第110話 大切なもの
ティアは姿見の前に立ち自分の姿をチェックする。目は真剣だ。
たとえルータスのお世話係といえども魔王軍としてきている以上は恥を晒すわけにはいかない。
貧民街に住んでいた自分では貴族の様な振る舞いはできない。
だが、身だしなみなどの出来ることには十二分に気を使っていたのだ。
サラサラの髪にピンと立った猫耳は手入れが行き届いている。
見慣れたメイド服に身を包んだ自分が鏡の中にいた。
ふと、昔の記憶が頭によぎる。
そう言えば昔はメイド服を着た自分が場違いの様で違和感しか無かった事を思い出す。
「――――」
声にこそ出なかったが唇が少し緩み笑いそうになる。
昔と比べて全てが大きく変わったからだ。
一昔前の自分が今の自分を絶対に想像できないだろう。
貧民街にいた時に比べれば今は天国と言っていいほど恵まれている。
これも魔王軍に入れたおかげだ。
衣食住を約束される事は人狼やハーフにとって破格の待遇であると言える。
毎日、綺麗な制服も着れるし暖かいお風呂にも入れる。まさか日が来るとは思いもしなかった。
過去の自分ならこれ以上望むものは無いくらいの生活なのだから。
しかし、そんな生活をしていると人は欲が深い生き物であると思い知らされる。
今の生活……それだけでは駄目なのだ。
あと一つ……
あと一つだけどうしても奪われたく無いものがある。
奪われる立場でしかなかった自分が今の生活以上を望むなどおこがましい事かもしれない。
昔の自分なら考えもしなかっただろう。
だが、今は違う。
この国なら……ディーク・ア・ノグアが作る国であれば奪われない。
「たとえ帝国の女王でさえも……」
ティアの朝は早い。まだ薄暗い中、ティアの一日は始まる。
ティアの部屋はルータスの部屋の一つ隣の部屋だ。
大きさで言えば決して広いとは言えない部屋ではあるがメイドに個室が与えられるだけでかなりの待遇であると言える。
ティア自身はルータスと同じ部屋でいいと思っていたが、それだけはユーコリアスが許可しなかったのだ。
メイド服に身を包んだティアの最初の仕事はルータスの朝ごはんを作ることである。
部屋に備えられた簡易的なキッチンで毎日ルータスの食事を作っていた。
本来なら食堂に行けば食事に困りはしない。
ティアが食事を作る必要は全くなかった。
しかしティアは城へ来てからと言うもの毎日欠かさずルータスの食事を作っていたのだ。
ティアはディークの命令で来た訳ではない。
勝手に飛び出して押しかけてきたに近い状況だったので後の事まで考えていなかったのだ。
ルータスのお世話係と言ってはいるが具体的に何をすればいいのかよく分からない。
そもそも、ルータスはティアが来る前から特に生活に困っていなかった訳で、何かが必要な訳でもなかった。
その為、自分の仕事は自分で見つけなければならないのだ。
ティアは大国に来た当初、仕事探しに必死になっていた。
ユーコリアスはティアが居ること自体良く思ってはいないのは明白。
仕事が無いと分かれば帝国に滞在する理由すらないことになる為、嘘でも多忙の振りをしていたのだ。
幸いにも場内の人達は一生懸命なティアに協力的であり馴染むのには時間はかからなかった。
ティアは前もって用意していた野菜をキッチンに並べる。
そして魔王城からもってきた愛用の包丁を手に取ると調理を始めた。
小さな部屋に規則正しく響く包丁の音
具材を炒めると薄暗い部屋がオレンジ色に染まり食欲をそそる匂いが立ち込める。
「これでよし!」
貧民街出身とはいえ流石現役バリバリのメイド、あっと言う間に朝ごはんは出来上がる。そして手押し車に二人分の食事を乗せた。
ティアはそのままルータスの部屋へと食事を運び出す。向かう先は部屋を出て一つ隣の部屋だ。
廊下を歩くティアの足取りは軽い。
ティアは毎日この時間が楽しみだったのだ。
二人だけのゆったりとした時間――
そう、二人分の食事とはティア本人の分である。
仕事上、ルータスに付いてはいるがルータスだって女王に付いている。おまけにその女王は無駄にルータスにべったりなのだ。
帝国に来る前であれば仕事終わりのバーで毎日楽しく話しができた。
その時間がこの変わりという訳である。
ルータスの部屋の前に来るとティアは軽くドアをノックした。
「空いているよー」
待っていたかの様にルータスの声が帰ってくる。
ティアはドアを開け中に入るとルータスは既に着替えを終え姿見の前で身だしなみのチェックを行っていた。
ルータスは防具を身につけ騎士の姿となっている。
