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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
98/398

バイクの乗り方と天才について

 オランダ、アッセンで開催されるオランダGPは、現在行われているGPでは最も歴史あるコースであり、唯一GP創設時から開催されているコースであった。一般的には、オランダGPでなく、当時からの呼び名『ダッチTTツーリストトロフィー』で親しまれている。

 ここが異例なのは、決勝が日曜日でなく、土曜日に行われる事だ。以前は公道を閉鎖して行われており、コース近くの教会の日曜礼拝への配慮からという、商業主義に染まる前の伝統を残したグランプリレースである。


 サーキット入りも当然一日早く、怪我のリハビリを続けていた愛華には恨めしかったが、ドクターチェックは無事にパス出来た。

 たった一週間半であったが、愛華にとってバイクに乗れない期間は辛かった。特にカタロニアのレース中に感じた感覚が特別だっただけに、リハビリと筋トレ、そしてイメージトレーニングは続けていたが、実際に乗って試したくてたまらなかった。


 ようやくのフリー走行。期待と不安の入り交じった気持ちでバイクに跨がる。

 イメージよりバイクが重く感じられたが、走り出してしまえばむしろ軽く感じる。手首の痛みはない。

 ゆっくりとコースを廻り、頭に入っているコース図と何度も繰返し観た昨年のエレーナ車載カメラの映像との違和感をチェックする。

 少しずつ感覚のずれを修正しながらペースを上げていく。

(大丈夫、イメージ通りに走れる)

 あの時のように、マシンの細部の動きまで伝わってくる。サスペンションの動きも、タイヤの粘る感触も感じる。

 力のベクトルが、体を通して把握できた。どこにどれくらい力を加えればいいか、感覚でわかる。余計な力が抜けていく。どこまでも思いどうりに操れる気がする。


 愛華は調子にのって、どんどんペースを上げていく。初めてのコースなので、どれくらい速くなったかは判らないが、けっこうなタイムが出ているはずだと思った。それでも全然不安がない。

(もしかして、すごいタイムが出せるかも?)

 そのまま自然に、全力に近い領域までペースを上げていった。


 カタロニアでのレース中に味わった、景色がスローモーションに流れるような不思議な感覚は再現されなかったが、一度体験した感覚とタイミングは身体が覚えていた。それまでとは異次元なライディング感覚になった気がする。

 少し前までいろいろ悩んでいたことも、台風のあとの青空のように不安が消えた。まるで三段階ぐらいレベルが上がったみたいだ。


 タンクに三分の二ほどしか入っていなかった燃料が残り少なくなって、タイヤもダレはじめてきたので、愛華はピットへ向かった。


(もしかして、わたしのタイムみてみんな大騒ぎしてるかも?シャルロッタさんもびっくりのタイムだったりして)

 ピットレーンをゆっくり走りながら、愛華にしては珍しく傲慢な妄想までしていた。


 しかしピットに戻ってモニターを見た瞬間、やはり自惚れだったと思い知らされた。シャルロッタのタイムは、いつものように愛華より上にあった。エレーナやスターシアのタイムは上回っていたが、彼女たちがまだ本格的に攻めていないのは明らかだ。つまり以前とあまり変わっていない。


(そんなに甘くないよね……)

 ちょっとがっかりしていた愛華のところへ、スターシアも戻ってきた。

「アイカちゃんついに見つけたわね、自分の走りを。バイクと一つになって自由に羽ばたいてる、って感じでした」

 愛華を見つけるなり、いきなりスターシアはタイムもチェックせず、べた褒めした。

「わたしもそんな感じがしたんですけど……、でもタイムは大したことなくて、ちょっと落ち込んじゃいました」

「あら、そう?でもタイムなんてそんなに極端に変わるものじゃないから。でも見ればわかるわ。アイカちゃん、バイクの乗り方に気づいたって感じがしたもの」

 なんだかスターシアさんに慰められている気がした。

(今までのわたし、バイクの乗り方知らなかった、ってことなのかな?確かに今日の感触知ったら、そんな気がするけど)

 とは言え、愛華担当メカニックのミーシャくんは特に何も言ってくれなかったし、チーフメカニックのニコライさんも、手首の具合は心配してくれたが、ライディングに関しては何も言わなかった。

 ミーシャは愛華にライディングのアドバイスをよくしてくれていた。

(やっぱりスターシアさんは慰めてくれているだけなのかな)


 ちょうどエレーナもピットに戻ってきて、スターシアと同じようなことを言ってくれた。

 愛華には、なんだかよくわからなくなった。

「どちらかと言えば、意識の問題だからバイクに乗ってる人間にしかわからない。いや乗っている者でも、その感覚を掴んだ者以外はわからないだろうな。以前のアイカがそうであったようにな。だがわかってる者から見ればすぐにわかるぞ」

 エレーナの言ってる意味が、いまいちピンとこない。

(それって、褒められてるの?慰められてるの?ダメならダメって言って欲しいよ)

