第115話 アラドの街7
スコールは勢いよく立ち上がる。
足に当たった椅子がガタンと音を立て倒れた。
今は宴会の真っ最中な事もあり普段ならうるさく聞こえる音でも周りの音にかき消され響かない。
しかし今この瞬間、事件は起ころうとしていた。
その事態に気づいていたのはたったの二人だけだ。
アイとヤヤである。
二人はスコールを落ち着かせようとすぐに動こうと思い立つがすでに遅し――
「ルータス! 今すぐ俺と勝負しろ!」
いきなりの宣戦布告にルータスは何が起こったのか分からず困惑する。
「お、おい。一体どうしたんだよ。飲みすぎてんのか?」
真っ赤な顔を見てしたスコールを見れば誰だってそう思うだろう。
現にスコールはいい具合に、ルータスにとっては最悪に酒が回っていた。
「俺は酔ってなんかいねぇ! げふっ」
大ジョッキ三杯を一気飲みしたお釣が胃からせり上がってくる。
普段のスコールからは想像できない姿だ。
「ダメだって隊長! 今はマズイって!」
今日はただの日ではない。
カルバナ帝国の女王の歓迎会だ。そんな日に決闘など許されるはずはない。
ヤヤですらその事の重大さに気づいている。
ヤヤはスコールの袖を引っ張り席に座らせようとするもスコールは動く気配はない。
「姫様達もいるんだぞ! 何言ってるんだよ。少しは落ち着け」
ルータスもスコールを座らせようと手を伸ばすがスコールはルータスの手を叩き落とす。
「俺は十分落ち着いている」
とうとう、周りもスコール達の異変に気付き始めスコール達に視線が集まりだした。
騒がしかった辺りは一瞬静まり今度はスコール達の話題で騒がしくなる。
とうとうディーク達も騒ぎに気付きルータスの顔は青ざめた。
スコールはヤヤを指差し、
「お前のアルカナが間違っているってここで証明してやる」
そう言うと、スコールはディーク達がいるテーブルへと足を向ける。
正面にディーク、隣にユーコリアス、もちろんミシェルやミク、ケビンなど国の中心人物が勢揃いだ。
スコールは膝をつき大きく一礼をする。
その動きは先程までの酔っ払いではない。
ディークは特に気にした様子もなく、
「一体どうした?」
本来なら他国の姫の前で騒ぎを起こすなど言語道断である。
しかしディークは何も言わなかった。
今のところ騒ぎを起こしたとは言い難いのもあったが、スコールが勢いや感情だけで動く様な愚か者ではないと知っているからである。
「ディーク様、今日という良き日に、このまま食事だけで終わってしまうのは勿体無いかと――」
「何か面白い事でもあるのか?」
「今ここで楽しいショーでもいかがですか?」
「ショー?」
「はい、この俺、スコール・フィリット対ルータス・ブラッドの模擬戦です。しかしユーコリアス姫の前で流血沙汰は折角の酒も不味くなると言うもの……そこで、素手対素手のスポーツ観戦を具申いたします」
周りはざわめき立つ。
それは歓喜のざわめきだ。
スコールは言葉を選んでスポーツなどと言ってはいるがそんな訳はない事を周りの誰もが分かっている。
しかし他人の喧嘩は見ていて楽しいものだ。仲間同士の決闘なら流石に不味いが、喧嘩の一つや二つ位は良くなる事、当人同士がやりやってスカッと解決するのが一番だと知っている。
さらに育ちの良くないこの街の住人にはこの上ない娯楽と言えるだろう。
周りからは「やれやれー」「隊長!やっちまえー!」などの声が響きお祭りの様な雰囲気になってきた。
ディークもおおよその状況を把握したのか少し呆れ顔で、
「分かった。分かった。折角だ。街の皆にも見える様に外でスポーツとやらを見させてもらうか。では準備にかかれ」
ディークの許可が出たところで周りからの大歓声が上がる。
バーの中に居た者達は机と椅子を外に運び出し外は一気に賑やかになっていく。
「僕は強制参加なのか……」
未だに状況が分からないルータスの声は誰にも届かなかった。
◇
スコール対ルータスのスポーツ観戦の準備はすぐに行われた。
町の広場にはどこを見ても人、魔物、人だ。
真ん中だけが丸く空いていてリングの様になっている。
ディーク達は一段高い場所にテーブルを並べて特等席が設置された。