大きな帝国の紋章が入ったマントにピカピカの防具、どれもかなりの高級品である事が見て取れた。
流石にもう帝国に来てからそれなりの時間が経っているだけにルータスの姿も板についている。
「おはよう。ルー君」
「おはよう。ティア」
ティアの声にルータスは軽く手を挙げてかえした。
ルータスの部屋は一言で言うならば豪華な部屋だ。
美しい絨毯が広がり大きなベッド、真ん中には小さな丸いテーブルと椅子が二つ置かれている。
はっきり言って魔王城にあるルータスの部屋とは天と地ほど違うと言えるだろう。
ルータスの帝国での位は、騎士 それも女王直属の騎士だ。兵士の中では上から数えた方が早い。
だからこその好待遇なのだ。
そんなルータス部屋のテーブルにティアは先程作った朝食を並べると、ルータスは嬉しそうに席に着く。
「ティア、いつもありがとう」
ルータスの言葉にティアの耳がピクリと動きティアも嬉しそうに返す。
「今はルー君の専属メイドですから。冷めないうちに食べましょう」
ティアもルータスの対面に座りフォークを、手に取ると、それをルータスに渡す。
「いただきます!」
ルータス達は料理を食べ始めると部屋の中に金属と陶器のぶつかり合う小さな音だけが響く。
ルータスはお皿を手に持って口に流し込むように食べていた手を止めると、口いっぱいの食べ物を大きく飲み込む。
「そういえば今日、ティアはお姉様のこと行くんだっけ?」
「うん。いつものだね」
何時もはルータスに付いているティアだが今日はミシェルから状況報告もかねて呼び出しがあった。
城の状況を知るにはルータスに聞くのが一番だが一応、女王直属の騎士である。
呼び出すならティアの方が手続きの面から言っても簡単である為、こう言った事はティアが行なっていた。
「お姉様も最近こっちに来てくれないからなー」
ルータスは不満気な声を漏らす。
「仕方ないよ。今は新しい街の事で忙しいみたいだし」
「そそ! アラドの街だっけ? 早く見てみたいな。どんなところなのだろう。ティアは知っているの?」
ルータス達はまだアラドの街について詳しくは聞かされていなかった。
今後の重要な拠点となる場所、と聞かされていたが今一ピンとこないのだろう。
そもそもそんな拠点をカルバナ領土に作る事自体よく分らない。
一体魔王軍は何をしているのか、ルータスの頭では答えを見つけられないのだ。
「私も分からないよ。今日その辺も含め聞いてくるね」
「じゃあ今日の夜は秘密の魔王軍作戦会議と行こう!」
ルータスの提案にティアは微笑むと、
「うん。楽しみにしてる」
ルータスは大きく伸びをしながら独り言の様につぶやく。
「アイ達はどうしているのかなー」
◇
ルータスとの朝食を終えたティアは城を出て街にやってきていた。
今日はこれからミシェルと合う約束があるのだ。
定期的な状況報告ではあるが、たまの気晴らしには丁度良かった。
元々ティアはエルドナの貧民街出身である為、他の街など知らない。
だからこそたまの外出がいい気晴らしになる。
ティアの眼に映る帝国の町並みは全てが新鮮であった。
行き交う人々、鍛冶屋が放つ鉄の匂いなどなど、一つ一つが心を踊らせる。
中でも一番の思い出はカルバナ城に入った時だ。
その豪華さと迫力に度肝を抜かれたのだ。
それもそうだ。ティアが入ったことのある城は魔王城だけである。
魔王城は城の形こそしているが豪華な城とはまた少し違う。
だからこそ初めて入った時はまるで異世界に来たかの様な気持ちになったのだ。
しかし今はそんなカルバナ城の中で働いている。
ティアは足を止め建物のガラスに映る自分の姿を見た。
ピカピカのメイド服に身を包み耳には青いイヤリングが光っている。
そよそよと吹く風にピンと伸びた耳が優しくなびく。
そう何時もと変わらない自分の姿が映っている。
「何時もの自分か……」
もうこれが日常になったのだ。
貧民街でボロボロの服にガサガサの髪の毛の時からは想像つかない。
人生は分からないものである。
ティアは髪の毛を手で直し又歩き出す。
「帰りは少し回り道して帰ろうかな」
などと、呟いていると目的の場所が見えてきた。
レンガ作りの大きな建物でかなり立派な建物である。
この建物は魔王軍がユーコリアス女王陛下から借りている建物だ。
一言で言うなら魔王軍のカルバナ拠点である。
と言っても今の所、あまり活用されてはいない様子だ。人の気配が皆無である。
恐らくアラドの街にかかりきりなのだろう。
ティアは扉の前に立つと大きく深呼吸をする。
三回ノックすると、音は響き少しの沈黙の後扉は小さく開く。
