第25話 オフの日2
「ぶへっ!」
スコールの目の前でミシェルが放ったのは物凄いビンタだった。それはビンタと言っていいのか分からない程凄まじい音と共にルータスの口から変な音を出し吹っ飛んでいった。ゴロゴロと転がっていった先でルータスは頬から薄っすら煙の様なものを上げ仰向けで大の字に伸びている。
スコールは余りの一瞬の出来事に唖然とする。背筋に何か寒いものが走る感触があった。
「フン! 失礼しちゃうわね! アタシ帰るわ」
背中から聞こえた声に何故かビクリと体が反応する。スコールは自分の体がこの場から逃げようとしている事に気づく。もしかすると本能がそう言っているのかもしれない。そしてゆっくり後ろを振り返ると、“お姉様”と呼ばれた何かが動き出していた。
スコールは無言で目だけでそれを追いながら去っていくのを只じっと待った。その時間は。まるでスローモーションの様に長く感じられる。
人は危険に陥った時は全てがスローモーションに感じられると言う。それは生物が本能で命を守っている為だ。人は命の危機に陥った時には、守る事を最優先に脳は考えそれ以外の活動を低下させる。つまり身を守る為だけに脳がフル回転するのだ。
「お姉ちゃん! また遊んでねー!」
姉の背中に向かってアイが大きく手を振っている。やがて公園からその姿は消え、まるで嵐が去った後の様に公園は静けさと平和を取り戻したかに見えた。スコールは自分の口が開けっ放しでいる事に気づいた。危機が去り体の自由が効く様になると倒れているルータスの所まで足を運ぶ。
「あちゃー! 凄い手の跡だね。プププ」
アイは口を手で押さえながらケラケラ笑っている。ルータスの右頬には真っ赤な大きく開かれた5本の手の跡がびっしりと付いており変な顔で完全に伸びている。スコールは大きく深呼吸をして気分を落ち着かせると今見た状況を整理した。
――アレは何だ?
スコールは信じられなかった。どう見てもアイと同じ位のチビっ子が自分でも勝てなかったあのルータスを、只のビンタ一撃でのしてしまったのだ。それにあのルータスのビビリ様からするとアレが凶暴な姉なの間違いない様だ。
アレ程の者ならば名前くらい聞いていても良い筈だ。しかしスコールの記憶にはチビっ子の強者の噂など無かった。あんなにインパクトがあればすぐに話しは回るだろう。スコールは気絶しているルータスを見つめると。
「なんか、すまんな……」
と呟く様に言った。ちょっとした悪ノリがまさかこんな事になるとは思いもよらなかった。たしかにあんなのに鍛えられたら強くなるだろう。ルータスの強さと度胸の良さに何故かすごく納得がいった気がした。
「アイ、お前のお姉さん色々凄いな……」
「そうでしょ、でも優しくてアイは大好きだよ」
アイの表情から姉を物凄く慕っているのが見て取れた。ルータスにしてもそうだろう。教室で姉について話していた時のルータスは本当に誇らしげであり慕っているのが十分に伝わってきたからだ。そんな姉を持つこの2人がなんだか少し羨ましく思えた。
「ところで何しに来たの? お兄ちゃんと2人だけで居るなんて珍しいね」
「ルータスがお前を探しに行くって言ったから暇だし付いてきたんだよ」
「ふーん、でもお兄ちゃん伸びちゃったし起きるまでアイはあの秘密基地で遊んでくるね! コー君も一緒に遊ぶ?」
「い、いや……遠慮しておく」
アイは小さく手を振って中二階の家に向かって元気よく走り出した。スコールは伸びたルータスの近くにあったベンチに腰を下ろすとアイ眺める。無邪気に遊ぶその姿は微笑ましくもあり完全に歳相応の子供だ。流石にこれは大人が化けていると言う事は無いだろう。
スコールはここに来るまでの事を振り返る。
最初にどうやって話を切り出そうか考えていたらルータスから家の話に振ってきてくれたのはラッキーだった。しかも1つ重要な事が分かった。どうも秘密はルータスの家に有るという事だ。
自分から振ってきた話題なのに家の場所を聞かれると明らかに戸惑っていた。ほんの僅かだがルータスは黙ったのだ。それは何故か? 何か言いたく無い事を隠す為に嘘を考え様としていたからに他ならない。
そして「まぁいいけどな」と話題を切った時の微妙な安堵の表情をスコールは見逃さなかった。何かを聞き出す時、相手に疑っている事を知られない様にするのが一番大切だ。知られてしまえば相手は警戒しチャンスも無くなってしまうからだ。
スコールはルータスに家の場所についての話を自分から切ったのは正にそういう事だ。問い詰めた所で本当に隠したい情報など言う筈も無ければ、ただ疑われているといった情報を相手に渡すだけでこちらに全くメリットは無い。あくまで何気ない会話からの流れで聞いた質問でないといけない。
しかし新たな疑問も生まれた。ルータスは学園をでてから一直線で公園にまでたどり着いた。まるでそこにいる事を最初から知っているかの様に。
前もって聞いていたのか? 公園に到着した時のアイのセリフからすればそれは無いだろう。ならば何か魔法関係の連絡手段でも持っているのだろうか?