ユーコリアスの部下達の目は興味津々で早く試合が始まらないか今か今かと待っていた。
カルバナ帝国の者達からすればコロシアムでもない只の野蛮な喧嘩でしかない。それもそうだ。強者同士の素手の殴り合いなど滅多に見られる者ではない。
それが逆に新鮮だったのだ。
会場の熱気は最高潮に達しリングの真ん中ではスコールとルータスがチャンネをはさみ向き合っている。
「ルータス、久しぶりに会ったんだ。遊ぼうぜ?」
「分かったよ。なんだか分からないけどディーク様の命令だ」
チャンネが二人を交互に見ながら口を開いた。
「さて私が審判を務めさせて頂きます。ところでルールはどうしますか?」
一応名目上はスポーツであるため、勝利条件などのルールは必要だ。
スコールは拳と拳をぶつけながら、
「武器無しで先に相手をぶっ倒した方が勝ち!」
要するに素手で何でもありの戦いという事だ。
「分かりました。しかし、スポーツマンシップに反する様な卑怯な行いは許しませんよ。皆に見られている事を忘れずに」
「はい」
「では一度解散で準備でき次第もう一度ここに」
スコールとルータスはお互い背を向け歩き出す。
スコールはアイとヤヤの元にルータスはミシェルとティアの元にそれぞれ向かっていった。
◇
「コー君、大丈夫なの?」
酒が回ったスコールをアイは心配そうな目で見ている。
「俺は負けない。つか、アイは向こうに行かなくていいのかよ。兄貴だろ?」
「そういう意味で言っているんじゃないよ。大体、今のコー君を放っておけるわけ無いでしょ」
心配そうな表情のアイとは逆にヤヤはやる気満々だ。
「あんな奴、ぶっ飛ばしちゃえ!」
「その、あんな奴はお兄ちゃんなんだけど……」
「えぇっ! そりゃぁ悪かったよ。でも私は隊長さんの味方だ」
スコールは徐に防具を外し始めた。
その行動の意味が分からずヤヤは不思議そうな表情を浮かべる。
「おいおい。防具外すなんて不利じゃないのか?」
「素手での勝負だぞ。防具なんかつけていたら戦いにならないだろうが」
スコールはそう言うと「あれを見ろ」と言わんばかりに指を指す。
すると対面ではルータスも防具を外しているところだった。
ルータスに至ってはカルバナの紋章の入ったマントを汚す訳にはいかないと言った理由もあるだろう。
「スポーツじゃなかったの?」
アイのため息交じりの言葉は聞こえないフリをした。
「まぁ見てろ。このショーの幕は俺の勝ちで降りる」
スコールは両手の拳をぶつけ合い普段は絶対見せない不敵な笑みを浮かべながらリングのセンターに向かった。
◇
「久しぶりに会った途端これかよ」
もうあれからずっと文句を言っているルータス。
それもそうだ。いきなり戦いを挑まれこんな騒動にまで発展してしまった。
周りはノリノリで腕を振りながら「早くやれー」と叫んでいる。
少し前にアイに今回の経緯を聞いたのだが……
「コー君は凄まじく負けず嫌いだからなぁ……」
酒が入ると地がでると言うが……
「もしかして酒乱なんじゃ、……」
ルータスは今後のスコールの人生が心配になってきた。
そんな事を考えている最中に頭に衝撃が走った。
振り返るとミシェルが仁王立ちしている。どうやら頭をはたかれたらしい。
「アンタ、ぶつぶつ言ってないで集中しなさい」
言葉には出さないが何故かルータス以上にやる気に満ち溢れている様子だ。
「お、お姉様……少し急すぎる展開だったもので……」
身長の低いミシェルだがこう言ったときの迫力は凄まじい。
ミシェルはルータスにグイッと詰め寄ると思わず一歩引いてしまった。
「いいわね! ディーク様の眷属として、アタシの弟として絶対負けるんじゃ無いわよ!」
啖呵の如く言い寄られるは思わず後づさった。
「は、はい!」
とりあえず、やるからには勝つ。
絶対に負けたくはない。
ルータスはマントを外すとティアがそれを受け取った。
「ルー君頑張ってね。スコールさんも頑張って欲しいけど私はルー君を応援しているから」
「あぁ。ティアの応援があれば負けないよ」
ルータスはすべての防具を外すと腕をくるくる回す。
その時ミシェルが笑みをこぼす。
「アンタ、笑っているのね。本当、仲が良いのか悪いのか分からないわ」
