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京城遊行記  作者: 天水しあ
序の巻
1/48

『闇夜』

 京城みやこは夜――。



 とうに鼓声は鳴り終えている。

 京城内の門という門は閉ざされた。

 方形の城郭都市を碁盤状に区切る大路に人気はない。鼓声止んだ大路を歩く者は、城内を警護する衛士に見つかれば鞭打ちの刑に処されるからだ。

 そしてつい先ほど雲に隠れた満月はいま、天上にある。


 よって静かな春夜であるのだが――。


「ん?」

 連れ立つ衛士の一人が足を止め、釣られてもう一人も立ち止まった。最初に足を止めた衛士は、来た道を振り返り漆黒の闇を凝視したまま、動かない。

「どうした?」

「いえあの、今そこを誰かが越えませんでしたか?」

 掲げられた松明が映し出すのは、幅一丈(約三メートル)の水溝向こうにそびえる、やはり一丈ほどの土壁。壁沿いに等間隔に植えられた柳が、さらさらとその表面をなでている。

「つい今しがた通り過ぎたとき、人の気配などなかったぞ。我らが通り過ぎたわずかの間に姿を現し、そのうえこの高さを飛び越えられるわけがなかろう」

「でも確かに人影のようなものが」

「人なら、この高さをよじ登るしかない。さっき見つけた不届者のように、無様に壁に張り付いて登るしか。この柳は植え替えられて日が浅く、子供ならともかく、大の大人の重さに耐えうるほど太くはないからな。よって柳から飛び移るのも不可能――猫だ猫。さあ行くぞ」

 そう言うと、後から立ち止まった衛士はスタスタと歩き出す。

 先に止まった衛士は、まだ納得がいかない様子でしばし闇に松明を揺らしていたが、「気のせい、だったのかなあ」と呟くと、くるりと身を返し、慌ててその後を追った。先を行く彼の発言が至極もっともだった――より何より、自分の下っ端だからである。

 そうして、足音二つが遠ざかったその場所は、再び闇に落ち、ただ水音と葉擦れの音だけが……。


「危ない危ない、俺としたことが」


 声は、衛士が立ち止まった土壁の反対側からであった。

 遠ざかる足音が完全に聞こえなくなると、声の主は預けていた背を壁から引き剥がす。

「何だよ子供ならともかくって、失礼な」

 不服げにひとりごちると、右手で軽く両肩を払う。

 しばらくぶりに顔を出した月が投げる白光にふわりとなびく髪から、柳の葉数枚がハラハラと散った。

 土壁の内側は、まるで長安内を縮尺したように小路が内部を区画している。

 小路沿いに、高低様々な建物が並び立ち、どの建物からも光だけでなく音さえ漏れてこない静けさの中、白々と照らし出された小路を足元に蟠る影を引き連れながら、その者は悠々と歩いた。 

 月光が映し出すその面は、若い。

 身の丈は五尺半にして細身、風に流れる長髪が男女の別を容易にさせない。

 纏う衣は白一色であたかも道士のよう。

 ほどなく立ち止まったのは、身の丈の倍はあろうという障壁の前。壁向こうからは槐の枝が張り出している。夜空の雲を走らせる軽やかな風で、さわさわと葉が揺れていた。

 障壁の南面、設けられた門に掛かる額に煌めく金文字は『大覚寺だいかくじ』。

 その名の通り、仏寺である。

 白衣は、ゆっくりと辺りに目を巡らせた。その姿をにわかに闇が覆う。

 再び月が現れた時そこに人影はなく、ただ槐の枝がざわざわと、葉を少し賑やかに揺らしていた。

  

 幾度も王朝や都が替わったこの国の歴史上、後世の支配者が手本とした平和な時代があった。戦は久しく、庶民が飢えることもなく、国外から絶えずやってくる人々がもたらす華やかな文化が、さらに国を潤している――それが、今である。



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