第2話 プロローグ2
「もうすぐ冬かー」
そう呟いた彼は、ボサボサの頭をかきながらあくびをした。真っ黒な髪に赤い目、年相応な体格の青年の見た目はあまり衛生的では無かった。
「あー腹減ったなー!」
まるで気分を紛らわすかの様に叫ぶと腹をポリポリとかく。
彼の人生18年その殆どを一人で生きてきた。親の顔も知らずに生まれた時から一人ぼっちの彼は、魔法の腕も大した事は無く力も弱い、剣技の才能も無かった。しかし唯一身につけていたものもある――そう、一人で生きるすべだ。
「もう朝は肌寒いな、ソロソロ家も冬対策しなくちゃな」
大きく背伸びをした視線の先にあるのは橋の下のハリボテの家だ。家にはとても見えない物体であった。彼は貧乏だったのだ。何故こんなに貧乏なのか?
この世には大きく分けて4種族が支配している。人間、エルフ、オーガ、ヴァンパイアだ。一番数が多いのは人間で自らを万物の霊長と呼び他種族をさらって奴隷や実験に使ったりしている悪い奴らだ。一番戦争する事の多い人種でもある。
エルフの国ではエルフが優遇されるのが当たり前の様に、普通自分の種族以外の国に好んで住んだりはしない。人身売買をなりわいとする者もいて、望まずに他国へ連れてこられる者もいる。
外見は大きく違いエルフは耳がピンと長く肌の色は白く身長は低めである。オーガは肌が褐色で身長は高い。ヴァンパイアは肌の色は白く眼が赤い、身長は人間と変わらないが背中から翼を出せる。それに加えて人間だ。
この4種族は純血と呼ばれている。そしてそれ以外に半端者と呼ばれ種族とすらみなされない者達がいる。
それはハーフだ。
彼は人間とヴァンパイアのハーフだった。
ハーフといっても他種族同士愛し合って生まれて来る者など居ないと言っていいだろう。
殆んどが奴隷として連れてこられたりした他種族が、性処理の為に使われて生れてくる者がハーフだ。もっと悲惨なのは実験用に交配させられた者だ。
戦争に負け捕虜となった者達もその運命は悲惨なものとなる。
中には人身売買用の人を交配させ作らせる奴隷生産工場なるものまである。
そんな彼らハーフは社会のピラミッドの底辺のさらに底辺であり、どこの国でも差別の対象となっている。ハーフは両方の種族の特徴を必ず引き継ぐために外見で判別できる。
この世界は生まれた時にすでに運命は決まっているのだ。ただし例外もある。ハーフでも中には天才もいるがその数は極少数だ。
貴族は貴族である為に生まれ、純血は純血である。その生活はハーフや奴隷の様な犠牲の上に成り立っている。
中には騎士や傭兵として腕を磨き上を目指す者もいるが、種族である程度得意とするものが決まっている。人間とオーガは剣技が得意でありエルフやヴァンパイアは魔法だ。
なら人間とエルフのハーフなら両方優れているのかと言えばそうではない。大体が両方半端な者しか生まれてこない為ハーフは半端者と言われている。
そんな半端者の彼は18年必死で生きてきた。
18回目となる冬の到来に準備をしようとしているのである。ハリボテの家では冬は辛くハリボテをさらに追加する必要があった。
「さてまたいつもの所で調達するかな」
まるで慣れた作業の様に、そのいつもの場所に足を運んだ。ぺったんこの靴の底をコツコツと叩く石。
川沿いの道を南へ歩き出すと脇に生えた草木が茶色く彩り少し冷たい風が頬をたたき冬の到来を演出している。
川の向こう岸には純血共の住み家が見える。その景色は正に光と影だ。川が国境のラインの様にその先の世界は華やかで美しかった。
ところどころに落ちている捨てられたゴミも見慣れた光景だ。
そのゴミを追っていくと大きな山が見えた。それはゴミ捨て場だ。この場所こそがいつもの場所なのであった。
ハーフの彼は金など無い。必要なものは純血共からすればただのゴミだ。こうやってゴミ捨て場から拾ってくるしかない。その中で売れそうな物や使えそうな物があれば売って金に変え飯にありつけている。
情けないが飢えて死ぬよりましだ。
貴族共はいい暮らしをしている。冬が来れば新しい服や布団などに買い替えたりする為にゴミ捨て場に集まってくる。今はチャンスという訳である。
その中で一つ目につく物があった。
