第40話 オフの日6
エルフの国では16歳から成人と見なされるが16歳まで特別何か制限がかけられているわけではない。やろうと思えば一般の依頼だって受けることはできる。しかし訓練すらしていない者が一般の依頼を受けることはEランクでも自殺行為に近い。誰にでもできるならわざわざ金を払ってまで冒険者やハンターに依頼しないからだ。
それにエルドナに限っては学園で依頼書を受けることができるため、学生が卒業までに一般の依頼を受けることは無いと言っていいだろう。
酒や煙草も同じであり、特に年齢制限は設けられていない。学生だって好きな時に呑めるというわけだが子供の内は酒の味など分からない者がほとんどで呑む者は少ないのが現状だ。
しかし大人になれば話は変わる。酒を飲まない者はほとんどいないと言っていい。
その理由は酒場が冒険者やハンターにとって情報交換の場でもあり顔を売るにはもってこいの場所となっているからだ。
酒を飲まない冒険者もいないわけではないが酒場に来ない冒険者はいないと言い切っていいだろう。依頼書は基本的に街の酒場や宿屋に張り出されているので、仕事をするなら酒場に行かなくてはならないのだ。
そんな冒険者やハンターの集まる場所を目の前にスコールは立っていた。当たり前だがスコールは酒場に入ったことはなかった。
確かに酒場には興味はあったが、こんな場所に生徒達だけで入ったら何されるか分かったものじゃないからだ。しかし今はそんなことよりもルータスの組織のトップであるディーク・ア・ノグアという男に興味があった。
見た目はどう見てもエルフの姿だがルータスの真祖という事はヴァンパイアなのだろう。何故アルフォード学園の制服を着ているのか謎ではあったが見た目は想像よりも大分若い。だが、種族を好き勝手に変えられる相手に見た目での判断は意味をなさないであろう。
一緒にいたミクと言った女性も気になっていた。見た目は男であれば誰もが振り返るような美しい顔立ちで、手入れが行き届いているのが十分にわかるサラサラの黒髪だ。
しかしあのミシェル・ブラッドと同じディークの嫁であることから普通の女性であるはずがない。美しい見た目とは裏腹に、この女性も又、凄い力の持ち主なのだろう。
スコールはディークに続いて、初めての酒場に足を踏み入れた。木がきしむ音が響き扉についた鈴の音があたりにこだまする。
扉を開けると同時に部屋から溢れ出た煙草の匂いが鼻につく。中は広く正面にはカウンターがあって店のマスターと思われる男が立っている。そして丸いテーブルがいくつも並べられ天井から吊るされたランプの明かりが部屋全体を照らし出していた。
天井にいくつか空いた天窓から流れ込む光の中で埃が舞っているのが幻想的に見える。
太陽の位置からして今は昼過ぎだろう。しかし酒場にはすでに冒険者かハンターのパーティと思われる集団がいくつかいる。
ディークに続いてスコールも扉の先へ一歩進むと床のきしむ音と一緒に金属と酒の匂いが鼻に飛び込んできた。
そしてスコール達は既にいた客達の視線を一同に集める。当たり前だ――こんな場所、学生の来る所ではない。現役のハンター達の鋭い視線がスコールにビリビリと伝わってきた。
周りの客達の視線中をスコール達は進んで行くが部屋の半分程の場所を通過しようとした時に、
「おい。学生さんがここに何のようだ?」
ディークの左側に座っている3人パーティの1人から声がかかった。その男は不細工な顔だが、流石に体つきは引き締まっており所々に戦いの傷の跡が勲章のように刻み込まれている。
ここにいるハンター達は皆多かれ少なかれ命を張った金で酒を飲んでいる。そんな者達の中で親の金で呑みに来たであろう学生がいい顔されるわけがない。
例えるなら学園にハンターが土足で入ってくるようなものだ。むしろ絡まれるのは当然といえるだろう。
声をかけた不細工は一番先頭のディークをリーダーと判断したのか、ディークににじり寄ってきた。ディークはズボンのポケットに手を突っ込んだままで不細工に視線を飛ばすと、めんどくさそうに表情をしかめ、
「なんか用か?」
その姿に一切の焦りは見られない。
「ここは学生が来るような場所じゃないんだよ。それとも俺が少し遊んでやろうか?」
