第49話 極大魔法
フランクア軍は3匹に増えた魔獣の圧倒的な力の前に犠牲は積り、すでに半数以上も数を減らしていた。
疲れを知らない魔獣は、ただひたすらに動き続け、人間の耳を塞ぎたくなる断末魔だけが大きく響いている。
そんな中、現れたフランクア軍の増援によって戦いは大きく動こうとしていた――
ライナー・ロズエルは目の前に広がる光景を見て嬉しそうに笑った。
やっぱ戦場はこうでなくっちゃね――
十分に濃くなった血の匂いと、周りから感じられる深い絶望が彼の胸を高ぶらせていたのだ。
軽い気持ちでリグンからの要請を受けたが、まさかこれほどの事態になっているとは思いもしなかった。
目の前の女は間違いなく我ら黒翼兵団が探し求めていた組織の一員であるだろう。
ならば作戦は上手く行ったと言うことか……
しかしその為に払ったフランクア王国の被害は甚大だ。リグンもまさかこれほどの被害が出るとは思っていなかっただろう。この目で見るまでは信じられなかったが、クルツが言っていた危険な存在というのは本当のようだ。
「君は一体、何者なんだい?」
その言葉に目の前の女性は丁寧な礼をしながら、
「私は偉大な魔王ディーク様が率いている魔王軍所属のミクと申します」
ミクと名乗った女は見た目は人間のようだ。
それにしても魔王とは一体何のことだ? 魔王アルガノフなら知ってはいるがディークと言った名前に聞き覚えはない。
よくいる魔王を名乗るだけの愚か者と思いたいが、その部下と思われるミクですらこれほどの戦闘能力を持っているのだ。冗談と思わないほうがいいだろう。
そしてアレス・ダニエルを葬った組織――
「もしかしてカミルと戦っていた組織の仲間かな? 今日は恐ろしいヴァンパイアの子供はいないのかい?」
今の内に少しでも情報を集めておかないといけない。
「ミシェルのことね。今日はいないわ」
驚くほどあっさりと答えが帰ってくる。どうやらミクは自分達を全く脅威とは思っていない様子だ。
まだ見たことはないがミシェルという化物も、ミクの実力から想像するに相当な化物であると考えられる。
「君はエルフじゃないよね? 何故エルフに味方するんだい?」
「魔王ディーク様より南門の脅威を排除しろと御命令を受けているので、それに従っているだけです」
先程から度々出ている魔王ディークとは一体何者なのか。ただ一つ分かったのは目の前の女がその名前を口にするときだけ明らかに声のトーンが違っている。
ライナーはくすりと笑うが、そのまま表情に出すようなことはしない。
「へーつ、魔王ディーク様って凄い人なんだね」
今までミクは、ほとんど無表情で感情といったものが感じられなかったが、ライナーの言葉で初めて感情を露わにした。
「ウフフ……その通りよ。万物の王にして神や精霊すら遥かに凌駕する御方よ」
ディークのことを話しだしたミクは見る見る機嫌が良くなっていく。聞いてもいないことを嬉しそうにペラペラ勝手に喋っている。
なんとも単純な奴め、これは情報を聞き出すのも楽そうだ。ライナーは心の中でほくそ笑むと、
「そのディーク様は君やヴァンパイアの女の子よりも強いの?」
「ディーク様と比べたなら私共など取るに足らない存在、その辺の石ころと変わらないでしょう」
分かってはいたが、やはり化物の親玉は相当な化物のようである。
出来れば会いたくないものだ。
するとミクは何かを思いついた様子で、
「貴方中々話が分かりそうね。お願いを聞いてくれないかしら?」
「僕はこう見えて女性には優しいんだよ。一体どんなお願いなの?」
「私早く仕事を終わらせてディーク様の元へ戻りたいの。だから降参してくれないかしら?」
ミクの以外な提案にライナーは驚く。
戦場をこれほど凄惨な姿へと変えたこの女は、血も涙もなく冷徹なイメージしかなかった。それだけに多少の情があることが意外だったのだ。
だが――
「そうしてくれたら、お礼に苦しまないように殺してあげるわ」
やっぱりそんな優しくはないですよね――
ライナーは苦笑いをするも、ミクは更に続ける。
「それにディーク様は黒翼兵団について知りたがっていたので貴方も来てくれないかしら?」
「ついて行ったらどうなるの?」
正直あまりその先は聞きたくない。
「脳から記憶を取り出して情報を見るだけよ」
「それは怖いな……」
ライナーは腰につけていたムチを手に取り両手で引っ張るとピシャリと大きな音を鳴らした。
