シャルロッタとハサミは使いよう
エレーナは、バレンティーナと愛華が接触したのには気づかなかったが、ラニーニと愛華が遅れたのには、バレンティーナと何かしらあったとは推測出来た
少し離れて二人とも、スターシアやブルーストライプスのライダーたちと追ってきているので、大きなアクシデントはないようだ。
それにしても、面倒な奴まで復活してきた。
ヤマダの仕上がりレベルが相当高いのは、予選の走りから窺えた。しかし競り合いの中で真価を問われるコーナーリング中の安定性と自由度は、予想以上だと認識した。
モーターサイクルの開発に於いて、コーナーでの安定性と軽快感という相反する要素を、どこにバランスさせるかが重要なテーマだ。
ライダーの高いテクニックが前提のレーシングマシンでは、安定性よりコーナーリング中でも自在にラインを変えられる自由度が重要とされる方向で開発されてきた。特に敵味方多くのライダーが、密集した集団内で入り乱れてポジションを変えるMotoミニモでは、鈍重なマシンでは着いていけない。
エレーナはかつて、フランスのバイク雑誌の企画で、ケリーと対談した時の事を思い出した。
そこでケリーは、レーシングマシンでも安定性は必要だと持論を述べた。素直なハンドリングと安定性があってこそ、ライダーは思いきり走らせられるのだと。
当時のエレーナは、経験、テクニック、フィジカルのすべてが揃い、もっとも充実した時期であり、レース毎に連勝記録を更新していた頃だった。
ライダーの意志通りに曲がり、意図しない動きはしない、確かに理想だが、中途半端な妥協が成功するほどこの世界は甘くない。初心者も乗る市販車ならともかく、プロの乗るレーシングマシンに必要以上の安定性は要らない、と反論した。
事実ケリーはエレーナに勝てず、その後ヤマダの開発方向も修正された。
しかしケリーは理想を諦めていなかった。ヤマダのレース活動復帰に合わせ、理想とするマシンを造ろうと研究と努力を続けてきたのだろう。
テクノロジーの進歩により、レーシングマシンも昔と比べ随分乗り易くなった。それによって、ライディングもアグレッシブになってきた事実。肉体的衰えを実感する今になって、ケリーの思想が間違っていなかったと理解出来る。
ただ、バレンティーナにそれを証明させるつもりはない。
一方バレンティーナは、ラニーニと愛華をふるい落とせたのは思わぬ成果としても、エレーナに先を越されたのに舌打ちした。
ちぇっ、エレーナおばさんに前走られるのは計算違いだったな。伊達にグランプリ最年長やってないか、経験だけは上だね。でもまぁいいや、カルロタを抑えるのが目的なのはわかっているから。
ボクたちがカルロタを煽れば煽るほど、おばさんは抑えるのに必死にならなきゃならないんだから。バカをエースにすると、おばさんも苦労するよね。
その隙にフレデリカを使って、ボクは先に行かせてもらうよ。
バレンティーナは、ここでも計算違いをしていた。
エレーナは、バレンティーナ以上にケリーとヤマダの技術を高く評価している。皮肉にもバレンティーナの動きがそれを確証づけた。
狡猾なバレンティーナが、勝算もなしにこれほど攻めてきたりしない。マシンに問題があるなら、もっとセーブして確実なポイント狙いの走りをしてるだろう。
初戦で、下位からアイカを引っ張りあげた時とは違う。あの時は、ポイント圏内完走すらおぼつかないマシンだった。しかし驚くような早さで完成度を高めた今は、確実に勝ちを狙っているに違いない。
シャルロッタを下がらせていたら、逃げ切られたかも知れんな。たまにはバカも役にたつものだ。
エレーナは、久々にシャルロッタに本気の走りを魅せてやろうと、年甲斐もなく浮かれた。シャルロッタとバレンティーナに責任をなすりつけた明らかな確信犯である。
スターシアと愛華は、交互に前を交代しながらエレーナとシャルロッタに追いつこうととばした。
前に出たスターシアの後ろ姿に、愛華は思わず見とれてしまう。
スターシアのライディングは、いつ見ても美しかった。
優雅に舞うように、右に左にマシンを寝かしながらコーナーを抜けていく。それでいて、愛華が予選でやっと出したラップタイムを軽く上回るハイペースだ。気がつけば、愛華もそのペースに牽き込まれている。
スターシアさんの走りからは、何回見ても勉強することばかりだ。
あれほど苦労した1コーナーの入り方も、スターシアさんと一緒だと自然に入っていける。前を走っても、スターシアさんが一緒にいるだけで、リズムが伝わって来るみたいに体が動く。
どうしたら、自分だけでもこんなに気持ちよく走れるようになれるかな?