しかしそれだけ分かれば十分だ。あとはチャンスを見てルータスが帰る時に家の場所さえ特定すればいいだけだ。方法はいくらでも有る。
しかし相手の情報を聞き出す為にまずはこちらの話をしておこうと思ったが。何故か柄にも無く話し込んでしまった。兄弟の話など学園の者にした事など一度も無かった。自分でも何故あそこまで話してしまったのか分からなかった。もしかすると本当は誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
スコールはしばらくボーッと考え込んでいると気を失っていたルータスが突然上半身を起こし周りを確認している。そしてスコールと視線が合うなり一気に表情が険しくなり憎悪に満ちた表情になった。かなり怒っている様子だ。
「お前馬鹿だろ殺す気か! 僕が何したって言うんだよ! 怨みでもあるのか! やっぱりお前は敵だ!」
ルータスの凄まじい剣幕にスコールは少し苦笑いをする。
そもそも、俺にルータスは恨まれる要素はあっても好かれる要素など全く無いだろうと思いはしたが、これ以上火に油を注いでも面倒くさいだけなので心の中に置いておく事にした。
「なんか、すまんな……」
何かを同じセリフ言った気がするが、スコールにも少しは罪悪感があった。まさかアレほど凶暴な姉だとは思わなかった。謎の巨人よりよっぽど恐ろしい。
「コー君のせいだぞ! お姉様怒らせちゃったじゃないか!」
ルータスは立ち上がると腫れた頬を押さえながら目は少し涙ぐんでいた。その姿からはいつもの生意気な感じは皆無で年相応な後輩の様に見えた。
「すまんすまん。でも流石に驚いたしさ……」
「僕の方が、よっぽど驚いたよ!」
ルータスは怒りながらもスコールが座っているベンチに腰を下ろすと、お疲れの様子でがっくり肩を落とした。
「お前のお姉さん色々凄いな、アレは誰だって疑うだろ」
「コー君の言いたい事は分かるけどさ……」
「本当に凶暴だったな……しかし何で砂場で遊んでたんだ?」
「知るかよ! こっちが聞きたいくらいだ」
向こうの方でアイがルータスに気づいたのか中二階の家から降りてくるのが見える。アイはそのままこちらに走ってくると。
「お兄ちゃん起きたんだね。顔大丈夫?」
「大丈夫に見えるのか? 一体何でこんな所にいるんだよ」
アイは自分頬に手を当て少し考える様に頭を傾けながら。
「んーとね。偶然お姉ちゃんと合ってね、一緒に遊ぼうって事になったから公園の砂場でお山作ろうってなったの。それで、お山にトンネル掘ってた」
どこからツッコんでいいのか分からない位ツッコミどころ満載のその言葉だった。学園の生徒では無い以上マヤカよりも年上である事は間違い無い。でも5級生として学園に入れるんじゃないかと思った。
「どうせそんな事だろうと思ったよ。全くとんだ災難だったぜ」
そう言うとルータスは立ち上がり、アイの服に付いた汚れを払いながら、
「アイとりあえず学園に戻るぞ、もうすぐ御飯の時間だ。コー君はどうするんだ?」
アイは軍隊の様な敬礼をしている。
「俺は少し寄る所があるから先に帰ってくれ」
そう言ってルータス達とスコールはここで別れた。ルータス達は2人で騒がしく学園に向かっていった。
実はスコールはついでにランス・エミールの店に行ってみようと考えていた。謎が多いルータス兄弟だが、ランス・エミールの親戚と聞いていた。
ランス・エミールなら確実に何か知っているだろう。全ては聞き出せ無いだろうが何かしらの情報は手に入りそうな気がした。
歩きながら見上げた空には太陽が真上に登っていた。冬も終わりかけ昼間は大分暖かくなってきた。しかし丁度いい季節とは過ぎるのも又早いものだ。すぐに又暑くなるだろう。
気持ちの良い天気を満喫しながら歩いていくとランス・エミールの店が見えてきた。建物に大きく店の名前であるエミールと書かれてある。学園で使う消耗品などの購入に為にスコールも何度かここには来た事はあった。
すると店のドアが開かれ一人の男が出てくるのが見える。その男はこちらに方へ向かって歩いてきた。スコールはボーっとしながら視線を向けると真っ白な髪の毛のヴァンパイアのようだ。
黒いスーツ姿で身だしなみは整っている。しかし顔に何かマークの様なものが入っており、どこかの冒険者かハンターなのだろうと思った。
お互いの距離は縮まって行きすれ違う瞬間――
スコールの瞳はある物を捕らえた。その瞬間、瞳に力が入り大きく見開き、足は歩みを止めていた。
それはルータスと同じ青い色のイヤリングだった。何故ヴァンパイアの男が同じ物を付けているのか? 答えはたった一つしか無い。それはルータス達の仲間か関係者だからだ。ルータスは大切な人から貰ったと言って、馬鹿にされただけで人が変わったかの様に怒った程のイヤリングだ。
あのルータスがそこまで言う程の物がそこら辺にあるような品では無い事は間違い無い。
スコールは振り返るとヴァンパイアの男は先の角を曲がろうとしていた。そして直ぐに走り出し追いかける。スコールは角を曲がりその男の背中に向かって、