「笑ってましたか? 久しぶりのコー君との戦いだから一丁本気でぶん殴ってやろうかと……」
実はルータスはこの戦いを少し楽しみだったりしていた。
元々仲良しコンビでもなかった。
出会ってからは喧嘩ばかりの毎日――
だからこそこんな宴会こそ自分達に相応しいと思い笑みが溢れたのだ。
ルータスはミシェル達に背を向け歩き出す。
ミシェルはフワリと浮かぶとルータスの背後から首に両手を回し軽く抱きしめる。
そして耳元で囁く。
「コーには悪いけどボッコボッコにしてあげなさい。アタシが許すわ」
ルータスは胸が熱くなるのを感じる。
ミシェルは怒ると怖いが何だかんだ何時もこんな時はそばにいてくれるのをよく分かっていたからだ。
文句は言うものの最終的には必ずルータスの見方をしてくれる。心配をしてくれるのだ。
それはティアにも言える事なのだがミシェルのそれは少し違っていた。
表現するのが難しいがミシェルのそれは姉としての愛なのだろう。
ルータスは自信たっぷりに、
「任せてください」
一言だけを残しリングのセンターに向かった。
◇
広場は熱気で包まれている。
真ん中だけを残し町の住民が押し合いひしめき合う。
そう、例えるなら喧嘩の野次馬のようになっている訳だ。
その野次馬リングの中央で向かい合うスコールとルータス。
スコールは指の骨をポキポキ鳴らしながら不敵な笑みを浮かべる。
「ルータス、今度こそ俺の方が上だって証明してやる。覚悟しておけ」
ルータスは真っ赤な顔のスコールを見て大きなため息を吐く。
スコールはその態度に怪訝な表情を浮かべる。
しかしルータスもすぐに気持ちを切り替えスコールに鋭い視線を飛ばす。
「コー君。久しぶりに勝負だ」
「あぁ」
2人はそれだけ言うと距離をとる。
周りの熱気も最高潮で熱気が伝わるほどだ。
すると、いつの間にか2人の間にチャンネが立っていた。
最初からいたのか? 今きたのか謎であったが2人からすればそんな事はどうでもいい。
チャンネは2人を交互に見ると、
「さて、今からスポーツの試合を始めます。ルールは先に相手をぶっ飛ばした方の勝ち。武器の使用は禁止でいいですね?」
2人はコクリと頷く。
すると、先にルータスが闘気を高めだした。
黒いアザが浮かび上がり左目はヴァンパイアの赤い輝きを放つ。
ルータスをまとう闘気は普通からすれば禍々しい闘気だ。
もし、知らずに人と相対した時ならば間違いなく敵と思われるだろう。
現にルータスが闘気を解放した瞬間に辺りは静まり返った。
しかしその沈黙もすぐに新たな歓声で打ち破られる。
ここは魔王軍、そんな事では動じない。
それは当たり前と言える。光と正、闇を負のエネルギーとするならば魔王軍には圧倒的に負のエネルギーを得意とする者が多い。
だからこそ、普通の者であれば嫌な闘気でもこの町ではむしろ普通であるのだ。
ルータスは拳を突き出す。
「コー君、拳の勝負で僕に勝てると?」
ルータスは分かっていた。
この勝負は圧倒的に自分が有利であると――
それは身体能力ではルータスが圧倒している。
つまり単純な殴り合いとなればまずルータスの勝ちは揺るがないだろう。
だが、ルータスが気づくような事をスコールが分からない訳はない。
いくら酒が回っているとは言え何の勝算もなく戦いを挑んで来るとは思えない。
「俺だって格闘技の心得くらいはある。俺が今まで何もしてこなかったと思っているのか?」
スコールが闘気を高めだす。
スコールの全身を眩いオーラが駆けめぐる。
ルータスが闇であればスコールは光だ。
その姿に周りは驚きの声を上げる。
それもそのはず。魔王軍で光属性を得意とする者はスコールしかいない。
だからこそ魔王軍の中ではスコールの方が異質と言えるのだ。
「…………」
ルータスは何も言わない。
スコールの闘気だけで全てを察したからだ。
ビリビリと伝わってくる力にルータスは腰を落とす。
それに合わすようにスコールも構えた。
チャンネは2人を確認すると手を上げた。
「準備はいいですね。では――」
そしてチャンネの手は振り下ろされた。
「始め!」
◇
チャンネの声と同時にスコールは真っ直ぐに走る。
風の力をまとった踏み込みはまさに一閃となり一気に距離を詰める。