不細工はディークを威嚇しながら拳を握りしめた。後ろの男2人は楽しそうに「あまり虐めてやるなよー」などと言いながら不細工を煽っている。その姿をみてディークはいきなり失笑する。
「なんだガキ! 馬鹿にしてるのか!」
不細工は怒りをあらわにしながら叫ぶ――それと同時にミクが一歩前に出ようとするもディークはそれに対して手を上げて抑止した。
スコールは奥のマスターをチラリと見るも止める樣子はない。それもそうだろう――ここは酒場であり喧嘩などは珍しいことではない。マスターからすればよくある出来事なのだ。
他のハンター達も楽しそうに喧嘩の成り行きを見学している。
仮にここで怪我をしても十中八九、酒場などに行くほうが悪いと言われるだろう。当たり前だ。スコール達は連れて行かれた訳ではなく自分から来たのだから。
「そうだな――せっかくだから俺もお前と遊んでやるよ」
そう言ったディークは不敵な笑みを浮かべる。するとスコールはいきなり肩を見えない手で押さえつけられているような感覚に陥った。しかし絡んできた不細工はそれどころではなかった。
「ヒュ、ヒュ……やめ……」
不細工はいきなり苦しみだすと口からブクブクと泡を吹き出し始め、体はガクガクと震えはじめた。
ディークはポケットに手を突っ込んだまま立っているだけだ。スコールは一体何が起こっているのか分からずに異様な不細工の苦しみ様を呆然と見るしか出来なかった。
やがて不細工の目は白目を向き大きな音とともに後ろに倒れた。するとディークは両手を上げ周りを見渡しながら、
「クックック……おいおい、この不細工、何もしていないのにいきなりぶっ倒れちまったぜ?」
静まり返った酒場にディークの声だけが響くも、それに誰も答えようとしない。いや、答えられないといったほうが正しいだろう。
今、目の前で起こったことはそれほどに異常な光景だった。
ディークは両手をズボンのポケットに入れたまま立っていただけだ。つまり手も足も使わずに現役のハンターを倒したのだ。
ディークはいきなり倒れたといってはいるが、そんなはずはない。ここにいる誰もがディークが何かした事は分かっている。しかしそれが何なのかこの場にいる全員が分からなかった。
学生のスコールでさえ辺りを包んだ重々し空気を感じ流ことができたのだ。
周りのハンター達にはどのように写っていたのだろうか?
現に周りで見ていたハンター達の視線からさっきまでのヘラヘラした表情はなくこちらに視線を合わす者はいなくなった。ディークをただの学生ではないと認識したのだろう。その切り替えの速さは流石現役といったところだ。
ディークは倒れて気を失っている不細工に冷たい視線を向けると、興味をなくしたようでカウンターへと歩いていった。
スコール達も周りの視線が集まる中、ディークについていく。するとディークらカウンターにもたれかかりながら、一枚の金貨をマスターの目の前にチラつかせた。マスターに微かな驚きの表情が現れるもすぐに消える。
「角のテーブルに、ビール3つと甘いカクテルをたのむ」
そう言って金貨をマスターの胸ポケットにそっと入れると軽く手を振る。マスターはニヤリと笑いながら親指を立てて了解の合図をすると、
「アンタ、いいお客さんだね」
とだけ言ってカクテルを作り始めた。普通金貨は高価な買い物をする時にしか使用しないものだ。酒場での支払いはいくら飲んでも銀貨で十分であり、先程の迷惑料など諸々を考慮したとしても破格の報酬と言えるだろう。
おそらく顔を売るといった意味もあるのかもしれない。それなら何するよりも実際に金を使うのが一番効果は高いのだから。
ディークは角のテーブルに向かいゆっくりと腰を下ろした。ディークの横にはミクが座り、向かい合うようにスコールとルータスも席に着くと、後ろのほうで不細工の仲間達が気を失った仲間を介抱している。
学生に絡み返り討ちにあったのが恥ずかしいのかブツブツと何か文句を言っているのが耳に届いたと同時に、カン! と何かの音が鳴り響いた。
スコールはその音の方向に視線を向けると文句を言っていた3人の足元の床に、ドス黒いオーラをまとったナイフが刺さっている。そしてミクが立ち上がると、
「ディーク様に対するそれ以上の狼藉は、私が許しません」
