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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
84/398

最終コーナー

「シャルロッタさん、もうそろそろ前に出てください!」

 愛華が振り返ると、シャルロッタの後ろにはラニーニがぴったり付いていた。それどころか、いつの間にかバレンティーナにまで射程距離に捉えられている。

「そうね。ぼちぼち主役の出番かしら」


 愛華は、ラニーニとバレンティーナに注意しながら、右まわりの5コーナーでシャルロッタとポジションを入れ替わった。

 ところが、シャルロッタが耐えに耐えたフルスロットルの封印を解いた瞬間、彼女のリアタイヤがズルっと流れた。反射的にスロットルを戻すが、今度は唐突にグリップを取り戻したタイヤは、サスペンションの反発力とシンクロしてシャルロッタの躰を跳ね上げた。

 シャルロッタは、お尻がシートから完全に離れてしまいながらも、ハンドルとタンクにしがみついてアクロバットのように立て直しを試みる。

 その間にラニーニとバレンティーナが抜いていく。

 シャルロッタは曲乗りのようにしてハイサイドから立て直すと、すぐに後を追おうと再びアクセルを開けるが、盛大にホイルスピンをして、思う様に加速しない。


 ほとんど逆立ち状態から立て直したのは、さすがシャルロッタだが、本来のシャルロッタならあそこまで派手にハイサイドを食らうなどあり得ない。愛華は彼女のタイヤが想像以上に減っていて、且つシャルロッタ自身に余裕がなくなっていると感じた。

 シャルロッタは、『歩き始める前にバイクに乗っていた』と言われるほど、自分の手足のようにバイクを扱う。15才で初めてバイクに乗った愛華とは、比べ物にならないほどバイクを知り尽くしている。しかし彼女の弱点は、天才に有りがちな精神的脆さにある。

 愛華も、まだまだ精神的に未熟との自覚はあった。このレース中にも、何度も熱くなり過ぎたり、弱気になったりもした。

 スターシアさんのアドバイスや、そしてシャルロッタさんの言葉に落ち着かせてもらって、なんとか乗り越えてきた。今度は自分が落ち着かせる番だ。

「シャルロッタさん、大丈夫です!シャルロッタさんなら一つのコーナーで一人パス出来ますよね。二つあれば、二人とも簡単に抜き返せるはずです」


 常識的に考えれば、如何にシャルロッタの並外れたライディングを持ってしても、この状態で二人を抜き返すなど到底大丈夫な筈がない。しかし今のシャルロッタを落ち着かせるには、それしか思い浮かばなかった。熱くなって闇雲に攻めても、消耗するだけだろうし、「三位で完走めざしましょう」などと言おうものなら、ますます剥きになって自滅するのは目に見えている。

 “最後まで絶対に諦めたらダメ。必ずチャンスはある”


「こんなやつらなんて、コーナーひとつで十分よ、って言うかアタックは一回しかもう無理。最終コーナーでまとめて抜いて、あとはストレートを逃げるだけしかないみたいだから、アンタも一緒に来てもらうわ」

「わかりました。絶対に守りきってみせます!」

 シャルロッタが冷静さを取り戻してくれた。否、冷静とは程遠い作戦だ。しかし彼女のチート能力なら、普通に出来ると思ってしまった愛華までハイな心理状態に入ってしまっていたのかも知れない。




 シャルロッタ同様、バレンティーナのマシンもかなり消耗していた。序盤から後半に掛けて、フレデリカとのヤマダ同士の競り合いに熱くなり過ぎたのが、ここに来てボディーブローのように効いている。只シャルロッタほどタイヤへのダメージが深刻でないのは、ライディングスタイルの違いだけでなく、ヤマダのニュートラルなマシン特性に依るところも大きいだろう。


 対してラリー二のマシンは、序盤の愛華とのニアミス以降は、ブルーストライプスのチームメイトに守られて、最小限の消耗で最終局面を迎えていた。エンジン、タイヤ共にまだまだイケるコンディションを保って先頭に躍り出ていた。

