意地とプライド
レースは残り五周となり、シャルロッタたちは現在20位辺り、トップから50秒遅れまで追い上げていると、サインボードで知らされた。
残り十五周の時点で1分40秒の差であったので、たった十周で50秒も詰めた事になる。本当に一周5秒も縮めてくるとは驚きであった。
このペースならポイント圏内も夢ではない。
エレーナとスターシアは、巧みにレースをコントロールしていたが、さすがにこれだけの相手を抑え続けるのは困難になってきていた。
露骨なブロックは、レース妨害と見なされ、せっかくのシャルロッタと愛華のポイントまで無効にされかねない。無理なライン取りとブレーキキング、加速争いを続けるのは、燃費にも響いてくる。
「スターシア、残りのガスはもちそうか?」
「メーター表示ではぎりぎりもつかもたないか、って感じでしょうか。誤差を考えると危ないかも知れません。ブロックして走るのは、意外と燃費悪いですから」
エレーナのマシンも同じような状況だった。
ヤマダ勢とブルーストライプスは、残り少なくなるに従い、追い込みに激しさが増してきている。このままいけば、最終ラップまでに、熾烈なバトル同士なるだろう。
その時ガス欠では、目も当てられない。
「シャルロッタとアイカにだけ目立つ活躍はさせられん。我々も効率的な走りに切り替える。タイミングを計って、合図してくれ」
ここで言う効率的な走りとは、いわゆるエコな走りとはちょっと違う。無駄な動きを省き、スリップストリームを使い合って、効率的に速く走る事である。二台でペースを上げて、後続のふるい落としを仕掛ける作戦だ。
「アイカちゃんを待っててあげたいところですけど、レースなので仕方ありませんですね」
見棄てる訳ではない。そう言っておきたかっただけである。
シャルロッタと愛華の追い上げは、驚異的ではあったが到底トップグループに追いつけるものではない。それがわかった上で、自分たちの成すべき事は、奇跡を願うのではなく、ポイントリーダーのラニーニ、巻き返しが予想されるバレンティーナ、ケリーの上位ポイント獲得を阻む事である。
そしてそれを、誰にも文句を言わせない形で勝ち取るのが、エレーナの戦い方だ。エレーナの戦い方なのだ。スターシアは心の中で二回繰り返した。
「このままゴールまで抑えきったとしても、ラニーニさんを勝たせないためだけに前を塞いでいたと知ったら、アイカちゃんに恨まれますからね」
スターシアは、いつも愛華にやさしい、愛華を思うお姉さんなのだ。
「シャルロッタのバカも逆ギレするだろうな。あいつのそういうところは、私も嫌いではない」
シャルロッタを嫌いではないと言った。『エレーナさんは、あくまでもシャルロッタさんを心配していましたよ』と二人に教えてあげようとニンマリするスターシアであった。
「いい加減、退きなよ。おたくらのエースはずっと後ろなんだから!」
「あたいはもっと速く走りたいの!邪魔しないで!」
バレンティーナもフレデリカも、シャルロッタ脱落以降完全に抑えられて相当イラついていた。このままずるずると終わってしまいそうな流れに焦り始めている。
焦りから、強引なラインでインを刺してくる。一旦はスターシアの前に出るが、明らかなオーバースピード。コーナー奥で詰まり、立ち上がり体勢に移行するのが遅れる。
それを待っていたかのように、スターシアが一気にフル加速してスパートをかけた。
「エレーナさん、遅れないでください!」
「ちっ!合図しろと言ったろ!」
エレーナは文句を言いながらも、きっちりタイミングを合わせてスターシアのスリップに入っていた。
「『ぼー』っとしてないでください。私のダッシュが合図です」
慌てるバレンティーナとフレデリカを尻目に、信頼しあっているからこそ許される口論しながら引き離しに掛かる。
二人のスパートに逸早く反応したケリーであったが、思わぬ障害に追い込められる結果となった。
エレーナとスターシアの動きから、スパートを予測していたケリーは、バレンティーナとフレデリカが無理なラインでインに進入する時点からスターシアのタイミングに合わせていた。
