表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
95/398

チェッカーフラッグ

 最終コーナーが勝負の分かれ目となるのは、誰にでもわかっていた。

 エレーナはコーナーでのアタックを、尽く跳ね返してきた。ラニーニが優位に立てるのは、ストレートだけだ。ラニーニは最終コーナーをストレートへの加速優先のラインでくるはずだ。ストレートのちょうど真ん中にあるフィニッシュラインで前にいるには、最終コーナーの脱出がポイントとなる。同じ速度で最終コーナーを抜ければ、体重が軽く、エンジンも好調のラニーニの優勝は確定的だろう。ラニーニにとって、それが最も安全で確実な勝ち方である。


 エレーナは、極力速度を落とさないラインでコーナーに進入していく。

 最後のストレートでスロットルを全開するために、ひたすら我慢して燃料を節約してきた。最終コーナーは、ラニーニの得意なコーナーとは言い難い。コーナーリングスピードで、出来る限りアドバンテージを稼ぎ、あとはフィニッシュラインを跨ぐまで混合気をシリンダーに送り続けてくれる事を祈るだけだった。


 さすがのエレーナも、ラニーニが進入でインを刺してきたのには意表を突かれた。

(っ!敢て進入で挑むとは、なかなかいい根性しているじゃないか)

 一瞬驚いたがエレーナも動じない。そのまま最速ラインを維持する。

 ラニーニが先にクリップポイントにたどり着き、エレーナの目の前でラインを交差させる。

 ラニーニのステップが路面に擦れて、火花がシールドにまで飛んでくる。並のライダーなら一瞬でもブレーキレバーに掛かった指に力が入ってしまっただろう。しかしエレーナは一切怯まず、フルバンクでクリップを掠め、マシンを起こしながらアクセルを開く。リアタイヤから摩耗したゴムカスが剥がれ散る。

 不安定にマシンを揺らしながらも、スロットルを弛めず加速するエレーナは、再びラニーニの前に出た。


 今度は逆にエレーナのリアタイヤから飛んでくるタイヤカスを受けながらも、ラニーニも旋回から加速へと移っていた。

 最終コーナーでは抜けなかったが、まだ終わっていない。まだリアタイヤの暴れるのが収まらないエレーナの背をめざして、グリップが捩れるほど力一杯スロットルを捻った。


 エレーナのマシンは、まだ完全に直立しておらず、アウト側へと膨らみ続けていたが、ラニーニはエレーナのアウト(左)側を狙って加速した。コーナー途中から、ラニーニの方が外側まで膨らんでいたため、イン(右)側へとラインを変更するにはロスがある。

 体重とマシンの調子の差で、徐々にエレーナに近づく。エレーナと左側コースサイドの僅か90センチほどの隙間にフロントを入れる。エレーナは押し出そうとする動きは一切しなかったが、空けてくれるはずもない。

 エレーナのリアタイヤが、小刻みに震えている。真横から見れば、溶けたゴム片だけでなく、トレッドまで剥がれているようにも見える。マシンはすでに直立していたので、それほど負荷は架かっていないはずなのはわかるが、恐怖心が沸き起こる。


(見たらダメ!前にシャルロッタさんと競り合った時も、わたしが頭を起こしてシャルロッタさんを見たから負けた。早く駆け抜けることだけに集中!)


 エレーナさんのマシンの事は、エレーナさんが一番よくわかっているはずだから、心配ない。エレーナさんが他人を巻き込むような危険な真似はしないと信じて三速にシフトアップ。ひたすら体を小さく縮めて、コース脇に引かれた白線を頼りに、数メートル手前の路面だけを視界に四速にシフトアップ。

 エレーナの排気音が、真横から後ろへと移動していく。もう並んでいるはずだ。視線を動かすことすらロスにつながるような気がして、ラインだけを追って五速に上げる。

 隣の排気音が消えるのと、フィニッシュと思えるラインを横切ったのは、ほぼ同時だった。



 エレーナは、ガソリンをに送り込むポンプが空気しか吸わなくなったと感じた瞬間、クラッチを握った。最後のガスがマフラーから吐き出されるのと、チェッカーフラッグが降り下ろされるのは、ほぼ同時だった。