そして、その間からミシェルの顔がのぞいた。
二人の身長差もあってかミシェルはティアを見上げるような形で視線を向ける。
「時間通りね。とりあえず中に入って」
ニコリと笑みを飛ばすミシェルにティアは少し唇が緩む。
普段のミシェルは小さくて可愛い女の子にしかみえない。
サラサラの髪に透き通るような肌と大きな目、一言で表すならお人形の様である。
そんなミシェルを思わず抱きしめたくなるような衝動に駆られるが――本当にする訳にもいかない。
ただのメイドであるティアがそんなことができるはずもない。
何より、ミシェルは怒ると恐ろしいのだ。
そんなミシェルに案内され中に入ると、部屋の真ん中にテーブルと椅子がならべてあった。
テーブルの上には美味しそうなパンと小綺麗なカップが皿の上に置いてある。
カップは先程注がれたばかりなのかほんのり湯気が立ち込め部屋に充満するいい匂いから紅茶である事が分かった。
ミシェルは椅子に腰掛けると、右手を差し出しティアにも座る様に促す。
「失礼します。いい匂いの紅茶ですね」
ティアの言葉にミシェルは上機嫌な様子でカップを手に取り一口飲む。
「そうでしょ。少し前にこの街で見つけたの。すごく気になっていて。ほら、紅茶ってあまり飲まないじゃない? 」
「そうですね……皆はお酒ばかりですもんね……」
ティアは毎日の宴会を思い出し苦笑いした。
「それはそれで楽しいけどね」
ティアも紅茶を一口飲むと、
「美味しい……」
思わず声に出てしまった。
香りはもちろんのこと、口に含んだ瞬間に広がる甘みとほのかな苦味が何とも言えない。
お酒とはまた違った美味である。
ティアは味わいながらもう一口飲むと今度はミシェルが口を開いた。
「あのモグローン達にも少しは品性ってものがあればいいのに――」
ミシェルの声には諦めと呆れが入り混じっている。
それからミシェルは愚痴を話し出す。
内容は様々であったが愚痴るミシェルは凄く楽しそうにしていて、ティアも思わず表情が緩んだ。
一頻り聞き終わると話は本題へと移っていく――
アラドの街の事や新しいメイドが入った事などティアが帝国に来てから起こった事を詳しく話してくれた。
ティアは想像よりも大きく事が動いていた為に驚きを隠せなかった。
帝国にやってきてから時間はそこまで立ってはいないだけに……
ミシェルはティアにも分かりやすく簡単に今後の予定なども話してくれた。
国レベルの話はティアに想像し難い内容だがミシェルの説明は非常に分かりやすかった。
要するに今後、アラドの街に軍を置き拠点となる。と言う事だ。
そうする事によって色々都合がいいらしい。
とにかく魔王軍にとって大きくいい方向に進み出した事は間違いない。
ティアも嬉しくなり話も弾んだ。
二人の会話の内容は完全に雑談になり楽しい時間は流れる。
しかしそんな流れを断ち切るかの様にミシェルの声が低くなる。
「ところでここからが本題だけど」
本題? 今以上に重要な事?
ミシェルの表情からして本当に何か重大は話であることは間違いない。
しかしティアには全く想像がつかずゴクリの唾を飲み込みミシェルの言葉を待った。
そしてミシェルは口を開く。
「ルータスとはどうなってるのよ」
「へ?」
ティアは溜めていた息を吐き出すような声を上げる。
そんなティアに対してミシェルは頬に手を立てながら斜め上に視線を投げかけて、
「いやーね。ティアは情熱的に追いかけていったんだし何か進展があったのかなーっと思ってね。ぶっちゃけアタシにはそっちの方が興味あるわ」
ティアは何かを否定したい衝動にかられるがズバッとそう言われると何もできない。
少しの時間差で顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
ティアは両手を左右にぶんぶん振りながら口をとにかく動かした。
「いや、それは……私とルー君はそんなんじゃなくて……」
自分でも何を言っているのか分からない。
ミシェルはそんなティアの手を優しく握り目をじっと見つめながら、
「大丈夫、アタシは貴方達を応援しているのよ。ティアだって見方は多い方がいいでしょう?」
その言葉にティアの頭はフル回転した。
そうだ。一人で考えても自分では悩むことしかできないのは明白。
それに敵は女王だ。一人で立ち向かうには強大すぎる。
ミシェル様は魔王様の妃である。言い換えれば姫様だ。
見方についてくれれば同等以上と考えていいはず――
何よりミシェル様はルー君のお姉様だし……もしうまく行けば私のお姉様にもなるのだから……
