完全なレースとあきらめない思い
ダッチTT予選は、シャルロッタがトップ、スターシア二位、エレーナ三位、そして愛華が四位のタイムを記録して、今シーズン初のストロベリーナイツによるフロントロー独占で、本来の強さを見せつけた。
二流に終った元ライダーの解説者やオタクファンなどは、アッセンのコースがスミホーイのホーム、ツェツィーリアの滑走路を使ったテストコースと同じようなアップダウンのないフラットなコースなので有利だとしたり顔で解説している。それも間違いではないが、ライバルチームのライダー、監督などと一部のベテラン記者の間では、フロントロー独占より、愛華の走りの違いが噂になっていた。
愛華は決して上手いライダーではない。かつてエレーナがそうであったように、経験の少なさとテクニックの未熟さを、オリンピックレベルと言われる並外れた運動能力で補っている。それはそれで驚異的なのだが、どうやら一流のライディング感覚まで身につけたと目された。これはライバルチームにとって、とてつもない脅威である。
カタロニアGPで見せた、シャルロッタとの最下位からの追い上げたときに気づいた者もいたが、アッセンに入ってからの練習走行と予選の走りを見て、それが本物である事を確信した。
パドックの内と外の温度差は、実際よくある。本当に強いチームは自分たちの優位性を敢えて説明する必要はないし、ライバルチームは厳しい状況を隠したい。その逆の場合もある。それに贔屓のフィルターがかかり、重要な事実を隠したまま配信されていく。テレビやネットでしか情報を得られないファンは、本当は何が起こっているのかわからなくても、結果として辻褄が合えばそのまま信じ込んでしまうケースもよくある。彼らにとって、それが然程大きな問題になる事もないのでどうでもよいのだが。
決勝でも、ストロベリーナイツの好調は続き、スタートで愛華がとび出し、エレーナとスターシアも燃費を気にせず、ハイスピードで引っ張る展開となった。
バレンティーナとフレデリカが食らい付こうとするが、四人の息の合ったチーム走行に歯が立たない。
ブルーストライプスとケリーも、互いに利用しながら追うが、バレンティーナ、フレデリカの前になかなか出られず、ようやくシャルロッタの背中が見えた時には残り五周を切っていた。
残り四周でエレーナとスターシアのペースが落ちたので、ハンナたちは僅かな希望をもって追い上げる。遅れ始めたエレーナ、スターシアは、これといったブロックはせず、すんなり通してくれた。二人とも、若いエースとアシストを信頼して、自分たちは完走を目指しているようだ。
信頼を受けた愛華とシャルロッタがラストスパートに入ると、届きかけていた背中がみるみる遠ざかっていく。
二人は、あのスピードの中でも力を温存していた。
やっとの思いで追い上げてきたハンナたちとケリーには、もうそれ以上ペースアップする力は残っていなかった。
アレクセイの最も危惧していた展開、完璧なストロベリーナイツペースのレースを妨げられなかった。完全な負けだ。
それでもハンナはすぐに頭を切り換えた。
(レースはまだ終わっていない。なんとしてもラニーニを表彰台にあげたい)
レースは既に最終段階に入っている。前の二人に思わぬアクシデントかメカニカルトラブルでもない限り、このレースの負けは明らかだ。それでもまだポイントではラニーニがリードしている。この先のタイトル争いを考えれば、表彰台だけは是可否でも確保しておきたい。最初からわかっていたことだが、ここまで利用し合ってきたケリーをなんとかしなくてはならない。
それはケリーにとっても同じだった。ケリーは逸早くターゲットを、ストロベリーナイツからラニーニに切り換えていた。
「ラニーニさん、シャルロッタさんたちには、もう追いつけないわ。ここからはケリーとの勝負よ」
ハンナが呼び掛けたが、ラニーニは全力で前の二人を追い続けた。
ラニーニは、駆け引きとかポイント計算などとは別の思いを抱いていた。
ハンナに逆らう意思はない。ただ諦めたくない強い気持ちが、速く走ることだけに駆り立てる。
(たとえ届かなくても、諦めたら負けだから)
(誰に?)