しかしルータスも負けてはいない。
魔王の血を解放した身体能力は魔力無しでもほぼ互角だった。
スコールは思いっきり右手でパンチを繰り出す。
その瞬間、腕にガツンと痛みが走る。
ルータスが同じように拳を突き出してきたのだ。
2人の拳がぶつかり合った瞬間、その衝撃は空気の波となって走り抜ける。
「これが避けられるなら避けてみろ!」
ルータスは間一髪入れずルータスは拳打を繰り出す。それも雨の様な連打だ。
その凄まじい連打にスコールは両腕で防御の、姿勢を取る。
このまま耐えてカウンターを――
だが、スコールは考えが甘かったことにすぐに気づく。
それは、防御している両腕の激しい痛みによって。
それもそのはず。全身凶器の様なルータスの拳打を剣や盾で防御しているのではない。
要するに両腕をガンガン殴られているのと同じなのだ。
スコールの強化した腕ならばルータスの攻撃はある程度耐えられると考えていたがルータスの攻撃は簡単にガードを貫通する。
「くそっ!」
スコールは防御の方をとき前に突っ込むと同時にルータスの左手を掴み自分の方におもいっきり引っ張った。
耐性が崩れたルータスはそのまま右手でパンチを繰り出すもスコールはギリギリでかわす。
そしてスキができたルータスの懐にそのまま拳打を叩き込む。
「ぐぇ!」
スコールの渾身の拳打にルータスも苦痛の声を上げた。
スコールは掴んだ左手を離さず一気に畳み掛けるが――
次はルータスの頭突きがスコールの頭に炸裂した。
スコールの視界は一瞬真っ白になり思わず後ろに後ずさる。
そのすぐ遅れて頭が割れそうになり苦痛に顔を歪めふらついた。
ルータスはここがチャンスと言わんばかりにスコールに頬に強烈なパンチをお見舞いする。
それも連劇だ。
右、左、右――
スコールの顔面にパンチをたたき込みギャラリーはこのまま勝負はついたかに思えた。
だが、スコールは踏ん張りカウンターの強烈な一撃をルータスの顔面に叩き込む。
これを皮切りに2人は激しいパンチの打ち合いになった。
お互い防御のなど無視の殴り合いだ。
そして今日一番の大歓声が上がりギャラリー達は皆総立ちだ。
お互い最初にくらべパンチの威力も無く体力は限界に近い。
2人の顔はぼろぼろで何時も歩けば女の子が振り向くほどのイケメンスコールも今は見る影もない。
ルータスは勝負を決めるためか、闘気を一気に解放した。
「くらいやがれ!」
ルータスの右手は禍々しく輝く。
それに応える様にスコールも最後の一撃を右手に込める。
「それはこっちのセリフだ!」
スコールはルータスの顔面に狙いをつけ渾身の一撃を放つ。
だがその一撃がルータスを捉えようとした瞬間、スコールの腹部に激しい痛みが広がった。
「う……ぐ……」
そう、ルータスの一撃が先にスコールの腹部を捉えていたのだ。
スコールの拳はルータスの顔面スレスレで空を切った。
勝負あったと思われた瞬間――
スコールの右手はよろよろと動き出しルータス顔面に触れる。
力なく触れた拳はそのまま崩れ落ちると誰もが思った。
だが次の瞬間、最後の力を振り絞り全闘気を拳から放ったのだ。
「げげっ!」
勝ちを確信していたルータスは完全にスキを突かれ避ける事はできない。
放出された闘気は顔面に直撃しルータスはそのまま5メートルほど吹っ飛んだ。
ルータスは仰向けで大の字の格好のまま動かない。
完全に伸びてしまっている。
戦いの決着に辺りは沈黙から大歓声へと切り替わる。
しかし、その歓声は長くは続くがなかった。
ギャラリーはスコールの異変に気づく。
スコールはヨロヨロと三歩前に歩くと倒れる様に膝をつく。
ボサボサの髪にボロボロの服、普段のスコールからは全く想像できない姿だ。
「おぇっぷ――」
次の瞬間、スコールの口から滝の様に流れるビールだった物と鼻につく酸の匂いが辺りを包む。
そう、壮大なゲロを吐きそのままぶっ倒れた。
それもそのはず。
ビールを大量に飲んだパンパンの腹にルータスの渾身のパンチを食らったのだ。むしろ当然の結果と言えるだろう。
見ていた者達はある意味凄まじい結末に言葉が出ない。
こうして世紀の対決は壮絶な引き分けとなって幕を閉じた。




