第11話 日常
春から時は流れ、暑い夏を越え季節は過ぎていった――
周りの木々が赤く染まり、頬にあたる風も少し冷たさを増し始めた秋だ。この場所アビスも綺麗な紅葉が周りを彩っている。その一角に直径300メートル程の広さで高い壁に囲まれた異様な場所があった。そしてその魔王城の主人であるディークは今、頭を悩ませていた。
「メイドが欲しい!」
そう言い放ったディークは大きな椅子に座り魔王城の一室で今正に会議の真っ最中なのであった。机を挟みミクとミシェルが立っている。その2人の目線には強い怒りが込められている。
「それは分かりますが、その条件はいかがなものかと思います」
ゆっくり話すミクの口調とは裏は腹に内心は穏やかでは無い。
「魔王城も結構広くなって来たし、掃除や洗濯、家事全般の担当が居ないのは問題だ」
事実、魔王城はホクロン達の努力の甲斐あって城と言える位広くなっていた。今現状、住んでいる者はモグローン100匹とディーク達6人しか居ない。その中で掃除や洗濯、料理の様な家事全般出来る者は居なかった。
アビスは自然の宝庫と言われて居るだけに動物を狩れば食い物には困らないが、掃除や洗濯などの人員が圧倒的に足りていなかった。
「アタシ達が居るのに! ひんぬーでスレンダーで色白の女の子! とかちょっと信じられないわ!」
ミシェルが声を荒げて叫ぶ、かなり嫉妬で怒り狂っている。
「だって、同じメイドなら可愛い方が良いだろ!」
ディークはメイドに並々ならぬ理想があり、細かい注文でミク達に反感を買っていたのであった。かれこれこのやり取りを2時間はやっていた。
あまりわがまま言うとミシェルが本気で切れそうなのでディークも折れる事にする。
「とりあえずこの問題は、保留としてだな。この魔王城も人を増やさないとどうにもならん。なんとかスカウトする為にもエルドナに行く必要がある」
ミクは少し考える素振りを見せ、
「なら人間の国、フランクア王国もですか?」
フランクア王国とは人間の国だ。エルドナの南、森を挟んだ先にある国でかなり人口は多い。
「そればダメだ。人間は他種族を嫌う傾向が多く、自らを神に選ばれた者と言った思想が多く他は奴隷位にしか見えてない」
これは大袈裟ではなく、実際に人間は自らを万物の霊長と名乗り、他種族を捕らえ奴隷にしたり人体実験の材料にしたりしているのは有名だった。寿命が4種族の中で一番短いだけに他種族に対抗する術を実験などで得ている。
それだけに独自の発展を遂げている様だが、あまり他種族と関わりが無い為詳しい事はよく分かっていなかった。
「本当の神を見た事も無いのに愚かな」
ミクは失笑し、同情にも思える様な口調だ。
「ルータス達がある程度育ったらエルドナに行かそうと思っている。学園にでも潜り込ませて、町の情報とスカウトを主に活動させる」
魔王城から一番近い大きな国はエルドナだ。オーガの国、カルバナ帝国もあるが情報の乏しい今、ある程度情報のあるエルドナで活動するのが良いとディークは考えていた。
ルータスとアイなら丁度いい歳だし学園の知識レベルやエルフの生活環境を調べるのには都合が良かった。そして上手く行けばエルドナ軍の規模や騎士のレベルも調べられるかもしれないと考えていた。
ディーク達は書から出て来た時にこちらの世界は殆ど時間の経過はしていない事が新たに分かっていた。文明レベルがほぼ同じだからである。しかし書に入る前のディークは世界の事など知らなかった為、情報を集める必要があった。
「ならアタシとディーク様で行こう! 新婚夫婦として街に住めばいいでしょ!」
ミシェルが嬉しそうに飛びついて来た。ディークは優しく頭を撫でる。
「世間一般的に無理があると思いますが」
ミクはミシェルの頭から、足までゆっくり視線を移動しながら言った。ミシェルは見た目が子供だ。流石にエルドナで夫婦は無理がある。
「俺達はここでやる事があるだろう。それにルータス達の方が学園に入れると何かと便利だ。スカウトとするなら学園が良いだろう」
ディークはミシェルを抱きかかえ、膝の上に乗せた。ミシェルは前に振り向くと嬉しそうに体を左右に揺らし言う
「アタシは子供じゃ無いもん」
事実ミシェルは子供の見た目だが、子供では無い。それは書の中でかなりの時間生きている為だ。ミシェルにもその姿を気にしている様子は無い。当たり前である、ディークの理想の女性として創造されたミシェルがその姿を誇る事はあっても嫌がるなどあり得ないからである。
「そうだ、ルータスの事なんだが、ミシェルもたまに剣技を、教えてやってくれないか?」
