序盤戦
〈初対面〉
事件から数日後、警察署の拘置所の面会室に案内され、初めて加害者である彼と対面した。一体どんな人物なんだろうと、少し緊張していた。初対面というのは、何回経験しても慣れないものだ。彼のパッと見の印象は、思いの外格好良いというものだった。
「今回、あなたの弁護を担当する奥本梨花です。よろしくね」
「弁護なんていりません。僕が母を殺しました。だから裁いてください」
彼は間髪いれずに、私の目を真っ直ぐ見て言い放った。
端正な顔立ちからは似合わない『殺しました』という言葉と、正義感溢れる澄んだ瞳に、思わず吸い込まれそうになった。
「そういうわけにはいかないの。第一まだあなたは未成年なんだから
警察の方でも何度も聞かれたと思うけど、事件当日のこと、経緯や動機について、詳しく話してくれるかしら」
今回のような弁護はあまり乗り気ではなかったが、今は少し、彼に興味引かれてやる気になってきていた。
彼は淡々と、母親を何故殺したのか、事件の当日に何があったのか語り始めた。
「今日は話してくれてどうもありがとう。また来ます。もしなにかあれば、係りの人に頼んで私のところに連絡してもらってね」
そう伝えて今日は帰った。
終始、私の話を聞きながら何か引っ掛かるような違和感を覚えていた。本当に彼は母親を殺したのだろうか。そんな疑問がふと過る。
いや、わざわざ親を殺したなんて嘘をつく人間、そうはいないだろうし、だいたい何のメリットもない。少なからず好意を持った青年の罪を認めたくないという個人的な感情が、私をそんな風に思わせているのかもしれない。今日のところは、事務所に帰って彼の話を文章にまとめることにした。
彼の話によれば、ずっと母親を殺したいと思っていたらしい。
そのことに私はビックリした。でも確かに、彼からは執念のようなものを感じた。
自分への干渉や束縛、監視が度を越えていると感じていた彼は、常々目障りに思っていた。行動範囲や交遊関係にいちいち口を出したり、色々聞いてくることが腹立たしかったと。
親が子供を気に掛け心配するのは当たり前の事だが、携帯をチェックしたり、所在確認したり、塾等の用事以外での夜八時以降の外出を禁止したりというのは、過保護を通り越して異常だと思える。息が詰まりそうだ。
だけど今まではずっと我慢してきていた。怒りが込み上げそうになったら、一呼吸置いて冷静になって耐えてきた。
なのにあの日、外出から帰ってきて二階の自分の部屋に戻ったとき、部屋がキレイにされていることに気づいた。前から何度も勝手に部屋に入らないで欲しいと、掃除は自分でするからと言っていたのに、その約束を破り、また母親は勝手に部屋に入っていたと分かり、一旦は怒りが爆発しそうになったが、なんとか気持ちを落ち着かせた。
しかし、飲み物でも飲もうと一階のキッチンに向かうと、リビングのソファーで、横になって寝ている母親の姿が目に入り、気が付くとキッチンにあった包丁を手に取り、刺してしまっていたのだという。しばらくは放心状態で、我に返ってから警察に通報して現在に至ると。
動機も証拠もあり、彼の犯行は間違いないと言える。まあそもそも本人が自供している。素直に犯行を認めて反省もしているようだし、更正の可能性は十二分にある。母親の息子に対しての執拗なまでのプライバシーの侵害、未成年ということを踏まえて、少しでも罪を軽く出来れば良いんだけど……。
明日からは、近隣の住人や学校の同級生に話を聞きに行くことにする。
〈周囲の聴き込み〉
まずは、近所の人達に野出親子について聞いてみた。
親子は、彼が小学生の時に引っ越してきたらしく、この家は母親の母方の祖父母の家だそうで、空き家になっていたところ、親子が住むことになった。父親とはすでに死別しており、二人で生活していた。
彼に関しては、顔を合わせればちゃんと挨拶もするし、母親との二人暮らしでグレることもなく、穏やかで優しい子だったと。進学校に通い成績も優秀で、母親にとっては自慢の息子だったようだ。
母親の方も、きっちりとした性格で、働きながら小さかった彼を立派に育てていたと。
そんな母親が殺されるなんて、ましてや息子が殺すなんて信じられないと。口を揃えてみんな同等のことを話した。何軒か聞いて回ったけど、この親子を悪く思う人達はいなかった。
外様には当人達の家庭の事情は分からないと言うことかしら。
次に、中学時代の同級生の何人かに話を聞くことが出来た。