「いい物みっけ! これはまだ綺麗だぞ! 今日はラッキーだぜ!」
声のトーンを一段と上げ彼のその手に持つ物は、大きさ20センチほどのぬいぐるみだ。
髪は腰まで位あり、かわいい整った顔立ちにカッターシャツにスカート、胸はぺったんこで少し子供っぽい外見だ。しかしそれが彼にとっては、物凄く可愛かった。そう彼はロリコンであったのだ。
そのぬいぐるみはミクたんと言って最近流行っている漫画のキャラだ。拾った漫画を何となく見た時に彼はそのキャラにハマってしまったのである。
しかし彼は文字が読めないので書いているイラストだけをペラペラ見て楽しんでいた訳だ。
そのぬいぐるみは決して綺麗とは言えなかった。埃まみれで中の綿も潰れてしまっていたが娯楽に縁がない彼にとっては宝の様に見えた。
「ミクたんと一緒に冬を生きるぜ!」
なにか夫婦にでもなった様な気分になり帰ってからの生活に光が見えた。ズボンの後ろポケットに強引にぬいぐるみを突っ込み他の物を探し出す。
「さてまずは家の改造するための何か良い物は無いかな。――ん? なんだ?」
何かがあった。それが何なのかまだ分からない。周りのゴミをどけてみると何やら1冊の本である。
なにか嫌な予感がした気がしたがすぐにその考えは消え、本の方に興味がわいた。なにか表紙には魔法陣のようなものがあり厚みが5センチはある。結構重たい。
もしかして、魔導書か? そう頭によぎり一気に胸が高まる感覚に陥った。
この世には魔導書という本があり過去の魔法使いなどがその叡智を収めた本だ。魔法取得に関する情報などが書かれていて、もしこれが魔導書なら売れば金になるだろう。
さらにはレリック(古代遺産)と言われる古代文明の遺産であればかなりの大金になる可能性があった。
「クフフ……今日は運がいいぜ、これで当分食い物にこまらないかも」
思わず顔がニヤけるとその場に座り期待いっぱいにその本を適当に開いてみた。
「あれ?」
すっとんきょうな声が出てしまった。なぜなら本には何も書かれて無い。白紙である。
適当にペラペラめくって見てみるが全部白紙だ。
「ダメだ、ただの紙か……」
期待が大きかった分ショックも大きい。
でもただの紙でも何かと交換する事はできる。紙もハーフの彼にとっては貴重品である。
こんな立派な本なのにただの紙なのか不思議に思えた為に隅々まで調べてみると。最初にページに何か書いてある。
彼は文字が読めないが町の中では文字はある。文字だと認識するくらいは出来る。しかしそのページの文字は見たことがない文字であり、文字なのかすら分からない。
そのページは何か不明な暗号のようにも見えこれがただの本ではないと直感的に気づく。
文字は読む事は出来ないが、なぜかその本の文字は読めるような気がして文字の最初を読もうとした瞬間にそれは起こった。
「え!?」
その小さな声と共に頭の中に直接言葉が入ってくる感じがする。
その言葉は全く未知の言葉にも思え、頭の中をグルグル渦の様に回っていく。
たった1ページの文がまるで永年にも感じられる様な文字の羅列に、一瞬にも思える言葉の様にも思えて頭の中で走り続けている。
「ああああああああ!」
彼は思わず叫んだ。あまりの情報量で頭が壊れそうな感覚が襲う。両手で頭を抱え込む。
今にも意識が飛びそうな中で頭を抱えしゃがみ込む。そして地面に何度もその頭を叩きつけ額に暖かいものが流れる感触があり視界は激しく上下してその中で本が輝きだしたように見えた。
「…………」
一瞬意識が飛んだ様にも思えたが、まるで何も無かったかの様に痛みは引き、ものすごい違和感がある。
「な……なんだこれは……」
それは真っ白な世界だった。
夢なのか現実なのか頭が状況の変化についていかない。
見渡す限り真っ白な地面が広がっていて端がどこにあるのか? 出口はあるのか? 太陽すら見当たらないが何故か周りは見える。
明るい暗いなどの概念すらない様に思えた。
「クソ! いったいなんなんだよ」
吐き捨てる様に叫んだ言葉は虚しく静かな空間に消えていく。
足元には先ほどの本が落ちていた。すがる様にその本を開くと2ページ目に新たな1行が追加されている。
最初のページに目を通すと読めないが何か書かれてあるのか理解はできた。それは自分の名前だ。
