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最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
83/398

汚れたヒロイン

 スターシアのインをリンダが刺す。スターシアは動じず、そのままコーナーに進入する。一旦前に出たものの、クロスラインでアウトに膨らんだリンダは、再び抜き返された。

 ブルーストライプスのハンナも、それほど簡単にスターシアの壁を乗り越えられるとは思っていない。リンダのアタックに、スターシアがインを塞ぐ形に動いてくれればその隙に、ラニーニとナオミを押し込もうとしたが、それも見透かされていた。わかっていても並のライダーなら思わず反応して、僅かでも動くものだが、揺るがない自信と冷静な判断力を持ち合わせている。


「流石エレーナさんが全幅の信頼を寄せるアシストね。もっと強く攻めるしかないわね。ナオミさん、リンダさんと同時に両側から仕掛けてみて」


 結果は同じだった。

 スターシアが先ほどと同じようにリンダをスルーして、コーナーの頂点を通過したところで、ナオミが少しだけ奥に定めたクリッピングポイントを目指そうとしたが、スターシアはインを離れるタイミングを僅かに遅らせた。

 ほんの僅かであったが、クリップに着くタイミングをずらされたナオミは、狙い通りの位置でアクセルを開けられなくなった。スターシアに並びさえ出来れば、ラニーニをこじ入れられるが、完璧なブロックでそれを許さない。


 ハンナはこれまで、愛華をはじめとした多くの若いライダーに、アナスタシア・オゴロワのライディングを目標としなさいと教えてきた。

 しかしそれは誤りだ。スターシアは、シャルロッタやフレデリカに劣らぬ天賦の才能を持ち合わせており、凡人が模倣する事は不可能だと悟った。


 だけどどんなに天才だろうと、人間であれば必ずミスをする。個人の未熟さを、チームでカバーする集団戦術にも、必ず勝機はある。残り少ないラップ数でそれを暴いてみせる。


 ハンナも加わり、毎コーナーハードなアタックを仕掛けたが、スターシアも譲らなかった。残り二周を切って、流石にスターシアも疲れが見え始めたが、肝心なポイントはしっかりと抑えられていた。トップ二人との差が少しずつ開いており、このままでは逃げ切られると焦り始めた時、

「私にやらせてください!」

 ラニーニが前に出た。

 ラニーニは、最後のシャルロッタとの勝負を優位に挑めるよう温存して置きたかったが、ここでスターシアの前に出ていられなければ意味がない。ハンナはここで切り札を使うしかなかった。


 ハンナのスリップから抜け出たラニーニは、4コーナー手前でスターシアの左に並んだ。


 4コーナーは左、続く5コーナーは右へと切り返すS字で、小排気量クラスではそれほど激しいブレーキングはしないが、進入のスピードコントロールとライン取りでその後の短い直線に大きく差がでる。

 スターシアは少々意表をつかれた。ラニーニ自身もそろそろ仕掛けて来る頃だと予想はしていたが、ここで来るとは思っていなかった。このS字は意外にパスしにくい上、ここでミスすれば致命的になりかねない。

 こちらはラニーニだけを抑えるか、タイムロスを誘えばいいのだから、断然優位な区間で敢えてエースが仕掛けて来たのは、賭けに出たという事か。


 並んだまま4コーナーに進入する二台。ラニーニのイメージからは予想外の我満比べを挑む。スターシアのイメージとも違うが、若きエースの挑戦を正面から受けて立つ。

 イン側のラニーニは窮屈なラインを強いられるが、一切退かない。そのままのポジションで切り返そうとした時、スターシアは右側にナオミが並ぼうとしているのに初めて気づいた。

 スターシアの切り返しのリズムが一瞬早められ、狙っていたラインより、数メートル手前でインに着けた。

 インベタで曲がるスターシアに、ラニーニが加速させながらかぶせていった。


「シャルロッタさん、アイカちゃん、ごめんなさい。ラニーニさんにしてやられちゃいました」

「ここまで抑えてもらえれば充分です。ありがとうございました」

「あとは任せてください、スターシアお姉様」

 二人はスターシアに礼を言った。残りはあと一周と半分だ。

「ほかの人たちは抑えてますけど、今日のラニーニさんは、ちょっと切れ味鋭いですよ。甘く見ないで、最後まで気を弛めちゃダメよ」

「わかりました!」

「あんなのチョロいものよ。楽勝ね」


 スターシアさんから「切れ味鋭い」なんて言われるって、ラニーニちゃんすごいよ!それにしてもこの人、スターシアさんの話、まったく聞いてなかったの?