「よく見てみろ、タイムにも表れている。午前のフリー走行で1分42秒台を出しているのは、アイカとシャルロッタだけだ」

 愛華の戸惑う様子に、エレーナはわかりやすく説明しはじめた。

「それはそうですけど、他の人たちはまだ本気で走ってないからですよね。シャルロッタさんだって、ホントの本気になったら、つき離されるのは確実です」

 愛華はまだ素直に受け止めれなかった。あまりにしょんぼりしていたのでエレーナが気を使ってくれてると思った。

「アイカも全力だったわけではないだろう?シャルロッタが42秒台を記録したのはワンラップだけだが、アイカは途中からずっと42秒台後半から43秒前半をキープしている」

 そう言われて、もう一度自分のラップタイム表を眺めた。実はかなり全力に近いスピードで走っていたのだが、それは言えなかった。それでもこれだけタイムが揃っているのは、自分でもちょっと驚いた。流しているライダーを避けたりして、思うようなラインを走れなかった周回もけっこうあったはずだ。


「わたし、本当に上手くなったんですか?」

「自分が一番よくわかっているはずだ。今までと全然違っただろ?」

 全然違っていた。よくシャルロッタは、タイヤの接地面を足の裏と表現するが、今ならその感覚がよくわかる。勿論シャルロッタの繊細さには及ばないだろうが、前は変なこと言う人としか思わなかった。

「まあ他のクラスのフリー走行もよく見てみるといい。速いライダーが上手いライダーとは限らないし、タイムの出ていないライダーが下手ではない。だが、バイクに乗れるライダーと、乗らされているライダーの違いが、今のアイカならすぐ見抜けるはずだ」

 つまりはタイムというのはGPに出場するほどのレベルであれば、それほど差はつかない。マシンやタイヤ選択にも左右される。特に一発のタイムなら、ツキもあるし、度胸一発で決まる時もある。しかしそれ以上のライダーになるには、わかる人にしかわからない『何か』が必要ということだ。

 体操競技やフィギアスケートなどの採点競技にも、素人にはわからない違いが明確にある。それと同じようなものといえる。もっとも最近は不正な採点疑惑とそれに対処するように明確な採点規準というものが出来て、却って本筋を外れてしまう傾向もあったりするからややこしい。本物は理屈でなく、ひと目でわかる。


(それをわたしは掴んだってことかな?エレーナさんやスターシアさんが見てわかるんだから、本物なんだよね、絶対!)


 愛華は急にうれしくなった。バイクってのは奥が深い。ずっと悩んで努力しても出来なかったことが、ちょっとしたきっかけで出来るようになる。そして上手くなる時は、突然上手くなっている。これで完璧だと思ったら、また壁に突き当たる。それの繰返しだ。

 でも新しい発見がある度に、バイクをもっと自由に操れて、ライディングが楽しくなる。

 愛華はまた一つ、エレーナたちに近づけた気がした。


 ちょうどそこへ片方の眼だけカラーコンタクトを入れたシャルロッタがやってきた。

「ちょっとアイカ!あんた下僕の分際で、あたしより先にエレーナ様に口聴くんじゃないわよ」

 勝手にシャルロッタが遅かっただけだが、彼女に理屈は通じない。そしてエレーナも反射的に行動する。

「おまえ、またコンタクトして走っていたのか!カラーコンタクトは禁止と言ったはずだろ」

「まって!ちょっとまってくださいエレーナ様!これは今入れたんです。走ってる時はちゃんとはずしてました!」

 カタロニアの一件で、シャルロッタはエレーナから走行時のカラコン禁止を言い渡されていた。それを守ってフリー走行では本当にカラーコンタクトをつけていなかった。それでも走り終えてヘルメットを脱ぐとすぐコンタクトを入れたらしい。シャルロッタ担当のセルゲイに伺うと、彼は少し笑って頷いた。コンタクトしてもしなくても、めんどくさいシャルロッタである。


「シャルロッタさん!わたし、シャルロッタさんの言ってた意味、少しわかったかも知れません」

 エレーナからのお仕置きを寸前で免れたシャルロッタに、愛華は自分がレベルアップしたことをどうしても話したくなった。

「へ?なんの話?」

「足の裏です!タイヤが足の裏みたいに感じたんです!路面の感触がわかるようになったんです」

「なにそれ?ふつうわかるでしょ。自慢するところ?」

 シャルロッタの態度は素っ気なかった。ナチュラルに不思議そうだった。

「アイカ、シャルロッタに話しても無駄だ。こいつは特別で、生まれた時からバイクと繋がっている化け物だ」

「エレーナ様!酷いです。あたしは化け物ではありません。チェンタウロの末裔です」

「そうだったな。どっちでもいいが、こいつにとってはそんな感覚に気づく経験などなかったろう。最初からあたり前に備わっていたんだからな」

 シャルロッタには、バイクに乗るのは歩くのと同じ感覚だ。いちいち感触を確かめるまでもない。そしてそれがあたり前だと思っている。

「そうでした……。わたし今までなんとなくとしか路面の感触とかわかっていなかったんで、シャルロッタさんの話、たぶん半分もわかっていなかったと思います」

 愛華にとって、シャルロッタはやはりとてつもない天才に思えた。

「ちょっと!あたしの偉大さがわかったのはいいけど、あんた、今までなんとなくしかわからないであんな走りしてたわけ?」

 シャルロッタにとっても、愛華の底知れぬ才能に恐怖するのであった。


『天才が優れた指導者にはなれない』とは、おそらくこういう事だろう。


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― 新着の感想 ―
[一言] 知らないうちに天才は理解している⁈
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