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京城遊行記  作者: 天水しあ
巻の二『春華楼』
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『依頼』

 珂惟かいの目線を受けた茉莉まりは、きっちり刷かれた化粧から緩やかな笑みを返してくる。 自分が話をふったにもかかわらず、珂惟は慌てて目をそらし、再び手元の紙に目を下ろした。

「何だって? 原因不明の悪鬼? 胡散臭ぇ。犬鬼のお祓い? 阿呆らし」

「あら、また犬鬼? 最近多いのかしら。この前もそんな話なかった? 確か宣陽坊……」

 小首を傾げながら杏香きょうかが上げた名は、長安に百九ある坊の一つである。


「それで思い出した」


 杏香の言葉に、珂惟はふいに顔を上げると、

「そうだ、聞いてくれよ、この前の下らねえ話。夜な夜な犬鬼が現れて、家の者がケガをするってあれ。行ってみたら何てことない、本物の犬だったんだぜ」

「え、つまりそれって生きてたってこと?」

「そうなんだよ。家の連中が揃って臆病者で、すばしっこくて見つけられないからって全員で悪鬼だと思い込んでんだよ。よっぽどやましいことでもあるんじゃねえの」

「で、どうしたの? 殺しちゃったの?」

 いつしか杏香は身を乗り出している。

「まさか。仏教は不殺生だぜ。一撃喰らわして、大路に放り投げてやった」

「ええっ、それマズくない?」

「まあ、ちょっと悲鳴が聞こえたけど、衛士駆けつけてたからダイジョブだったんじゃない? さすが国都を守る兵士、捕まえられはしなかったけど、しっかり追い払ってはいたみたいだぜ。でも声上げたヤツ、坊越えしていたみたいで気の毒だったなー。杖打ち刑確定しちゃって」

「えーカワイソ過ぎー」

 杏香はそう言いながらも、カラカラと明るい笑い声をあげた。


 日没後、打たれる鼓八百声の後、坊門は閉じられる。それは翌朝、暁鼓が鳴らされるまで開けられることはなかった。閉門後に坊を出ることは、緊急以外では許されず、坊牆を乗り越え禁夜を犯し大路を歩く者は、衛士に見つかれば、杖打ちの刑に処されたのである。


「自業自得だろ」

 「濃すぎ」と評した茶を口に含みながら、珂惟はどこか嬉しげに口角を上げている。

「なによ偉そうに。自分だって坊越え常習犯のくせに」

「俺は衛士に見つかるようなヘマはしねえよ」

「よく言う」

「――まあ、それはともかく。でさ、依頼人にこんな強い鬼は見たことがない。よほど恨みを持って鬼となったと思われますとか脅し付けたらビビっちゃって、いくらでも出すからしっかり祓ってくれってさ。ま、俺は良心的だから、約束の三倍にしといてあげたけど」

「何それ悪どーい」

「いいんだって。出すってことは、出すだけの価値があるってことなんだから。納得の上での、お支払い――ってことだろ?」

「悪どすぎ―」

 軽やかな笑い声を上げる杏香を横目で見ながら、珂惟は冷めたお茶を一息に飲み干すと、おもむろに立ちあがった。

「そろそろ時間だな。じゃ、行くわ。茉莉さん、俺そろそろ……」

 だが、声を上げたのは杏香である。

「えっもう? 温かいの、もう一杯飲んで行ったら? タダにするから」

 大きな目を更に見開く杏香に、珂惟は困ったような笑みを見せ、

「そうしたいけど、最近周り煩くて。――俺と上座かみざがデキてるってんだ、笑えるだろ」

 ああ、杏香の目がふと和らぐ。

「おじさん、珂惟のこと目に入れても痛くないって感じだもんね」

「何だか。だから、部屋に居ないのがバレると、忍んで行ったとか噂が立ちそうでヤバいんだ。あの人、一応、最高僧だし」

「そっか。じゃあ、仕方ないね」

 杏香は俯き、呟くように言った。

「ごめん、また来るから。それまでに、もっと稼げる話を集めとけよ」

 珂惟は軽い口調でそう言うと、たたんだ書を懐にしまいながら、続き間へと移動する。そこでは茉莉がすでに立ち上がっていた。


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