イタリアGP後半
序盤からの四人による熾烈なトップ争いは、レース後半に入ってもその激しさは衰えていなかった。
しかしよく見れば、エレーナとシャルロッタは相変わらずお互いの技術を見せつけあうようなパフォーマンスを繰り広げているのだが、フレデリカとバレンティーナは、まるでヤマダ同士が敵意を持った潰し合いをしてるようにも見える。
トップグループを形勢する四台の集団という形は保たれているが、スミホーイとヤマダにきっちり分かれ、しかも競り合っているのは同じメーカー同士という奇妙な状況となっていた。
後半に入って、トップグループの激しさは衰えぬものの、ライダー、マシン共に消耗も激しく、四台ともラップタイムは目立って落ち始めた。
エレーナは、燃料の残量計の警告ランプが点滅するのを確認した。
(ほぼ予定通りのタイミングだな)
ムジェロのコースは、長いストレートとストップ アンド ゴーのコーナーが連続する。それだけ全開にする場面が多く、燃料の消費も大きい。
今年からのスミホーイSu-33は、昨シーズン最終戦の経験から正確に燃料消費量がわかるようになった。走行データとの組み合わせにより、現在のペースで走った場合の走行可能な残りのラップ数まで高い精度で表示される。
Su-32と比べ、走行性能そのものは、それほど大きな進化はなかったが、このシステムの導入は、レース中の作戦計画をより緻密に、そして確実にするものであった。
警告ランプの点滅は、今すぐ燃料消費を抑えないとゴールまでたどり着けない事を示すものである。注意の黄色いランプは割りと早い段階に点灯するが、赤が点滅するのはかなり危ういレベルだ。
シャルロッタにはまだ少しだけ余裕があるだろうが、このままの走りではゴールまで辿り着けないだろう。
チームのバイクをネットワークで結び、シャルロッタたちのマシンの状況もわかるようになれば、更に的確な作戦が展開できると、エレーナはふと思った。
ヤマダの燃料消費がどのくらいなのかは不明だが、あれだけのパワーを絞り出しているフレデリカのマシンも、おそらくほとんどガソリンは残っていないだろう。
バレンティーナのマシンに関しては、全く予想出来ない。
何れにしても、四人ともハイテンションで自覚していないが、確実に疲労しており、タイヤもボロボロだ。エンジンもダレてきている。
『エレーナさん、ハンナさんたちが真後ろに着きました。そろそろ私とアイカちゃんの出番ですね?』
エレーナの頭の中をまるで読んだようなタイミングで、スターシアの声が届いてくる。スターシアは、いちいち指示する必要がないほど完璧に、いつだって望み通りの働きをしてくれる。スターシアの言う通り、次の段階に移るタイミングだ。
「私がコイツらを封じ込めておくから、二人でシャルロッタを連れていってくれ」
「「だあっ!」」
スターシアと愛華が揃って答えた。
「シャルロッタ、バトルは十分満喫したろ?ここからは大人しくアイカにゴールまで運んでもらえ」
シャルロッタを大人しく従わせるのが、最大の問題と考えていたエレーナだったが、意外にもシャルロッタは素直に従った。
「別に満足していないんだけど、なんか醒めちゃったのよね。コイツら途中から、あたしやエレーナ様相手ってより、勝手に二人でケンカしてるみたいなんだから。どっちみちあたしの相手になるのはエレーナ様だけなんだから関係ないけど、傍でゴチャゴチャされて、うっとおしくなったわ」
要するに自分が中心でなくなって、拗ねていたのだ。
「頼むわよ、アイカ。あたしはガソリンが残り少ないから、ちゃんとラストまで連れていってちょうだい。壊れやすいガラス細工を運ぶように丁重に、且つ迅速にね。どうせラニーニたちに追いつかれるんでしょうけど、あたしはそん時まで休ませてもらうわ」
「偉そうに言うな!」
調子にのって、エレーナに怒られた。
大人しく愛華の後ろに入ったシャルロッタは、スターシアに後ろを護られてトップグループから抜け出た。
それをバレンティーナたちからブロックしながらエレーナは、シャルロッタが的確に状況を理解している事に感心していた。
(あいつでも、少しは成長しているのか)
エレーナが後続を抑えられるのはあと数周だ。いくら頑張っても、僅かな時間しか稼げない。残りは愛華とスターシアだけが頼りだが、愛華はシャルロッタから離れられないので、スターシア一人でブルーストライプスの相手をしなければならない。
如何にスターシアでも、ハンナに率いられたあのチームを抑え切るのは難しいだろう。
バレンティーナの動向も気になる。何があったのか知らないが、今はフレデリカとの確執に囚われているようだが、フレデリカがガス欠などで脱落した場合、冷静さを取り戻す可能性もある。ヤマダのニューマシンの燃費は未知数だがその時、十分ゴールまで走り切れる残量が残っているとすると、再び警戒すべき存在になる。
ゴール直前での競り合いに備え、最後の余力を残しておくのは絶対に必要だ。
大丈夫だ、今日のシャルロッタとアイカなら勝てる。
エレーナは自分がリタイヤしたら、すぐに苺ケーキを手配してやろうと決めた。
愛華は、シャルロッタの風よけとなって、出来るだけ高いペースを維持しながらも、シャルロッタの燃費が少しでも延びるように心掛けた。
特にコーナーの立ち上がりでは、あまりスロットルを開けなくても着いて来られるように、慎重に加速した。
きっとシャルロッタさんには退屈な走りなんだろうな、と思うががまんしてもらうしかない。
