第30話 覚悟
「クソ……あの馬鹿野郎が……」
スコールは誰に言った訳でもなく呟いた。その声は走る風の音に紛れすぐに消える。ルータスとはそこまで長い付き合いではなかったが、お互いある程度は分かっているつもりでいた。いきなりどうしたというのか? さっきのルータスは明らかに普通じゃなかった。
何か深い恨み、憎悪などの強い負の感情が恐ろしいほどに伝わってきた。それにルータスが言っていた「お前達は助けてくれなかった」とはどういう意味なのだろうか? それに――
アイの言った言葉がスコールには引っかかっていた。アイは、自分達が恨んだ純血と言っていた。まるで自分達がそうではないかの様に。ルータス兄弟には何かあるとは思いってはいたがもしかするともっと遥かに大きな秘密があるのかもしれない。
理由はどうあれ、何か過去に強い恨みを持っていることは明白だ。
これからの戦いでアイと2人だけで何とかしなければならない。自分にそれだけの力があるのかは分からない。しかし今を逃せばコロナ村の村人と同じ運命をたどるだろう。エルドナの助けを待っている暇などはない。
スコールとアイは巨人が歩いた後に付いた微かな足跡をたどっていた。その足跡は川を挟んだ先にある森へと続いていた。巨人は川を横断した様で足跡は少し濡れていた。これはエリカが攫われてからまだ時間が経っていないという事だ。
スコールは森の入口までたどり着くと、足を止め振り返った。
「アイ、この先は多分もう敵のテリトリーだろう。中に入ったら命の保証は出来ない。引き返すなら今のうちだ」
普通に考えて何かしらの組織が絡んでいるであろう敵の真っ只中に、学生2人で乗り込むなど自殺に等しい行為だ。命の保証は無いどころか生きて帰れたら万々歳だろう。しかしそれでもスコールはエリカを見捨てる事は出来なかった。
それは仲間の為でもあり自分の為でもあったからだ。こんな時に命の一つも賭けれない様ならこの先に未来なんて無い。そして強さを求める意味すら無くなってしまうからだ。
「そんな事をするなら最初から一緒に来ないよ。覚悟は、出来てる――」
アイのその言葉から覚悟の強さが伝わってきた。そんなアイにどうしても聞いておきたい事があった。
「お前は何故そこまでする? ずっとこの学園に居たわけじゃない。冬からの付き合いでしかないのにどうして命を賭けれるんだ」
スコールの問に対してアイは一つのためらいもなく笑って答える。
「お兄ちゃんは、ああ言ってたけどね。アイにとってはコー君も大切な友達だから見殺しになんか出来ないよ。仲間のピンチに使えない力なんて、そんなの無力と変わらないから」
アイの言葉にスコールは心の底から敬意を払った。5級生の小さな女の子が出来る様な覚悟ではない。しかし目の前のアイはスコールと同じ気持ちでこの場に立っているのだ。
「そうか……ならばアィーシャ! 今日だけはルータスではなく、この俺の頼もしい相棒だ!」
そう言うとスコールは振り返り森の中へと足を進めた。森の中は草が倒され巨人が歩いた跡がしっかりと残っていた。森の木々が光を遮り辺は一層外より暗かった。
この先に謎の敵がいると思うと辺り全て気味が悪く感じる。森の奥に進むとスコールは足を止めた。特に何か気がついた訳ではない。少し目の前の木の枝が気になっただけだった。その違和感の正体を探る様に木を見つめると――
――いきなりそこから何かが飛び出してきた。
「くっ!」
金属音が静かな森に響き渡りスコールは何とか剣を立てガードする。そして攻撃を仕掛けてきた敵はスコールの前に剣を構え立ちはだかった。そしてスコールは対峙する敵の姿を捉えると。
「人間――」
敵は人間だ。となるとフランクア王国が絡んでいる可能性が高い。エルフの領土まで進入して来るくらいだ。敵も相当の準備をしている事は間違いない。そして目の前の敵が仕掛けてきた一撃も完全に命を狙ったものだった。
敵が仕掛けてきたという事はもう敵の本拠地は近いという事だ。何とかスキを見つけて――
「がはっ!」
それは一瞬の出来事だった。スコールが次の行動を考えている最中に目の前の人間はズリュという音と共に大量の血を吹上げていた。それはスコールの横から伸びた鋭利な氷柱が目の前の人間の心臓を貫いていたのだ。今まで聞いた事もない鈍い音をたて心臓を貫かれた人間は、氷柱を両手で抜こうとするがすぐに体は激しく痙攣しだした。そして口からブクブクと血の泡を吐きながら白目を向きだすと伸びた氷柱に吊り下がった。