「シャルロッタさん、わたしが後ろに下がります。ラストスパートしてください」

 愛華はチームのエース、シャルロッタを勝たせるために、親友ラニーニを抑える決意を固めた。馴れ合いするつもりはない、本気のブロックだ。それは愛華の、おそらくラニーニも望んでいた事でもある。


「まだよ。勝負はラスト半周って言ったでしょ」

 ……?シャルロッタがそれを拒否した。

「どうしたんですか?まだガソリンが危ないのですか?」

「そうね、今からスパートするとギリギリってとこね」

「それなら少しだけセーブすればいいじゃないですか!」

「だってセーブして走るのって、あたし好きじゃないもん」

 好き嫌いの問題じゃないでしょ?エレーナが聞いたら間違いなくどつかれてる。

「それにセーブしてじゃ、どうせあのコには追いつかれるわ。そこからガソリン残量気にしながら競り合うなんて、わたしには難しすぎ。こっちはタイヤもボロボロ、向こうはばっちりウォームアップ終わったところ。流石のあたしでもセーブなんてしてたらヤバいわよ。でもギリギリまでがまんして、半周だけなら全力で走れるわ。どうせなら最後にガチバトルしてあげたいでしょ。その方が断然劇的だし」


 シャルロッタさんなりに意外と考えていたんだ。でも最後は言わない方がよかった。エレーナさんには黙っていてあげよ。


「それよりアイカ、前見なさい。周回遅れ(バックマーカー)よ」

 メインストレートに入った所で、前方にヤマダの日本人ライダー片部範子が走っていた。

 レース終盤に周回遅れがでる事は珍しくないが、愛華には初めての経験だった。

 基本周回遅れが道を譲らなければならないが、間合いによってはレース結果を左右する事もある。追いつくのはちょうど1コーナーの辺りか。愛華は緊張する。

「落ち着きなさい、大丈夫よ。向こうは気づいているわ」

 シャルロッタの言葉に落ち着きを取り戻した。

「ありがとうございます。シャルロッタさんは、やっぱりやさしくて頼れる先輩です」

「べ、別に下僕の面倒をみるのは、主の当然の務めよ。下僕を働かせるためなんだから、やさしいとか勘違いしないでよね」

 やさしい先輩と言われて落ち着きをなくしたのは、シャルロッタであった。


 最終ラップに入り、予定通り1コーナーで範子をスムーズにパスする。だがその間に、ラニーニにぴったり後ろまで詰められていた。


 右回りの1コーナーアウト側を大きく通ってトップ三台をやり過ごした範子は、再び自分のラインに戻ろうとして、まだコースマーシャルがブルーフラッグ(速い車両接近)を振り続けているのに気づいて慌てた。

 基本はインを開けるべきだが、続く2コーナーは、1コーナーとは逆の左コーナーだ。今から外側にラインを変えるのは、後続の前を横切る形になるかも知れないのでは、と迷った。

 結局インベタでゆっくりやり過ごすのがベターと判断するのだが、そのどっちつかずの僅かな時間が、後ろから迫っていたスターシアに減速を強いた。

 スターシアの後ろにいたブルーストライプスのアシスト三人も、合わせて減速する。


 彼女たちにとって、ラニーニが前に行った時点でアシストとしてのレースは終えていた。今は史上最高のアシストライダー、アナスタシア・オゴロワの胸を借りて、個人としてのレースを走っていた。レースを棄てている訳ではないが、イレギラーな要素につけ入るほど結果に飢えていない。


 しかし、あらゆるチャンスを見逃さず、それを利用しようとする者もいる。同じメーカー同士の争いを巻き起こし、ここまで8番手というポジションに甘んじていたバレンティーナにとっては、おそらく最後のチャンスだろう。


 バレンティーナは、大外から四台を一気に抜き去り、最後の力を振り絞って前を行くトップ三台を追った。


 今日のボクは、数多くの試練を与えられたけど、それに耐え、やっとマリア様は微笑んで下さった。それにしても、あのラニーニにまで後塵を拝すなんて、絶対に我満できない。最低でも表彰台に上がってみせる。


 バレンティーナの聖母への感謝とは逆に、観客はブーイングを浴びせた。

 別にバックマーカーをパスする際に、前を行く競技車両を抜いてはいけないルールはないし、レースではよく利用される作戦だ。

 しかし今回の場合は、危険を回避する為にスターシアが減速し、後続もそれに従っていた。通常であれば問題ない行為も、その状況でのバレンティーナの抜き方が、“小狡い走り”と映った。バックマーカーであった範子が、バレンティーナと同じヤマダのライダーであったのも、その印象をより悪いものとした。


 そんなブーイングなど、今のバレンティーナには聞こえて居ない。たとえ聞こえていたとしても、どうでもよかった。昨シーズンから味わされ続けた屈辱は、バレンティーナ本来の勝利への執着心を露にしていた。


 陽気なGP界のスターライダーを演じている余裕などない。勝てなきゃ意味はないんだ。ボクは勝つ為にジュリエッタに見切りをつけ、ヤマダへ移籍した。非難されるのは覚悟している。それでもボクは勝ちたいんだ。

 もちろんルールは守るさ。ルールを守っているなら、文句は言わせない。どんなにみんなから好かれたって、勝てなきゃレーシングライダーとして無能なんだから。


 スターシアとハンナは、自分たちのエースにバレンティーナが近づいている事を知らせようとしたが、既に声が届かない距離にいた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 非情な世界ですが、致し方ない現実でもあるんですよね。
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