理不尽なペナルティ
追い抜き様にシャルロッタに蹴りを入れられ、バレンティーナは如何にも大袈裟に痛みを訴えた。
当のシャルロッタはそんなバレンティーナを無視して、そのままフィニッシュラインへと向かって行く。
サーキット中が騒然とする中、シャルロッタに続いて愛華もチェッカーを受ける。
なんだかんだとバレンティーナも、ちゃっかりラニーニの前でフィニッシュラインを越えると、再びシャルロッタに蹴られたお尻をアピールし始めた。
ウィニングランに入ったシャルロッタに、愛華はバイクを寄せた。勿論優勝の悦びを分かち合うためではない。
「シャルロッタさん、どうしてあんなことしたんですか」
「はぁ?当然でしょ!あいつラニーニのブレーキレバーに手をだそうとしたのよ。殺人も同然のことしたのよ」
「それはわたしも許せませんけど、蹴ったりしたら間違いなく失格ですよ」
「あんなのエレーナ様の蹴りと比べたら、痛くもなんともないわ。あいつ、なに大袈裟に被害者ぶってるのよ」
確かに体重も乗せず、ただ足を当てただけの蹴りを皮つなぎの尻の上から受けても、大したダメージはないだろう。それに引き替え、フル加速をしようとするバイクのブレーキレバーに触れるのは、シャルロッタの言うように直接重大事故に繋がる、まさに殺人行為とも言えた。だからと言って、シャルロッタが個人的制裁を加えるのは言語道断である。
「でも今度は、シャルロッタさんがエレーナさんに殺されるんじゃないですか?」
「えっ……、そうだった!やばい、どうしよう?」
シャルロッタにとって、オフィシャルよりエレーナのジャッジこそ絶対であった。
「そうだ、アイカの指示だったってことにすればいいんだ!大丈夫、エレーナ様はアイカには甘いから、真面目に反省してる態度見せれば、きっと赦してくれるよ」
何が大丈夫なのかよくわからないが、シャルロッタにまったく反省の色がないのはよく伝わる。
「たぶん信じないと思いますよ。まずはバレンティーナさんに謝りませんか?」
「なんで?まずはあいつがラニーニに謝るのが先よ。いつまでも痛いアピールしてんじゃないわよ、バーカ、バーカ」
シャルロッタは、ステップ立ちをして、後ろのバレンティーナに向けて、お尻ペンペンのポーズをした。反省するどころか、より問題を大きくしたいらしい。それでも観客席からは、どっと歓声が沸いた。大型スクリーンで最終コーナーの出来事を観ていた観客たちは、思いの外シャルロッタに好意的だった。
そのシャルロッタの横に、ラニーニもマシンを並べてきた。
「私のせいでご迷惑おかけしてすみません」
誰にも謝る必要のない人間が、一番最初に謝った。
「別にあんたのためにやったんじゃないから。あたし、一度あいつにライダーキックお見舞いしてやりたかっただけだから」
「ラニーニちゃん全然悪くないから心配しないで。シャルロッタさんがお馬鹿なだけだよ」
「あたしも悪くないわよ!だいたいあんた、レース中に右手は絶対にスロットルから放しちゃダメよ!ああゆう時は、脚で突き飛ばせばいいのよ。自衛処置として認められるわ」
「「……」」
どこまでが自衛処置なのかは議論の余地もあるが、集団的自衛権は、レースでは認められないのは確かだ。
ウィニングランを終えて、ピットロードに戻ってきた時には、すでにシャルロッタの失格は決まっていた。
まあ当然である。しかしそうなると愛華が繰り上げで初優勝となるが、こんな形の初優勝では歓べない。
バレンティーナの処置とシャルロッタへのペナルティーについて、審議が揉めているようで、なかなか公式結果がでない。
愛華は取りあえずマシンを車検係りに預けてチームのピットに戻ると、ちょうど途中リタイヤしたエレーナも戻って来た。
エレーナは、シャルロッタを見つけるなり飛びかかり、思いきりの回し蹴りを尻に放った。
「ぎゃっ!ゴメンなさい、ゴメンなさい!」
シャルロッタは必死で尻を押さえながら命乞いをする。しかしエレーナの言った言葉は、シャルロッタと愛華を唖然とさせるものだった。
「なんだあの蹴りは?あんな中途半端な蹴り、全然痛くもないぞ」
「え……?」
「エレーナさん、怒るところ違います。蹴ったらだめですよね?」
思わぬエレーナの言葉に、一瞬聞き間違えでは?と問い正した。
「バレンティーナは絶対許されない行為をしようとした。たとえブラフであっても、相手のブレーキレバーに手を触れようとする行為など絶対に許されない。立場上個人的制裁を認める事は出来んが、私もあの場にいたら同じようにしていただろう。但し、どうせ失格になるなら、あんなへなちょこキックでなく、当分シートに跨がれなくなるほど思いきり蹴り抜いていたがな」
エレーナまでむちゃくちゃなこと言っている。基本エレーナも口より行動で主張するタイプであった。しかし、この会話が公になったら大問題になるのは間違いない。
愛華は『苺騎士団の良心』スターシアさんに意見を求めた。
「そうね、気持ちはわかりますけど、報復はいけませんね。でも、アイカちゃんにあんな真似したら、必ず報いを受けさせるから安心してね」