ディークはミシェルの頭を撫でながら聞いた。ミシェルの綺麗な金髪はサラサラで透き通る様な肌で可愛い顔、どうもミシェルが近くにいると頭を撫でたくなる。ミシェルは膝の上で撫でられたのが嬉しい様で、ご機嫌は少し前の比ではない。
「分かったよ! 血を分けた弟だかんね!」
ご機嫌良く了承を得る事が出来た。ミシェルは近接戦闘が得意なヴァンパイアだ。戦闘能力はかなり高い為ルータスの訓練に最適だった。そしてディークは話を戻す。
「あと人員も良いのがいたらスカウトするんだ。流石に人が足りない」
魔王城に連れてくる人材はしっかり選ばなければならない。なんでもかんでも仲間にするといつかそれが害になることは明白だ。しかし人員選びに慎重になりすぎると人が現状不足している状況では難しい。そこにディークは頭を悩ませていた。
「了解!」
ミシェルは機嫌よく敬礼をしている。とりあえずミシェルに任せておけばルータスは大丈夫だ。なんだかんだ言ってもミシェルは必ずディークの力になってくれる。
そんな会議の中、部屋のドアを鳴らす音が響いた。
「魔王様、報告があるでやんす」
その声はホクロンだった。ディークは膝の上のミシェルを持ち上げて横に立たせると、もう一度椅子に深く座り直した。
「丁度会議中だ。入ってこい」
そう言うとドアは開きディークの目線はそのドアの下の方に動く。ホクロンはトコトコ歩き机の周りにある椅子に登りその上に立った。その位置で大体目線が一緒になる為、この方が話しやすいからである。
「魔王様、例のアレ完成したでやんす」
その瞬間、ディークは勢いよく立ち上がる。
「ついにか! 良くやった! 流石は建築大臣だ!」
ホクロンは得意げに親指をたてながら、
「いえいえ、この程度、これから次の計画に入るでやんす」
「早速、取り掛かってくれ、こちらも至急計画に必要な物を用意する」
ディークとホクロンの間でしか成立していない会話を、ミクがさえぎる。
「ディーク様、一体何の話をしているのですか?」
ディークは腕を組みながら不思議そうなミクに対して得意げに言う。
「温泉が出来たのだよ、ミク君」
「――はい?」
2人の声が響いた、1人は言うまでもなくミクでもう1人はミシェルのものだった。
「いやー長かったなぁ。やっぱ畑の疲れを取るのは温泉って相場で決まっているからな。チャンネとホクロンで魔力結晶から動力を引いて温泉を作ったのだよ」
この為にホクロンと何度も打ち合わせをして、やっと今日完成したのであった。実はチャンネにはアイテム生成の知識がある、武器や防具の生成などもできる為、チャンネとホクロンは共同して魔王城の設備の製作にあたっていたのだった。
「ふふふ、やっぱディーク様はディーク様ですね」
ミクがいきなり笑い出した。その笑顔はいつもの様に凄く優しく美しかった。
「とりあえずみんなで今日は温泉だな!」
ディークは手を大きく一度叩き提案した。
「アタシも入る~!」
ミシェルが満面の笑みを浮かべて笑う。ディークはそんな皆を見渡すと、やっぱ温泉はいいよな。としみじみ思ったのであった。
◇
血を分けた兄弟、とは言っても彼女達はそのまんまの意味で血を分けた兄弟だった。その昔、姉が欲しいと思った事はあったが、理想と現実は大分違う様だ。
「ほんとアタシがいるのに、ディーク様は意味分からないわ!」
秋の日の昼、静かな森の中に大きな声が響く。ここは魔王城の南西、歩くミシェルとルータスの姿があった。ミシェルは何か乱暴な歩き方で、後ろを歩くルータスはビビっていた。ミシェルはディークがメイドを欲しがっていることにかなりご立腹の様子だ。
「で、でも、ディーク様も、もしかしたら何か大事な考えがお有りなんじゃ?」
その言葉にミシェルは、ピクリと反応しクルリと振り向くと、ズカズカとルータスに近づいてきた。
「ならなんで! ひんぬーで色白でスレンダーな可愛い女の子なきゃダメなのかしら!」
その勢いは猛烈で完全にルータスは気後れしてしまっていた。
「メイドだし、女の子のが向いているとのお考えが――」
ルータスの言葉が言い終わる前に、ミシェルが被せて言う。
「ルータス! 貴方はどっちの味方なの!?」
ミシェルの勢いにルータスは2、3歩思わず後ずさりしながら、
「もちろん、お、お、姉様の味方で」
顔を引きつらせながら言う。ミシェルは嫉妬で何かに変身しそうな勢いだ。せっかくミシェルに近接戦闘の訓練をしてもらえる事になったのに、このままだと、精神の訓練になりそうだ。
