルトは小さく眉をしかめる――
当初のディークの思惑からは少し外れてしまっているようではあるが、これも仕方がないであろう。
魔王軍は確かに強大な力がある。味方になるならこれ以上心強いものはない。
魔王軍が友好的だったのは明白だ。しかしそうにも関わらず同盟を組もうといった意見を誰一人口にしない。
人は強大な力を前に後ろ盾がないと不安なものである。とりあえず同盟といった安心を手に入れたいのだ。
ディークとの密約をした以上は魔王軍を押したいところではあるが流石に今はまずい。
テオバルトは壁に描かれたエルドナの国旗を見つめる。
この決断が今後どのような結果を招くのだろうか――