(シャルロッタさん?)
(違う、アイカちゃんが遠くにいっちゃう)
勝ち負けというより、愛華に背を向けたくない。愛華なら、どんな時も全力で走るはずだと思った。
(そんなアイカちゃんだから格好いい。だからわたしも全力で走る!それでケリーさんに負けるなら、わたしの力が足りなかったってだけだから)
ラニーニがチームの動きに同調しなかったことに一番驚いたのはケリーだろう。リンダとナオミには、ラニーニの気持ちがわかっていた。ハンナも「仕方ないわね」とつぶやき、ラニーニとケリーの後を追う。セオリーとは違っても、思いは時に大きなパワーとなる。ハンナはそれを信じた。
ケリーにとっては願ってもない。四人相手に苦戦を覚悟していただけに、向こうから単機勝負の状況を作ってくれた。それどころか、ラニーニはこちらをまったく気にしていない。隙だらけだ。
ひたすら最速ラインを辿るラニーニのインに、ケリーが頭を突っ込む。完全にパス出来るタイミングであったが、ケリーは一旦下がる。一応ここまで利用させてもらった義理のつもりか『私はここにいる。あなたの相手は私よ』と軽く挨拶をした。
しかしラニーニは、ケリーに目もくれず、自分の走りを崩そうとしない。
(まっすぐな子みたいね。若さの特権というものかしら。でもレースというのは相手がいるものよ。ちょっと失礼なんじゃない?)
ケリーはもう一度インを刺し、今度は完全に前に出るが、立ち上がりでラニーニが弾き出すように再び抜き返した。
まるで邪魔者扱いするようにゼブラまで押しやられたケリーは、最初のアタックで一対一なら容易いと考えていたのを改めた。
データベースにあるラニーニとは違う。この子は強い。
(バレンティーナったら、こんないいライダーをアシストにしておきながら、なにやってたのかしら?それとも潰そうとしてたの?どっちでもいいけど、私も本気でかからないと負けるわね、これ)
残り二周を切って、ケリーの本格的なアタックを受けるラニーニを、後方のハンナたちは、見守るしかなかった。ペースが速い上に、ケリーのアタックが激しすぎて迂闊に割って入れない。後ろからケリーを牽制するが、彼女もラニーニ以外眼中にないように引っ掛からない。
何度かケリーが前に出たものの、すぐにラニーニも抜き返すを繰返し、最終ラップに入った。ケリーのアタックは、一段と激しさを増したが、ラニーニもその度、前に出る。
ブロックを固め、ペースを落とせばチームメイトの援護が得られるのにそうしないラニーニに、観客席から声援がとぶ。観客の興味は、トップがほぼ確定したシャルロッタと愛華より、ラニーニとケリーの三位争いに注がれていた。
(バレとは随分違うわね。あたりまえだけど、一言でイタリア人と言っても、いろんなタイプがいるのね)
それは仕掛けているケリーでさえも感心するほどのひたむきさだった。愚直に速く走ろうとしている。
そして最終コーナーの最後のアタックを、立ち上がりで弾き返すラニーニの眼にケリーの姿は映っていなかった。その瞳には、ストレートの彼方でトップチェッカーを受けるシャルロッタと愛華の姿を最後まで追っていた。
屈辱であるはずのケリーだったが、意外と清々しい気分だった。チーム内のゴタゴタにうんざりしていた彼女にとって、ラニーニの純粋さが輝いて見えた。
(私の調子もマシンもようやく良くなってきたっていうのに、とんでもない時代にカムバックしたみたいね)
ラニーニがランキング首位にいるのは、チーム力と運だけに依るものでなく、それに相応しい実力を備えたライダーだと、ケリーは認めた。