完璧なライディングのスターシアとそれに牽き込まれた愛華のペアは、ラインを交差させながら熾烈なトップ争いをする四台に、間もなく迫った。
近づけば、エレーナもシャルロッタを抑えるのではなく、一緒になってバレンティーナとフレデリカ相手にバトルしているのがわかる。
「あらあら、エレーナさんまでヤル気なって。フレデリカさんとバトルするのはそんなに楽しいのですかね。それともバレンティーナさん、エレーナさんまで怒らせちゃったのかしら?アイカちゃん、早く行かないとバレンティーナさんの首、エレーナさんに獲られちゃいますよ」
なんか、さらっと怖いこと言う。
「いえ、別にバレンティーナさんの首とか、狙ってませんから。それより早く助けに行かないと」
こんな時でも、優雅にゆるいスターシアが恨めしい。四人とも、人間技とは思えないライディングでポジションを争っている。一刻も早くサポートに加わりたい。
「落ち着いて、アイカちゃん。バレンティーナさんの首が要らないなら慌てることありませんから。エレーナさんとシャルロッタさんが、あんなバラバラな二人に負けるはずありませんよ」
せっかくエレーナとシャルロッタが楽しんでいるのだから邪魔しては悪い。人でなくなったモンスターたちには、怪物同士で満足するまでやり合って欲しい。人であるスターシアと愛華が混じれば、却って混乱のもとになりかねない。
スターシアは、後ろを振り返った。
問題はその後だ。バトルを制する事が出来ても、おそらくエレーナもシャルロッタもかなり消耗している。そこをハンナたちは狙っているはずだ。
「最終的に怖いのは、ハンナさんたちです。私たちがシャルロッタさんをゴールまで連れて行かないとなりません。アイカちゃん、頼りにしてますからね」
「そうだったんですね。わたし、がむしゃらに向かってくことしか考えてませんでした」
またスターシアから教えられた。愛華は尊敬の眼差しをスターシアに向けた。スターシアにはその純粋な仕草が可愛くてたまらなかった。
「アイカちゃん、かわいい!ハンナさんたちが来るまで、二人でイチャイチャしてましょ」
「真面目にやってください!」
愛華の眼差しが、一瞬で軽蔑の色に変わっていた。
ブルーストライプスは、四台がきれいな隊列を組んで周回を重ねていた。
先頭を牽くライダーは、絶妙なタイミングで絶えず交代していくが、エースであるラニーニだけははいつも二番目か三番目の位置をキープする。一見、それほど速くは見えないが、空気抵抗を避けあい、コーナーも無駄なくスムースに抜け、消耗を極力控えながらアベレージを稼いでいる。
特に中心でチームメイトに守られたラニーニは、トップ争いをしているシャルロッタたちと同じラップタイムを刻んでいるとは思えないほど、楽に走っていた。
ツーリング気分と言ったら言い過ぎか。彼女も最終局面に備え、あらゆる技術を駆使して力を温存している。
Motoミニモに於いて、集団は基本であったが、実際のレースでこれほどのお手本のような隊列が観られる事は滅多にない。
チーム全員揃って隊列を組むには、全員の走り方と呼吸、それにコンディションまで揃っていなくてはならない。それにレースになれば相手チームの存在もある。勝つために相手チームの隊列に仕掛け、仕掛けられる。なかなか基本通りにはいかない。
それが今のレースシーンだ。
抜け出た技術のアシストが注目され、現在の基本とされる集団技術などは必要なくなるだろうと言う解説者まで現れた。
以前、ハンナはテレビの前で呆れてしまった。こんな素人に解説させるなんて、視聴料払ってる契約者を馬鹿にしてるとしか言えない。
「最高のアシストライダー」と言われるスターシアは、時にエースをも上回るスピードをもって、たった一人で何人分もの活躍をする。その容姿と相まって華やかな面にばかり目を奪われがちだが、彼女ほど完璧な基本技術を有している者はいない。
レースだからこそ、一人一人が基本の技術を身につけていなければならない。
誰かが欠けても、エースを守れなければならない。
フリー走行で出来ない事が、相手のいるレース中に出来るはずがない。
不得意だとか、相性が悪いとか言ってられない。
どんな場面でもオールラウンドに仕事をこなさせなければならない。
基本も満足に出来ないライダーに、抜け出た技術を求めて何がしたいの?
エースを守り勝たせるのが、アシストの仕事だ。
最終的な勝利は、超人的な個人の力でなく、組織的なチーム力によって得られる。
ハンナに統率された集団は、少しずつトップグループとの差を詰めていった。