なぜ理解できたのかは分からないが頭に直接入ってくる様な気がした。そして一つ分かった事がある。
自分はここからは、出られないという事だ。
その勘が間違っていないと体全体で感じることが出来る。それと同時に様々な不安がよぎった。
食い物は? トイレは? 他に人はいるのか? ここは自分の前いた世界とは違うのか? 様々な考えが頭に浮かびあまりの状況の変化に脳がついていかない。しかし一つはっきりした。
「これはレリックだ……」
あまりにもか細く、弱々しく呟いた。
これがレリックである事には何故か確信があった。魔導書は基本的に誰かが書いたものであり魔法の知恵や技術を後生に残す物である為、その魔導書自体に特別な力は無いからだ。
レリックとは、過去にかなりの技術を持ち栄えていた古代文明の遺産である。
原因不明の何かによってその文明は滅び、殆んどが見る影もなく朽ち果てている。
そのレリックはアイテム自体に力を秘めており、そのエネルギーの発生の原理すら分かっておらず物によってはかなりの力を発揮する。
発見されても即、金持ちが買い取るか、未知の力を求めて研究に使われる為に所有すること事態が凄い物である。
そんなレアアイテムがゴミ捨て場に捨ててある訳が無いと思ったが、この状況を考えるとこれはレリック(古代遺産)以外にない。
彼は絶望した。
当たり前だ。貴族共の、お偉い学者や研究者が寄って集って分からない謎の多い古代遺産が、今まで生きるのが精一杯だった学のない自分に分かる訳が無い。
彼の心臓はドクドク鼓動を早めていたが大きく深呼吸をして少し自分を落ち着かせる。そしてまず状況を整理してみる事にした。
この世界は地平線と言うものもなく見渡す限り真っ白だ。
歩いても自分が前に進んでいるのか、地面が動いているのか分からない不思議な感覚を覚える。
ふとズボンに違和感があった。それは後ろポケットに突っ込んだミクたん人形だった。
「そうかこれも拾ったんだったな……」
悲しいような嬉しいような感覚に陥りため息を吐く。
持ち物は服とぬいぐるみとレリックである本だけしか無い。
この世界に他に人がいるようにも思えない。どういう訳か分からないが地平線がない真っ平らな地面で遥か先まで見通す事が出来る。なので何かあればすぐ分かる気がした。
では魔法はどうなのか? 彼は簡単な魔法位なら使えるが戦闘や仕事に使えるレベルではない。早い話誰でもできるレベルである。
“ファイアー”
小さくつぶやくと手の平から小さく炎がでた。
どうやら魔法は使えるらしい。
「だから何だっていうんだよ……」
涙がこぼれ落ちそうになった。それもそうだ彼はファイアーくらいしか使えないしそれがつかえたからって何にもならない。
食べ物もない水もないこの空間でどうしろというのか? 彼には死以外の未来が見えなかった。
「あーもういいやめんどくさい! もう寝る!」
もう考えるのすらめんどくなり寝ころんだ。地面があるようで無いような不思議な感覚だった。この訳の分からない状況も寝て起きたら「夢でしたー!」なんてなる様な気がしたからだ。
「これは夢なんだ! 起きたらいつもの自宅でまた普通の生活が待っているんだ! 全然普通じゃないが……」
そう自分に言い聞かし取り敢えず寝る事にした。そして目をつぶり後は睡魔に任せて眠りの世界へ……
のはずだった……
「――アレ……?」
なぜか眠くない。ただ単に眠く無いだけじゃない。睡魔自体が無いと彼は気づく。
もう一つ重大な事に気づいた。その瞬間に体全体にとても凍りつくような恐ろしい衝撃が走る。
「そういえば……お腹空いていたよな? まさか……」
そう、腹が減らないのである。ゴミ捨て場に行く前はかなり腹ペコだったはず。というか腹いっぱいになったことなんて殆ど無かったが。しかし今は腹が減ってない、それだけではなく睡魔同様に食欲自体がなくなったように思える。
もしかしたらこの空間では睡眠や食事は一切不要ではないのか? この一つの仮説に脳がたどりついた瞬間にある意味ホッとし、ある意味ゾッとした。
「まさか俺はこの空間の中で……永遠に……」
消えそうな声で呟くと、すぐに溶け込むように消え目の前の真っ白な空間だけが彼の眼の中に映っていた。