そろそろおしゃべりも終わらせないといけない。
あまり時間をかけると、3匹の化物と戦っている兵士達が全滅してしまう恐れがあるからだ。流石にライナーといえども化物三匹とミクを同時に相手するのは自殺行為に近い。
ここはリグンの作戦通り働きますかね……
一応、黒翼兵団は傭兵団である。雇い主の望みは叶えないといけない。それにミクの戦闘能力がどれほどなのか調べる必要もあるだろう。
戦闘態勢に入ったライナーを見つめるミクは、
「1対1の戦闘はあまり得意じゃないけど、ディーク様のお役に立てるのはミシェルだけじゃないわ」
何故かミクは少し悔しそうに言葉を放つと、その体に強い魔法力が集まりだす。そして即座に手を振りかざすと、極力な閃光がライナー目掛けて発動される。
ライナーは直ぐ様後ろへ飛び退きそれを交わすと、目の前にいたミクは上空へと移動していた。
やはり――
化物を使役していることから予想はついていたが敵は魔法使いであり長距離戦闘タイプであることは間違いないようだ。対するライナーは中距離戦闘タイプである。
相性は悪くはないが敵に距離を取られると厄介である。
ライナーは化物に視線を移す。
本当ならあの化物を前衛として戦い、術者であるミクが遠距離から魔法で攻撃するのがこの女の戦闘スタイルなのであろう。それは裏を返せばミクは前衛ほどの能力はないということだ。
普通に戦えば間違いなく殺されるであろう。
だが今は違う――
化物は離され純粋な1対1である。この状況は圧倒的に有利なはずだ。
ライナーも“ウォーラ”を発動させ上空にいるミクに詰め寄るために突っ込む。それに対しミクは周りに複数の圧縮された炎の玉を出すと次々にライナー目掛けて飛ばしてきた。
凄いスピードで迫ってくる炎の玉であるが、回避タイプのライナーにとっては大した速度ではない。
ライナーは体を回転させながら炎の玉を鮮やかに交わすと、自分の間合いまで接近する。
本来であれば間合いギリギリで戦うのが最も得意とする位置であるが、敵が遠距離タイプであるいじょう、少しでも距離を詰めた方が安全である。
ライナーは剣武を発動させると、強力な闘気は流れるようにムチの先にまで伝わる。そして意思を持ったかのようにムチはミクに襲いかかる――
しかしどういう訳かムチはミクに到達する前に何か見えない壁にでも当たったように弾かれた。だがライナーは攻撃の手を緩めることなく次々と攻撃を繰り出していく。
魔法というものは詠唱時間に比例して強力になるのが常識だ。したがって詠唱時間さえ与えなければ大した脅威にはなり得ない。
見えない壁にどんどん攻撃を打ち込んでいくと、ミクは更に後ろへと退避する。
やはり見えない壁の耐久度は無限ではないようだ。逃げるミクに追撃をかけようとした瞬間、
「中々やるわね。これはかわせるかしら?」
ミクは両手を大きく横に広げると、辺りの風が動くのが分かったと同時に、ミクを中心に鋭い風の刃が発生した。
まずい、かまいたちか――
全方向へと発生した無数の刃は先程の炎玉とは比べものにならない速さで飛んでくる。距離を詰めていたライナーは回避することは不可能である。
かまいたちの威力は速さと大きさに比例する。これはライナーのシールドでは防御しきれないであろう威力だ。
「ちぃ!」
ライナーは一気に闘気を高め凄まじい速さでムチを操ると、次々にミクの繰り出したかまいたちを撃ち落としていく。しかし圧倒的な数の前に撃ち漏らしたかまいたちはライナーの腕と肩を斬り裂いた。
又か……
最初の時もそうだったが、この女、攻撃の際に一切の殺気が感じられないのだ。
熟練の戦士ほどその殺気に敏感であり、それによって敵の攻撃を読むことが出来る。どんなに訓練したところでそれを完全に消すことなど至難である。
だがミクにはそれが全くなかった。
根拠はないがこれは訓練によって身に付けられたものではないだろう。
例えるのであれば、子供が道を歩いていて転がっている石を蹴る時、殺気を放つ者がいるであろうか? 答えは否――
恐らくミクは自分達に対して、本当に道端の小石程度としか認識していないのであろう。
どういう教育を受ければこんな異常者に育つのか知りたいものだが、人の皮をかぶった化物の頭の中など理解できるはずもないだろう。