 鼓動を止めたエンジン音に代わり、エレーナの鼓膜に歓声が圧し寄せるてきた。惰性で進みながら、コントロールタワー上の大型スクリーンを見上げるが、順位はまだ表示されていなかった。




 愛華とシャルロッタの方は、最終ラップに入りシャルロッタのペースがやや落ちてきたので、愛華が前に出ていた。ゴールまであと半周、愛華は前をいく四台の集団を捉えた。この集団を抜けば、シャルロッタを一桁入賞に入れられる。

 愛華は、シャルロッタすら驚くようなコーナーリングスピードで、あっという間に四台をかわした。


 愛華は、手首の痛みも疲労も転倒の恐怖も感じていなかった。それは裏を返せば危機的状況とも言えた。


 痛みや疲労、恐怖心といった感覚は、危険を知らせる警鐘でもある。

 警鐘が間に合わない状況に陥ったらどうなるか、或いは警鐘を無視したら?


 リミッターがはずされる。

 例えば人類の祖先が天敵に襲われたとして、たとえ片腕を失っても痛みを感じてる暇はない。生き延びるためには、闘うか逃げるしかない。心臓は少しでも多くの血液を送り込もうと限界まで脈打ち、腱が断裂するまで筋肉は収縮を続ける。

 先祖たちは極限状況で身体の一部を失っても、命だけは守ろうとしてきた。現代人であっても、極度な苦痛や疲労や緊張に直面すると、そのシステムが働く。

 スポーツの世界でも、激しい競技中や練習中に、選手がこのような状態に入る事があるのは知られている。愛華が今、まさにその状態だ。


 競技者にとってネガティブな要因である痛み、疲労、恐怖などが消失し、すべての血流と筋肉、脳活動が競技力に動員されるのだから、競技者としては理想でもある。一部の競技者や軍隊などでは、薬物投与によってこのような状態になろうとするケースもある。

 しかし、いくら理想とはいえ、安全装置が外れた状態であることを忘れてならない。

 市販車のエンジンが壊れ難いのは、壊れるまで回らないようプロクラムされているからだ。レーシングエンジンであっても、瞬間的なパワーだけを求めるなら、限界まで引き出せるようプロクラムすれば、より大きなパワーが得られる。ドラッグレースなどで、ゴールした途端エンジンブローというのはよくある。

 能力の限界まで使えるという事は、身体の限界まで使ってしまっう事でもある。



 愛華が最後のストレートに入ってゴール手前でスッと減速したのを、シャルロッタは自分が先にゴールするために譲ったと思った。

 愛華のおかげでここまで来れたことに、いつもの上から発言も出てこない。今日の主役は、自分じゃない。愛華が先にチェッカーを受けるべきだと思ったが、自分が1ポイントでも多く獲得出来るように頑張ってくれた愛華に応えねばならなかった。

 愛華に並び「ありがとうね」の言葉が自然に口をついた。

「……」

 愛華はなにも返さなかった。

 シャルロッタは九位でフィニッシュラインを越え、もう一度愛華に近づく。愛華は呆然とバイクに跨がっているだけという感じで、惰性で走ってるように見えた。

「ちょっと、あんた大丈夫?」

「あっ、シャルロッタさん……優勝おめでとうございます……疲れましたね」

「しっかりしなさいよ!あたし優勝してないから。ちょっと!なに寝てんの!バイク停めなさいよ!」

 シャルロッタは、力が抜けかけている愛華の背中を叩いて、意識をはっきりさせようとする。

「なんかゴールしたら急に手首痛くなってきましたぁ。それにとっても疲れましたぁ」

「なにやってるのよ、もう。痛かったらやめなさいって言ったでしょ」

 更に強く背中やヘルメットを叩きながら叱咤し、なんとか意識を保たせピットレーン出口のところまで誘導した。ちょうどガソリンの欠れたエレーナとニコライも駆けつけたところだった。二位以上が確定しているエレーナのマシンは、車検が済むまでメカニックも触れないので、ガードレールに立てかけていた。

「シャルロッタ、おまえアイカにまで暴力振るっているのか!?」

「ちがいます!なんでもあたしを悪者にしないでください。それよりアイカがおかしいんです」

「おかしいのは、おまえだろ、っ!」

 ガシャン!