「……なっ!」
スコールは目の前で起こった凄惨な光景に動くことが出来なかった。初めて経験する人の死――その恐ろしさに体中に寒気が走った。人間を貫いた氷柱の元を、たどる様に振り返るとその先には、人指し指を伸ばしたアイの姿が目に写った。
アイは指を軽く振ると氷柱は消えスコールの後ろで死体が落ちる音が聞こえる。
――殺した。無造作に。なんの躊躇いもなく。人を殺した……
スコールは大きく見開かれ、変な汗が流れる。そのアイの一変の情も感じられない表情に恐怖したのだ。
「アイ……お前……」
ようやく口からでた言葉にアイは気づくと、スコールの表情から何かを読み取った様に。
「人を守るってこういう事だよ? まさかコー君はこのまま誰一人傷つかずエリカちゃんを助けれるって甘い事を思ってるの?」
アイはそう言うと歩き出し死体をあさり出した。何か敵の手がかりになる様な物がないか調べているのだろう。アイのその姿を眺めながら只呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
その通りだ。誰一人傷つかない事など不可能だ。それどころか自分達の命の保証すら危うい状況なのだ。敵はこちらの命を狙ってくる中で相手を気遣う戦いなど自殺行為だ。アイの言う通りエリカを守る為には敵を殺さなければ自分すら守る事など出来はしない。
分かっている……分かってはいるが、そんなに簡単に割り切れるものではない。
アイ達は今までどんな経験を積んできたのだろう。ルータスの異常な態度からすればこの兄弟の過去はスコールではとても想像出来ない血を血で洗う様なものだったのかもしれない。
ルータス達の強さはチャンネの指導によるものと考えていたがそれは違う。いままで何回もこのような命の危機にさらされた戦いの中を生き延びてきたからだと確信した。
スコールは拳を強く握ると、覚悟を決めた。エリカやアイを守る為には一切の情は捨てなければならない事を。
「そうだな。もう迷いはない、すまなかった」
そう言うとスコールも死体の前に来ると、その目を逸らせたくなる様な状態に目を細める。
「コー君、調べたけど何も持ってないね。コレからはもう何も出てこないよ」
アイのいった“コレ”とは死体のことだろう。いったい何処の世界に、簡単に人を殺し死体をあさる5級生がいるというのだろうか。しかし今はそんなアイが少し心強い気もする。
「それもそうだろうな。新たな敵が来る前に先に進もう」
スコールはアイと視線を合わせてお互いに頷くと、2人は森の奥へと足を進めた。スコールは暗い森の中を慎重に進んでいく。すると少し広い場所にたどり着き、ここで巨人の足跡は消えていた。
その場所の先には大きな岩に掘られた洞窟の様なものがある。岩の大きさからして中はそこまで広くないだろう。ならばアレが敵の拠点の可能性もある。
スコールは少し気がかりな事があった。最初の敵の出現からこの場所まで全く敵は襲ってこなかったのだ。こういった場合考えられる可能性は2つだ。1つは敵が何かしらの隠密行動ゆえに事がバレる前に既に引き上げて居ない場合だ。
そしてもう1つはこれが俺達を誘き出す罠である可能性だ――
そして次の瞬間に巨大な何かが落ちる様な大きな音と共に巨人が現れた。コロナ村で出現した巨人と同じ見た目だ。しかし大きさはひと回り小さく3メートルほどだった。多分、空から降ってきたのだろう。
普通からすれば異常な事態だが、嫌に冷静な自分に何故か失笑した。こうも異常な事態が続けばいい加減慣れてくるものだ。スコールは剣を構えると、
「行くぞアイ、これからが本当の戦いだ――」
◇
スコールと別れた後、マヤカ達はデニス班の3名と合流する為に必至で走っていた。マヤカは横目でデニスに視線を移すとデニスは折れた左腕が痛むようで歯を食いしばって走っている。
本当は休ませてあげたい。しかし今はそんな事を言っている場合ではない。スコール達の命が賭かっているのだ。いくらあの2人がいてもこれはもう学生がどうこう出来る話ではない。
