「それぞれの立場」
「あー疲れた」
「だな。あの人の話し方って何か眠いよな」
などと言いながら有髪の数人が回廊の階を下り、院子を横切って行く。比丘から次の度に向けての教授を受けた帰りである。
院子の片隅には、牡丹の白い蕾が膨らみ始めていた。一人がそれに目を留め、言う。
「もうすぐ咲くな。あれ」
「本当だ。でもなんで白牡丹かなあ。紅紫だったら人来るのに。今年も無漏寺には人も物も一杯集まるんだろうなあ、羨まし」
「うちも紅紫植えればいいのに」
当時の長安では牡丹観賞が空前の大ブームだった。「花王」とまで呼ばれる大輪の風格ある佇まいに人々は熱狂し、美しいと聞けばどこであろうと、老若男女も貴族も庶民も関係なしに、一斉に争って押しかけた。晋昌坊の無漏寺は名所の一つである。
だが世の流行りは紅紫の牡丹であり、白牡丹がいかに美しく咲いても、在家が暇潰しに見にくるか、流行に乗らないことを良しとする極僅かな愛好家が訪れる程度であった。
「お前もそう思うだろ?」
突然話を振られた珂惟だったが、そこは笑顔で、
「本当だな」
と、切り返す。内心、人が集まったら仕事が増えるから面倒臭い、ここの牡丹が白で本当に良かったなどと思っている。
「おい、あれ」
その声に一同一斉に振り返る。
見れば琅惺が回廊を渡ってこちらに近づいて来ていた。
行者たちは立ち止まり、回廊沿いに並んで合掌する。在家信者の出家信者に対する、それが礼儀である。
やがて目前に差しかかった琅惺は会釈しつつ、足早に行者の、珂惟の前を過ぎ去った。
「何か張り切ってるよなあ」
琅惺の姿が見えなくなると、場の空気が明らかに和らいだ。それを象徴するかのような口調で、一人が言う。
「本当。上座が和上で前途洋々だしな。もう世界は俺の為にあるって感じ?」
「最近暇さえあれば講堂か僧坊(私室)に籠もって経読んでるもんな、嫌みったらしく。あれ完全、上座の後釜狙ってるよ」
沙弥とはいえ、つい先頃までは同じ行者だった人間である。度の結果が彼らの立場を分けた、面白くないものがあるのは致し方ない。
「そういやお前この間あいつと盛り上がってたよなあ」
「――まあ」
思わず口ごもる。それをどう解釈したか、
「いや分かるよ。あいつ、いい気になってるしな。いっそブン殴ってやればよかったのに」
言葉とともに集まる視線に対し、珂惟は曖昧に笑って、応えた。
――それにしても。
珂惟は集団の後ろに付きながら、背後を振り返る。もう、求める姿は見えなかった。
あれから半月余り、琅惺とは全く口を聞いていない。沙弥と行者、立場が違うからおかしな話ではないのだが。
灌仏祭の準備やらに忙しい上座はほとんど姿を見かけない。遠目に見るには変わらない様子ではあったが、二人の間でどんな話が交わされているのか、それすら分からない。
「何やってる。牡丹の見頃はまだ先だぞ」
その声に向き直ると、集団は随分先を歩いていた。慌てて後を追う。
あの蕾が開き、やがて咲き、散る頃には灌仏祭である。