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京城遊行記  作者: 天水しあ
巻の四『牡丹鑑賞』
21/48

「化かし合い」

 西市に入る直前、かねが鳴った。

 中に入ると辺りの店は一斉に片付けを始めており、吐き出された人々の大半が、帰宅しようと坊門を目指していた。

 鉦声から七刻(二時間)後には暮鼓が鳴り始める。そして広い城内、家まで七刻は歩かねばならない者も珍しくはなく、ゆえに急ぎ足の者も少なくはなかった。

 そんな中、入れ替わるように、これから楽しもうとする者たちが門をくぐって来る。彼らも暮鼓が終わる迄には、どこぞの酒楼か妓楼を今宵の宿と定め、身を落ち着けるのだ。


 さて、「牡丹を見に」と言われたものの、ここら辺に牡丹の美しい場所があるなどとは見たことも聞いたこともない琅惺ろうせいは、ずっと怪訝な顔で辺りを見回していたのだが、

「牡丹? どこに」

 歩くことしばらく、胡人(西域諸国の人)と肩がぶつかりそうになるのを避けながら、隣の珂惟かいにそう訊く。

 ここ西市は周囲に景教(キリスト教)や拝火教(ゾロアスター教)といった異教の寺院が多く立ち並んでいることもあり、多くの異民族が集まる京城みやこの中でも、一際異国色が強かった。

「もうすぐだ――あ、あそこ」

 珂惟が指さした方を、笠を押さえながら見た琅惺の顔色が変わった。

「あれは――妓楼じゃないか!」

「前、連れてってやるって約束したろ?」

「そんな覚えはない! やめろ、放せって!」

 強引につかまれた腕を振りほどこうとするも、力の差は歴然。

 琅惺は必死に、しかし笠が脱げないように気を使っていたせいもあって、ほとんど無抵抗の状態で建物の中へと引きずり込まれた。


「あーら、久しぶりねえ。いらっしゃーい」

 甘い声とともに現れた華やかな女性に、琅惺は笠を両手で押さえ込んで顔を隠す。

 珂惟はそれを目の端に留め、笑いをかみ殺しつつ、

「どーも。杏香きょうかいる?」

「いるいる。お越しをそれは首を長くしてお待ちだったわよー。杏香ちゃーん」

 女がこちらに背を向け階上に声を投げている間に、珂惟は振り返り、

「ここでバレたら言い訳きかねえぞ。もう諦めておとなしくついて来いよ、な」

 口に手を寄せると、そう、小声で告げた。

 琅惺は笠と腕の隙間から、それは恨めしそうな目で珂惟を見上げる。

 そこへ、

「あら」

 階段から下りて来たのは杏香である。階上では思いっきり膨れ面をみせていたが、珂惟の背後に立つ姿を認めると、とたんにきょとん、とした表情になる。

 彼女は、珂惟の肩越しを一瞬見やると、

「どうしたの、お友達? 珍しいわね」

「おや、いらっしゃい。ご無沙汰でしたこと」

 そこへ声をかけてきたのは恰幅のいい、中年女性。この妓楼の仮母(経営者)である。

 それは人のよさそうな笑みを浮かべているが、邪気ない笑顔は邪心の産物だと思わずにはいられない、やり手の「女傑」だ。

「すみません、開店前の忙しい時に。ちょいとそこまで使いを頼まれたんだけど喉渇いちゃって……。一杯いただけないかな? 今日はすぐ帰るから、この杏香と、一部屋貸してもらえるとありがたい。これ、お茶代。少ないけど」

 珂惟は気安い口調と様子で、懐から小袋を取り出した。ふくよかな仮母の掌で、じゃらり、と軽くはない音を立てる。

「おや、こんなに。相変わらず羽振りがいいねえ。泊まっていったらどうだい?」

「そうしたいんだけど、親父から外泊禁止令が出ちまったから、当面はおとなしくしないとヤバイんだ。今日だってやっと抜けだしたんだから」

「おやまあ遊びすぎちゃったかい? それともまさか……」

 そう言って、仮母は自分の丸い腹の上に、さらに手で半円を描いてみせる。

「まさか」

 珂惟は声を上げて笑うと、仮母もそれに合わせてひとしきり声を上げた。

 そこに女童が通りかかるとにわかに笑いを収め、彼女に一室を用意するよう申し付ける。そして「もうすぐ客が来るから余り時間はやれないよ」の一言を添えて、その場を去っていった。

 そこで珂惟は眼前に立つ杏香に目をやると、

「こいつ、こういうトコ初めてで緊張してるから、早く上げてやってよ」

「それはそれは――どうぞお気を楽に、お上がりになって」

 普段よりやや高いよそ行きの声で、杏香はその細く白い手を差し出す。


 だが。


 向けられたそれを、琅惺は慌てて後ずさりし、避けた。

 男女七つにして部屋を同じくせずという時代ではあった。しかし、ここでそんな風習を持ち出す者など、いるわけもないのだが。

 なので琅惺の反応に、杏香は目と口を大きく開けそれは驚いていたが、

「これは失礼を致しました。さあどうぞ、お上がりになって」

 一転、軽やかな笑みを浮かべると、くるりと背を向け、階を上り始めた。

「ほら行くぞ」

 珂惟に背中を押され、琅惺は渋々、それに従う。しかし、笠を押さえた両手は相変わらずである。

 ――それじゃ却って目立つって。

 珂惟は心中呆れるが、同時に多少の罪悪感も覚えたのだった。

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