序盤の攻防
イン側から、シャルロッタ、バレンティーナ、フレデリカ、スターシア、エレーナと、ほぼ横一線に並んだまま右曲がりの1コーナーに進入していく。
窮屈な内側に圧し込まれたシャルロッタ、バレンティーナより早く、外側のエレーナとスターシアが続く左コーナーへと切り返す。
2コーナーではインとアウトが入れ替わり、今度はシャルロッタが外から被せていく。
エレーナは、シャルロッタを先頭に押しやり、すぐ様背後をカバーしようとしたが、バレンティーナが強引に割り込もうとする。
肘と肘がぶつかる。
バレンティーナも、エレーナ相手に一歩も退かない。大きく外側から切れ込んできたバレンティーナの方がややスピードにのっている。ゼブラまで孕みながら、エレーナより前に進み出た。
「あたしに追いつきたかったら、もっとまじめに走りなさい!」
シャルロッタは、コースサイドの埃を巻き上げて追ってくるバレンティーナを、挑発するようにフロントを浮かせて立ち上がっていく。
「遊んでいるな!シャルロッタ。こいつ、前回の厳重注意など気にもしてない。ふざけてると噛みつかれるぞ」
エレーナの声が無線で伝わってくる。『次はもっと厳しく対処する』と厳重注意を受けたのは、ストロベリーナイツも同じだ。
「バカたれバレチンがそれくらいで悪びれる女のわけないわよ。こっちだって最初からそのつもりよ!」
シャルロッタは、ぴったり上体をカウルに収めて、高速コーナーを駆け抜けていく。
エレーナの後ろでも、スターシアとフレデリカが激しくやりあっていた。
対極とも言える二人のライディングスタイルは、フレデリカが押しているように見えるが、スターシアはしっかりポイントを抑え、前に出させていない。しかしまだ始まったばかりだ。フレデリカは完璧なブロックを、無理矢理こじ開けようとしつこく追い縋っていた。
愛華は、後ろから五台のポジション争いを見守った。加われない訳ではない。無理に加わるより、エレーナの指示を待つべきと判断した。
『スターシア、フレデリカを振り払って前に出られるか?』
愛華にも、エレーナの声が伝わってくる。
『ちょっときついですね。このコ、シャルロッタさん並みに変なアタックしてきてますから』
『だったら慣れてるだろ?何とかしろ』
『無茶言わないでください。まあ、やってみますけど』
スターシアがシャルロッタ、バレンティーナ、エレーナの間に割り込むと、フレデリカまで混じって再び五つ巴の混戦になってしまった。
トップはシャルロッタが抑えているが、バレンティーナも逃がしてなるものかと仕掛け捲るので、ペースは上がらない。エレーナとスターシアで抑えつけようとするが、フレデリカまで加わって、ぶつかるのも怖れずアタックしてくる。
「わたしがフレデリカさんを抑えます!」
我慢できず、愛華も飛び込もうとしたが、
『アイカはケリーに貼りついていてくれ。これ以上増えると身動きとれない』
とエレーナに制止された。
バレンティーナとフレデリカに、連係がとれていた訳ではない。むしろ逆だ。彼女たちは、自分以外はすべて弾き跳ばす勢いで暴れまわっている。
そんな状況に愛華まで入って、ケリーをフリーにさせておくのは危険だ。これまで目立っていないが、ケリーの実力と巧妙さは、エレーナがよく知っている。それにハンナたちにも警戒しなければならない。今はおとなしくしているが、シャルロッタの「逃げ」が上手くいかなかった場合、必ず捕まえにくるだろう。
愛華は素直に指示に従った。
自分の果たすべき仕事は今じゃない、いや、今はケリーさんが動けないように封じ込めるのが自分の役割だ。死んでも近づけさせない、と誓った。手首の痛みの事など、すっかり忘れていた。
レースも中間に差し迫ると、段々フレデリカのパターンが読めてきたエレーナとスターシアが、圧し始めた。バレンティーナは相変わらずシャルロッタに迫ろうとするが、余裕の出来たエレーナにガードされ、徐々に勢いが衰えている。
