共食い
シャルロッタが、リアタイヤを路面から浮かせるほどハードなブレーキングでコーナーへ進入していく外側から、フレデリカがテールを流してかぶせていく。
カウル同士が触れあいそうなサイド バイ サイドでクリップを通過すると、フレデリカが先に加速する。
ドリフトアングルが更に大きくなり、カウンターをあてながらマシンをインに向け、シャルロッタの鼻先を横切る形で前に出た。
ドリフトの収束しないまま加速を続けるフレデリカの外側を、今度はフロントタイヤを持ち上げたエレーナが追い越していく。ぴったりと後ろに着いたシャルロッタにも抜き返される。
先頭に立ったエレーナの加速が鈍ると、空かさずシャルロッタがスリップから抜け出し、二段ロケットのように加速を続ける。
フレデリカは、スリップストリームを使うストロベリーナイツの二人に、フレデリカスペシャルと呼ばれる彼女専用マシンのエンジンパワーで追いすがり、次のコーナーで再びシャルロッタの横に並ぶ。
コーナー毎に繰り広げられる超人的テクニックの応酬。
誰かが少しでもミスをすれば、三人とも転倒しかねない密集したスペースで、シャルロッタとエレーナのコーナーの進入ではほぼフロントタイヤだけで、立ち上がりではリアタイヤだけで、というどちらか一本のタイヤだけでコントロールする限界の走りと、フレデリカはコーナーの入りから立ち上がりまでにリアをスライドさせ続ける、という曲芸のようなパフォーマンスの競演。
自分だけでなく、相手の技術をも信頼していないと出来ない、しかも打ち合わせたのではなく、それぞれが前にいこうとする中で保たれている危うい調和。
常識的思考を持ち合わせるなら、絶対近づきたくない危険区域が生じていた。近づきたくなくても、観る側には堪らない迫力だ。
昨年の最終戦以来のエレーナとシャルロッタのぶっ飛んだ走り。それにフレデリカまで加わったとなれば、観客のボルテージも最高潮を更新する。
それを真後ろの特等席から観ているバレンティーナだけは、どうしてこんな事になったのかと苛つかずにいられなかった。
「なんでエレーナはシャルロッタを抑えないんだよ!あんた大人なんだから、若い子がむちゃしてたら止めるべきだろ?一緒になって暴走してどうすんだよ!」
策士、策に溺れるとはこの事である。そもそも最初の予定では、シャルロッタとフレデリカを潰し合わせるはずだった。そこへエレーナが出てきて、シャルロッタを自制させると読んだ。奴らがペースを落としたタイミングで、一気に勝負に出る予定だった。なのにあろう事か、エレーナまでイカれたバトルを始めてしまった。
バレンティーナの苛立つ原因はそれだけではない。むしろこちらの方が彼女にとって深刻かも知れない。背後からスターシアと愛華に詰められているのだ。
スターシア一人でも手を焼くのに、疫病神の愛華までいる。一番こういう状況で関わりたくない相手だ。
前に助けてやったけど、さっきちょっとぶつけたんで結構怒っているみたいだ。ラニーニまで巻き沿いになってたみたいだから、今さら『故意じゃなかった』って謝っても、『仲良く走りましょう』とは言わないよね。
更に困った事に、その後ろから古巣のブルーストライプスがきれいに隊列を整えて近づいて来ている。一人一人は大した事なくても、あれだけ統率のとれたチーム相手に一人で対抗するのは歩が悪すぎた。しかもバレンティーナのマシンは、フレデリカ仕様と違い、トップスピードはライバルより低い。コーナーはなんとか耐えれても、ストレートでは「あっ」と言う間だろう。
ブルーストライプスにまで抜かれてしまうと、10位まで落ちる事になる。地元ムジェロで、二桁順位はありえない。
マシンのせいにしたくても、予選でしっかり好調アピールしていた。レース前にも大口叩いていたので、今さらそんな言い訳がイタリアのファンに通じないのは、バレンティーナが一番よく知っていた。ジュリエッタに対して、結構批判的な事も言っていたので、心の中で反感を持った人も多いはずだ。勝てばひれ伏すだろうが、敗けたら国賊扱いされるのは目に見えている。
それに喩え素人ファンは誤魔化せても、ヤマダのメカニックたちからの信用は失墜するだろう。彼らとって、成績不振の理由を要望通りに仕上げたマシンのせいにされたら堪らない。
バレンティーナに残された選択は、リミッターの壊れた怪物たちの宴を抜けるしかなかった。
愛華たちに、押しやられるように危険区域に踏み込んだバレンティーナは、エレーナとシャルロッタが決して連係しあっているのではないのを感じとった。連係どころか、まるでライバル同士が張り合っているような剥き出しの闘志が伝わってくる。
何なんだよ、コイツら。本当に狂っちゃってるの?
