第119話 アラドの街9
夕焼けが空を赤く染め上げる時、町全体が動き出す。
ここアラドの街の住人とって日が沈む時にこそ最大の戦いが始まる。
その戦いとはバーの席取り合戦だ。
アラドの街の最大の名所とも言えるバーは毎日活気に満ち溢れている。
そんなバーが1番混み合うのが夕方なのだ。
魔王軍のバーは酒を提供するだけの場では無い。
奥では自家製ビールを製造していて奥に行けば行くほど注文も素早くなるのだ。
逆にカウンターから遠くなれば遅くなり酷い時は外で飲まなければならない。
住民としてはそれだけは避けなければならない事態である。
アラドの街には貴族特権のようなものはない。
誰であろうと早いもの勝ちなのだ。
だからこそこの夕方は激戦区であると言える。
そんな激戦区は今やどこを見ても人、人、人(人以外もいる)。
そんな人混みの中をヤヤはかき分けるように奥へ進む。
勿論、目的はいい席を取るためだ。
皆我先にと進む為、相撲の様に押し返される。
ヤヤも負けじと強引に奥へ突き進むとスコールの後ろ姿が目に映った。
ヤヤの鼓動は高鳴りスコールの元へ突き進む。
割り込む様にスコールの横へ行くとスコールもヤヤに気づく。
「ヤヤじゃないか。奇遇だな。一杯やろう」
ヤヤはスコールの左腕を強く引っ張り自分に引き寄せた。
「今日はアイちゃんはいないの」
スコールとアイはパーティを組んでいる。
同じ仕事をしているのだから一緒にいて当然だ。
ヤヤだってそんな事は分かっている。
しかし、いつも見るたびスコールの横にはアイがいた。
それを見ていると我慢ならなかった。
「妬いているのか? 可愛いところあるじゃないか」
スコールはヤヤの頭を少し強引に撫でるとヤヤはそれを振り払った。
「うるせぇ! 妬いてねぇし!」
とは言いつつも可愛いと言われて満更でもない。
スコールの隣に座ることができ今日はこれで許してやることにした。
椅子に座りホッと一息着くと席取り合戦での疲れが両肩にのしかかる。
ヤヤ達は場所を確保したが周りはまだ騒がしい。
しばらくすると辺りは落ち着きはじめ、それと入れ替わる様に次はメイドの波が押し寄せる。
メイド達はビールを持てるだけ持っていて皆は我先にと声を上げてビールを頼みだした。
この瞬間がこの町で一番うるさい。
メイド達は手際良く次々にビールを運んでいく。
ヤヤ達も何とか最初の一杯を確保したいところだ。
スコールが立ち上がり手を上げてメイドを呼ぶとメイドはすぐに来てくれた。
「ビール2個――」
スコールはビールを受け取りメイドと少しの間話す。
メイドはとても嬉しそうな笑顔を浮かべている。
しばらくすると話は終わったのかメイドは忙しそうに奥へと戻っていった。
ヤヤはスコールの腰を肘でツンツン突きながら、
「流石色男は女の子を捕まえるのが早いな」
「そんな事ない偶然捕まっただけだ」
ヤヤはこれが偶然でないことを知っている。
スコール自身自覚があるのかは不明だが、スコールはこの国の女達からの人気は抜群なのだ。
顔は誰もが振り向く様な王子様顔で頭も良く、魔王軍の聖剣を持つ勇者と来たら人気が出ない訳はない。
メイド達からすれば関わりを持てる貴重なチャンスであり目を光らせている。
この街は自由な街で変な蟠りも無い。
だからこそいろんな意味で奪い合いも発生しているのだ。
「偶然ねぇ……」
スコールは受け取ったビールの一つをヤヤに渡した。
ジョッキはキンキンに冷えておりこぼれ落ちた水滴が膝に当たると冷んやりして気持ちがいい。
スコールは自分のジョッキをヤヤのジョッキにコツンと当てる。
「お疲れ様」
「おう!」
ヤヤは一気にビールを流し込んだ。
疲れた体にキンキンのビールが体の熱を冷やしていくと同時にアルコールが疲れを飛ばしていく。
ゴクゴクと流し込み、喉にくるポップの刺激が限界を迎えた瞬間――
「プハー! たまんねぇな!」
この瞬間だけは何事にも変えがたい。
今なら分かる。何故に魔王軍がビールに並々ならぬこだわりを持つのかを。
ビールは世界を変える――
一頻りビールを満喫するとスコールが口を開く。
「もうすぐ大きな戦いが始まる。ヤヤはどうするつもりだ?」
レッドドラゴンが復活し、カルバナ帝国が大変なことになっていると言った噂は町中に広がっていた。
ヤヤ達にとって今後の選択肢は二つしかない。
戦うか、逃げるかだ。
仮に戦うとすれば、自分の命だってどうなるかは分からない。死ぬ可能性だって十分にある。
戦いの規模にもよるが伝説にあるレッドドラゴンとの戦いが御競り合い程度な訳はないだろう。
だが、ヤヤの答えはとっくに決まっている。
「どうもこうもない。私は戦う」
何故逃げないのか?