「シャルロッタさん、これくらいのペースで燃料もちそうですか?」
愛華としては、シャルロッタに自覚してもらうために掛けた言葉だったが、
「いちいち訊かれなくても、文句があれば言うわよ!」
やはり相当苛ついているらしい。
「コーナーに入る時、もっと減速しないようにして」
さっそく文句を言ってきた。
「すいません、心掛けます」
愛華は、スターシアの走りを思い出し、なだらかな弧を描くラインを忠実にトレースする。
「あんた、真似だけは上手ね。ついでにあたしの『真冬の白き狼』もよく見ておきなさい」
愛華の走りが、スターシアそっくりに変わったのに感心したシャルロッタは、自分の走りも自慢したかった。しかし後ろにいるので、じっくりとは見てもらえない。珍しく意味のあるネーミングだったので残念だ。
『真冬の白き狼』とは、じっと寒さと飢えに耐え、獲物に襲いかかる瞬間まで体力を温存するシベリアの白い狼をイメージして名付けた。
その残念なネーミングセンスはさておき、シャルロッタの駆使しているテクニックは非常に高度なものであった。
コーナーリングアプローチの段階で、クラッチレバーを握り込み、そこでスロットルを完全に戻してエンジン回転を落とす。シフトダウンからフルバンクまで、クラッチは握ったまま、リヤタイヤのコントロールは、右足のブレーキペダルのみに頼るという、非常に危険で、繊細な感覚が要求されるテクニックだ。
シャルロッタオリジナルというわけではなく、以前からブレーキコントロールに自信のある一部のレーシングライダーに使われていたテクニックだが、フルバンクまでもっていける者はおそらくいないだろう。
バイクに乗っている者なら、それが如何に危険で恐ろしい事か理解出来るはずだ。一般には絶対真似してはいけない操作とされている。
難易度が高い割に目立たず、実際どれほど省エネに効果があるかは疑問だが、エンジンを少しでも休ませる効果はあった。減速時にスロットルを絞った状態で、後輪からのバックトルクによってピストンが無理矢理上下させられるのは、エンジンにとって大きな負担であるのだから。
シャルロッタらしくない、地味なテクニックを駆使して、愛華にも気づいてもらえず、後ろのスターシアお姉様だけはわかってくれてると信じて、ひたすらシャルロッタは耐えた。
残り五周のコントロールラインを通過する際、愛華が後ろを振り返ると、スターシアのすぐ後ろにナオミとリンダを先頭にしたブルーストライプスが迫っていた。バレンティーナはその後ろにいるが、エレーナとフレデリカの姿が見えない。おそらく二人ともすでにガス欠でリタイヤしたようだ。
愛華は急に不安に襲われた。思えばデビュー以来、いつもエレーナが走っていた。
近くにいなくても、必ずエレーナさんが来てくれると信じられた。
遅れた時も、絶対にエレーナさんのところにいくんだと頑張れた。
今、自分はエレーナさんのいなくなったレースを走っている。果たして自分の力で、シャルロッタさんをゴールまで連れていけるか、と。
「アイカ、おかげで燃料計の表示に少し余裕ができたわ。もう少しペースをあげてくれて大丈夫よ」
シャルロッタの落ち着いた声が聞こえてきた。まるでシャルロッタらしくない冷静な判断力と言い方だ。
「わかりました。速すぎたら言ってください」
返事をして、愛華は自分が一瞬でも弱気になった事を恥じた。「レースに迷いは禁物、自分を信じて思いきり走れ」いつもエレーナから言われている事だ。
きっとシャルロッタさんも、エレーナさんがリタイヤしたことに気づいて、自分が冷静にならなくちゃいけないと自覚しているんだ。「しっかりしろ、アイカ!シャルロッタさんでもちゃんとわかっているのに、アイカが弱気になってどうする。シャルロッタさんは、アイカがリードしてやらないとダメだろ。がんばれアイカ!だあっ!」
エレーナの口ぶりを真似て、自分自身に言い聞かせた、つもりだった。
「ちょっとアイカ、あんた何しゃべってるの?ずいぶん失礼なこと言われた気がするんだけど」
途中から、本当に声に出していた。
「えっ?わっ!すいません!ちがんです、これはエレーナさんの言葉で、エレーナさんがわたしを励まして言っているので、……」
愛華は恥ずかしさと申し訳なさに、ヘルメットの中の顔を真っ赤にして意味のよくわからない弁明をする。
「間違いなくアイカの声だったんだけど。まあいいわ、最後の勝負は、ラスト半周よ。それまではあんたの力を借りるから、しっかり下僕の務めを果たしなさい」
「だあっ!」
一旦恥ずかしい思いをすると、もう開き直れる。迷いのない声で返事した。
後ろでは、既にスターシアがブルーストライプスをブロックする走りに切り替えている。リンダとナオミは、まだ本格的にはアタックして来ないが、隙を探っているのは明らかだ。これまで何度もスターシアのブロックに苦汁を飲まされているので、慎重に攻めて来る。
「アイカちゃん、後ろは私に任せて、シャルロッタさんを頼みますよ。あとで会いましょう……」
スターシアの言葉の最後には、少しだけ愁いが含まれていた。
「お願いします!シャルロッタさんを必ず一番でゴールに送ります。それからスターシアさん、フラグで遊ぶのは、やめてください」
渾身の哀愁だったのに、素っ気なく言われてしまった。前にエレーナにも同じように言われた事がある。
「アイカちゃん、だんだんエレーナさんに似てきました……」
ちょっとさみしいスターシアであった。