 愛華が、クラッチも握らず止まろうとしてエンストし、立ちゴケのようにバイクごと倒れた。ニコライが慌てて駆け寄る。バイクをよけて、エレーナも愛華を助け起こそうとしたが、ぐったりと気を失っていた。




 写真判定の結果、優勝はエレーナと発表された。ラニーニが写真判定に泣くのは今シーズン二度目となる。GPで写真判定に持ち越される事自体稀である上、二回とも敗者となるのは悔しい。GP

 オブ アメリカでは、ゴールの瞬間に自分でも負けがわかっていたが、今回は公式なアナウンスがあるまで、気が気でなかっただけに尚更である。

 フルフェイスの中で悔し涙を浮かべながらウィニングランをするラニーニに、観客は惜しみない声援を送った。それは勝ったエレーナがウィニングランを回れなかった代わりではなく、ラニーニとブルーストライプスの健闘を心から称えるものだ。天才やスーパースター相手に、チーム力で互角以上の戦いを魅せた彼女たちは、Motoミニモの可能性を示してくれた。

 ケリーにかわされ、四位になったハンナと七位、八位でフィニッシュしたナオミとリンダも、ラニーニに追いつき「よく頑張った」と称えてくれた。

「でも、わたしっ、負けちゃいました、っ、ごめんなさい、っ」

 鼻をつまらせ、涙声で謝るラニーニに、チームメイトが並走する。

「エレーナさんをあそこまで追いつめたんだから、胸を張りなさい」

「もう少しレースが長かったら勝っていた。続きは次のレースで」

「これでランキングも、首位独走だし、ラニーニは私たちのスーパーエースだよ」

 ハンナ、ナオミ、リンダの順で元気づける。

 本来、『負けても満足』『~だったら、~れば』『次に期待』というのは、勝負の世界では禁句である。しかし今日のラニーニなら許されるとハンナは思った。

 ラニーニは負け犬じゃない。


 その後、ラニーニはゆっくりとウィニングランをしながら親友の愛華を待ったが、見当たらなかった。ピットのウイナーズエリアにマシンを入れて初めて、愛華がゴール直後、意識を失って医務室に運ばれたのを知った。大したことはないと聞かされても、インタビューをすっぽかして医務室に飛んでいった。



「いいから大人しく寝ていろ!」

 エレーナの声が聴こえた。ラニーニがノックしても、誰も応えない。そっと中を覗くと、エレーナとシャルロッタが、愛華をベッドに抑えつけようとしていた。

「だからもう大丈夫ですって。あっ、ラニーニちゃん!」

 ラニーニに気づいた愛華が、右手をふる。左手はギブスで固定されていた。一応元気そうで安心する。

「大丈夫?」

「うん!ちょっと疲れただけ。あっ、左手は朝ジョキング中にコケちゃったの。でもぜんぜん大丈夫だから」

「骨にひび入ってるのに大丈夫じゃないでしょ!そんなんでよくあんな走りできたわね」

 コンタクトにゴミが入って半泣きだったシャルロッタが呆れて言う。

「ひび入ってるんなら、大人しくしてなきゃ」

「平気だよ、こんなの。べつに頭とか打ってないのに安静にしなさいとか、みんな大袈裟だよ」

「頭打ってなくても、気を失なうまで力を使い果たしたんだ。念のためにしばらく寝ていろと言われたろ」

 エレーナが力づくで寝かせようとする。

「それより二人とも表彰式はいいんですか?」

 愛華はなんとかベッドから逃げ出したい。

「あっ、インタビューも抜けてきたんだった」

 ラニーニは元気そうな愛華に安心したら、いろいろすっぽかしてきたことを思い出した。

「一位と二位がここにいる。始めたくても始められないだろうから心配するな。アイカは大人しく寝ろ」

 さすが女王、余裕である。

「奇跡の追い上げしたあたしまでいなくちゃ、始まらないでしょうね」

「「「九位は関係ない!」」」

 シャルロッタ以外の三人の声がハモった。


 表彰式より、自分のことを心配してくれる人たちに囲まれて、愛華はやっぱり怪我しちゃダメだよね、と思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ランナーズハイの成れの果て(失礼)。 チョットかわいそう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