あまりに完璧なダッシュに一瞬遅れ、エレーナが間に入られるのは許したものの、すぐ背後のポジションをキープしたまでは良かった。しかし、立て直したバレンティーナとフレデリカが、まるで「あなただけ先には行かせない!」とばかりにケリーにアタックしてきたのだ。
二人には、ケリーがわかっていながら、自分たちを陥れたように映った。
同じヤマダでありながら、むしろ同じヤマダゆえにライバル意識は過剰になる。
特にバレンティーナは、自分こそ真のヤマダのエースだとのプライドがあった。なのにイタリアGPの事件以降、微妙な立場に立たされていた。
バレンティーナを持ち上げていたヤマダの重役たちさえ、ケリーを推し始めている。企画されていたバレンティーナカラーの市販車発表も見送られた。
自分がエースである事を、はっきりと実力で示さねばならない。ケリーに先を越されるのだけは許せなかった。
イラつきが最高潮に達していたタイミングで、ケリーにまで出し抜かれた形になってしまった事に、怒りの矛先は、ケリーに向けられていた。
バレンティーナほどではないにしろ、フレデリカも自分の思い通りに走るのに、お堅いケリーの存在を疎ましく思っていた。威張りくさったバレンティーナにも、一番速いのは誰かを思い知らせてやりたい。
「落ちつきなさい!あなたたち、エレーナに乗せられてるのがわからないの」
エレーナは、確かに身内同士で潰しあってくれれば楽だと思っていたが、そこまで仕組んだつもりはない。
熱くなっているバレンティーナが勝手に嵌まってくれて、ケリーとフレデリカを巻き込んだだけだ。その上ケリーの話すらまともに聞かず、逆に屈辱的な要求をする。
「それならヤマダ勝利のために、エースのボクをサポートしてくれるんだよね」
ケリーにも意地がある。イタリアの小娘にサポートしろと言われて、「はい、します」と了承出来る筈もない。今乗っているマシンを作ったのは自分だ。
計らずも、ヤマダ同士の仁義なき競争が始まった。
ケリー同様、エレーナとスターシアのスパートに反応したハンナ率いるブルーストライプスだったが、フレデリカと絡み、出遅れてしまっていた。
ハンナにとっては、無秩序に暴れまわるヤマダ勢が潰しあってくれるのは有り難いが、目の前でやられたのではかなわない。このままではエレーナたちに逃げられてしまう。かと言って、このレースそっちのけでバトルしている三台の間をすり抜けるのも危険だった。
しかし躊躇している暇はなかった。一旦引き離されてしまうと、ゴールまでに追いつくのは困難になる。
最後の勝負の時まで温存していたかったが、自分が楯になるしかない。ハンナの仕事はラニーニを優勝させる事だ。最後まで守り、見届けたかったが、ここで引き離されては元も子もなくなる。ハンナは先頭で共食いをするヤマダ勢の中へ飛び込もうとした。
しかし、ハンナの先を越して、二台のジュリエッタが彼女の前に躍り出ていた。リンダとナオミである。
「私たちが道を開きます!後ろから指示してください」
彼女たちの敵う相手でないのはわかっていた。彼女たちはここでレースを終える覚悟だろう。少なくとも、トップを争う集団からは脱落する。それはハンナも同じ覚悟をしていたことだ。
「あなたたち、ここでレースを終えるつもり?」
「ハンナさんは最後までラニーニについていてやってください。私たちではエレーナさんたちに勝てませんから」
「バレンティーナの癖なら私たちの方がよく知ってるし」
確かにバトルの中にいるより、後ろからの方が全体を把握しやすい。昨年まで同じチームだった二人の方が、バレンティーナの走り方も知り尽くしていると思われた。逆にエレーナについては、ハンナの方がよく知っている。
エレーナたちに勝てるかと言われると、正直難しい。しかし迷っている時間はなかった。
「ラニーニのことは任せて。次のレプソルで三台のインに割り込んで。でもあなたたちも必ず完走めざすのよ」