この辺まで考えたところでティアの頭は沸騰する。
「わ、わ、わ、私何を考えて――」
「盛り上がっているところ悪いけど話してみてもバチは当たらないと思うわ」
髪をサッとかき上げたミシェルの目は輝いていた。
明らかに今日一番生き生きしている。
実際ティアだってそうだ。
ぶっちゃけて言えばティアにとって今は国の難しい話よりこっちの問題の方が重要である。
実際、魔王ディークが考えても上手くいかない事を、自分がどうにか出来る訳はない。
難しい話は、偉い人達が考えることだ。
それに何となくその辺は上手く行くような気がしていた。
とにかく今は自分にとっての最重要課題をなんとかしなければいけない。
そんなティアも何とかしたい一心で意を決し口を開く。
これまでの女王に対しての不満やルータスへの心配事などありったけをミシェルにぶちまける。
ユーコリアス女王への愚痴やルータスへの不安など、口からどんどん飛び出していく。
そしてミシェルはそんなティアの話を真剣に聞いてくれた。
ミシェルは一頻り聞き終わると腕を組みながら考え込む。
「うーん。やっぱりアタシの勘は当たってたわ。でもこのままずっとルータスとティアを、帝国に取られたままだと困るしね。貴方達にも早くアラドの街に来て欲しいし……」
「でも、あの女王様はルー君を簡単に手放さないと思いですよ」
近くで見ていたティアはよく分かっていた。
ユーコリアス女王陛下のルータスに対する態度はお気に入りなんてものではない。
間違いなくそれ以上ものである。ただそれだけで自分のそばに付けているのかは不明だが大きく関係していることは間違いなさそうだ。
そんな中、考え込んでいたミシェル自信満々に口を開く。
「分かったわ。こうなったらアタシが秘策を教えてあげる」
「え!?」
小さく抜け出た様なティアの声をよそにミシェルは不敵な笑みを浮かべた。
そしてゆっくりと立ち上がりティアの耳元でささやいた。
「今晩、貴女の一番大切なモノをあげちゃいなさい。そうすればルータスは誰にも取られないわ。アタシが許可します」
ミシェルは普段からは想像できない大人びた表情でティアの唇を人差し指で軽く触る。
その言葉にティアは大きく目を見開いた。
◇
その日の晩――
ルータスは自分の部屋に入るなりベッドに倒れる様に飛び込む。
ベッドに疲れた体が溶け込みそうなほどふわふわで気持ちいい。
「はぁー。疲れた」
ルータスの声からはその疲労がひしひしと伝わってくる。
体力的には疲れる様なことはないが国のトップである姫と一緒にいるのは何かと気をつかうものである。
今まで人に気をつかうことなどほとんどなかったルータスにとってこれはかなりのストレスとなっていたのだ。
「バーに行きたい」
誰にいう訳でもなくボソリと呟く。
「ダメだダメだ!」
ルータスは頭を左右に振り気持ちを入れ替える。
これはカルバナ帝国と魔王国をつなぐ大切な仕事なのだ。
ルータスは頭は偉くはないがカルバナ帝国が今後魔王国にとってどれだけ重要かルータスにだって分かる。
失敗は許されない。
だからこそ、それがルータスの最大のストレスにもなっていた。
ルータスはごろりと寝返りをうち天井を見上げボーっとしている。
今日はこのまま寝てしまいたい気分だ。
ごろりと寝返りをうつ。
その目線の先にはドアがあった。そう入り口である。
するとそのドアがコンコンと音を上げた。
状況だけ見ればただ、来客が訪ねてきただけなのだが、偶然視線を向けていた時にノックされルータスは驚き飛び起きた。
「ルー君、いる?」
声の主はティアだ。
そう言えば、今日秘密会議をする約束があったなー(特に秘密でも何でもないが)
「空いてるよ。入って――」
そう言うとティアは部屋に入ってきた。
しかし何か様子がおかしい気がする。
いつものティアとは違い顔は真剣にそのもので両手は背中の方に回していた。
何かを隠している様子ではあるがそれは何か分からない。
ティアはつかつかとルータスの目の前まで歩いてくると、
「ルー君! これ!」
大きな声でルータスに何かを渡して走り去って行った。
あまりに一瞬の出来事にルータスは部屋の中で立ち尽くす。
ティアから受け取った物は、そう――
大きさ40センチくらいの魚。
名前はカンパチと呼ばれている高級魚だ。
さっきまで冷やされていたのかまだ冷たい。
綺麗なリボンが巻かれていることから察するにこれはプレゼントなのだろうか?
「一体なんなんだ……?」
ティアの謎の行動にルータスは魚を持ったまましばらく動けなかった。