安心出来ない。
そう言えば、昨年の愛華のデビューレースで、バレンティーナとラニーニに苛められた時、レース後、二人してベロベロに酔わせていたのを思い出した。主犯のバレンティーナは、最後はエレーナにどつかれて失神KOされたみたいだったけど、スターシアさんも面白がって煽ってた気がする。
「レースではお互い死力を尽くして戦う。時にラフなバトルもするし、危険な場面もあるだろう。だが卑怯な真似は許さない。まして故意に相手を重大事故に陥れるような行為を許したら、レースではなく、ただのデスゲームになってしまう」
エレーナがシャルロッタと同じようなことを口にした。エレーナのルールに、シャルロッタが影響受けたのか、最初から似たような価値観を有していたのかはわからない。シャルロッタが言えば、支離滅裂に思えても、エレーナから言われると、それなりに筋は通っているような気がしてしまう。そしてルールブックに載っていないエレーナルールでも、多くのライダーたちが認めていたし、ファンからも支持されている。
ライダーとしての誇りとライバルへの尊敬の念に基づく暗黙のルールこそ、Motoミニモの大きな魅力の一つにもなっていた。
「でも、そのためにちゃんとルールがあって、審議員がいるんですよね」
「アイカの言う事は、確かに正論だ。だが客観的事実関係だけ見れば、バレンティーナはラニーニの身体にもマシンにも触れていない。先にバレンティーナの腕を叩いたのは、ラニーニの方だ」
「でも、それだったらレース後に抗議するなり、訴えるなりすべきです!わたし、レースの終盤、シャルロッタさんのこと、冷静なレース運びも出来るんだ、って見直していたんです。なのに瞬間湯沸し器みたいに“かっ”となって、失格になるなんて、凄く悔しいんです」
「そうだな、アイカの言う通り、シャルロッタはバカな真似をした。失格にされるのも当然だ。だが考えてみろ、バレンティーナが本当にラニーニのブレーキレバーに触ろうとしていたかどうかは、バレンティーナ本人にしかわらない。ヤツのことだから、巧いこと言い訳して、大したペナルティを受けないように立ち回るだろう」
一般的なバレンティーナのイメージと違い、実際の彼女は、その辺りの抜けめがない。
「これまで私たちは、スピードも迫力も他のクラスより劣るこのクラスが、より多くのファンから愛されるように努力してきた。子供たちの憧れになれるように、若いライダーの手本となるように、ルールブックには載っていない秩序を育んできたつもりだ。たとえルールに記されていないからといって、フェアでない戦い方をしていれば、必ずファンから飽きられる。個人だけの問題ではない。レースそのものの品位を下げてしまう。私たちは、夢を売っているのだ。それは勝ち負け以上に大切なものだ」
愛華は、エレーナが単に強かっただけで『GPの女王』と呼ばれてきたのではないと、改めて知った。
「大丈夫だ。バイクに跨がって尻を蹴っても、大して危険ではない。私がいつもシャルロッタで証明している」
どこが大丈夫か、よくわからないかったが、シャルロッタへの暴力をなんとも思っていないのは、よく伝わる。(危険なので絶対に真似しないように)
「それでも、せっかくの優勝を目の前にしながら失格なんて……、シャルロッタさん、あそこまで凄くクールでカッコよかたのに……」
「な、なに言ってるの……。あたしはいつもクールでカッコいいわよ!」
シャルロッタが照れくさそうに文句を言った。
「そうだな。私もシャルロッタのマシンの挙動から、今日は敗けを覚悟したほどだったのに、よくあの状況から勝負までもっていったな」
「だから安易な行動に走ったシャルロッタさんを、もっと叱ってください。それも秩序です。それを許すなら、わたしはエレーナさんに抗議します」
「いやアイカ、せっかくエレーナ様がいい話してくれてるのに、何言っているの?」
褒められたと思ったら、まさかの愛華の裏切りに、シャルロッタは焦った。
「私もアイカちゃんが正しいと考えます。やはり暴力行為はいけません」
スターシアも愛華に乗っかった。
「確かにそうだな。愛華の言う事が正しいだろう。リーダーとして、ここは泣いて馬謖を斬らねばならないだろうな」
さすが女王、東洋の故事までよくご存知である。よく意味のわからないシャルロッタであったが、エレーナが執行人の冷酷な眼に変わるのを見て震えた。いや、少し楽しみな色も浮かんでいる。
「いや、エレーナ様、あたしは秩序を守っただけで!だから暴力はいけませんって、スターシアお姉様、暴力はダメですよね。なんか言ってください」
「信賞必罰は、上に立つ者の務めです」
「アイカ、助けなさいよ!」
「秩序です。反省してください」
「みんな裏切者ばかりじゃないの!あたしは悪くないわ!ぎゃっ!」
エレーナの腰の入った蹴りがシャルロッタのお尻を直撃した。
その後、シャルロッタと愛華は、事情聴取のためにオフィシャルに呼び出された。