躊躇する時間だけ、二人の思いを無駄にする事になる。噛みつき合う狂犬の鎖の届く範囲内に飛び込ませるのは心苦しかったが、ハンナは高速コーナーを抜けた次に迫る180度コーナーの『レプソル』で二人にアタックさせる指示をした。
「リンダさん、ナオミさん、申し訳ありません。気をつけてください」
ラニーニは自分のために、あの三台に割り込んで道を開こうとしてくれる二人に詫びた。
「なに謝ってるの?アシストなら当然の仕事だよ」
リンダがベテランらしく応じる。
「でも……」
「あんたがエースって聞いた時、正直嫉妬したけど、今は誇りに思っているよ。絶対エレーナさんたちを捕まえてね」
「苺騎士団を破るのは、青の縞々だけ」
ナオミもラニーニに思いを託して、揃ってヤマダの三台のインへ飛び込んでいった。
突然割り込んできた二台に、ケリーとフレデリカは驚いて一緒ラインを乱したが、然程驚異ではないと判断してすぐに立て直して元のラインに戻る。幸いなことに、いつでも弾き出せるとみてくれたようだ。
二人は一気に先頭のバレンティーナの内側まで潜り込み、そのままレプソルコーナーを回っていく。
グリップに寄せられなくなったバレンティーナは、ブルーストライプス時代のハンドサインで『邪魔するな、退け』と怒りを表した。
「なんかウチのチームのサインみたいだけど、ナオミ知ってる人?」
「私のこと、役立たずって罵って威張ってた女」
「それじゃあ役に立つこと証明してやろうよ」
バレンティーナの右に並べたままレプソルを回り続け、続くセアトのヘヤピンへ向かっていく。
リンダは知っている。バレンティーナの切り返しは、サスペンションの反発を利用して、大きなモーションでマシンを振り出すことを。
シャルロッタのようにノーモーションで、股下でマシンを遊ばせるような切り返しも、真似出来ない訳ではないが、サスのストロークを切り返しで大きく伸ばし、反動で一気に沈み込ませて次のコーナーへとアプローチする方が、寝かし込むと同時にトラクションが掛かり、素早く方向転換出来るので、バレンティーナは得意としていた。
三年間チームメイトだったリンダも、特にレプソルからセアトにかけてのように、立ち上がりながら切り返してすぐヘヤピンという、ブレーキできっかけを作りにくい区間で、バレンティーナがそれ以外の切り返しをするのを見たことがない。
予想通りバレンティーナは、フロントタイヤが路面から離れるほど荷重の抜けた状態から、一気にマシンを外に振ろうとした。しかし真横にいたリンダとマシン同士が接触しそうになり、中途半端な切り返しとなってしまう。
曖昧なアプローチでヘヤピンに入るバレンティーナのインを、ナオミが射す。
三台に横一列に並ばれてインを塞がれたので、ケリーとフレデリカは大きく外側からパスしようとする。
「ナオミ!通るわよ」
ハンナの声と同時に、ナオミが僅かにインを開けた。その僅かな隙間を、ハンナとラニーニが通過していく。
まるで何度も打ち合わせたようなタイミングで、四人は動いていた。
「すいませーん、ハンナさん。バレンティーナは封じたけど、ケリーとフレデリカは逃がしちゃいました。後ろについてるんで、気をつけてください」
集団先頭にでたハンナにリンダが呼びかけた。ケリーとフレデリカは抑え切れなかったが、遅れさせる事は出来た。声には達成感に充ちている。
「十分よ、よくやってくれたわ。あとは任せて」
「ラニーニ、あたしたちのぶんまで、頑張ってね」
「ありがとうございます。二人ともちゃんとゴールしてください」
「大好きなアイカちゃんがいなくてさみしいかもだけど、その分おもいきりやってきて」
「アイカちゃんは関係ないから!でもおもいきり挑んでくるから!」
ナオミのたんたんとした冗談に、少し顔を火照らせながらもラニーニは答えた。
「ラニーニさん、感動的な会話はレースが終わってから!早くエレーナさんたちを追うわよ」
「ハイ!お願いします」
ハンナに促されて気合いを入れ直すと、二人は少し離されてしまったがまだ射程圏内のトップ二台を追った。その後ろにケリーとフレデリカも続いていく。