「おーい! 待ってくれ、少し聞きたい事があるんだ!」
と叫ぶと、ヴァンパイアの男は歩みを止め、こちらに振り返ると、
「私の事ですか? なにか御用ですか?」
振り返ったヴァンパイアの男は丁寧な話し方でそう言った。スコールはもう一度イヤリングにチラリと視線を送る。
やはり間違いない――ルータスのと同じ物だ。しかしスコールはこの後の事を考えていなかった。
いきなり目に入って勢いで追って来てしまったが一体何を話せばいいものか――
「いきなりですが、ルータス・エミールって知っていますか?」
こうなったら単刀直入に聞くしか無い。別に悪い事をしている訳じゃ無いのだから後ろめたい事など無い。
スコールの言葉にヴァンパイアの男はスコールの姿を観察するかの様に上から下へとゆっくり視線を動かす。その表情からは何を考えているのか一切読めなかった。
「知っていますよ。君は?」
「学園で同じ班のスコール・フィリットと言います」
スコールはそう言って礼をする。
「なるほど、君がスコール君ですか、ルータス君とアイ君は私の可愛い教え子です。ああ――失礼、遅くなりましたが私はチャンネ・ブラッドと申します」
チャンネと名乗った男は礼儀正しい礼をしながら言った。スコールは姉に剣技を教えてもらっているんじゃないのか? といった疑問を感じたが一気にルータスの強さの秘密に近づけそうな気がして胸は高鳴った。
するとチャンネは初めて表情を崩し、
「ルータス君にスコール君の話は少し聞いていたんですよ、喧嘩した時にスコール君の事を凄く褒めていましたよ、凄い奴だってね」
何かルータスにそう言われると無性に悔しくなる。スコールは拳に力が入る。
「でも、勝てなかった――」
全く覇気ない言葉がスコールの口からこぼれ出た。今思い出しても悔しくてたまらない。
「私の教え子は中々凄いでしょう? アイ君にしてもよく頑張っていますね。まだ少し慎重さが足りない所はありますがこれからもっと伸びていくでしょう」
その言葉にスコールは絶望にも似た感情がこみ上げてきた。今のところまだルータスの姉の様な圧倒的な差では無いと思っていた。しかしそれは今後埋まる事は無く広がっていく一方なのではないか? そう思えたからだ。
このチャンネもあのルータスの先生だ。只者では無いだろう。現にその赤い瞳の奥から感じる圧倒的な力がそう言っている。あの姉にしてこの先生に英才教育と言っていい様な環境にいるに違いないだろう。
学園で温々と勉強しているスコールでは質も量も段違いだ。現に今既にそれは力の差となってハッキリと現れている。アイだってそうだ。アイが自分と同じ2級生になった時に今の自分が勝てるとはとても思えない。
そう考えるとルータスを認めライバルとして追いかけているのは自分だけの一方通行何じゃないかと思えた。そしてどんどんルータス達が遠い所へ、手の届かない所へ行ってしまう気がして何故か無償に悲しく感じる。
「チャンネさん、俺にも教えて下さい。強くなりたいんです負けたく無い。俺はアイツとはライバルのままでいたいから――」
生意気なルータスなど大嫌いだ。それは今でも変わらない。しかし剣技においては誰よりも親い認めていた。だから将来一緒に地下階層に行こうと言ってくれた言葉が物凄く嬉しかった。例え叶わないと知っていてもこの先ずっと対等の立場で居ると思ってくれたルータスが凄く嬉しかった。
今のままではそうはなる資格はスコールには無いと自分自身感じている。何もしなければ何も変える事など出来はしない。
「申し訳ありませんがそれは出来ません。私達の技術を外部に漏らす様な行為は、自分達の首を締める事になります。スコール君ならこの意味が分かるでしょう」
思った通りの答えが帰って来る。当たり前だ。強いもの程その情報は隠すものだ。将来敵になる可能性もある者に誰が好き好んで技術を教えるのか? 分かってはいたが、がっくりと肩の力が抜ける。
するとチャンネは人差し指をピント伸ばし、
「しかしスコール君には感謝しているのです。君との戦いでルータス君は更に高みを目指す為の大切な事を知る事が出来ました。なので感謝の気持ちを込めて1つ私から言っておきましょう。君はルータス君には無い強さを持っている。その強さとは決して修行などでは身につける事の出来ない素晴らしいものです。何時かその強さが君を大きく成長させるでしょう。それだけは覚えていて下さい」
その言葉の意味はスコールには分からなかったが何故かとても大切な事を言われているのだけは分かった。チャンネの言葉を胸に深く刻み、
「分かりました。ありがとうございます」
頭を軽く下げると、
「では私は用事の途中ですので失礼します」
と言う言葉を残して、くるりと反対へ振り返るとスコールの元から去っていく。チャンネの背中だけをずっと見つめるスコールの目には涙がこぼれ落ちていた。そして小さく呟いた。
「ちくしょう……」