逃げれば少なくとも今すぐの危険はない。
前までスラム街で生きてきたヤヤだ。どこへ行こうと何かしらの方法で生きながらえる可能性は高い。
しかし、もしここで逃げてしまえば今の生活を失う事になる。
恐らくこの町での生活を今後手に入れる事は不可能だろう。
魔王ディークは寛大だ。
しかしいくら寛大でも肝心な時に背を向ける者を信用したりはしないだろう。
ハーフは学は無いがこの年まで1人で生きてきたものばかりで馬鹿では無い。
その辺の事は十分考えているだろう。
ならば答えは一つしかない。自分の自由を守る為に戦うしかないのだ。
「ヤヤならそう言うと思った。その目は強い戦力になる。期待しているぞ」
「私は特別か?」
「あぁ、特別だ」
スコールはアルカナのことを言っている。
そのくらいの事はヤヤも分かっているが、いい男に「特別」と言われて喜ばない女はいない。
ヤヤも気分が上がりビールを、一気に流し込む。
酒の力も重なり話は弾んだ。
何気ない会話の中で、ふとルータスと話したことを思い出した。
「そう言えば、ルータスと少し話したぜ?」
スコールは「ルータス」と言う単語に反応したのかピクリと頭を動かした。
「で、どうだった?」
「隊長のライバルって聞いていたけど、パッしなかったな。皆もあんまり凄そうじゃないって言っているし。あれじゃ絶対、隊長に敵いっこないね」
ヤヤは笑い飛ばした。
実際、ルータスはパッしなかったのは事実だ。
何故なら強さだけはスコールと同じかもしれないが容姿や、学、頭の回転の速さ、どれをとっても比べるに値しない程壊滅的である。(ヤヤ基準)
そう、全体で見れば遥かにスコールの方が優れていることなど誰が見ても分かる事なのだ。
スコールはルータスの事には異常なまでに反応する。
ここでスコールを応援しておけば優しい言葉の一つも期待できると言うものだ。
しかし、帰ってきたのはヤヤの期待した言葉ではなかった。
スコールはビールを一気に飲み干すとジョッキを机に叩きつける様に置いた。
「何を言っている……そのアルカナは飾りなのか?」
スコールはヤヤに冷たい視線を飛ばす。
そのスコールの迫力にヤヤは言葉が出ない。
「皆は本当に分かっていない。確かに今は馬鹿だが、アイツは最強の魔王の眷属だぞ。いつか先生やミシェル様みたいになるんだ! それだけで凡人の天賦の才など意味をなさない」
「それは、そうだけど……」
「皆が分からなくたって、俺は絶対甘く見ない。アイツは凄い奴なんだ!」
ヤヤは帰ってきたスコールの厳しい言葉に胸が苦しくなった。
嫌われた訳でもないのに何故か悲しくて仕方がない。
我慢しなければ目に溜まった涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
そんなヤヤに気づいたのかスコールは慌てふためき、
「すまない。そんなつもりじゃ無かったんだ」
思いの外、動揺しているスコールにピンときたヤヤは、下を向いたままわざとらしく。
「私の言う事ひとつ聞いてくれるなら許す」
「わ、分かった……」
「今から私と子供作ってくれるならいいよ!」
「出来るか!」
「ちぇっ!」
そんな話をしながらバーでの楽しい時間は過ぎた。
酒も周りヤヤ達は酔い覚ましに温泉に向かう。
温泉の入り口は男湯と女湯に分かれている。
ヤヤは女湯の入り口に向かいながら、
「じゃあね。今日は楽しく飲めたよ」
ヤヤはスコールに向かって手をグーパーさせていると、女湯の扉が開く。
すると何時もクールなスコールの表情が見たことない驚きの表情に変わった。
これにはヤヤも驚く。
一体何がそうさせたのか?
ヤヤは振り返るとそこにはアイとホクロンがいた。
一体これが何なのだろうか?
「お、お前ら一緒に風呂入っていたのか!?」
スコールらしからぬ声を上げる。
しかしアイ達は意味が分からずキョトンとしていた。
「そうだけど……それがどうしたの?」
スコールは大きく咳払いをすると口に手を当てながら小さな声で、
「いや、まぁ動物だし――いや――」
自分にしかわからない様な声でブツブツ言っている。
スコールはアイとホクロン一緒に風呂に入っていた事が納得できない様子だ。
人ではないし、見方を変えればペットと風呂に入っている様な感覚なのだろうか? 分かっていても何かがスコールには解せないのだろう。
アイは話題を変えようとしたのか、
「そう言えば今日でホクちゃん達は一旦城に帰るんだよね」
「そうでやんすよ。魔王様の命令でやんす」
ヤヤは思う。
この先、大きな戦いが始まる。
戦闘力のないモグローンを移動させるのだろう。
何気ない日常だが着々と戦争に向けて動いている。現実味はないが戦いが始まれば嫌でも感じるだろう。
その時、自分は生き延びられるのだろうか?