 残り半ラッブ。圧倒的有利な状況であっても、ラニーニに気を緩める事は許されない。相手は自分の元エース、狡猾なバレンティーナと、どんな困難でも決して諦めないアシスト愛華を従えた、天才シャルロッタである。

 いつ仕掛けて来るかわからない恐怖と僅かなミスも許されない緊張感に、精神的に追い詰められているのは、むしろラニーニの方とも言えた。ラニーニはすべての勇気を奮い起こして、誰よりも先にチェッカーフラッグを受けようと目指した。


 バレンティーナは、完全にシャルロッタが脱落したと踏んだ。如何にシャルロッタ&愛華のコンビと言えど、あのタイヤではどうにもならないだろう。自分がとんでもないミスを犯さない限り、シャルロッタに負ける事はない筈だ。

 シャルロッタとラニーニが争わせて、漁夫の利を得ようと目論んだが、これはこれで、シャルロッタを警戒する必要がなくなったので、ラニーニ一人に集中すればいい。


 “ラニーニなんて容易い。そこそこいいセンスを持っていたから色々目をかけてやってきたけど、競技者としては優し過ぎる。押しまくれば引き下がるに決まっている”


 バレンティーナは、右へ右へと回り込むアラビアータ(8~9コーナー)入り口でピタリとラニーニの後ろに付いた。

 最初の8コーナーをインを塞いでも、続く9コーナーまでのインターバルで必ず一旦インから離れる。そこで無理やりでも内側にもぐり込めば、続く9コーナーがきつくなってもラニーニを押し出して前に出られる。序盤に愛華を弾いたのと同じ場所だ。


 アラビアータの入り口を、ラニーニは予想通りインを塞ぐように進入していった。バレンティーナはすぐ後ろからプレッシャーを掛け続ける。

 8コーナーから9コーナーへと移行区間の曲率が変わるところを、ラニーニはぎりぎりまでインにへばり付いてインを空けないように粘ったが、そのままでは9コーナー出口で詰まってしまうので、どうしても一旦外に膨らまなくてはならない。

 ラニーニがインから離れた一瞬に、バレンティーナはその僅かな隙間にフロントを捩じ込んだ。

 ラニーニとバレンティーナが並ぶ。ラニーニの9コーナーへのアプローチを、バレンティーナが邪魔する。インにへばり付いたままのバレンティーナは、そのままでは曲がり切れないのを覚悟の上で、減速しようとしない。ラニーニもバレンティーナに被さったまま耐える。

 インのグリップポイントに寄せようとするラニーニと、アウトに張むバレンティーナが接近する。

 バレンティーナのカウルが、ラニーニのハンドルに触れそうになって、ラニーニは肩と肘を張り出して押し返した。

 そのままアウトに張らんでもラニーニは一歩も引き下がらず、イン側のバレンティーナより先に加速して首位を守りきった。


「へぇー、ボクの後釜でエースにしてもらっても、少しは根性ついたみたいだね。でも所詮ラニーニはラニーニさ」

 バレンティーナは、自分には絶対に敵わないとわからせるように、更に強引なアタックを仕掛けていった。



 ラニーニとバレンティーナの激しい攻防で、ペースがかなりスローになったのはシャルロッタと愛華にとって都合良かった。少しでも体力とタイヤを温存出来る。たとえ気休めとしても、精神的にはずいぶん楽だ。

「いいアイカ、あいつら絶対最後まであの調子だから、最終コーナー手前で少し間隔開けて入って、スピード乗せて一気に抜くわよ」

「わかりました。でもシャルロッタさん、タイヤ大丈夫ですか?」

「右側はほとんど終わってるけど、左側ならあと一回ぐらいならイケると思うわ」

 右回りのムジェロサーキットは、当然右コーナーの方が多い。しかもタイヤに多く負担が掛かる深く回り込んだコーナーは、ほとんどが右コーナーだ。従ってタイヤの右側コンパウンドの方が早く摩耗する。