彼はサッカー部に所属していて、三年生の時には生徒会長も務めていた。男子女子からも人気があり、ファングラブのようなものまであったらしい。正義感も強く、小学校からの同級生によれば、小学生の時に苛められっ子を苛めっ子から救ってあげたこともあるようだ。
聞けば聞くほど、フィクションの世界にでてくる王子様のような存在に思えてくる。こんな完璧な男の子が現実にいるなんて……。ますます私の中の彼の好感度は上がる一方だ。
初めて彼に会って話を聞いた時に覚えた違和感、あながちただの思い込みじゃなかったかもしれない。彼について聞いてみてその要因が分かった。それは、警察署で語った彼と周囲から聞いた彼とのギャップだ。
人間には、なんとなく醸し出す雰囲気というものがある。私が最初に感じたそれは、先程聞いて回ったような、決して人に対して殺意を抱くような人間ではないというものだった。
母親を殺したことは事実だとしても、何か特別な事情があったに違いない。それとも高校生になり、少しずつ彼は変わっていってしまったのか……。
次の日、彼の高校に出向き、学友に話を聞いた。
高校では部活動していなかったが、スポーツもでき頭も良かった彼は、人望もあった。彼自身は、中学時代と変わりはないようだった。
ただ、付き合いが悪いというわけではないが、友人と遊ぶときには制限があったようで、気にせず自由には遊べなかったと。
女生徒にもやはりモテていたようだが、浮いた話はなかった。気さくに話せるが、どことなく相手に対して一定の距離を保っているところがあり、きっとそれは母親が起因していると、学友達も分かっているようだった。
一人の学友が前に、母親の干渉に反抗したくならないのかと質問したことがあったらしく、その時彼は、『父親がいないから、自分が我慢することで母親に余計な心配を掛けなくて済むならそれが良いんだ』と、『それに、大学に進学したらさすがに一人立ちするつもりだから、それまでは』と言っていて、感心させられたと話してくれた。
ここまで好青年な彼に私は脱帽すらしてしまった。未だに私は親に心配をかけているというのに。
この間も、私のマンションに訪れた母に、散らかった部屋を見られて、『三十近くにもなって、ちゃんと片付けもできないなんて、嫁にいけないわよ』と、本気で嘆かれた。
私の話はさておき、やはり彼には母親に対して殺意などなかった。母親の異常なまでの束縛や干渉も全て受け入れていたのだ。
じゃあどうして、彼は母親を殺すことになってしまったのか。あの日一体何があったのか。本当に彼が殺したのか。またその疑問に戻ってしまう。それとも、他人に見せている彼は全て作りものなのか。
〈新たな事実〉
警察側から、凶器についてと現場の状況について、新しい事実が判明したと報告があった。
まず一つ目に、凶器の包丁に付いていた母親の指紋についてである。
日頃使っている包丁に、母親の指紋が付いていても不思議はない。だが普通、柄の部分には利き手の指紋が付くはずだが、両手で握りしめたような指紋の付き方がしてあった。
息子も同じような指紋の付き方をしていたが、彼は加害者側なので当然だ。では、被害者である母親の指紋が何故そのような形で残っていたのだろうか。勿論、死んでからのではなく、生きていた時の指紋である。
二つ目に、殺害現場についてである。
息子の証言では、ソファーに横になっていた母親を殺害したとの事だったが、どうやら違う場所で殺害し、その後ソファーに移動させたことが判った。実際には、階段を上がった二階の廊下で殺されたものとみられる。廊下は綺麗に拭かれていたが、鑑識の結果、ルミノール反応がそこにあったからだ。
どうして息子はそのような偽装工作をし、嘘の証言をしたのだろうか。捜査を撹乱させるために犯人が行うことはあるが、 今回、本人は自主しているし意味がない。どうやら、彼は何かを隠し真実を話していないようだ。
そして、マスコミがどう嗅ぎ付けたのか、彼の父親に関しての衝撃的スクープを公表した。
見出しは、『殺人は遺伝するのか!!』というものだった。
当時彼は小学一年生で幼かったこともあり、本人は真実を母親から明かされていなかったようだが、父親は女子高生連続殺人の犯人だった。
父親は四人目の被害者をだした後、帰りの山道でハンドル操作を誤り、ガードレールに突っ込み、車ごと炎上し帰らぬ人となった。
その車の焼け跡から、四人目の被害者である女子高生の携帯が発見された。正しくは携帯ストラップで、それはレア物らしく持っていた人は限られていたので、分かったようだ。
だから、その父親の血を引く息子にもそういった願望があり、身近な母親を殺してしまったのではないか、という展開の記事が載せられていた。