愛華も、ケリーの先行を許したものの絶えず仕掛けて、これまでのところトップグループから引き離す事に成功していた。
一度GPから身を引いたケリーではあるが、自らがヤマダの開発ライダーとして、バイクに乗る生活を続けてきた。
実戦から離れていたとはいえ、技術も体力も連続チャンピオン獲得時代から衰えていないと自負している。そんなケリーであったが、愛華のしつこさにはうんざりしていた。
技術的には自分の方が優っているのは明らかだが、コーナー毎にインに潜り込んでこられて思うようなラインをとれない。インを閉めれば、立ち上がりでラインを寄せられる。
トップ集団の変化に気づいていても、追い上げる事もままならない。思うように走れない苛立ちに、次第にマシン操作も雑になっていく。なのに延々とまとわりつく小さな少女は、疲れる様子すら見せていない。一体どこにその体力と集中力があるのか、不気味さすら感じた。
その後方でブルーストライプスを率いるハンナも、いつまでも傍観していられない時期に迫られていた。すぐにでも動かないと出遅れてしまう。
レースは徐々にストロベリーナイツペースになりつつある。一時はバレンティーナとフレデリカがかき回してくれるかと思われたが、きっちりエレーナの思惑通りに展開になってきた。
さすがエレーナさんね
シャルロッタが突出する前に捉えないと、手遅れになる。
ハンナはペースアップを指示して、ケリーと愛華を呑み込んでいった。
ケリーにとって、ブルーストライプスに追いつかれた事はむしろ歓迎すべきことだった。
愛華にまとわりつかれて、どうにも手詰まりに陥っていた現状を打開するチャンスでもある。
愛華が、如何に底なしの体力と集中力があろうとも、所詮は経験の浅い若手ライダーである。暫くGPから遠ざかっていたケリーだけならなんとかマーク出来ても、統率されたトップチーム集団相手では、到底引き留める事は出来ないだろう。
ケリーもブルーストライプスに乗っかって、一気にトップグループに追いつこうと目論んだ。
「ずいぶん粋がっていたけど、もう魔力が尽きたの?つまんないわね。そんじゃ、あたしは先に行かせてもらうわ。じゃあね~」
愛華とケリーを呑み込んだブルーストライプスが追い上げてきているのとは無関係に、シャルロッタは、バレンティーナのアタックの息継ぎするタイミングでスパートをかけた。
「シャルロッタ、最後まで気を弛めるな!」
エレーナが叱咤する。シャルロッタ最大の敵は、その慢心である。
余裕ぶっているが、ここまでシャルロッタは、何度も並びかけられるほどぎりぎりの競り合いを演じてきた。少なくとも二回は、肩と肘が接触するほどの接戦を繰り広げている。
一方バレンティーナは、シャルロッタだけでなく、エレーナやスターシア、それにフレデリカにまで当たっていた。彼女たちでなければ、ただちに抗議してもおかしくない。ただ今回は、イタリアでラニーニにしたような即転倒につながる危険な当たりや威嚇ではなかったので、エレーナたちもガンガン押し返していた。
虚を突かれたバレンティーナは、必死でシャルロッタを追おうとしたが、一旦差が開いてしまうとなかなか詰められなかった。
シャルロッタはフリーになり、バレンティーナはエレーナ、スターシア、そしてフレデリカに囲まれたまま。
観ていたほとんどの人は、「勝負がついた」と思った。
シャルロッタは、みるみる差を拡げていく。
しかしその達観は、すぐに溜め息と落胆と歓声に打ち消された。
脱け出たシャルロッタが、突然スローダウンする場面を観た時、ほとんどの人が「ああ、やっぱりか」と洩らした。
ストロベリーナイツの関係者とそのファン以外の、ほぼすべての期待を裏切らないシャルロッタであった。