 二輪のタイヤというのは、片側残っているからと言って、残っている方のコーナーは問題ないとは勿論いかない。トレッド(路面と接地する面)自体で、タイヤの強度を確保している性格上、片摩耗してれば反対のコーナーでも本来のパフォーマンスは発揮出来ないし、スピンで発生する熱は全体に伝わるのであまり負担の掛っかてない側のコンパウンドもみるみる痛み出す。それでも右側より、左側の方がいくらかまともだと言えた。

 そして唯一の左タイトコーナーが、最終の14コーナーだ。シャルロッタの感覚は、タイヤの僅かな可能性を感じとり、それに賭ける確証を掴んでいた。


 “シャルロッタさん、わたしよりずっと冷静に状況を認識してる。しっかりしないと、わたしなんか必要ないって言われちゃう。死ぬ気でがんばらないと”


 愛華は最終コーナーに備えて、シャルロッタの負担を少しでも減らそうと、それだけに集中して走った。



 ラニーニは、最終コーナーまでバレンティーナの猛攻に耐えていた。

 “あと一つ、このコーナーを守り抜けば勝てるんだ!”

 インをしっかりとガードしてコーナーに進入していく。立ち上がりスピードより、とにかく抜かれないラインを優先する。


 一方バレンティーナは焦っていた。ラニーニがここまで粘るとは思っていなかった。

 このコーナーでパス出来なければ、自分は敗ける。ストレートで巻き返すのは、ヤマダのパワーでは不可能なのは明白だ。

 最初からマシンの性能が話にならないレベルなら、笑って誤魔化せる。しかし母国のファンの前で、最後まで争って敗ける姿を晒したくない。

 相手がシャルロッタやエレーナなら、悔しくても納得できるだろう。しかし昨シーズンまで自分のアシストとして扱ってきたラニーニに、自分のアタックが悉く防ぎ切られた屈辱は耐え難い。

 “絶対にこのコーナーで決めてやる!”


 愛華は、前をいく二人との間隔を測って、スピードを乗せて最終コーナーに進入していった。タイムアタックと同じ最速ラインを狙う。

 クリップ直前でシャルロッタにラインを空けて、ちょうど前二台が立ち上がりで膨らんだイン側を抜き去れる計算だ。


 前の二台の動きに注意しながら、クリップに近づく。

 接触しそうに接近したラニーニとバレンティーナに、ぐんぐん近づいていく。二人はまだ愛華たちに気づいていない。

 ラニーニとバレンティーナは並んだまま立ち上がり体勢に入っていく。その時愛華の位置から、バレンティーナの左手がラニーニのブレーキレバーへと伸ばされるのが見えた。

 ラニーニがスロットルを握る手を放して、バレンティーナの左手を叩いた。しかしスロットルを放してしまったので、急減速してしまう。遅れるラニーニを尻目に、バレンティーナは悠々とトップでメインストレートに向かっていく。


「バレンティーっナ!!!あんた最低ね!」

 愛華が怒りを覚えるより速く、背後から罵声と共にシャルロッタが飛び出すと、バレンティーナに向かっていった。

「シャルロッタさん!落ち着いてください」

 愛華は、シャルロッタの先程までとはうって変わった殺気を感じ、咄嗟に叫んだ。

 しかしシャルロッタは、愛華の声も届かないような勢いでバレンティーナに背後から近づき、左足をステップから持ち上げた。

「シャルロッタさん!ダメですっ!」

 愛華には、シャルロッタが何をしようとしているのか、すぐにわかった。エレーナがシャルロッタを叱る時によくするライディングキックだ。

 練習中にエレーナが自チームのシャルロッタにしても、度々問題になる。それをレース中に、ライバルチームのライダーにしようとしている。


 愛華がその結果を想像する前に、シャルロッタのブーツはバレンティーナの尻に届いていた。


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[一言] 義を見てせざるは勇無き也とは言いますが…。
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