ライナーは肩を撫でると手についた自分の血を舐める。そこまで深い傷ではないが肩から生暖かい血液が垂れているのが分かる。
戦いはこうでないと面白くない。
久しく出会った強敵にライナーの闘争心は刺激され不敵な笑みへとかえた。
だがその時、予定にはない男の登場にライナーは眉をしかめた。
「どうやら苦戦しているようだな」
その声の男こそ、フランクア王国軍の最高司令官リグン・バルダットであった。
◇
ライナーはリグンに対して不満をあらわにしながら、
「僕とミクは今いいところなんだ。邪魔しないでよ」
リグンはそんなライナーを見て深い溜め息を吐く。
これだから戦闘狂のバカは扱いが嫌なのだ。
「熱くなるのはいいが依頼した仕事だけはきっちりこなしてもらうぞ」
とは言ったものの本来の作戦からズレてきているのも事実である。
本当はライナーに戦士長であるベルフ・ドミニクの相手をしてもらう手はずだったのだ。
リグンはミク視線を向けると、ミクもそれに気づき軽く会釈してきた。
ミクに警戒や緊張と行ったものは全く感じられない。恐らく自分が負けることなど微塵も思っていないのであろう。
まさか聖剣を奪った組織の者がこれほどの力があるとは思いもしなかった。
先程の魔法一つにしてもそうだ。ほぼ無詠唱に近い状態であそこまで威力を高めたかまいたちを発生させられるものなど世界にもそうはいない。
これならばあのアレス・ダニエルが敗れたのも頷けるというものだ。
ライナーも少し落ち着き冷静になった様子で、
「分かったよ。で? 2人でやるのかい?」
「そうだな。そろそろ頃合いだ。グリモアを使うとしよう」
リグンは一冊の本を取り出す。
「分かったよ! それまで足止めすればいいんだろ? 全く割に合わない仕事だよ」
そう言うとライナーはミクに向かってムチを振るう。
ミクは自身の周りに高エネルギーの光の玉を出現させると、光の玉はミクの周りを周りだした。そして意思を持ったようにライナーの攻撃を弾く。
お互いは一歩も引かず二人の戦いは激化の一途を辿っていく――
そしてリグンは二人の戦いが始まったと同時にグリモアの封印を解くと、巻きついていた鎖がチリのように消え凶悪な魔力を放ちだした。
グリモア――
それは悪魔との契約書だ。
対価を払えば持ち主の願いを叶える血塗られた本である。そして対価というのは、命――
グリモアは生贄を捧げることによって中に魔力を蓄積させていくのだ。生贄は死体でも構わないが生きている者の方が貯まる魔力の量が多い。
リグンは化物と戦っている兵士達を見ると不敵な笑みを浮かべる。
最初の部隊はほとんど死に絶え今はリグン率いる精鋭部隊が化物の足止めを行っている。
本来は最初の部隊に一定の死者が出たところでグリモアを使い、極大魔法を打ち込む。それと同時に精鋭部隊が南門を突破する作戦だったが予定が狂ってしまった。
しかし今となってはそれも大した問題ではない。
楽しみだ――
死体とはいえこれほどの数をグリモアに捧げれば一体どんな力が出るのだろうか? リグンは焦る気持ちと高鳴る鼓動を抑えながら、
「グリモアよ! 好きなだけ死の匂いを集めろ」
開かれたグリモアは強く輝き、開かれたページは真っ黒になった。そして辺りに散らかっている人間の死体を吸い込みだす――
グリモアは潰された肉や大地を真っ赤に染め上げた血の一滴までもどんどん吸い込んでいく。正にその光景は死の書といえるだろう。
異常な光景に見ていたエルドナ軍から悲鳴に近い声が上がる。
最後の死体を吸い込み終えるとリグンはグリモアに溜まった魔力に鳥肌が立った。
これこそ決して人には到達できない領域、これこそ私の求める正義だ――
かつてない力を放つグリモアにリグンは叫ぶ、
「さぁグリモアよ! その力を見せるがいい!」
グリモアのページをめくると次々にスペルが浮かび上がる。全く知らない魔法の数々がリグンを歓喜の渦に包んでいく。
リグンも伊達にフランクア王国軍の最高司令を名乗ってはいない。魔法の知識ならテオバルト・アルフォードと同じ位に名前はとどろいているのだ。
未知の魔法に心を躍らせながらリグンは一つの魔法を読み上げた。
「これこそ神の力だ! “メテオレイン”」
リグンの声にグリモアは呼応し本に書かれたスペルは光を増しリグンの足元に巨大な魔法陣が現れた。
次の瞬間、上空高くに無数の巨大な燃え盛る岩が出現する。