まだ長い付き合いでは無いが、ルータスはミシェルの性格は把握出来ていた。ミシェルは普段はかなり温厚だし、姉という面では面倒見もよかったが、ディークの事になると嫉妬が凄い。
何とかミシェルの怒りを鎮めないと危険だ。
「で、でもディーク様は、何だかんだ言ってもお姉様が一番なんだし、他は目に入ってないと思う」
その言葉に凄い速度で反応するミシェル。
「え? やっぱそうかな? そうだよね!」
さっきとは180度違う笑みを浮かべみるみる機嫌が良くなって行く。確かにミシェルは見た目がかなり可愛い、ミシェルより可愛いメイドを探す事など難しいだろう。ルータスだって姉じゃ無ければ多分惚れている。しかし本能が姉と認識している為、姉としか見られなかった。それにミシェルの気持ちも少しは分かる、ディークが喜べば自分の事の様にルータスも嬉しかったし、もし害をなす者がいるとすれば想像するだけで怒りが湧いてくるからだ。これはヴァンパイアになった血の影響なのか、ディークを主人として体の細胞単位で認識しているのだろう。
「まぁいいわ。とりあえずこの辺何か無いか探しましょう」
ミシェルは魔王城の周辺に変わった物や、村などが無いか調べるのが今の仕事らしく、今日はそれにルータスも同行していた。
「この辺は、地下階層の大穴の真南くらいですかね?」
「そうね、大体そこら辺かな? あとこの辺だけなのよね、見てない所は」
そう言いながらミシェルは木の枝を拾い地面に向けて振り回しながら歩いている。
「なんかお腹空いたわ」
「もうお昼ですもんねー適当にこの辺ーー」
ミシェルはルータスの話を遮る様に手を出した。先ほどとは全く違う真剣な顔をしている。
「何かいるわ」
ミシェルは何かの気配を感じとった様で、ルータスに止まる様に合図する。ルータスも警戒を強める。そしてルータスの手を引きその気配の方向へと足を進め向かった先は、
「何ここ?」
ミシェルのその声に重なる様にルータスも思わず声に出た。その目の前に、いきなり現れたあまりにも場違いな風景に面食らってしまったのだ。そこには明らかに誰かが手入れをしている美しい花畑があり、果物の木が数本生え、その奥に木造の小さな家が建っていたのである。
するとミシェルはホッとしながら、
「特に敵意や、危険な感じはしないわね。とりあえずあの家に誰かいる様だし言って見ましょう」
そう言うとミシェルは家に向かって歩き出した。ルータスも急いで後に続く、そして木造の家のドアをミシェルが数回ノックすると、
「…………」
少しの静寂の後にそのドアは開かれた。
「――げっ!」
思わずルータスは声に出してしまった。想像もしてなかった展開にかなり驚いた。その開いたドアの向こうに立っていたのは、お手伝いさんの用な服にエプロン姿であったが、その顔は真っ白な骸骨、そうアンデッドだったのだ。予想外の展開に立ち尽くすルータスだったが、
「初めまして、アタシは、ミシェル・ブラッドと申します。ミシェルと呼んでくれていいわ」
ミシェルはスカートの左右を摘みながら礼をした。ミシェルに目配せされ慌てて、
「初めまして、僕はルータス・ブラッドと言います」
ルータスも挨拶をする。すると目の前のアンデッドは深い礼をしながら、
「わたくし、スカーレットと申します、――何と言いますか、ここに人が来てくれるなんて何時ぶりか、良かったら中へどうぞ」
スカーレットはその骨の手を家の中に向けて、どうぞと合図する。
「あら、なら遠慮なくお邪魔します」
ミシェルはそのまま中に入って行く、ルータスも急いてそれに続くと、
「流石、お姉様……」
この状況に全く動揺しないミシェルを見て呟く様に言った。中に入ると、小さな家だったがかなり掃除や手入れが行き届いており、ホコリひとつ無いきがした。その部屋の真ん中に丸いテーブルの椅子が4つありその一つにミシェルは座った。その横にルータスも座る。
「紅茶ですが、すぐ入れるので待って下さいね」
スカーレットはキッチンと思われる場所で紅茶を入れ始めた。
「外のお花は貴女が咲かせたの?」
「はい、花が好きなのです」
ミシェルの問いにスカーレットは紅茶を入れながら答える。紅茶のいい香りが辺りに漂う。スカーレットはカップに入った紅茶をテーブルに並べ自らも椅子に座った。ミシェルはその紅茶をゆっくり持ち上げ、味を確かめる様に飲む、
「あなた紅茶入れるのが上手ね。凄く美味しいわ」
ルータスも紅茶を飲んで見たが確かに美味しかった。元々紅茶など飲んだこと無かった為に違いはよく分からなかった。そして飲み物を飲んだ事により忘れていた空腹がお腹を鳴らした。