考えてみれば、二人が冷静なら最初からこんな事になっていない。バレンティーナは、怪物の得体の知れなさに畏れを抱くと同時に、活路も見いだした。
コイツらが勝手に走ってるのなら、ボクにとってはつけ入る隙もあるってことさ。
活路と言うには、余りに楽観的過ぎると言わざる得ない。
普通ならエースとアシストが張り合っているチームほど容易い相手はいない。
しかし相手はエレーナとシャルロッタだ。共喰いするほど飢えた猛獣である。
下手な仕掛けなど喰い千切り、捕獲者まで喰い殺してしまうだろう。
それでもそれに頼るしかバレンティーナには道がなかった。
自分が棄てたチームに追いたてられるより、飢えた猛獣たちを翻弄する方が自分らしいと腹を括った。
バレンティーナは、まずフレデリカに呼び掛けた。彼女とは事実上別のチームだが、公式には同じヤマダワークスチームである。ワークスチーム内での取り決めで、必要に応じての主力ライダーへのサポートが義務づけられている。
フレデリカとでは、エレーナやシャルロッタに対抗する連係は望めないが、暴れる猛獣は一人でも減らしたい。上手く使えば、餌ぐらいにはなるだろう。
しかし、フレデリカからの応答は、バレンティーナを更に苛つかせた。
「バレンティーナさん、この人たち、むちゃくちゃ凄いですよ。シャルロッタだけでなく、このエレーナって人もむちゃ迫力です。こんな興奮するレース初めてです」
「キミの変態性癖はいいから。ボクがシャルロッタを抑えるから、その隙にキミはエレーナを潰してくれるかい?」
「ずるいですよ、バレンティーナさん。シャルロッタは私の獲物なんですから」
確かにバレンティーナに腹黒い計算があった。スピードはシャルロッタの方が速いが、手強いのはエレーナだ。見透かされた事に舌打ちするが、この際フレデリカの協力を優先しなければならなかった。
「わかった、キミがシャルロッタでいいよ。ボクがエレーナに仕掛けたら、シャルロッタを抑えてくれ」
「ええ~ぇ、なんかエレーナさんも渡したくないなぁ」
フレデリカの舐めた態度に、バレンティーナがキレた。
「ふざけるな!おまえはボクの指示に従う義務がある。ボクはヤマダのエースだぞ!」
その上からの一言に、フレデリカもカチンとなった。最高のバトルの最中に、下らない話を持ち掛けないでもらいたい。そんなのにつきあっている暇はない。
「ランキングが上位なのは私の方よ。だから権利があるのは私。いい?あんたが私の指示に従いうの。安心して、無理は言わないわ。実力で勝負したければ相手になるし、それが嫌なら大人しく見てなさい。どちらかよ」
フレデリカの態度の豹変に、バレンティーナはマシンの挙動が乱れるほど怒りに震えた。フレデリカとのポイント差はたった3ポイントだ。しかも三戦終えて11位と12位の差でしかない。
「たった一度表彰台にあがっただけで調子づくなよ、小娘。でもまあいいさ、望み通り相手してあげるよ。誰が一番速いのか、はっきりさせればいいんだね」
バレンティーナにとって、この生意気なアメリカ人に自分の偉大さを教えてやる事が、レースの最終結果より重要となった瞬間である。