それは、ただの岩ではなかった。1つ1つが強力な魔力により限界にまでエネルギーを高められた岩である。
その強力な魔力にミクも反応するが、すでに遅かった。
すでに魔法は放たれ空から無数の岩が降り注がれる――
「しまった!」
ミクは初めて焦りの色を見せるとエルドナを背に両手を突き出し叫んだ。
“イージス”
ミクの前には巨大なシールドが形成される。
しかし最大に高められ高エネルギー体となったメテオはミクのシールドに当たると同時に中に秘めたエネルギーを爆発させる。
一発一発が恐るべき威力だ。そんな無数のメテオがミクに次々に襲いかかる――
ミクのシールドは信じられないことにそんなメテオを防いでいるのだ。しかし門の手前で大きな爆発が次々に上がっていき、そのシールドも限界を越えようとしていた。
ついに何かが割れる音を上げシールドは消え去ると、残った数発のメテオがエルドナの壁を吹き飛ばし、街へと降り注いだ。
凄まじい音を上げながらもくもくと煙が上がりエルドナの街に火の手が上がるのが見える。
響き渡る悲鳴と叫び声――
「素晴らしい……」
リグンは思わず呟いた。グリモアを見るとまだまだ魔力は残っている。
流石、2万人近い人の死体を捧げただけのことはあるな――
するとライナーが息を切らせながら寄ってくると、
「やったの?」
「いや、化物が消えていないことからまだ、死んではいないはず――」
2人はメテオによって破壊された壁が舞い上げた煙をじっと見つめると、その中に浮かぶ1人の影に気づく。
予想道理の展開であったが何やら様子がおかしい。
多少服が破れているだけで大したダメージは受けていない様子であったが、何かに怯えるように体はびくびく震え今までの余裕たっぷりのミクからは想像できない姿であった。
「わ……たし……」
ミクの声は震え今にも消え入りそうだ。
「私の失態……ディ、ディーク様との、お約束を果たせなかったあああああ!」
ミクはいきなり叫びだすと両手で頭を抱えながら塞ぎ込み本人にしか聞こえない声でブツブツと何かを言っている。
どうやらミクは防衛を任された南門を破壊されたことに怯えているらしい。
スキだらけであったがミクのあまりの変わりように2人は呆気にとられていた。
やがてミクはゆっくりと立ち上がるとリグンに鋭い視線を飛ばしてきた。
目が合ったリグンはその視線にゾクリと何か寒いものが体を駆け抜ける。
今までほとんど表情の変化がなく余裕を見せていたミクだったが、今はその面影はなく、その表情からは明確な憤怒と殺気が感じ取れた。
自分達に向けられた明確な殺意にライナーも思わずたじろいでいる。
そしてミクは静かに口を開く、
「これは油断した私の失態。こうなってはもう貴様らゴミども全ての死体を差し出し謝罪するしかない」
ミクからは化物同様のまがまがしいオーラが立ち込めだし、リグン達にその手を掲げると――
ミクの前には無数の魔法陣が出現した。そしてそこからは、馬、鳥、猿などの数々の化物が姿を現す。その数ざっと20体だ。
「おいおい……これはまずいんじゃないの?」
そう言ったライナーは顔を引きつらせている。リグンだってそうである。これほどの戦力と戦うにはこちらも相当のリスクを覚悟しなければならない。
そしてもう後には引けない状況にあることも分かっていた。
「こうなったら。あいつらを呼ぶしか――」
リグンは言葉に詰まった。それはミクの横にぽっかりと空いた真っ黒な空間に目を奪われたのだ。
「これだけは使いたくなかったわ。でも今の私の全力をもって貴様達の国を滅ぼさないことにはディーク様に顔向けできない!」
この女は本気だ。出来るかどうかはともかくとして本気で国を滅ぼそうとしている。
ミクの横に空いた穴からは嫌な予感しかしない。絶対の死を感じさせる何かが、出てこようとしているのだけは感じ取れた。
これは理屈ではなくリグンの生物としての本能が逃げろと訴えかけているからだ。
しかし逃げることは出来ない。それは恐怖や最高司令官の立場といったものではなかった。
リグン自体もその穴から何が出てくるのかどうしても見たかったのだ。
それは子供の頃に友達した怖い話に近いといえるだろう。
リグンの興味はもはや一点に集中している。
ミクは氷のような冷たい笑い声をあげながら、
「ゴミども! 苦痛に満ちた叫びで私の心を満たしてちょうだい!」
ミクの声が響き20体の化物が動き出した。