本当は戦いたくはない。怖くて仕方がない。
でも今を守る為に戦うしかない――
◇
温泉に入りヤヤと別れた後、スコールは自分の部屋で就寝準備に取り掛かっていた。
スコールは布団を整えながら大きなため息を吐く。
またしてもやってしまった――
ルータスの事になると熱が入ってしまう。
今日の事だってそうだ。
ヤヤは自分を励ましてくれようとしただけなのだ。そんな事分かっていた。
しかし自分が認めるルータスを馬鹿にされると黙っていられなかったのだ。
ルータスとの実力の差は今となってはほぼ無いと言っていいだろう。
しかし、いくら実力が互角でも今の様にルータスの幻影を追っている様では勝てる時など来ない。
スコールは思う。
強くなる為に……もっと世界を知る為に魔王軍に入った。
しかし実際はルータスの背中を追いかけるだけではないのか?
いつから自分はこんな劣等感ばかりを抱く様になってしまったのだろうか。
そう問いかけるも本当は分かっている。
ルータスに惨めに敗北したあの日からだ。
この自分を変えなければ更に高みには行けないだろう。
そんな事を考えていると、ドアを叩く音が響く。
何となく誰なのか察しがついたスコールは自らドアを開いた。
ドアを開くとそこには、モグローンのぬいぐるみを持ったアイが立っていたのだ。
「そうだろうと思ったよ」
温泉で話した時に何となく予想はついていた。
「だって、ホクちゃん居ないし、お兄ちゃんも――」
「あー分かった分かった」
一々ツッコミを入れるのも面倒だった。
疲れもあってすぐにベッドに入り横になる。
アイは幽霊的な事を酷く怖がり一人で寝ることができない。
しかし最近思うのは、アイは幽霊が怖いのではなくて一人でいるのが寂しいだけなのではないだろうか?
アイとは付き合いも深くなってきただけに今ならルータスが言っていた意味が良く分かった。
そんな事を考えていると、アイが布団に潜り込んできた。
元々2人用のベッドではない為、距離は近く流石に気まずい。
アイはそんな事を気にする様なタイプではなさそうだがスコールはそうは行かない。
アイに背中を向けて寝ようと寝返りを打とうときた瞬間――
「ねぇ。もうすぐ大きな戦いが始まるんだよね?」
「あぁ、そうだな」
「コー君は怖くないの?」
「怖い?」
小さな頃から騎士になる為、戦う為の教育を受けてきただけに怖いと言った感情は無い。
そもそもエルフの国では男に生まれたら国の為に戦う事は義務でもある。
そんな事で一々怖がっていたら何もできない。
その為にエルドナは多額の金を投入しアルフォード学園を作ったのだ。
「死んじゃうかもしれないんだよ?」
平均寿命は男の方が女よりも低い。
こんな事誰だって知っている。
男は何かと戦死するものだ。
だからと言って死にたくはない。
その為に毎日の鍛錬をしているのだ。
「何もしないまま終わるなら、戦って死んだ方がマシだな」
「ふーん。コー君は強いんだね」
「そうか?」
スコールからすればハーフとして生まれ劣悪な環境で生き抜いてきたアイの方が強い様にも思える。
するとアイがスコールの袖を引っ張りながら、
「アイはすごく怖い」
何時ものアイからは想像できないほど震えた声だった。
こんなに弱々しいアイを見たことがないスコールは返す言葉が思いつかない。
「今まではね。失うものなんて無かった。でも今は違う。毎日が楽しくて仲間も沢山いて凄く生きてるって感じがするの」
「あぁ」
「死んじゃぅたら全て失っちゃう。もっともっと遊びたい。だから死ぬのが怖いの」
考えてみればアイはエルドナならまだ2級生だ。
今までがおかしかっただけでその感覚が普通なのだろう。
ただ一つ違うのはアイは死ぬ事を恐れているわけではない。
失う事を恐れているのだ。
スコールはアイの目を見る。
「アイは死なない」
「どうして?」
「俺が守ってやるからな」
アイはクスリと笑った。
格好つけたつもりは全くなかったが、そう見えたのだろうか?
アイは人差し指でスコールの鼻を軽く撫でると、
「コー君は強いもんね。頼りにしてる」
その言葉に、スコールは力強く答える。
「あぁ、頼りにしろ」