スコールも自分達の手に追える事件ではないと言っていた。それが分かっていながらスコールはエリカを助ける事を選んだのだ。マヤカだって同じ学園の仲間を見捨てる様な真似は出来ない。なら今マヤカの出来る事は一刻も早く合流しエルドナに向う事だけだ。
マヤカは後ろを少し振り返ると祈る様な視線をもう見えないスコール達に送った。
「こっちだ」
デニスの案内で集合場所へと走っている。来た道を戻るような形で走っていたが、遠くに何やら3人の人影が見える。あれがデニス班の残りの3名で間違いなさそうだ。
「いたわよ! あそこ!」
マヤカは後ろを走るエリオットに向かって叫んだ。そしてマヤカ達は残りの3名の元までたどり着くと、
「デニスさん! その腕、大丈夫ですか!?」
「エリカちゃんは!? エリカちゃんはどうしたんですか?」
「アレは何だったんですか?」
デニスの元に3人は駆け寄りそれぞれが口を開く、
「ちょっと落ち着け! 今から大切な話があるからよく聞くんだ」
デニスは三人に事情を説明しだすと、三人の顔色はみるみる青ざめ変わっていった。それもそうだ。いきなりこんな事を言われても学生がどうしたら良いかなんて分かるはずもなければ解決策も思いつくはずもない。
マヤカだってそうだ。スコールと別れた事やこれからエルドナに向う事、その判断が現段階で絶対間違いないと、とても言えないからだ。もしこの事件が最悪の結果になったとしたらこの先ずっと今の判断を悔やむ事になるだろう。
だからこそ最悪の結果にならない様に今一瞬に全てを賭けるしかないのだ。
デニスは説明を終え、こちらに振り返ると、
「本当にすまないと思ってる。俺もこの腕では役に立ちそうにない。悔しいが今の俺には祈る事しかできない」
デニスは拳を強く握り唇を噛み締めながら悔しそうに言った。
「大丈夫よ。あいつらは馬鹿だけど、凄く頼りになるんだから。きっと何とかしてくれるわ」
マヤカのその言葉は希望にも近いものだった。ルータスとスコール、いつもは啀み合ってはいるけど、お互い認め合っている事はマヤカもよく分かっていた。
そしてその2人は間違いなく学園の中ではトップクラスだ。他に肩を並べる者など居ない。それほど遠くの存在と言えるだろう。その最強の2人なら何とかしてくれる。全て丸く収めて又いつもの様に喧嘩して帰ってきそうな気がするのだ。
「マヤカさん、やるよ」
エリオットの声と共にマヤカは頷きエリオットは両手を広げ魔力を高めると魔法を唱えた。
“スピードウォーク、タフネス、エナジーパワー”
エリオットのクラスはバッファーである。バッファーとは自分や味方の強化を専門とするクラスだ。
エリオットの唱えた魔法はマヤカとエリオットを包み込む様に発動されマヤカは自分の体が強化されていくのを感じる。強化は走る速度とスタミナとパワーだ。エリオットは学園ドベだが強化魔法は有るのと無いのでは全然違う為、今はこの魔法でも十分なのだ。
次にマヤカも魔法を唱える。
“リジェネート”
同じく2人に展開された魔法は体力を回復する為のものだ。これで準備は整った。後はひたすら走ってエルドナに向うだけだ。
「貴方達、デニスは任せたわよ」
「分かりました!」
マヤカの声にしっかりとした返事を返す三人、するとデニスがマヤカに、
「こんなものでは足らないだろうが、使ってくれ。もしもの時の為に取っておいたんだ」
デニスの手には体力を回復するポーションが2個あった。ポーションの中では一番ランクの低いものだがポーション自体が高額な為にそれでも結構な金額はする。学生がおいそれと買える物ではない。
しかし今は遠慮など無用だ。マヤカはそれをすぐに受け取ると。
「ありがたく使わせてもらうわ」
「ああ! 俺達もこのままエルドナに引き返す」
マヤカはエリオットに視線の送ると、2人は走り出した。強化魔法の為、かなり早く走れる。しかし今はエルドナへの道のりが果てしなく長い距離に思える。
エリオットと魔法を掛け合いながら行けばかなりの速度で帰ることは出来るだろう。しかし今はその一瞬ですら惜しかった。
戦っているであろうルータスやスコール、アイの事を考えると胸が引き裂かれる様に痛かった。
――きっと大丈夫、貴方達3人が力を合わせれば倒せない敵なんかいない。
マヤカはただ目の前を見つめその先の向こうのエルドナを目指した。