その言葉と同時に刺さったナイフは燃え尽きた。丁寧な口調とは裏腹に、ミクからは忿怒と敵意が感じられ、その恐ろしい視線にハンター達の顔は引きつっている。ディークは笑いながらミクの肩に手を当て座らせると、
「まぁいいじゃないか、ここはバーだぜ? こんな揉め事も楽しみの一つさ。それに街中でやりすぎると呑めなくなるぞ。あいつらの命とビール、どっちが大事なんだ」
「それはもちろんディーク様と呑む、お酒です――」
そう言いながらミクは蔓延の笑みでディークの腕に抱きつくと、スコールとルータスの視線にハッと気づき、
「コホン、お客人の前でした……」
少し恥ずかしそうに椅子に座りなおす。その姿からは先ほどの恐ろしい殺気はなく、年相応の美しい女性にしか見えなかった。
――どうも、ディークの組織の者は主人を馬鹿にするものに対しては、容赦がなく一気に凶暴になるのが特徴のようだ。
そうしている内に、マスターが飲み物を運んでくるのが見える。右手にジョッキ3つと左手にカクテルを持ち、慣れた手つきでテーブルのそれぞれのまえに並べると、かるく会釈をして戻っていった。
ミクだけは甘いカクテルが置かれ、男三人の目の前には冷えたビールがジョッキから溢れんばかりにきめ細かい泡を立てている。
スコールは目の前に置かれたビールをじっと見つめと、胸の鼓動が大きく高鳴る。実はスコールは酒をあまり飲んだ経験はなく、少し苦手だったのだ。そんなことを知るはずもないディークは楽しそうにジョッキを掲げ、
「とりあえずカンパーイ!」
せっかく用意してくれた飲み物を飲まないわけにはいかずに、スコールは意を決してビールを口に、流し込む。
「…………」
――苦い、こんなものの何処に上手い要素があるのか理解出来ない。思わず嘔吐きそうになるが表情に出すわけにはいかない。何とか持ちこたえ三分の一ほど飲み終えたところでジョッキを置いた。スコールには残りの三分のニほどビールがとてつもなく大量に感じる。
同じことを後2回繰り返すだけだ――と自分に言い聞かせていると、
「プハー! やっぱビールが一番美味いですねディーク様!」
横に座っていたルータスは袖で口についた泡を拭きながらそういうと、ジョッキはすでに空っぽであった。ルータスはマスターに向かって空のジョッキを振り回しながら、
「マスター、おかわり下さーい!」
こいつは一体、普段どんな生活をしているんだ? といった疑問が頭によぎるも、何か先を行かれている気がしてスコールのライバル魂に火をつけた。
スコールは残りのビールを一気に喉に流し込み空にすると、胃袋から何かが上がってきそうになるも何とか持ちこたえジョッキを空にすることができた。
しかしそれと同時にマスターが余計な気を利かせて、ルータスの追加ビールと一緒にスコールのビールも持って来た為に、すぐにスコールの目の前には新しい満タンのビールが置かれた。
その光景にゾッとするも横では美味そうにルータスが追加のビールをゴクゴクと飲んでいる。一体自分は何と戦っているんだ? と、口にしたビールの苦味がスコールを冷静にさせた。
ディークもビールを飲みながら嬉しそうに、
「今日の目的は、我が城にあるバーの更なるレベルアップのための偵察と言った所か」
「了解であります!」
ルータスも嬉しそうに敬礼をしている。
城か――ディークの言い方からして住居の事を言っているのであろうが、エルドナに城と呼べるほど大きな家は名前の知れ渡った大貴族のものばかりでディークという名前は聞いたことがない。
バーを作っているようだし、あれ程の強者がいる組織の本部であろう場所が小さい訳がない。アレス戦で最期にミシェルが唱えたゲートの先に広がっていた光景は間違いなくエルドナではなかった。
しかし今はそんなことよりも初めての酒場に酒を囲んでの雰囲気がスコールの心を弾ませている。スコールは周りを少し見渡すとビールを口に運ぶ。
――やっぱり苦い、美味しくない。
スコールにとって今はその苦味と雰囲気が少し大人になったような気がして楽しかった。そして横に座っているルータスと視線が合うとルータスも楽しそうにジョッキを掲げてスコールに差し出し2人は軽く乾杯をした。
2人が打ち鳴らしたグラスの音色は微かな音であったがスコールの心には大きく鳴り響いた。