「あら、ルータス君お腹が空いているの?」
スカーレットはそう言うと立ち上がる。
「そう言えば、お昼まだだったね、忘れてたわ」
「それなら、食べていきませんか? わたくし、こう見えて料理は得意なんです」
スカーレットは自信満々の様子だ。悪い人? ではなさそうだが、アンデッドが料理するなんて聞いた事は無かったし、もっと色々な所に突っ込み所が満載な、このアンデッドが何なのか気にになってしょうがなかった。逆にミシェルはそんな事全く気にしてない様子だ。
「ホント!? ならお言葉に甘えてご馳走になるわ」
ミシェルは嬉しそうだ。スカーレットはすぐにキッチンの方に行き、支度に取り掛かると、何やら、手際の良さそうな音が聞こえてきた。
「スカーレットさんは、ここに一人で住んでいるんですか?」
何故アビスのこんな所にアンデッドが一人で住んでいるのか? そもそもアンデッドとは廃屋やダンジョンにいるモンスターと言うのが一般的な知識だ。
「――今は、一人で住んでいます」
少し考える様に答えたスカーレットのその言葉にルータスは何か引っかかるものを覚える。その表情からは読み取ることが出来ない。そんな事を考えていると、キッチンの方から食欲をそそる様な香りが流れ込んできた。
「良い匂いがするね! どんなご飯かな!」
ミシェルが椅子から垂らした足をぶらぶらさせながら聞く、
「わたくしの家で作れる物は限られていまして、大した物は作れませんが、そこは腕でカバーしますよ」
そう言いながら、作った料理を二つの皿に入れルータスと、ミシェルの目の前に置き椅子に座った。何やら山菜と、何かの実の入ったスープの様だ。
「いただきます!」
ミシェルはそう言うとすぐに食べ始めた。ルータスも、何回かスプーンで混ぜてスープを口に運んだ。
「う、旨い」
思わずルータスは口に出していた。旨い、めちゃめちゃ旨い、こんな材料なのに何でこんなに旨いのか分からなかった。
「うんうん、ホント美味しいね、貴女凄いね、どこで覚えたの?」
ミシェルの問いはルータスも気になった、もちろんそれ以外の疑問は山の様にあったが、
「そうですね、昔話になりますが、わたくしこう見えて実は長生きなんですよ」
いやどう見てもそうだろ! とツッコミを入れそうになったルータスだったが、スカーレットの過去が気になり何とか言葉を飲み込んだ。スカーレットは何か懐かしむような雰囲気でゆっくり椅子に座る。
「はるか昔です。ここでレオと言う男と一緒に住んでいたんです。彼とはアビスで出会って、何故か気が合い行動を共にする様になったんです。そしてここを拠点にアビスの地下階層に挑戦するんだと彼は言っていましたね。そして幾度となく一緒に旅に出ました。あの頃は楽しかったなぁ」
スカーレットは少し上を見上げ昔の記憶を思い返している様だ。
「しかし彼は人、わたくしはアンデッドやがてその時の中で彼の寿命は終わりを迎えたのです。彼はありがとうと言ってこの世を去り、わたくしは悲しみに暮れました。この場所はレオの生きた証、レオが寂しくないように花を植えたんです。それからずっと一人で生きてきましたがレオの亡き後、孤独だけがわたくしを苦しめました。何とか人と仲良くなろうと料理を覚えたり色々しましたがアンデッドのわたくしでは、それも難しく怖がられ嫌われました。そして以後ここにずっと住んでいるんです」
ルータスはスカーレットの話にいつの間にか聞き入っていた。ハーフだった自分も嫌われ馬鹿にされた経験が多々あり他人事とは思えなかった。
「しかし貴方達は不思議ですね。わたくしを普通の人の様に接してくれます」
スカーレットのその言葉には色んな感情が入っているように感じる。
「当たり前じゃない。アタシ達の王が目指す理想国家はね、そんな細かい事気にしないのがモットーなの」
ミシェルの言葉にルータスは自分の浅はかな考えを思い返す。「そうだ今まで自分も幾度となくされてきたじゃないか、見た目だけで忌み嫌われ差別された。ディーク様の目指す理想国家を信じているから、お姉様は変わらなかったんだ」と思い深く反省した。
ミシェルはスカーレットと観察するように見つめ、
「ふむふむ、ひんぬー色白スレンダーな女の子か……よし!」
「お姉様……まさか……」
スカーレットは何の事か分からず首を傾げる。
「貴女、いい職場が有るんだけどこない? 最初少し荒れるかもだけど」
ミシェルはちょっと意地悪そうな笑みを浮かべて手を差し伸べた。ルータスはこの後のディークを想像したらため息しか出ず小さく呟く。
「大丈夫なのかな……」




